ヒロ「幸か不幸か、まだ殺人による犠牲者は出ていない……だが、この牢屋敷は正しくなさすぎる」
【死に戻り】の魔法によって蘇った二階堂ヒロを待ち受けていたのは、牢屋敷に残る異常な魔法の数々だった。
宝生マーゴは“魔法少女Y談お姉さん”と化し、黒部ナノカは“魔法少女野球拳大好き”にされて暴走した。
氷上メルルが黒幕であることまでは突き止めた。
だが、わかったのはせいぜい、彼女自身にも魔法少女たちを脱出させる権限がないということだけだった。
ヒロ「他の魔法少女たちが、まだ誰も死んでいないのは奇跡というほかない……」
ヒロが焦っている理由は、あの二人の騒動だけではない。
牢屋敷に来てからすでに数週間。ヒロ自身、牢屋敷のせいで何度か死に、そのたびに【死に戻り】を繰り返している。
つい今朝方も、不発弾を踏んで死んで戻ってきたばかりだった。
メルル「きゃああっ! 何するんですか、ノアさん!」
不意に、倉庫の方からメルルの悲鳴が響いた。
ヒロ「メルルがノアに襲われている……? いや、だがノアがそんなことをするはずが……」
城ケ崎ノアは、『バルーン』の名で知られる自由奔放なアーティストだ。
変わり者ではあるが、意図して他人を傷つけるような人間ではない。
ヒロ「まさか、ノアもこの牢屋敷の意味不明な魔法の餌食に……!」
相手が黒幕のメルルだとしても、殺してしまえば魔女裁判は開廷される――ゴクチョーはそう言っていた。
ノアを処刑させるわけにはいかない。
ヒロが慌てて倉庫へ駆け込むと、そこにはノアがメルルを押し倒している光景があった。
ノア「ねえ、メルルちゃん。メルルちゃんって、何十回も魔女裁判をしてきたんだから……きっと永遠の命みたいなもの、持ってるんだよね?」
メルル「は、はい……私は、あなたたちとは違うんです……」
ノア「のあにもちょうだい? 永遠」
――すでにメルルの衣服も顔も、真っ赤に染まっていた。
その深紅は、ノアの手や頬にまで飛び散っている。
一瞬、血かと思った。
だが匂いが違う。鉄臭さではない、鼻の奥をつんと刺す塗料の臭いだった。
それでも、異様さは変わらない。
白い頬に赤がまだらに散ったノアの姿は、悪戯好きの少女などではなく、幼い何かが人の皮を被って笑っているように見えた。
ヒロ「遅かったか……!?」
ノア「……ちっ、もう来ちゃったか」
ヒロ「ノア……!?」
倉庫に響いたのは、低く濁った舌打ちだった。
その瞬間、ヒロの背筋にぞわりと悪寒が走る。
声色だけではない。
立ち上がる仕草も、メルルを見下ろす目も、いつものノアとは決定的に違っていた。
無邪気さの皮だけを雑に被り、その下から別のものが覗いているようだった。
ヒロ「今の君は……本当に城ケ崎ノアなのか……?」
ノア「のあはのあだよ? メルルちゃんに尋問してただけ」
ノアは立ち上がり、手にしていた真っ赤なスプレー缶をひらひらと見せつける。
よく見れば、メルルの口元から顔面にかけて、赤い塗料がべったり吹きつけられていた。
その意味するところは――
ヒロ「まさか……スプレー缶をメルルの口の中に吹き込んだのか!? なんてことを……!」
ノア「そうだよ。おかしい? 黒幕を尋問するのは、ヒロちゃんだってやってた正しいことでしょ?」
ヒロ「だが、いくらなんでもそれは……! メルルが死んだらどうするんだ!?」
そう言い合う間にも、メルルの手が淡く光る。
どうやら自分に治癒魔法をかけたらしい。
メルル「ノアさん……何度頼まれても、ただの魔法少女であるあなたに永遠の命はあげられないんです……」
ノア「ほらね。これくらいへーきへーき。でも永遠がダメなら、どうしようかな〜。この牢屋敷で暮らし続けるなら、せめて美味しいものは食べたいよね」
ヒロ「ノア……今の君は、正しくない……!」
ノア「なんで? ヒロちゃんは、この牢屋敷で死にたいの?」
口調だけ聞けば、いつものノアの軽さにも似ている。
だがその言葉は、どこか薄い膜を隔てて響いてくるようだった。
楽しげな抑揚の奥に、人を人と思わない冷たさがある。
メルルが治癒魔法を持つ以上、スプレー缶を吹き込まれた程度ではまず死なない。
しかも相手は、ヒロたちを閉じ込め、殺そうとしていた黒幕だ。報いだと言われれば、それまででもある。
それでもなお、ヒロには今のノアのやり方を肯定する気にはなれなかった。
アンアン「ノア、【そこを動くな!】」
ヒロ「アンアン……!?」
ノアの同室である夏目アンアンが、洗脳魔法でその動きを封じる。
騒ぎを聞きつけた他の魔法少女たちも、次々と倉庫へ集まってきていた。
アンアン『こいつは城ケ崎ノアではない。ノアの皮を被った化け物だ』
アンアンのスケッチブックには、そう記されていた。
あらかじめ、この事態を周囲に伝えるために用意していたのだろう。
ヒロ「まさか、入れ替わりの魔法……!?」
ヒロは反射的にミリアを見る。
人格を入れ替える魔法を使えるのは、彼女だけだ。
ミリア「お、おじさんは何もしてないよ!?」
エマ「それに、もし入れ替わってるなら……本物のノアちゃんはどこにいるの?」
ノア「だからさー、俺は本物ののあだって」
ミリア「今、“俺”って言ったよね!?」
やはり、今のノアは別人だ。
以前おかしくなったマーゴやナノカと比べても、これは明らかに“人格そのもの”が違う。
ノア「めんどくさいなー。じゃあ、証拠を見せてあげる」
ノアがカラースプレーをひと振りすると、空中に鮮やかな色彩が踊った。
みるみるうちに、美しい蝶や花の絵が生まれていく。
レイア「これは間違いなく、アーティスト『バルーン』の絵……!」
芸術に疎いヒロですら、息を呑むほどの完成度だった。
疑いようもなく、ノア本人の魔法だ。
ノア「それに、のあはみんなのためにやってるんだよ? どうせここから出られないなら、黒幕で長生きのメルルちゃんを尋問して永遠の命をもらう。それがダメなら、この牢屋敷でも美味しいものが食べられるようにする。それって悪いこと?」
ヒロ「だが、それでは根本的な解決にならない! 君だって、『バルーン』としての未来を失うんだぞ!」
ここでの生活が快適になったところで、元の世界に帰れなければ意味がない。
アーティストとしての活動も、未来も、すべて失われてしまう。
ヒロ「アンアン! 洗脳魔法で、本物のノアを戻す方法を聞き出してくれ!」
ヒロはアンアンへ叫ぶ。
この状況を打開するには、ノアの姿をした何者かから、本物のノアを返してもらうしかない。
だが、それを聞いたノアは、にやりと笑った。
ノア「……のあはね、ここから出たくないんだ。アンアンちゃんも、そうだよね」
アンアン「……ああ、確かにその通りだ。ノアもそう言っていた」
ヒロ「何……?」
アンアンは警戒こそしているが、否定はしなかった。
ノア「な~にが脱出だ。な~にが未来だ。そんなものより、この牢屋敷で“ちいさくてかわいい女の子”として暮らし続ける方が楽しい……でしょ? のあも、アンアンちゃんも、そう思ってる」
アンアン「……そうだな。わがはいも、そう思う」
ヒロ「アンアン……君はそれでいいのか!? ノアがいつもの彼女でないことは、君が一番わかっているはずだろう!」
ノアの言い分を、アンアンは事実として受け止めている。
二人とも、ここから出たいと強く望んでいるわけではない――それ自体は本当なのだろう。
そのとき、アンアンはスケッチブックに挟んでいた一枚の紙を取り出した。
アンアン「ノア、この絵をどう思う。【正直に話せ】」
そこに描かれていたのは、普段のノアの作品とは似ても似つかない、ひどく拙い絵だった。
美しいどころか、何を描いているのかすら判然としない。
アンアンの絵だろうか、とヒロが考えるより先に、ノアは吹き出した。
ノア「なにそれ、下手くそな絵。のあの絵とは比べものにならないくらい、ひどいよ」
その言葉を聞いた瞬間、アンアンの目つきが変わった。
アンアン「もういい。それ以上、【城ケ崎ノアを侮辱するな】」
その怒りは、自分の絵を馬鹿にされた程度のものではなかった。
アンアン『これは、ノアが一度だけわがはいに見せてくれたものだ。偶然見てしまったのを、許してくれたと言ってもいい』
ヒロ「そうか……アーティスト“バルーン”としての絵は魔法によるもの。なら、魔法なしのノア本人の絵が、これなのか」
スケッチブックに綴られた言葉は、この拙い絵こそが“本当のノア”の描いたものだと告げていた。
アンアン『あいつもきっと、自分の強すぎる魔法の力に苦しんでいた……わがはいにはわかる』
自力で描いた絵よりも、自分の魔法が勝手に描く絵の方が高く評価される。
それを“自分の作品”として称賛されれば、嬉しさもあるだろう。
けれど同時に、空しさや悲しさだって、きっとあったはずだ。
アンアン「【ノアを元の身体に返せ】!」
ノア「……あーあ。儚い夢だったぜ」
それが、ノアの姿をした何者かの最後の言葉だった。
次の瞬間、その意識は無言のまま、本物のノアの精神――なれはてとなった魔女のもとへ戻っていく。
なれはて「……!」
ヒロ「大丈夫だ。君が本物のノアなんだろう。すぐ元に戻してやる」
なれはては、がくがくと激しく頷いた。
やがて身体は入れ替わり、ノアはようやく本来の自分を取り戻した。
ノア「アンアンちゃん……ヒロちゃん……ありがとう……」
アンアン「いや……わがはいは、ノアに謝らなくてはいけない」
アンアンは、スケッチブックに挟んでいた“本当の絵”をそっと取り出した。
アンアン「ノアを元に戻すためとはいえ……お前の本当の絵を、みんなに見せてしまった。すまない……」
ノア「ううん……実はね、偽物ののあと、みんなのやり取りはこっそり聞いてたの」
その言葉に、倉庫の空気が少しだけ静まった。
さっきまでそこにいた“別の何か”の気配が消えたあと、ようやく本当のノアの小さな 声が、その場に居場所を見つけたようだった。
ノアは、自分の手元に戻ってきた拙い絵を見下ろす。
いつも魔法が生み出す鮮やかな奇跡とは違う、震えた線と、ぎこちない形。
誰にも見せたくなかった、自分だけの恥ずかしい部分だ。
ノア「ほんとはね……すっごく、こわかった」
か細い声で、ノアはぽつりとこぼした。
ノア「この絵、見られたくなかった。みんなに下手だって思われるの、やだったし……バルーンなのにこんなのしか描けないのって、笑われたらどうしようって、ずっと思ってた」
少し笑おうとして、笑えなかった。
代わりに、声だけがわずかに震える。
ノア「だって、魔法の絵はきれいだから。みんな、そっちを見てくれるから。のあも、あれが自分の絵なんだって思っていた方が、ずっと楽だったの」
ヒロもアンアンも、黙ってその続きを待った。
ここで何かを差し挟めば、ノアの言葉を壊してしまう気がした。
ノア「でも……あの偽物が、この絵を笑ったとき……アンアンちゃん、すごく怒ってくれたでしょ」
アンアン「……ああ」
ノア「うれしかった。あれ、下手くそで、へんな絵なのに……それでも、のあの絵を馬鹿にされたって怒ってくれたの、すごく、うれしかった」
ノアはぎゅっと紙を抱きしめる。
くしゃくしゃにしないよう気をつけているのに、その指先には力が入っていた。
ノア「ヒロちゃんも……のあの魔法じゃなくて、ちゃんとのあを取り戻そうとしてくれた。バルーンじゃなくて、城ケ崎ノアの方を……見てくれた」
ヒロ「ノア……」
ノア「だから、助けてもらったことだけじゃないの。のあね、あのとき初めて……下手くそなままでも、ここにいていいのかもって思えた」
その言葉は、礼というより告白に近かった。
ずっと胸の奥に隠していた傷口を、おそるおそる見せるような声音だった。
ノア「ありがとう。アンアンちゃんも、ヒロちゃんも……のあと、お友達でいてくれて」
今度は、ちゃんと笑えた。
それはいつもの無邪気な笑顔より少しだけ弱くて、その分だけ本物だった。
こうして第三の事件は、ノアとアンアン、そしてヒロの絆を、前より少し深いところで結び直す形で幕を閉じた。
ノアちゃんの声優さんがちいかわのモモンガと同じだと聞いて書きました。まのさばも乗っ取り系BADENDちょこちょこあってこわい