欲望濃密甘美バレンタイン 前日談
アメリカでの激闘と大進化を遂げたインターンから帰国し、季節は巡って真冬の2月。
世間一般において、2月14日という日付は男性陣にとって朝からどこか不自然に挙動が不審になり、女性陣にとっては秘めたる想いを形にするための大決戦の日――そう、バレンタインデーである。
その甘くも苛烈な空気は、未来のプロヒーローを育てる雄英高校の女子寮・男子寮にとっても決して例外ではなかった。
乙女たちの熱い決戦は、本番を翌日に控えた前日の放課後から、すでに静かに、しかし熾烈に始まっていたのである。
2月13日、放課後。
雄英高校1年A組女子寮の広々とした共同キッチン&調理実習スペース。
普段の訓練着からエプロン姿に着替えた女子たちが集結し、調理台の上には山積みにされた最高級のクーベルチュールチョコレート、生クリーム、色鮮やかなトッピング素材、そして可愛らしくラッピングされた型やリボンが整然と並べられていた。
「皆さん、これより『バレンタイン・チョコレート決起講習会』を開始いたしますわ!!」
腕まくりをして気合十分に宣言したのは、八百万百さん。
実家から取り寄せたプロ仕様の製菓道具一式を前に、指導者としての完璧な風格を漂わせている。
「「「「イェーイッ!!」」」」
響香ちゃん、三奈ちゃん、梅雨ちゃん、お茶子ちゃん、そして透ちゃんが大歓声で拳を突き上げた。
「そして本日は強力なゲストをお招きしておりますの! 201号室のキッチンが手狭ということで、合同で開催することになりましたわ!」
「そういうわけだから、B組女子もお邪魔させてもらうよ! 一緒に最高のチョコ、作ろうじゃないの!」
パンッと景気よく手を叩いて爽やかに登場したのは、1年B組の頼れる学級委員長・拳藤一佳さん。その背後には小大さん、小森さん、角取さん、塩崎さん、ポニーちゃんといったB組女子メンバーが勢揃いしていた。
「「「「フゥーーー!! よろしくお願いしまーす!!」」」」
A組とB組の女子が勢揃いした空間は、まさに乙女たちの熱気に満ちあふれていた。
「ヤオモモ、指導よろしくね! 私、手作りチョコとか全然自信なくてさ……!」
耳のイヤホンジャックを揺らしながら、少し照れくさそうに言う響香ちゃん。彼女の視線がどこか男子寮の方向(具体的には上鳴くんの部屋あたり)を向いているのを、三奈ちゃんは見逃さない。
「へへ〜ん、響香ちゃんは誰にあげるのかな〜? 決まってるのかな〜〜??」
「なっ……! つ、義理だよ義理!! 日頃の感謝!! ニヤニヤするなニヤニヤ!!」
顔を真っ赤にして慌てる響香ちゃんを囲み、女子たちの笑い声が弾ける。
「さて! テンパリングは温度管理が命ですわよ! チョコレートの脂肪分を正しく結晶化させることで、美しいツヤと滑らかな口溶けが生まれるのです!」
八百万さんの熱血指導が始まると、みんな真剣な表情でボウルに向かい合った。
「まあ、たまには男子へのご褒美ってことで! 日頃のお世話になってるお返し的な?」
三奈ちゃんがテンポよく湯せんのボウルを混ぜながら、ニシシと意地悪く笑う。
「ちなみにみんな〜、本命チョコは? 本命はあるの〜〜??」
身を乗り出す三奈ちゃんの問いかけに、調理台のあちこちから女子たちの素直すぎる(?)本音が飛んできた。
「彼らには義理チョコで十分ですわ」
八百万さんが至極当然といった表情で、美しく型抜きされた高級チョコレートを並べながら即答する。
「うちは友チョコ専門かな! 友情の証ってやつ!」
拳藤さんが爽やかに笑い、隣の小大さんも無言でコクリと深く頷いた。
「自分へのご褒美、マイチョコー!」
お茶子ちゃんが、自分で食べる用に確保したハート型チョコを幸せそうに見つめながら頬を緩める。
「私は日頃の感謝用かしらね。お父様や先生方にもお渡ししようと思っておりますの」
塩崎さんが後光が差しそうな笑顔で手を合わせる。
「あのさ……チョコにキノコを入れるのって、アリかなノコ?」
小森ちゃんが怪しく目を輝かせながら、どこからか取り出した乾燥菌糸(きのこ)の袋を掲げて首をかしげた。
「良いじゃん良いじゃん! 面白いから入れちゃえ!」
「ちょっと小森さん!? チョコレートにきのこはアヴァンギャルドが過ぎますわ!!」
「あはは! 誰に当たるかロシアンルーレットにしようよー!」
「絶対上鳴くんに食べさせよう! そうしよう!」
キッチンは一瞬で大爆笑の渦に包まれた。
チョコの甘い香りに包まれながら、次から次へと話題が跳び移っていく。学校のこと、ヒーロー訓練のこと、最近のファッション、そして男子たちのちょっと抜けた日常の噂話。話題が途切れることなく無限に広がっていくのは、まさに女子ならではの底抜けの賑やかさであり、最高の長所だった。
「で、実際のところ誰か『好きな人』はいないのー? この際だから言っちゃいなよ!」
三奈ちゃんが身を乗り出し、目をキラキラさせながら女子たちを見回す。
「うーん……居ないなー」
「私も特にピンと来る人は……」
「でもイケメン枠で言ったら、やっぱり轟だよね」
「分かる! 顔は間違いなく超絶イケメン! しかもナンバーワンヒーローのエンデヴァーが親で、本人も実力十分の将来有望株! 結婚したら一気に玉の輿確定だよね!」
「玉の輿って言っちゃったよ……! でも轟くん、たまに天然すぎて会話が噛み合わない時あるよね」
「そこが可愛いんじゃない!」
女子たちの恋バナは一度火がつくと止まらない。A組とB組の垣根なんて一瞬で吹き飛び、誰がどの発言をしているのか判別がつかないほどの熱量で弾けていく。
「B組だとさ、物間くんは顔だけならかなり整ってるよね?」
「あー、物間はね……性格が良かったらマシなんだよー! 黙ってれば王子様なのに、喋ると一気にアレだから!」
「爆豪もそうだよ! 顔もスタイルも良いのに、口を開けば『死ね』だもん! 才能マンのくせに性格で大損してる!」
「そう考えると、骨抜はすごく仲間想いだし周りが見えてるから、他よりずっとマシかも」
「飯田もマシだよね! 真面目すぎるのが玉にキズだけど、誠実さは学年ナンバーワンだよ!」
「じゃあ緑谷くんは? 最近どんどんたくましくなってるし!」
「緑谷はお茶子ちゃんが狙ってるからパスー!」
「ギョギョギョ!? ちょ、ちょっと三奈ちゃん!? な、なんで私の名前がここで出てくるの……っっ!?」
お茶子ちゃんが手に持っていたチョコの型を落としそうになりながら、顔を真っ赤にしてパニックになる。その可愛らしい反応に、周囲から「かわいー!」「青春だねぇ!」と黄色い歓声が上がった。
「他にはマシな男はいるかー? 誰か掘り出し物はいないの?」
「ミスター峰田ハ?」
ポニーちゃんがキョトンとした顔で、ひょいとあの小柄なクラスメイトの名を挙げた。
その瞬間――キッチンの温度が急速に冷え込んだ。
「「「「峰田は無い」」」」
ハモる女子たち。
「絶対にやだ」
「「「「それはそう。死んでもゴメンだ」」」」
満場一致、一切の猶予なしの即答だった。あまりの結束力の高さに、誰からともなくクスクスと笑いが漏れ出し、すぐに大爆笑へと変わる。
「あははは! 峰田くん、影で泣いてそう!」
「自業自得よ、普段の行いが悪すぎますわ!」
「それにしてもさ……」
響香ちゃんが、デコレーション作業の手を止めながらふっと柔らかい表情を浮かべた。
「なんだかんだ言っても、うちの学年の男子って……バカで騒がしいけど、土壇場では全員格好いいんだよね」
「……うん、それは言えてる。危険な現場でも、絶対に諦めないで前に出るしね」
お茶子ちゃんも頬を赤らめたまま、優しく頷く。
「だからこそ、明日は日頃の感謝と……ちょっとだけの『特別な想い』を込めて、最高のチョコを渡さなきゃね!」
「「「「おーっ!!!昔ながらの青春万歳!!」」」」
深夜近くまで響き渡る乙女たちの笑い声と、甘く甘く漂うチョコレートの香り。
「透ちゃんは――」
「大好きなエンちゃんへの、世界で一番の大本命チョコ!!」
「――ですわね。分かっておりましたわ」
八百万さんは深く深く頷き、心底納得した様子で上品に微笑んだ。もはや疑問を挟む余地すら存在しない、揺るぎない事実。
「実はね、2月に入ってからずっと陰でチョコを作る練習をしてたんだ〜!」
姿は見えねど、透ちゃんの「ふふん!」と胸を張る誇らしげなドヤ顔が目に見えるようだ。
「へえぇ〜! すごいなぁ透ちゃん! ちなみに、どんなチョコを作る予定なん?」
お茶子ちゃんが目を丸くして身を乗り出し、興味津々で尋ねた。
すると、透ちゃんはすっと姿勢を正し、先ほどまでの照れくさそうな雰囲気を一変させた。まるでプロのヒーローが敵の能力を完璧に分析・解読する時のように、凄まじい熱量と精密さで言葉を紡ぎ始める。
「エンちゃんはお菓子自体は好きなんだけど、砂糖たっぷりの甘すぎるものはちょっと苦手みたいなんだよね。この前デートでパフェを一緒に食べた時も、フルーツやビターゼリーの層は美味しそうに食べてたけど、甘い生クリームの部分は少しだけ苦戦してるのを見逃さなかったの!それに、エンちゃんが日常でチョコレートそのものを単体で食べているところは一度も見かけたことがない。だから、今回はカカオ70%の高品質なクーベルチュールを使用した、甘さを極限まで抑えた芳醇なビターチョコレートベースにするよ! 型はもちろん王道のハート型。星型や動物型も迷ったけど、今回は惑わされずに直球勝負!大きさはエンちゃんが両手で包み込めるくらいのサイズで、中央にしっかりメッセージを刻めるスペースを確保してあるんだ。そこに書く文字は……『大好き』、ただ一点のみ!余計な飾り言葉はいらない、私の真っ直ぐな気持ちを文字に込めるの! デコレーションは私の『光の屈折』をイメージしたカラフルで明るいシュガークラフトをあしらって、私の想いと存在感を全て注ぎ込むよ。そしてラッピングは……エンちゃんの個性にちなんで、汽車の『ガス袋(煙嚢)』をモチーフにした特製の半透明フィルムで包んで、最後に女の子らしさをアピールするための甘いピンクの立体リボンをキュッと結ぶ!……今のところ、エンちゃんが好きそうなチョコの構成案はこんな感じかな!?」
「「「「「――――本気(マジ)だ」」」」」
透ちゃんの一息つく間もない怒涛の長台詞と、緑谷くんも顔負けの緻密すぎる分析力。
A組とB組の女子全員が、思わず寸分狂わずハモり、透ちゃんの計り知れない本気度に戦慄した。
「デ、デクくんの分析癖が伝染しとる……!?」
お茶子ちゃんが思わず後ずさりしながら呟く。
「すごい……普段は天真爛漫な透ちゃんが、白煙のことになるとここまでロジカルかつ熱狂的になるなんて……!」
三奈ちゃんも口をぐうの音も出ないほど開けて固まっている。
「相手の嗜好、過去のデートでの観察データ、視覚的デザイン、個性に合わせた演出……完璧なプロデュースですわ。これぞまさに、愛のなせる業……!」
八百万さんは感動のあまり胸の前で両手を握りしめ、瞳を輝かせた。
「えへへ、ちょっと気合入りすぎちゃったかな?」
女子たちの反応に、透ちゃんは照れたように後頭部をかく(見えない)仕草をした。けれど、その手元にあるハート型のチョコを見つめる気配には、愛おしさと温かい熱がたっぷりと籠もっていた。
「ううん、全然! すごく素敵だよ透ちゃん!」
「うん! こんなに想い尽くされたチョコをもらって喜ばない男なんて、この世に存在しないよ!」
拳藤さんと響香ちゃんが笑顔で太鼓判を押す。
「よしっ! それじゃあデコレーションの最終仕上げ、みんなで一気に集中してやっていこう!」
「「「「おーっ!!」」」」
透ちゃんの本気線に火をつけられた女子たちは、さらにギアを上げて作業へと没頭していく。
「それにしても、やっぱり透ちゃんが羨ましいなぁ〜!」
三奈ちゃんがチョコの仕上げをしながら、羨望の入り混じった溜息をつく。
「まさかあの煙の中身が、あんな透明感のある美少年だったなんてね! このリハクの目を持ってしても見抜けなかったわ……!」
「……誰? そのリハクって」
響香ちゃんが素で首をかしげると、三奈ちゃんがドヤ顔で胸を張った。
「ネットミームだよ! 昔の漫画のキャラクター! それは置いといてさ! 白煙ってば見た目良し、性格良し、おまけに将来有望なレスキューヒーローでしょ!? 仮免試験の時の指揮と救出手順、凄かったもんね!」
「あ、それ分かる! 私、あまりの頼もしさに思わず『隊長!』って敬礼しそうになったわ!」
お茶子ちゃんも思い出して大きく頷く。
「白煙くんって、入学した時から透ちゃんとはすごく仲良かったよね? そういえば二人の出会いって何だったの?」
拳藤さんが興味津々といった様子で尋ねると、周りの女子たちが一斉に作業の手を止め、耳を澄ませた。注目を一心に浴びた透ちゃんは、エプロンの端をそわそわと握りしめ、照れくさそうに振り返る。
「で、出会いはね……雄英の入学試験の時! 試験会場でロボットの妨害に巻き込まれて困ってたの。私、生まれつき透明だから、パニックになった受験生たちは誰も気付いてくれなくて……。その時、エンちゃんだけが『大丈夫?』って私を見つけて、優しく煙で包んで助けてくれたんだ。あの時は本当に嬉しかったなぁ〜……えへへ♡」
透ちゃんが思い出を慈しむように語り終えると、キッチンに一瞬の静寂が訪れ――次の瞬間、爆発的な叫びが上がった!
「「「「――少女漫画じゃんッッ!!!!」」」」
A組B組の女子全員の声が完璧にハモる。
「そして!! 難関の雄英高校で同じA組のクラスメイトとして奇跡の再会を果たす主人公とヒロイン!! くっ……あまりにも王道すぎる! 今すぐ月刊少女誌で連載化できるよこれ!!」
「「「「――少女漫画やん!!(二度目)」」」」
「も〜〜! みんな冷やかさないでよ〜〜っ!」
顔を真っ赤にしてジタバタと暴れる透ちゃん(姿は見えないがエプロンが激しく揺れている)を見て、女子たちは大爆笑に包まれた。
実のところ、雄英高校ヒーロー科1年において、公式に付き合っていると周囲から認知されているのは白煙くんと透ちゃんの二人だけだ。休日にショッピングモールやカフェで仲良くデートしている姿も度々目撃されており、その度にクラスの男子からは羨望(と嫉妬)の眼差しを向けられ、女子からは「理想のカップル」として温かく見守られていた。
「でも本当に、白煙ちゃんは透ちゃんのことだけをまっすぐ見ているものね」
梅雨ちゃんが柔らかく目を細めて口を開く。
「アメリカのインターンから帰ってきた時も、二人でずっとお互いのサポートギアの話をしていて、すごく楽しそうだったわ」
「エンちゃん、見た目はクールで落ち着いてるのに、透ちゃんのことになると一気に熱くなるんだよね。I・アイランドの戦いでも、透ちゃんが傷ついた時に見せた怒りは凄まじかったって……」
「愛の力ですわね……! お互いがお互いを高め合い、救い合う……まさに理想のヒーローカップルですわ!」
八百万さんも胸の前で手を組み、感極まったように頷いた。
「エンちゃんはね……私が透明でも、いつだって真っ直ぐ私を見てくれるの。姿が見えなくても、『そこに透ちゃんがいる』って誰よりも分かってくれるの。だから私、エンちゃんのためならどんな強敵にだって立ち向かえるんだ」
照れくさそうに、けれど心からの誇りと愛しさを込めて呟く透ちゃん。その言葉には、極限の戦いを共に乗り越えてきた二人だけの深い絆が宿っていた。
「くぅぅ〜〜っ! ごちそうさまですッ!!」
「青春だねぇ……最高だよ透ちゃん!」
「明日のバレンタイン、絶対に成功させてね!」
「うん!! 世界で一番甘くて美味しい本命チョコ、絶対に渡してみせるよ!!」
乙女たちの温かい声援と笑い声に包まれる。
チョコをデコレーションする透ちゃんの指先に、愛おしさがこもる。
(男の子たちがバレンタインでそわそわしてるのは知ってる。エンちゃんもきっと、口には出さないけど気にしてるはず……! 明日、このチョコを渡したら、どんな顔してくれるかな。驚くかな? 喜んでくれるかな?)
想像するだけで、胸の奥がキュンと甘く痺れるような感覚。
「よしっ、冷却器へ送りますわね! 皆さん、愛と感謝の想いが冷めないうちに、ラッピングの準備に取りかかりましょう!」
「「「「はーい!!」」」」
甘いチョコレートの香りが充満するキッチンで、大切な人を想う女子たちの手作業は夜遅くまで続いていくのだった。
明日、甘いチョコを受け取る男子たちの運命やいかに――!