これらが終わり次第、ヒーローとヴィランの全面戦争が始まります
イチャイチャはごく僅かになります
シリアスです
最後の平和を楽しんでください
狂乱のバレンタイン騒動が幕を閉じ、怒涛のチョコレート旋風が去った2月下旬。
寒さがなお残る雄英高校の体育館β。冬の澄んだ空気が肌を刺す広大な訓練場で、緑谷出久は気合の入った表情で佇んでいた。その視線の先には、呼び出されて首をかしげる3人のクラスメイトの姿がある。
「み、緑谷……? 何で俺?」
瀬呂くんが両肘の射出部位をさすりながら、不思議そうに問いかけた。
「私……?」
麗日さんも胸の前で指を合わせながら、緑谷くんの真剣な眼差しに少しだけ緊張した面持ちを見せる。
「ケロ? 呼び出しなんて、どうしたのかしら?」
梅雨ちゃんが、いつものように首をちょこんと傾げて緑谷くんを見つめた。
三人が不思議がるのも無理はない。放課後の自主訓練にしては、あまりにもピンポイントで一風変わったメンバー構成だったからだ。
緑谷くんは深呼吸をし、意を決したように拳をギュッと握りしめると、瞳に強い情熱を宿して口を開いた。
「三人とも、急に集まってもらってごめんね! ……実はね、僕の『黒鞭』の練習に協力してほしいんだ!」
「黒鞭……? デクの、あの真っ黒のヒモの個性か?」
瀬呂くんの問いかけに、緑谷くんは大きく頷いた。
「瀬呂少年! 君にはテープの伸ばし方、そして空間へ支点を置くような『空中への置き方』……それらを緑谷少年へ伝授してもらいたい!」
「麗日少女! 浮遊状態における身体の重心と、あの独特の無重力の感覚を、彼に身体で直接体感させてあげてほしい!」
「そして蛙吹少女! 君には瀬呂少年と同じく、そのしなやかな『蛙』の個性による曲線の捉え方、巻き付けの極意をご教授願いたい!」
体育館βに朗々と響き渡る朗らかな声。
脇で見守るのは、かつての「平和の象徴」オールマイトその人だった。骨張った身体に大きなジャージを羽織り、拳を握りしめて3人の生徒へと熱い視線を送っている。
「先生まで……! オールマイトに頼まれたら断れるわけないじゃん!」
瀬呂くんが驚きつつもニッと誇らしげに笑い、肘のテープ射出孔をパチンと鳴らす。
「はい! デクくんの力になれるなら、私、精一杯頑張ります!」
麗日さんも胸の前でグッと拳を握り、気合を注入した。
「ケロ。緑谷ちゃんの力になれるならお安い御用よ」
梅雨ちゃんも頼もしく頷き、それぞれのポーズを取った。
「ありがとう少年少女達!!」
表面上は「緑谷くんの個性を伸ばすためのクラスメイトによる自主訓練」という体裁をとっているが、この場にいるオールマイトと緑谷くんの胸中には、もっと切実で重大な理由が存在していた。
(緑谷少年……! 歴代継承者たちの個性を我が物とし、使いこなすためには、それぞれの個性の『道のプロ』たるクラスメイトの知恵と感覚を借りるのが一番の近道だ)
オールマイトは陰ながら静かに緑谷くんを見つめ、心の中で力強く呟く。
『ワン・フォー・オール』――その真の秘密を知る者は、雄英高校において緑谷くん本人とオールマイト、そして爆豪くんの3人のみ。
現在、緑谷くんの体内で覚醒しつつあるのは、歴代継承者たちが紡いできた固有の「個性」たちだった。
5代目の『黒鞭』、6代目の『煙幕』、そして7代目の『浮遊』――。
これら複数の個性を同時にコントロールすることは、常人の脳と肉体では容量オーバーを起こしかねないほど過酷な作業だ。何より、感情の波や出力の誤認によって「暴発」を起こせば、自身のみならず周囲を危険に巻き込む大事故に繋がってしまう。
(特に『黒鞭』は、最初の暴発で僕自身もみんなも怖い思いをさせた……。だからこそ、瀬呂くんの立体機動、麗日さんの浮遊感覚、梅雨ちゃんのしなやかな巻き付け……似た性質の個性を極めているみんなの手本を身体に染み込ませて、絶対に制御しなきゃいけないんだ!)
緑谷くんは深呼吸をし、黒鞭の触手を不意に暴走させないよう、全身の緊張感を心地よい集中力へと変えていく。
「よし! それでは特訓開始だ!! 焦らず、だが着実に! 仲間から学べるすべてを吸収するんだ、緑谷少年!!」
オールマイトの熱い檄が冬の体育館βに轟き、歴代の力を制御するための、熱く精緻な四人の合同特訓が始まった!
別の日、瀬呂くん・麗日さん・梅雨ちゃんとの特訓を一通り終えた後のこと。
緑谷くんは、オールマイトと共に体育館βの隅で白煙くんのもとへと向かい、頭を深々と下げていた。
「お願い、白煙くん! 頼むよ……!」
「白煙少年! 君にはぜひ『煙幕』の張り方、そしてその扱い方の極意をご教授いただきたいのだ!」
傍らのオールマイトも、大きな手を胸の前で握りしめながら熱烈な眼差しを向ける。
「煙の練習と言われても……ただ口や体から煙を吹き出すだけですよ?」
白煙くんは困惑したように苦笑いを浮かべながら、身体をふわふわと地上数十センチの位置に浮かせた。足を床につけることなく、まるで無重力空間にでもいるかのように自然に空中を漂いながら、腕を組んで思案する。
「は、白煙くん、浮いてない!?」
緑谷くんは目の前で起きている光景に、思わず目を丸くして叫んだ。
「え? いやいや緑谷くん、何をそんなに驚いてるの? 煙って温まれば自然と空に昇っていくものだろう? 個性が『煙』の僕にとって、自分の身体を煙のように軽やかにして空中に浮かべるなんて、基本中の基本だよ」
白煙くんは拍子抜けしたように瞬きをする。
彼にとって個性『煙』を用いる以上、身体を浮遊させるのは息を吸うのと同じくらい当然の技術だった。思えば体育祭の障害物競走で仕掛けを飛び越えた時も、文化祭のステージ演出でも、彼は当たり前のように空中を浮遊していたのだ。
(す、すごい……! 煙を自覚的にコントロールして浮力を生み出している……! これ、6代目の『煙幕』の目くらましだけじゃなくて、7代目志村菜奈さんの『浮遊』の特訓にもそのまま繋がるんじゃないか……!!)
緑谷くんの瞳が輝く。一つの特訓で二つの歴代個性の感覚を同時に学べるかもしれないという発見に、胸の高鳴りを抑えきれずにいた。
しかし――その輝く瞳を見つめる白煙くんの胸中には、全く別の観察と疑念が静かに渦巻いていた。
(……緑谷くん、絶対に何か大きな秘密を隠しているよね)
白煙くんは浮遊したまま、視線を少しだけ細めて緑谷くんとオールマイトの様子を観察する。
(1年B組との合同訓練で『黒鞭』が暴走した時も、結局『個性』の正式な名称や由来を僕たちには教えてくれなかった。それに……僕の中に流れてきた『黒煙』の過去の記憶――ブラックも、緑谷くんの存在をひどく警戒して疑っていた)
白煙くんの鋭い洞察力が、核心のすぐ近くまで迫っていく。
(もしかして緑谷くんの個性は、単なる『超パワー』だけじゃない……? 轟くんが『半冷半燃』で熱と氷の二つの力を持っているように、緑谷くんにも僕たちが知らない『もう一つの力』が眠っているんじゃないかな)
緑谷くんの秘密に感づくという点において、白煙くんの推理はまさに「半分当たり」で「半分外れ」だった。
「超パワー以外の力が存在する」という見立て自体は完全に正解だ。
しかし、「もう一つの力(=合計二つの力)があるのでは」という予想は外れている。緑谷出久が内に秘めているのは、二つどころか『3つ以上の複数の個性』なのだから。
本来、超人社会において「一人が複数の個性を持つ」ということは、常識から大きく逸脱した異常事態であった。
複数の個性を無理やり移植された結果、人体の器(許容量)が崩壊し、自立思考すら失った異形の怪物――それが『脳無』。
医療技術と科学の粋を集めた改造実験の成功例として、激痛と代償に耐えながら複数の力を振るった『ナイン』。
そして、他者の個性を奪い与えるという理外の規格外――支配者『オール・フォー・ワン』。
複数個性の所有とは、それほどまでに肉体を蝕み、精神を壊していく忌むべき領域なのだ。一人の人間が当たり前のように複数の個性を宿し使いこなすなど、この世界の常識では誰も思いつきもしない。
だからこそ、どれほど聡明な白煙くんであっても、緑谷出久が抱える『ワン・フォー・オール』という世界の命運を握る真実に、この時点ですべて辿り着くことができないのは、至極当然のことであった。
「白煙くん……? どうかした?」
不意に黙り込んだ白煙くんに、緑谷くんが不思議そうに首をかしげる。
「ううん、何でもないよ! よし、僕で良ければ『煙の広げ方』と『滞留させ方』のコツ、教えるね!」
白煙くんはすぐにいつもの優しい笑みを浮かべ、浮遊していた足をすっと地面へと着地させた。互いに秘めた想いと謎を抱えながらも、雄英の未来を担う二人の「煙」を巡る特訓が、静かに始まろうとしていた。
体育館βの少し離れた影。緑谷くんと白煙くんが楽しそうに煙の広がり方について話している光景を、オールマイトと爆豪勝己の二人が並んで見つめていた。
「『ワン・フォー・オールは、オール・フォー・ワンから生まれた』……」
爆豪くんがポケットに手を突っ込んだまま、地を這うような低い声で吐き捨てた。
「デクの奴……あのクソ野郎(オール・フォー・ワン)にますます雰囲気が似てきやがってる。複数の個性を宿して、全部自分のものにしようとして……」
「……そうだね」
オールマイトは、痛む脇腹に手を当てながら静かに頷いた。その瞳には、継承者としての宿命を背負う教え子への深い哀愁が宿っている。
爆豪くんは赤黒い瞳を歪め、緑谷くんの背中に鋭い視線を向けた。彼には、緑谷くん自身すら無自覚な「歪み」が明確に見えていた。緑谷出久という男は、世界を救うための計算式の中に、いつでも「自分自身の命や幸せ」を勘定に入れていないのだ。
(昔からそうだ……。自分の身を投げ打つことに何の躊躇もねぇ。自分を人間に含めてねぇような、あの得体の知れない気味悪さ……! だから俺は昔からアイツが気に食わなくて、必死に遠ざけようとしてたんだ……)
幼少期のイジメの根底にあった、歪で不気味なほどの「自我の欠如」。爆豪くんはそんな緑谷くんの危うさに誰よりも早く気づき、苛立ち、恐れていたのだ。
オールマイトは爆豪くんの固く握りしめられた拳を見つめ、父親のような温かい眼差しで優しく声をかけた。
「君は……本当にデク少年をよく見ているね。そして、彼を誰よりも心配している。言葉は不器用だがね」
「……チッ、誰が心配なんかするかよ!! 気分が悪いだけだッ!」
悪態をつく爆豪くんだったが、オールマイトはただ静かに微笑み、彼が背負う葛藤を丸ごと包み込むように気遣った。
「あとは……白煙の奴だ。あの煙野郎、妙に勘が鋭い所があるから気を付けな。デクの違和感に薄々気づいてやがるぞ」
「ふむ……白煙少年のこと、よく観察しているね。君から見ても彼の鋭さは気になるかい?」
オールマイトが問いかけると、爆豪くんは顔を派手に歪め、胸の奥に燻るライバル心と敗北の記憶を吐き出すように叫んだ。
「当たり前だ!! 体育祭の時の戦い……あれは最後、俺の足元にたまたま踏ん張る場所が残っていたから勝てただけだ! もしあの足場が無かったら、俺も一緒に場外へ弾き飛ばされてた! 言いたくねえが……あの時の実力は完全に互角だったんだよ! クソがぁぁッ!!」
爆豪くんは自らの掌でバチバチと小さな爆発を起こし、歯を剥き出しにして前方を睨みつけた。
「だがな! 今は俺の方が絶対に上だ!! 次にアイツと本気でやり合う時は、言い訳の口実すら残さずに完膚なきまでぶっ潰す!! 完全勝利だ!!」
どこまでも負けず嫌いで、己の弱さと正面から向き合った上での怒号。オールマイトは苦笑いを浮かべながら、優しく肩を揺らした。
「……はは、その悪態さえ無ければ、周りから変に誤解されないのにねぇ」
「……おっと」
その瞬間、緑谷くんに煙の広げ方を教えていた白煙くんが、ピタリと動きを止めた。
「どうしたの、白煙くん?」
緑谷くんが不思議そうに首をかしげる。
白煙くんはチェストアーマーの襟元を少し締め直しながら、遠くの校舎影(オールマイトと爆豪くんがいる方向)をチラリと振り返った。
「……急に、背筋がゾワッとしたんだよね。何だろう、全身の産毛が逆立つようなこの強烈なプレッシャー……この感じ、たぶん爆豪くんかなぁ」
苦笑いを浮かべる白煙くんの背中には、冷や汗が薄く滲んでいた。アメリカの激闘を越えて成長した自分であっても、あの爆豪勝己という男が発する狂暴なまでの闘志と執念は、いつだって肌をピリつかせる。
(やっぱり、爆豪くんは敵に回すと最高に怖い人だなぁ……)
白煙くんは心の中でそう呟きつつ、目の前で素直にメモを取ろうとする緑谷くんに向けて、気を取り直すように優しく微笑みかけるのだった。