そして、激動の春を直前に控えた、3月14日――ホワイトデー。
雄英高校の敷地内、春の温かな風が静かに吹き抜けるベンチで、透ちゃんは満面の笑み(の気配)を浮かべながら、白煙くんに可愛らしくラッピングされた小さなプレゼント箱を差し出した。
「エンちゃん、誕生日おめでとう!!」
「ありがとう、透ちゃん。……今日でやっと16歳。みんなより少し遅かったけど、これでやっと同じ年齢に追いついたよ」
白煙くんは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、照れくさそうに笑った。学年の中でも誕生日が遅い彼は、ずっとクラスの仲間たちを少し大人びた目で見上げてきた節があったのだ。
「えへへ、お揃いー! これで私もエンちゃんも同い年だねっ!」
透ちゃんは嬉しそうにパッと手を広げ、自分の身に着けているリボンと、白煙くんに贈ったプレゼントの包装を並べてみせた。二人で過ごす、いつも通りの甘くて穏やかな時間。バレンタインのお返しと、彼の特別な記念日が重なった奇跡のような一日。
だが――白煙くんの瞳は、どこか遠く、迫り来る「暗雲」を見つめるようにわずかに陰っていた。
彼の手元には、バレンタインに根津校長へと託したあの『ノート』がある。そして、自分の中に眠る『黒煙』の記憶が告げる、遠からず訪れるであろう未曾有の決戦の予感。
白煙くんは深く息を吸い込むと、優しく、しかしどこまでも真剣な眼差しで透ちゃんの方向を見つめた。
「……透ちゃん。すごく大事な話があるんだ」
「えっ……? な、なにかな……? もしかして、け、結婚の申し込み……!?」
透ちゃんはオーバーに両手を頬に当て、からかうように体をくねらせた。
「それ、前にもデジャヴみたいにやったよね!?」
「あはは、バレた♪ えへへ、エンちゃんが真面目な顔するから、ちょっと緊張ほぐそうと思って……」
おどけてみせる透ちゃん。だが、白煙くんの表情は緩まなかった。冗談を受け止める余裕すら削ぎ落とされたかのような、切実で静かな青い瞳。それを見た透ちゃんの声から、徐々に戯れの色が消えていく。
「……3月下旬になったら、僕たちみんな、それぞれのヒーロー事務所へ本格的なインターンに行くことになると思う」
「うん……みんなでインターンに向けて、もっと強くなろうって話だよね?」
「うん。……だからね、透ちゃん。何があっても……どんなに世界が大きく変わってしまっても、透ちゃんは今のままの、優しくて温かい透ちゃんでいてほしい。それだけを……僕と約束してほしいんだ」
「……エンちゃん?」
透ちゃんは息を呑んだ。
声のトーン、醸し出される空気、そして視線の奥に潜む底知れない重圧。それは、透ちゃんがこれまで一度も見たことがない、白煙くんの「見たことのない顔」だった。
「お願いだ……約束して、透ちゃん」
白煙くんの声が、わずかに震える。自分自身がこれからどんな運命に巻き込まれるのか、黒煙という影とどう決着をつけるのか、その渦中で透ちゃんだけは光の側にいてほしいという、哀切なまでの願い。
透ちゃんは静かに、そして深く白煙くんを見つめ返した。姿は見えずとも、彼女が白煙くんの異変と、彼が一人で巨大な何かを背負おうとしていることを察したのが伝わってくる。
「……………………何か、大きなことが起きるんだね?」
「……約束して」
白煙くんは問いには答えず、ただそれだけを繰り返した。透ちゃんを危険や恐怖から遠ざけるための、精一杯の拒絶と愛。
透ちゃんは溢れ出そうになる感情をギュッと抑え込み、優しく、けれど絶対に揺らがない強い意思を込めて頷いた。
「分かった。約束するよ。私は絶対に変わらない。……だから、エンちゃんも約束して。どんなことがあっても、エンちゃんも変わらないで帰ってきてね?」
「………………約束、する、よ」
絞り出すような白煙くんの返答。
二人の間に流れる時間は、もはや甘い恋人同士のそれとは違っていた。
「エンちゃん……」
「透ちゃん……」
どちらからともなく手を伸ばし、二人は互いの身体を強く、壊れそうなほど固く抱きしめ合った。
相手の体温、心臓の鼓動、衣類の擦れる音。
この抱擁は、甘い恋を確かめるためのものではない。
互いの愛を囁き合うためのものでもない。
これから訪れる嵐のような試練を前に、どんなに離れても、どんなに闇に呑まれそうになっても、お互いの心が決して離れることはないと誓い合う――二人の『魂の存在』を確かめ合うための、深くて切ない約束の抱擁であった。
同時刻、都内郊外に位置する厳重な警備が敷かれた医療機関――その最奥にある、外部からの接触が完全に遮断された特別な隔離病室。
電子ロックの静かな解除音と共に、気配もなく滑り込んできた影があった。漆黒の外套を纏った男――黒煙。
ベッドの上で身体を起こし、鋭い眼光を向けたのは、かつて死線の淵を彷徨いながらも奇跡的に一命を取り留めた元プロヒーロー、サー・ナイトアイだった。体に繋がれた医療モニタの電子音が、静かに一定のピッチを刻んでいる。
「……初めまして、サー・ナイトアイ」
黒煙は暗闇の中で優雅に一礼してみせた。その所作には一切の殺気がなく、しかし底知れない不気味さが漂っている。
「私の名は黒煙。以後、お見知りおきを」
「……黒煙か」
ナイトアイは眼鏡の奥の瞳を冷ややかに細め、目の前の訪問者を冷徹に観察した。チューブが繋がれた呼吸を整えながら、低い声で問いかける。
「単刀直入に聞こう。……かつて私の事務所へ死穢八斎會の密売ルートおよび地下アジトの詳細情報を『匿名』でタレコミしたのは、貴様か」
「ふふ……御名答。流石は元オールマイトの頭脳と謳われたお方、お察しが早くて助かります」
黒煙は胸に手を当て、さも感服したかのように小さく頷いた。
「ならば……死穢八斎會の本拠地突入時、オーバーホールの攻撃によって私が死に至るはずだったあの凄絶な局面に際し、秘密裏に警備システムを誤作動させ、救急医療チームを最短ルートで介入させて私を死の淵から引き揚げた『謎の匿名の通報』……あれも貴様の仕業か」
ナイトアイの言葉には、長年の捜査で培われた絶対の確信がこもっていた。自身が命を落とすはずだった運命の分岐点。そこに介入し、歴史の歯車を強引に狂わせた謎の第三者の存在。
黒煙はマスクの奥で静かに目を細め、滑らかな声で答えた。
「ええ、まさにその通りですよ。私が貴方の命を救い、こうして今も生かさせていただいたのは……全て、この日のためです」
病室の空気が一瞬で張り詰める。ナイトアイの眼光が一層鋭さを増した。
「……狙いは私の個性『予知』か」
自身を生かした理由――それがヒーローとしての協力や情などではなく、己の個性を利用するための極めて功利的な計算に基づいていることを、ナイトアイは即座に見抜いていた。
黒煙は外套を軽く揺らし、静かに歩みを進めると、ナイトアイのベッド脇で足を止めた。
「――ええ。私を……この黒煙という存在の辿り着く未来を、貴方の『予知』で見届けていただきたい」
「……私に貴様の未来を見ろと?」
「ただ見るだけではありません。一切の嘘偽りなく、正確に……これから訪れる全面戦争の果てに、この私がどのような惨状を迎え、どのような結末を辿るのかを……その眼で確かめていただきたいのです」
黒煙の瞳には、狂気とも悟りともつかない不気味な静寂が宿っていた。
かつて白煙と分かたれ、闇の記憶と怨念を背負って生きる存在。己が引き起こすであろう破滅と崩壊のシナリオ。その凄惨な結末を前にしてもなお、彼は一片の躊躇も見せることなく、ただ未来の真実を求めて元プロヒーローへと迫るのだった。
3月下旬。
「あの麓にヒーローたちがいる!我々は後方で住民の避難誘導だ!」
蛇腔病院
A組
緑谷くん、爆豪くん、轟くん、麗日さん、梅雨ちゃん、飯田くん、口田くん、白煙くん、透ちゃん
「あの館でヴィランたちがいる!我々は後衛で前衛の取り漏らしたヴィランを捕まえる!」
郡訝山荘
A組
上鳴くん、常闇くん、切島くん、瀬呂くん、砂藤くん、峰田くん、尾白くん、障子くん、青山くん、八百万さん、耳郎さん、芦戸さん
――後に、最後の平和と呼ばれる日が始まる
次回からはシリアスです
しばらくイチャイチャありません!!(泣)
ごめんなさい!!
心を鬼にしてがんばります
よろしくお願いします