「まずは、うちの一日の流れを説明するよ」
バックドラフトさんは、ホワイトボードを示しながら丁寧に教えてくれた。
基本的に事務所は24時間体制。それを8時間ごとの3班で交代していくシフト制だという。
「ヒーローは『個性』がある分、普通の人間より頑丈で強いと思われがちだが、中身は生身の人間だ。ちゃんと休まないと判断力が鈍って現場で命を落とす。だから、休む時はしっかり休むこと! あとは普通の消防署とほとんど同じさ。警察や、近隣の他のヒーロー事務所との密な連携が鍵になる」
説明を終えると、白煙くんはいよいよ支給されたヒーローコスチュームへと着替えた。煙の動きを邪魔しない、かつ耐火性に優れたスタイリッシュなデザインだ。
出動の要請がない余裕のある時間は、すべて訓練に費やされる。
「レスキューは1分1秒の遅れが命取りになる。いかに早く、正確に動くかだ」
現役の消防士さんと同じように、重い装備を背負っての素早い着替えや、障害物コースの突破訓練。プロのサイドキックたちの無駄のない動きに食らいつくだけで、白煙くんは必死だった。
――その時、事務所のデスクの電話がけたたましく鳴り響いた。
サイドキックの一人が素早く受話器を取る。
「はい、バックドラフト事務所です! ――了解、ただちに出動します!」
カチッとボタンが押され、事務所内に緊張感のあるアナウンスが放送された。
『火災発生! 〇〇町3丁目、住宅街にて木造家屋のボヤ騒ぎ! 煙の発生を確認、ただちに出動要請!』
「よし、ケムリン! 君もついておいで!」
「はいっ!!」
バックドラフトさんの指示で、白煙くんは生まれて初めて本物の消防車へと乗り込んだ。
(わぁ……! 本物の消防車だ……! すごい、かっこいい……!)
不謹慎かもしれないけれど、男の子としての本能がくすぐられ、白煙くんの頭の煙は嬉しさと緊張でいつも以上にもくもくと膨らんでいた。
サイレンを鳴らしながら爆走し、現場へと到着する。
そこは小さな平屋の住宅で、屋根の隙間から黒い煙が立ち上っている「ボヤ火事」の現場だった。
「ケムリン、初めての現場だ。君はまず、俺たちの動きを後ろからしっかり見学しているんだ。いいかい!」
「分かりました!」
白煙くんが目を凝らす中、プロのレスキューたちの神速の連携が始まった。
バックドラフトさんが両手から大量の放水を始めると同時に、10人のサイドキックたちが流れるように散っていく。
一班は即座に近隣住民の避難誘導と、野次馬を遠ざけるためのラインを張る。
一班は現場に駆けつけた警察と合流し、周辺の道路封鎖の連携を取る。
そしてもう一班は、家の住人が全員外に出ているか、中に逃げ遅れた人がいないかの確認を大声で行う。
その他にも、周囲の消火栓の確保や機材の搬送など、やるべき仕事が山のようにあった。
(すごい……! ぼーっと目を離したら、一瞬で置いていかれちゃう……!!)
体育祭のバトルとは全く違う、誰も無駄な動きをしない「命を救うための完璧なチームワーク」。白煙くんはその光景を網膜に焼き付けるように見つめ続けた。
「よし、鎮火確認! 残火処理に移る!」
バックドラフトさんの放水と的確な指示により、現場に到着してから僅か10分足らずで事態は完全解決した。住人も全員無事で、大きな被害が出る前に火は消し止められたのだ。
「お疲れ様。さあ、事務所に戻って振り返り(ミーティング)だ」
バックドラフトさんが爽やかに笑う。
(これが……プロの現場。これが、バックドラフト事務所……!!)
白煙くんは、10分間という短い時間の中に詰まっていたプロの凄まじさに圧倒されながら、自分も早くその歯車の一員になりたいと、頭の煙をさらに熱く燃え上がらせるのだった。
「う、ん……ふあぁ……」
初めての訓練と初めての実戦(見学)を終え、白煙くんは事務所の仮眠室のベッドに潜り込んでいた。プロの動きに圧倒され、心身ともにクタクタだった彼は、布団に入ると同時に泥のようにすやすやと深い眠りに落ちていった。
しかし、レスキューヒーローの本当の試練は、ここからいきなり牙を剥く。
――ウゥゥゥゥン!!! ウゥゥゥゥン!!!
『緊急出動要請! 緊急出動要請! 〇〇地区の複合ビルにて大規模火災発生! 負傷者多数、ただちに出動せよ!』
突如、天井のスピーカーから鼓膜を震わせる大音量の警報アナウンスが鳴り響いた。
「ふえっ!? ――はひっ!?」
白煙くんは飛び起きた。頭の煙が寝ぼけてフニャフニャの形に波打っている。
「ケムリン、出動だ急げ! モタモタしてると置いてくぞ!」
「は、はいっ!!」
時計を見ると、まだ深夜の2時。これが24時間体制のリアル。命を救う現場に、ぐっすり眠る余裕など1秒たりとも存在しないのだ。おねむで頭が回らない白煙くんをよそに、仮眠室にいた他の班のサイドキックたちが、凄まじい速度でコスチュームに身を包み、次々と廊下へ飛び出していく。白煙くんも必死でコスチュームに袖を通し、彼らの後を追った。
今回は消防車ではなく、臨時の救急・救護車両へと乗り込む。
「バックドラフトさん、今回は負傷者がかなり多いんですか……!?」
「ああ、ビルの上層部に取り残された人が多数いる。ケムリン、覚悟を決めろ!」
車内でガタガタと揺られながら、白煙くんは急激な不安に襲われた。
(どうしよう……。火を消すことならイメージできるけど、怪我人の手当てなんて、医療の知識は全然分からないよ……!)
頭の煙が不安で灰色に濁っていく。それを見た隣のサイドキックさんが、白煙くんの肩をぽんと叩いた。
「落ち着け、ケムリン。お前に高度な医療行為は求めない。まずは呼吸の有無の確認、そしてこの止血帯を使った基本的な圧迫止血、これだけを頭に叩き込め。俺たちが指示する!」
「は、はい!」
現場に到着した瞬間、夜の闇が赤く染まっていた。
「――くっ、予想以上の大火災だ……!!」
ビルの一階から激しい炎が噴き出し、何より恐ろしいのは、ビル全体を包み込もうとしている大量の「有毒な黒煙」だった。逃げ遅れた人たちが窓から顔を出し、激しく咳き込んでいる。
「バックドラフト! 煙が酷くて救助隊が中に入れません!」
「よし、ケムリン! お前の出番だ、あのビルの入り口の黒煙を吸ってくれ!!」
「はいっ!!」
白煙くんはビルの正面へと駆け出し、自身の個性を全開にした。
胸いっぱいに、ビルから溢れ出る真っ黒な煙を勢いよく吸い込んでいく。
(――あ、熱い……! でも……!)
ゴク、と黒煙を体内に引き込んだ瞬間、脳を支配していた激しい眠気が嘘のように吹き飛んだ。障子くんの言っていた通りだ。吸い込んだ煙が、そのまま自分の「エネルギー」に変換されていく。全身に力が満ち溢れ、昼間の訓練の疲労さえも一気に回復していくのが分かった。
「道が開いたぞ! 救出開始!」
白煙くんが煙の盾となって通路を確保し、バックドラフトさんの放水と共に、サイドキックたちが次々と生存者を背負って脱出してくる。
「よし、ケムリン! こっちの怪我人の止血を手伝ってくれ!」
「わかりました!」
いよいよ、白煙くん自身の手で負傷者をサポートする番が来た。運ばれてきたのは、腕から血を流してパニックになっている男性だった。
「大丈夫ですよ、今止めますから……っ!」
サイドキックさんの指示通りに止血帯を巻こうとする。しかし、学校の保健室での授業とはわけが違う。本物の生々しい血液、相手の悲鳴、現場の怒号、焦り――。
「あ、あれ……? 上手く締まらない……っ!」
「だめだケムリン、位置がズレてる! 交代だ、お前はあっちの搬送を手伝え!」
「すみません……っ!」
最初のサポートは、完全に失敗だった。
気を取り直して、次の負傷者のもとへ向かう。
「最初から上手くできたら苦労はしない、次は確実に……!」
そう自分に言い聞かせたが、現場の圧倒的なスピード感に意識がついていかない。
声をかけるタイミングを間違えて患者をさらにパニックにさせてしまい、失敗。
担架を運ぶタイミングが周囲とズレてしまい、失敗。
物資を運ぼうとして、現場の動線を塞いでしまい、失敗。
「すみません……ごめんなさい……!」
何度も何度も頭を下げながら、白煙くんは自分のあまりの無力さに、煙の奥で涙をにじませていた。
やがて東の空が白み始める頃、ビルは完全に鎮火した。
「火事」そのものには、白煙くんの個性が大いに役立ち、被害を最小限に抑えることができた。けれど、その後の「怪我人への対応」は、数え切れないほどの失敗の連続だった。
事務所に戻る車内、頭の煙をすっかり小さく萎ませて落ち込む白煙くんに、バックドラフトさんが優しく語りかけてきた。
「ケムリン。落ち込むことはない。プロである俺だって、決して完璧な人間じゃないんだ」
「バックドラフトさん……」
「だからこそ、俺には10人のサイドキックがいてくれる。一人では救えない命も、チームになれば救える。お前が今日、失敗を繰り返したプロの動き……それこそが、一週間で学ぶべき『チームワーク』の本質だ。お前の煙が道を拓き、俺の水が火を消し、サイドキックが命を繋ぐ。それでいいんだよ」
バックドラフトさんの言葉が、白煙くんの心に深く染み渡っていく。
(プロは、本当にすごいな……)
昼間に見た「かっこいいプロの姿」とは、また違う。泥臭くて、不完全で、だからこそ全員で支え合って命を救う、プロの本当の重みを思い知った。
白煙くんは、小さくなっていた頭の煙を、今度は「もっと強くなる」という決意を込めて、夜明けの光の中でしっかりと結び直すのだった。
リアルの消防士さん、救急隊員の皆さん、本当にいつもありがとうございます!!