「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
職場体験2日目。バックドラフトさんから「昨日の深夜に出動したんだ、今日は丸1日休み(オフ)にしていい。自由に過ごしなさい」と指示を出されていた。
けれど、白煙くんが休むはずはなかった。
(ここで怠けたら……チーム放課後のみんなに置いてかれちゃう。もし僕がちっとも成長してなかったら、透ちゃんに……嫌われちゃうかもしれない……!)
脳内で「もうエンちゃん、頼りないんだから!」と呆れる透ちゃんの姿を勝手にイメージしてしまい、頭の煙が焦りで爆発しそうになる。
(まあ、A組のみんなからすれば「絶対に有り得ない」と一蹴されるような、あまりにも健気すぎる心配なのだが)。
白煙くんは事務所の訓練場にこもり、訓練用マネキンを使って昨日失敗したことを必死に復習していた。何度も止血帯を巻き直し、適切な圧迫の強さを身体に覚え込ませていく。
その訓練用マネキンは、最初からあちこちが擦り切れてボロボロだった。バックドラフトさんやサイドキックの先輩たちが、これまでどれほど血の滲むような訓練を重ねてきたのかが、その傷跡からひしひしと実感として伝わってくる。
「もっと、もっと早く……正確に!」
白煙くんはヒーローコスチュームを着込んだまま、ひたすら自分を追い込んだ。
重い装備を背負っての階段ダッシュ。
さらに、身体を完全に煙化させて一気に屋上へと昇る、個性の限界突破特訓。
救助用具をいかに早く、迷わずに取り出すかのシミュレーション。
そして、専門的な救助用具の名前を頭に叩き込むための暗記。
1日中身体を動かし続け、夕方になる頃には文字通りくたくたになり、泥のように深い睡眠へと落ちていった。
その夜。白煙くんが寝静まった事務所のオフィスでは、夜勤のサイドキックたちが集まり、書類を前にこっそりと会議を行っていた。
それは、職場体験終了後に雄英高校へと提出する、大切な評価報告書の採点(中間評価)だった。
『実習生:白煙 薫』
「評価はどうだ?」
「文句なし。向上心がズバ抜けてる。今日の休みも、1日中ぶっ続けでマネキン相手に復習してたよ。昨日の失敗を相当悔しがってたからな」
「火災現場への適応力も高い。最初の出動で、あの大規模な黒煙を即座に吸引してルートを作ってみせた。新人としちゃ上出来すぎる」
「医療知識は……まぁ、今はゼロだな。学校じゃ習わないし、これはこれからだ」
「何より、深夜の緊急出動でも一瞬で眠気を飛ばしてフルパワーで動けるのがデカい。本人曰く、爆煙を吸うとエネルギーになって疲労が回復するらしい。あのタフさは個性の恩恵だな」
サイドキックの男性隊員たちが、ペンを走らせながら口々に感嘆の声を漏らす。
「ぶっちゃけ、あの個性はレスキュー隊からすりゃ喉から手が出るほど羨ましいよな。火を消せて、煙も吸えて、おまけに自分は疲れないんだから」
「本当にここで育てて、そのままうちの事務所の所属にしたいレベルだよ」
すると、書類をまとめていた女性のサイドキックが、ふっと頬を緩めて小さく笑った。
「あと、これね。……『素顔が信じられないレベルで目の保養になる』。これ、報告書に書いたら相澤先生に怒られるかしら?」
「おい、それは絶対書くな! 職権乱用だ!」
「でもさ、あのモコモコの煙の隙間から時折見える素顔、本当に少女漫画の主人公みたいなんだもん。不意打ちで心臓が止まるかと思ったわよ」
「本人には絶対に言うなよ? 自分が美少年だってことにこれっぽっちも気づいてない無自覚美少年なんて、現代の天然記念物なんだからな。変に色気づかれたら、あの純粋なレスキューへの情熱が濁っちまう!」
「ハハハ、それもそうだな!」
白煙くんの知らないところで、プロたちからの評価は最高得点を叩き出していた。
愛され、そして大きな期待を背負いながら、ケムリンの職場体験は明日からさらに本格的な実践へと進んでいく。
「よし、カバーに入った! 次の指示をくれ!」
職場体験3日目。この日、白煙くんが経験した現場は実に5回。そのすべての現場で、初日のような手痛い失敗は確実に少なくなっていた。
もちろん、まだ完璧ではない。止血帯の固定が甘かったり、搬送の足並みが乱れたりする小さな「失敗」はあった。けれど、今の白煙くんはそこでフリーズしない。失敗した瞬間に「すみません! 組み直します!」「僕が後ろを支えます!」と、すぐさま自ら動いてカバーに回るようになっていた。
その目覚ましい変化に、バックドラフトさんは鋭い目を向け、確かな手応えを感じていた。
(……失敗した後のケアが異常に早い。ミスを恐れず、その場で最適解を導き出す対応力がズバ抜けているな)
本人は全く無自覚だったが、これこそが雄英高校に入学してからの密度の濃い経験の賜物だった。オールマイトの戦闘訓練、USJでの本物のヴィラン襲来、そしてあの体育祭。さらに放課後、透ちゃんや障子くんたちと「何がダメだったのか」を徹底的に話し合い、その場でアイデアを修正し続けてきた『チーム放課後』の積み重ねが、プロの現場で最高の形で開花していたのだ。
(この子は……今の一週間だけでなく、もし1か月間本気でレスキューを学べば、とんでもない領域まで化けるぞ……!)
トッププロとしての直感が、白煙くんの未来の大きさを告げていた。
そして、職場体験4日目の夜――。
すべての常識を覆す大災害が、突如として彼らを襲った。
事務所の警報器が、これまで聞いたこともないような、地を這うような重低音のサイレンを鳴り響かせる。
『緊急事態!! 保須市市街地にて大火災発生!! さらに、脳無と思われる正体不明のヴィラン複数を同時目撃!! 各所で爆発が多発、住民は完全にパニック状態です!! 近隣のすべてのプロヒーロー、および消防、救急は直ちに出動してください!!』
モニターに映し出された保須市の映像は、夜空が真っ赤に染まり、ビルが次々と瓦礫へと変わっていく地獄絵図だった。街中を飛び交う不気味な怪物たちの姿。
「全職員緊急出動!!!!」
バックドラフトさんが、これまでにない怒号を事務所中に響かせた。その表情には、いつもの余裕は微塵もない。
「これは演習でもなければ、通常の火災でもない! 災害レベルマックスだ!!!! サイドキックも、実習生のケムリンも、全員一丸となって命を救え!! そして――何が何でも、生きて帰ってこい!!!!」
「「「「はいっっっっ!!!!」」」」
白煙くんは、コスチュームを掴む手がガタガタと震えるのを止められなかった。
保須市――そこは、クラスメイトの飯田くんが向かった街だ。緑谷くんや麗日さんが心配していた、あの飯田くんが今、あの地獄の渦中にいるかもしれない。
消防車に飛び乗り、サイレンを悲鳴のように鳴らしながら保須市へと急行する。
近づくにつれて、鼻を突く焦げ臭い煙と、人々の絶叫がリアルに肌を刺す。
白煙くんはこの時、本当の意味で知ることになる。
これまでプロの凄さに圧倒されていた昼の訓練も、深夜のボヤ騒ぎも、すべてが「子どもの遊び」に思えてしまうほどの、本物の悪意。
街を、人を、日常を容赦なく破壊する、ヴィランによる本当の『災害』が、今まさに目の前で始まろうとしていた。
原作の保須市へ行きます