夜空を焼き尽くさんばかりの炎と、街を揺るがす爆音。保須市は今、完全なる戦場と化していた。
この未曾有の惨劇の裏には、二つの狂気があった。信念なき「偽物のヒーロー」を粛清せんとするヒーロー殺し・ステイン。そして、そのステインの話題性を潰し、自らの存在感を誇示しようと死柄木弔が放った複数の『脳無』。二つの悪意が交錯する街に、ヴィラン連合の「黒霧」のゲートもまた開いていた。
「消火班アルファ、住民救助班ベータ、医療班ガンマ!!」
バックドラフトの怒号のような指示が飛ぶ。
「ヴィランが襲ってくる可能性大だ!! 救助に専念しつつ、己の身を最優先で守れ!!」
「「「はいっっっ!!」」」
プロの現場に、もう「さん」付けで呼び合うような余裕は一切ない。一刻を争う戦場の中、サイドキックたちが流れるようにそれぞれのチームへと分かれ、炎の渦へと飛び込んでいく。
「ケムリンは俺と来い!! 消火班アルファ、出動!!」
「はい! バックドラフト!!」
白煙は自身の個性を全開にし、バックドラフトの後に続いた。
燃え盛るビルへと突入する。バックドラフトが両手から凄まじい放水を放ち、白煙がその奥に渦巻く有毒な黒煙を一気に吸引して視界を拓く。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……! 助かった、ヒーロー……!」
崩れかけた階段を駆け上がり、取り残されていた住民を発見する。外で不気味なバケモノ――脳無が暴れ回っていたため、恐怖で外へ逃げ出せなかったのだという。住民を素早く背負い、安全な下層へと誘導する。
「次に行く!」
「はい!」
次のフロアでは、腕にひどい火傷を負った住民が倒れていた。
「今、応急処置をします……っ!」
白煙はアタッシュケースから素早く止血帯と冷却パックを取り出した。昨日、ボロボロになるまでマネキン相手に繰り返した特訓の成果が、完全に身体に染み付いている。無駄のない動きで手当てを完了させ、救助班へと引き継いだ。
「次だ!」
「はい!」
炎を消し、煙を吸い、命を繋ぐ。バックドラフトと白煙の動きは、まるで一つの生き物のようにシンクロし始めていた。周囲のサイドキックたちとも、完璧なチームワークの歯車が噛み合っていく。
だが、そんなヒーローたちの懸命な救助活動を、ヴィランの底知れぬ悪意が遮った。
「きゃあ!?」
「アルファ・スリー!!」
突然、ビルの壁を突き破って現れた翼を持つ脳無が、消火班のサイドキックの一人を鋭い爪で掴み上げた。
「脳無、その人を離して、別の場所で暴れなさい」
周囲の熱気を一瞬で凍りつかせるような、静かで冷酷な声が響く。
脳無はその命令に従うようにサイドキックを床へ放り投げると、そのまま壁の穴から夜の街へと飛び去っていった。
「な、何者だ……!?」
バックドラフトが放水管を構え、白煙を背後に庇うようにして鋭い警戒の視線を向ける。
崩落した壁の隙間から、ユラユラと立ち上る不気味な「黒い霧」が広がっていた。その霧の奥から、怪しく光る黄色い二つの眼が、まっすぐに白煙たちを捉える。
「なんで……ここに……っ」
白煙の頭の煙が、驚愕と恐怖で激しく波打った。忘れるはずがない。USJで自分たちを絶望の淵に叩き込んだ、あの圧倒的な『個性』の持ち主だ。
黒霧は恭しく頭を垂れ、静かに名乗った。
「お初にお目にかかります、消防ヒーロー。……そして、お久しぶりですね、雄英生。ヴィラン連合の黒霧と申します。以後お見知りおきを」
最悪のヴィランが、レスキューの最前線に立ちはだかった。
その頃、保須市の暗い路地裏では、憎悪に目を曇らせてヒーロー殺しステインに挑み、返り討ちに遭った飯田くんの姿があった。絶体絶命の危機に駆けつけた緑谷くん、そして轟くんの二人が、必死の形相でステインと対峙している。
――しかし、そこから少し離れた燃え盛るビルの中では、白煙くんがもう一つの「最悪」と対面していた。
「ケムリン……コイツは一体何者だ」
バックドラフトが低く緊迫した声で尋ねる。白煙は頭の煙を鋭く尖らせ、黒霧の歪む身体を睨み据えた。
「個性は『ワープゲート』です! USJで13号先生を襲ったヴィランです! 霧のような身体をしていますが、どこかに必ず金属の首当てのような『本体』があります!」
「……何だと。13号を倒したのは、お前か」
バックドラフトの目の色が変わった。同じレスキュー界のトップを走り、誰もが尊敬する13号の敗北は、バックドラフトにとっても激しい衝撃と怒りをもたらすものだった。両手の放水管が、いつでも最大火力を出せるよう微かに震える。
しかし、黒霧は戦う素振りも見せず、ただ静かに黄色い眼を細めた。
「ケムリン……。フフ、救煙ヒーローですか。可愛らしい名前ですね。……ご安心を、バックドラフト。私は今、貴方がたに危害を加えるために現れたのではありません」
黒霧の視線が、バックドラフトを通り抜けてまっすぐに白煙へと注がれる。
「ケムリン。私は貴方を、我が『ヴィラン連合』へスカウトしに来たのです」
「スカウト……!?」
白煙の頭の煙が、驚きでぽわんと大きく跳ね上がった。まさか自分が、凶悪なヴィラン連合から勧誘を受けるなど夢にも思っていなかった。
「私と同じ『霧・煙系』の個性、そして先日の体育祭での活躍……。死柄木弔は貴方の『素顔』を酷く嫌っていましたがね。……ですが、私個人としては貴方を高く評価している。貴方は現時点では、単体でヒーローを圧倒するような『脅威』にはなり得ない。しかし……誰かのサポートに回った時の能力、サイドキックとしての手腕は、申し分ない。喉から手が出るほど欲しい人材です」
「!!」
その言葉に、バックドラフトも内心で深く同意してしまった。
たった4日。初日こそ失敗はあったものの、白煙の対応力とサポート能力は目を見張るものがある。的確に煙を吸い、消火を助け、怪我人をケアする。まさに「痒いところに手が届く」最高の資質を持っていた。今はまだ卵だが、いずれは歴史に名を残すほどの素晴らしいヒーローになる。それを、ヴィランもまた見抜いていたのだ。
緊迫した空気が流れる中、白煙は小さく息を吸い込み、もこもこの煙をピシッと引き締めて、きっぱりと言い放った。
「大変ありがたい評価ですが――お断りします! 僕は、バックドラフトさんたちのような、優しくて強くて、1人でも多くの命を救う『レスキューヒーロー』になりたいんです! あなたたちみたいに、街を壊して人を傷つける側には、絶対に行きません!」
その力強い言葉に、バックドラフトの目元がフッと和らいだ。後ろで倒れていたサイドキックたちも、「よく言った、ケムリン……!」と胸を熱くして涙ぐんでいる。
「……断られましたか。まぁ、良いでしょう」
黒霧は落胆する様子もなく、静かに身体の霧を広げ始めた。
「今はまだ、その青い正義に浸っているといい。ですが我がヴィラン連合は、貴方をいつでも歓迎しますよ。……では、また」
お辞儀をするような仕草と共に、黒霧の身体は空間の歪みの中へと吸い込まれ、完全に気配を消した。
「ふぅ……っ」
白煙が緊張の糸が切れてガクッと膝をつきそうになると、バックドラフトの大きな手がその肩をがっしりと支えた。
「よく言った、ケムリン。最高の返答だ。お前のその言葉に免じて、俺たちもさらに気合を入れ直さなきゃな! ――よし、ヴィランは去った、救助を再開するぞ!」
「はいっ!!」
悪意の誘惑をはねのけた白煙は、プロたちの信頼をさらに深め、再び燃え盛る戦場へと力強く一歩を踏み出すのだった。
白煙くんがビルでの救助を続ける中、保須市の中心街では一つの決着がついていた。
緑谷くん、飯田くん、轟くんの3人が、死闘の末にあの「ヒーロー殺しステイン」を撃破したのだ。しかし、死柄木弔の放った脳無たちは、未だ街のあちこちで暴れ回っていた。
「エンデヴァー!?」
「グラントリノ!!」
轟くんの職場体験先である、現No.2ヒーローのエンデヴァー。そして緑谷くんの体験先であり、あのオールマイトの師匠でもあるグラントリノ。二人のトップ実力派ヒーローたちが、圧倒的な武力で脳無たちを次々とねじ伏せていく。
その頃、緑谷くんたちが戦っていた場所とはちょうど反対側にあたる市街地。
バックドラフトと白煙くんが未だに必死の救助活動を続けているエリアに、悲鳴が響き渡った。
「ヒーロー!! 誰か助けてくれ!!」
「崩れたマンションの奥に、子どもたちが取り残されてるんだー!!」
「なんだと!?」
バックドラフトが顔を険しくする。脳無の攻撃によって半壊したマンションは、激しい黒煙を吹き上げながら今にも崩落しそうだった。
「くっ、入り口の瓦礫が多すぎる……! 重機が来るのを待っていては命が持たんぞ!」
「バックドラフト! 僕が行きます!!」
「ケムリン!?」
白煙くんはもこもこの煙を覚悟の形に変え、一歩前に出た。
「僕の身体なら、どんなに狭い瓦礫の隙間でも煙になって突破できます! それに、有毒な黒煙も全部吸い込めるから効きません!」
バックドラフトは白煙くんの目をじっと見つめ、力強く頷いた。
「……分かった。任せる! だが、絶対に無理はするな。お前も、俺も、中にいる子どもたちも、命はひとつだけだ!!」
「はいっっっ!!」
白煙くんは猛然とマンションへ突入した。
凄まじい熱気と炎が渦巻く中、完全に身体を「煙」へと変化させる。崩れ落ちた天井やコンクリートのわずかな隙間を、流れるように すり抜けて階段を登っていく。
視界を遮る真っ黒な煙が行く手を阻むが、白煙くんはそれを力強く胸いっぱいに吸い込んでいった。
(――吸い込んで、エネルギーにする……!)
体内で黒煙が純粋な力へと変換され、今度はそのエネルギーを使って、割れたもこもこの白い煙を炎へと叩きつける。有毒な黒煙を吸い、その力で火を消す――白煙くんの身体の中で、完璧なレスキューの循環が生まれていた。
最上階の奥、崩れた壁の隅で、身を寄せ合って泣いている小さな姉妹を見つけた。
「もう大丈夫。僕がいるよ」
煙の向こうから、白煙くんの優しくて温かい声が響く。恐怖に震える姉妹を安心させるように、白煙くんは二人を自分の柔らかくて白い煙でそっと包み込んだ。
視界も呼吸も守られた温かい煙の中で、子どもたちは泣き止む。白煙くんは二人をしっかりと抱き抱え、もくもくと白煙を上げながら、崩壊寸前のマンションから鮮やかに降りていった。
「お父さん! お母さん!」
「ああ、よかった……! よかった……!」
無事に両親の元へ送り届けられた姉妹は、涙を拭って白煙くんを見上げた。
「ありがとう……」
「ヒーロー……!」
小さな、だけど心からの感謝の言葉。
(よかった……。みんなが無事で、本当によかった……!)
白煙くんは、その言葉だけで胸がいっぱいになり、疲れなんてどこかへ飛んでいってしまうほど嬉しかった。
「よくやった、ケムリン」
バックドラフトが、誇らしげに白煙くんの肩を叩いた。
「脳無たちはエンデヴァーたちがすべて仕留めたようだ。だが、まだ燻っている火種がある。引き続き消火活動を再開するぞ。最後こそ集中しろ!!」
「「「はいっっっ!!」」」
こうして、保須市を恐怖に陥れた大災害は、ヒーローたちの奮闘によって終わりを迎えた。
翌日。バックドラフト事務所に戻った白煙くんは、バックドラフトさんとサイドキック全員から「今日は絶対安静!」と厳しく言い渡されていた。
「訓練禁止! ベッドから出るのも最小限にしなさい!」
「身体をしっかりと休めて養うのも、長く戦い続けるプロヒーローの大事な心得だ!」
「は、はい……!」
大人しく従った白煙くんは、お言葉に甘えて、ふかふかのベッドで泥のようにゆっくりと眠らせてもらうのだった。
だけど、白煙くんはまだ知らなかった。
彼がすやすやと眠っているその裏で、テレビのニュース番組が、保須市の大災害でのヒーローたちの活躍を大々的に報じていたことを。
そこには、炎に包まれたマンションから、白い煙をたなびかせながら小さな姉妹を抱き抱えて生還する、一人の少年の姿がはっきりと映し出されていた。
『……消防ヒーロー・バックドラフト事務所の実習生、救煙ヒーロー・ケムリン! 彼は自らの個性を盾に、燃え盛る有害な黒煙を完全に遮断し、取り残された幼い姉妹を無傷で救出しました! まさに未来のレスキューの星です!』
画面に映るケムリンのコスチュームはボロボロで、もちろん「常時発動型」の煙のおかげで素顔までは映っていなかった。けれど、その勇敢な姿と「ケムリン」という愛らしい名前は、一躍全国のお茶の間に深い印象を残すことになったのだ。
もしこのニュースを、雄英で留守番しているA組の女子陣や、特訓中の透ちゃんが見たら……一体どうなってしまうのだろう?
そんな未来の狂騒など露知らず、白煙くんは頭の煙をぽわぽわと小さく丸めながら、幸せそうに寝息を立て続けるのだった。
バックドラフト事務所
バックドラフト
サイドキック10人
消火班アルファ
(アルファ・ワン、アルファ・ツー、アルファ・スリー)
住民救助班ベータ
(ベータ・ワン、ベータ・ツー、ベータ・スリー)
医療班ガンマ
(ガンマ・ワン、ガンマ・ツー、ガンマ・スリー、ガンマ・フォー)
こんな感じになってます