『――第5試合、スタートだ!!』
ブラドキング先生の怒号のようなアナウンスが演習場に轟くと同時に、4人は一斉に低姿勢で建造物の影へと滑り込んだ。
冬の冷たい風が、砕けたコンクリートの粉塵を舞い上げている。白煙くんは自身の掌を見つめ、歯痒そうに眉をひそめた。
(僕たちのチームには、耳郎ちゃんや障子くんのような広範囲の索敵能力を持つメンバーがいない……。完全に目視に頼るしかないんだ。僕の煙を広く散らせば索敵はできるかもしれないけれど、それじゃあ『ここにいます』ってB組に教えるようなものだ……!)
「エンちゃん、大丈夫。焦らないで」
隣に寄り添う透ちゃんの声が、見えない吐息とともに耳元に届く。その温もりに白煙くんはコクリと頷き、心の乱れを整えた。
その時、緑谷くんの瞳が閃き、素早く手元でハンドサインを送ると同時に、声を出さずに口パクで二人に指示を出した。
(麗日さん、葉隠さんを浮かせてもらえるかい? 完全透明な葉隠さんなら、上空から相手に気付かれずに広範囲を索敵できる!)
(デクくん、分かったよ! )
お茶子ちゃんは即座に意図を汲み取ると、そっと透ちゃんの服の裾に触れた。個性『無重力(ゼログラビティ)』が発動し、透ちゃんの体がふわっと重力を失って浮き上がる。
(わあ……! おおー、デクくん賢い!!)
空中へ浮かび上がりながら、透ちゃんが感嘆のジェスチャーを作ってみせる。
(確かに……! 姿が見えない透ちゃんを浮かせれば、B組からは『誰もいない上空』にしか見えない……! 完璧なステルス偵察だ!)
白煙くんも緑谷くんの臨機応変な発想に心の中で感心していた。
上空へゆっくりと高度を上げた透ちゃんは、建物の屋根越しにB組の動向を目視で確認する。そして、すぐに降下して低空で待機する3人の元へ戻ってくると、素早いハンドサインと口パクで状況を伝えた。
(物間くんが前方から単機で接近中!! たった1人で来てるよ!!)
(物間くんが1人だけ……!? 心操くんは声を潜めてどこかに隠密潜伏、他の3人は別行動で僕たちを包囲する気かな……?)
白煙くんは思考を巡らせる。物間くんが単独で挑んてくるなど、何か強烈な罠(個性コピー)を仕込んでいる証拠だ。
「……みんな、油断しないで。物間くんの『コピー』と心操くんの『洗脳』の二重トラップが来るよ」
緑谷くんは静かに拳を握り締め、物間くんがやってくる正面の角へと視線を鋭く向けた。B組の緻密な心理戦が、今まさに始まろうとしていた。
「さあ来なよA組諸君!! 主役の座を賭けて、僕と踊ろうじゃないか!!」
広場の中心で、物間くんが両腕を大きく広げ、芝居がかった動作で大声を張り上げた。その圧倒的な煽りの中に、確実な「罠」が存在することを誰もが察していた。
(物間くん……! みんな、僕が行く!!)
緑谷くんは手元で「1番(戦う)」のハンドサインを固く示してみせると、足元にワン・フォー・オールの緑色の放電を爆発させた。
物間くんが高笑いしながら挑発を重ねるが、緑谷くんは口を硬く結んだまま、一瞬で距離を詰める。言葉を発すれば心操くんの『洗脳』の餌食になる。完璧な無言の突撃。緑谷くんの拳が風圧を巻き起こし、物間くんの『コピー』の隙を狙って一直線に繰り出された!
一方、別の建造物の路地裏。
「――麗日さん、発見」
「白煙くん、足元に微かに煙が残っているわ……まだ完全に気配を消せていない!」
「ん」
物陰から静かに姿を現したのは、B組の庄田くん、柳さん、そして小大さんだった。
柳さんの『ポルターガイスト』によって、周囲に転がるコンクリートの破片が一斉に浮き上がり、小大さんの『サイズ』によって一瞬で巨大な質量兵器へと変貌を遂げる。
「しまっ……! 囲まれた……!?」
お茶子ちゃんが息を呑む。緑谷くんが物間くんを引きつけている間、A組の残りのラインを完全に分断しようというB組の完璧な包囲網だった。
「逃がしませんぞ! 庄田流のツインインパクト、受けてみなさい!」
庄田くんが巨体を躍動させ、打撃の衝撃を二重に叩き込むべく急接近してくる。お茶子ちゃんは間一髪でその拳をかわすが、衝撃波で姿勢を大きく崩されてしまった。
その混乱のさなか、お茶子ちゃんの背後の建物の影から、馴染み深い声が響いた。
「透ちゃん、僕が攻めるから援護よろしく!」
聞き覚えのある、穏やかで優しい声。間違いなく白煙くん――に聞こえた。
透ちゃんは反射的にその声へ向かって手を伸ばしかけた。……しかし、その手が一瞬でピタリと止まる。
(……違う!!)
透ちゃんの見えない全身に、冷や汗が吹き出した。
(声はエンちゃん……。でも、絶対に違う! 解像度が低い!! 本物のエンちゃんなら……私を危険に晒さないために、絶対に『2人で一緒に行こう』って言うはずだもん!!)
恋人だからこそ察知できた、わずか数ミリの違和感。声のトーン、言葉選びの癖、そして醸し出す温もりの欠損。
透ちゃんは素早く息を呑み、固く口を閉ざしたまま、言葉ではなく強烈なドロップキックをその「白煙くん」の声がする顔面へ向けて叩き込んだ!
ガッ――!!
「……っ!?」
人影は間一髪で体を捻って蹴りをかわすと、首元のボイルチェンジャー『ペルソナコード』を指で弄りながら、不敵な苦笑いを浮かべた。
「……喋らないどころか、ノータイムで殴りかかってくるとはね。止まらないか……バレたか」
奥から現れたのは――B組のゲスト、心操人使だった。
(エンちゃんの声帯まで真似てたみたいだけど……甘いよ心操くん! 私たちの絆をナメないで!)
透ちゃんは声を出さず、心の中でそう強く叫ぶと、素早く手元で「3番(救援求む)」のハンドサインを掲げ、本物の白煙くんへと合図を送った。
「チッ……さすがに恋人の目は誤魔化せなかったか」
心操くんの瞳が鋭く光る。偽物の罠を見破られたB組と、寸前で踏みとどまったA組。緊迫の心理戦は、ここからさらに激しさを増していく!
「唯!!」
「ん」
柳レイコの叫びに、小大唯が短く応じた。
柳の個性『ポルターガイスト』によって空中に浮遊した大量のボルトやワッカが、超速の弾丸となって一直線に射出される。その軌道上で、小大がすかさず指を叩きつけた。個性『サイズ』発動――!
瞬時に巨大化した無数の鉄塊が、轟音とともに押し寄せる。逃げ場のない広範囲を覆いつくす、完璧なコンビネーション打撃だ。
(逃がさない……『ブラックシャドウ』!!)
だが、その鉄の雨を遮るように、白煙くんが自身の体を漆黒の煙に変貌させた。
常闇くんのダークシャドウを模したホワイトシャドウとは異なり、黒煙との敗北を経て錬成されたそれは、本物の闇を切り取ったかのような禍々しい『黒』。よりダークシャドウの形状へと近づいた巨大な影の化身が、身を挺して鉄塊の衝撃を正面から受け止める!
「甘い!!」
そこへ、巨体を躍動させた庄田二連撃が割って入った。個性『ツインインパクト』!
一度叩き込まれた衝撃が、数秒のタイムラグを経て数倍の威力で爆発する。
ドカァアアンッ!!
激しい衝撃波とともに、ブラックシャドウの巨体が膨れ上がり、四散した。
「やりましたぞ……!!」
庄田が手応えに表情を緩めた、その瞬間――柳の顔色が劇的に変わる。
「煙がやけに多い……!? まさか……庄田、これ罠だ!!」
「何ですと!?」
四散したブラックシャドウの破裂跡から、とてつもない密度の黒煙が爆発的に拡散し、一瞬で辺り一面の視界を漆黒に染め上げたのだ。
ただ敵を打撃・捕縛するだけなら、わざわざダークシャドウのような巨大な頭部を模像する必要などない。大きな両腕だけを生成すれば十分なのだから。
あえて巨大な「顔」を作り、庄田のツインインパクトによる強力な打撃で意図的に破裂させることで、広範囲を一瞬で覆い尽くす超濃密な煙幕へと変身させたのだ。
(『洗脳』を使う心操くんにも有利な状況だけど……視界がゼロの閉塞空間での隠密戦は、僕と透ちゃんの独壇場だ!)
黒煙の暗闇の中、完全に姿を消した透ちゃんが、無音で柳の背後へと忍び寄る。
抵抗する間も与えず、透ちゃんは柳の細い両腕を背中へ回して固く拘束した。これにより、柳は口元を手で覆う防御姿勢すら取れなくなる。
「や、ヤバっ……呼吸が……っ」
「ん……っ」
柳と小大の体が、膝から崩れ落ちるようにガクガクと震え出した。
一酸化炭素中毒と重度の酸素不足――。
それはかつて林間合宿の際、ヴィラン連合の開闢行動隊が放った毒ガス戦法と同じ原理。さらにミッドナイト先生の個性『眠り香』のメカニズムを白煙くんが徹底的に研究し、自らの煙の酸素濃度を極限まで下げることで完成させた不意打ちの極致だった。
「今回は、君たちがヴィラン役だからね。……容赦はしないよ」
白煙くんは心の中でそう呟く。
ちなみに、一般人の救助現場ではこの技は絶対に使わない。パニックに陥った被災者を安全に落ち着かせるため、サポート科と開発した低刺激の「特製麻酔煙」を使い分けるのがレスキューヒーローとしての白煙くんの流儀だ。
白煙くんが仕掛けた「呼吸の途絶」によって、柳と小大は一瞬にして意識を刈り取られ、雪の上に崩れ落ちた。
「柳さん! 小大さん! くそっ、どこだ……!?」
仲間が倒れた気配に庄田が焦燥を募らせ、泥臭く周囲を威嚇する。しかし、その死角から忍び寄る「無敵の影」が存在していた。
(これで終わり! 虎さん流――軟体パーンチ!!)
ドカッ――!!
「ぐふぅぅぅぅぅ!!!!」
完全に視界を奪われた庄田のみぞおちへ、透ちゃんのしなりを効かせた強烈な一撃が突き刺さる! 重厚な巨体が浮き上がり、そのままドスンと雪煙を立てて倒れ伏した。
(……ハァ……ハァ……! ふぅ、決まったー!)
呼吸を整え、煙の中でポーズを決める透ちゃん。
そのあまりに素早く、容赦のない見事な連携劇を間近で目撃したお茶子ちゃんは、浮遊させた瓦礫の上でポカンと口を開けていた。
(あっという間に決まった……! すご……白煙くん、透ちゃん……! チームアップミッションを経て、二人とも信じられないくらい強くなってる……!)
二人の圧倒的な成長と信頼関係に戦慄しつつも、お茶子ちゃんの心には勝利への確固たる自信が満ち溢れていくのだった。
(呼吸確認。心拍数よし。うん、2人とも完全に寝ているね)
白煙くんは煙幕の中で柳さんと小大さんの手首に素早く触れ、冷静にバイタルを確かめた。
今回展開した濃密な黒煙の正体は、毒ガスではなく、サポート科と共同開発した特製麻酔カプセルを自身の煙と均一に混合させたものだ。即効性の麻酔煙によって意識を奪い、これで二人を無傷かつ迅速に確保完了。
(エンちゃん! こっちも完全に気絶してるよ!)
「よし、庄田くんもだね。あとは二人を檻に運べば――」
透ちゃんの弾むような声に安堵し、二人で拘束用のロープを取り出そうとした……まさにその瞬間。
バキィッ……!!
静寂を突いて、空間そのものが裂けるような重苦しい破裂音が轟いた。
視界の端から一閃、漆黒の蛇のごとき巨大な「黒い鞭」が凶悪な速度でしなり、白煙くんの顔面を目がけて直撃する!
「わあっ!?」
突如襲いかかった理不尽な衝撃に、白煙くんは思わず叫び声を上げてしまった。反射的に全身を煙化させたことで攻撃はすり抜けたものの、風圧だけで周囲の瓦礫が木っ端みじんに吹き飛ぶ。
「エンちゃんっ! 大丈夫!?」
見えない透ちゃんが悲鳴を上げ、慌てて白煙くんの元へと駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫! 直前に煙化できたから体は平気! でも……何なんだ……!?」
白煙くんは動悸を荒らげながら、攻撃が飛んできた遥か上空を見上げた。冷や汗が頬を伝う。
「あの黒いの……なに!? 触手……ううん、鞭……!?」
離れた場所で戦っていた白煙くんと透ちゃんは、緑谷くんの身に起きている「個性の暴走」など知る由もない。ただただ、空を覆い尽くす黒い筋の群れに恐怖を覚えた。
その時――突如として、白煙くんの麻酔煙とは明らかに質の異なる、濃密で巨大な「煙」がフィールド中央から爆破するように噴き出し始めた。
「煙……!?」
「えっ……エンちゃん! これ、エンちゃんがやってるの!?」
透ちゃんが戸惑いに声を上ずらせて白煙くんの腕にしがみつく。
「ぼ、僕じゃないよ!! こんな出力の煙、出そうとしても出せないよ! 一体何が起きてるの!?」
「一応聞いたの! だって緑谷くんって、体を強化する増強型の個性でしょ!?」
「うん! オールマイトみたいな圧倒的な超パワーのはずだよ……。そういえば、個性の名前自体は聞いてな……危ないっ!!」
会話を遮るように、さらに太さを増した黒い鞭が縦横無尽に暴れ回り、周囲の建造物を豆腐のように粉砕していく。同時に湧き出る謎の煙が視界を白く染め上げ、演習場全体が異様なパニックに包み込まれていく。
(緑谷くんに何が起きてるんだ……!? 暴走……? それとも、新しい『個性』……!?)
目の前で崩れ去るビル群を見上げる白煙くんの胸に、未知の脅威に対する強い戦慄が走り抜けていた。
原作と違って、ここでの緑谷くん暴走は『黒鞭』と『煙幕』が加わっています