TS転生系洗脳魔法少女 作:ゆめの
淡い明け方の潮騒。
砂浜にところどころ散りばめられた摩耗したガラス片が、地平線より昇りゆく陽光に、白妙の如く煌びやかに照る。
屈み込んだ少女は、その欠片を一つ拾い上げて、透き通る蒼を覗き込んだ。彼女の細い指の隙間で、硝子の欠片はゆっくりと、光の庇護を失っていく。軈て露わになるのは、砂と泥に塗れた、暗く薄汚れた鈍い塊。
少女はそれを暫く見詰めて、手を伸ばし陽に翳して、小さく呟く。
大事なのは物じゃない、光だ。
何に照らされ、何に守られ、何に囲まれるか。
遍く物の価値は、単体それ自体だけでは決まらない。
過ぎた日々の中で誰かが言った、消えかけの、どうしようもないほどに小さな思い。もう誰が言った言葉なのかすら、思い出すことは叶わない。
けれど、誰が言ったかなんて、少女にとっては些細な事だった。
たとえその時の事を忘れてしまっていても、忘れたことは忘れない。人を忘れたとしても、彼らが遺してくれたものを、自分は決して失わずに生きる。そう、誓ったのだ。
「雛那」
漣の間隙に、誰かが自分を呼ぶ声が混ざった。手にしていた欠片を、波と砂浜の境界にそっと置いて、振り返る。
蒼い瞳が日に照らされて、まるで宝石のようだった。あるいは、それは本当に宝石なのかもしれない。
彼女を照らす、地平線の薄い赤白色の光が羨ましかった。
凛と鳴る夏の鈴に似た声がなぞった名前を、もう二度と手放さないように。
少女は彼女の目を見詰めて、一つ息を吐く。そして、彼女の声を反芻させて、何度も、その名前を心の中で呟いた。
*
もし指先一つで人を殺せたら。
そう考えたことがあった。
「——っ!」
20は下らないであろう数の魔物の群れのその最後の一体が、痛みと死の恐怖という苦悶に抗いながらも、翼を広げ、飛翔するための最後の足掻きとして、爪先に力を籠める。
その一瞬の隙を逃さず、広げられた極彩色の羽の付根に斬撃を放つ。
重ねて、よろけた巨体の胸元に向けて、空いた左手で至近距離から岩弾を打ち込み、跳躍。
最早隙だらけとなったその体の中心部——
―—雛那は、あれから数回目の戦いで、近接特化の身体強化と、遠距離を得意とする属性という、二つの魔法を発現させた。
その戦闘スタイルは華麗な物で、戦場を俊敏に駆けて遠距離から魔法を放ち対象を疲弊させ、動きが鈍った頃に一気に間合いを詰めてそのコアを破壊するという、唯一無二の物だった。
「——先輩、どうでしたか」
雛那がこちらに駆け寄る。膝に手を付き、肩を大きく上下させながら。さながら大仕事をしたとでも言わんばかりの、得意げな顔だけはこちらに向いている。
「魔力を使いすぎ」
「え、そんな……!」
まさかダメ出しをされるとは思っていなかったのか、ぴしゃりと窘められて、わかりやすく落ち込んだ表情を浮かべた。
「今のは低級の魔物だったから良かったけど、中級とか上級になったらどうなるかわからないよ」
振り下ろした刃が全く通らなかった、先日の蟹を思い出す。大泥岩蟹は、機構のデータでは中級に位付けされている魔物だ。
今の雛那なら、その装甲に傷をつけることも、打ち破ることもできるのだろう。だが、それは致命傷にはならない。
「例えば鎧殻盾《ギザミ》とか鬼人種《オーガ》が相手だったら、雛那のそれは通用しなくなる」
戦えるかどうかなら、戦える。それも、魔法や斬撃の威力でだけならかなり圧倒できるだろう。
だが、その一撃を放つために消耗している魔力量が尋常ではない。
魔力の枯渇は死活問題だ。一度魔力切れを起こせば、魔法少女の魔法の部分が消滅し、ただの少女になり下がる。
「私は言ったよ、
驕りは油断を生み、油断は隙を生む。戦場の鉄則だ。堅実である事こそが、最も強く、それでいて最も美しい戦い方だろう。
「……それは先輩が低級としか戦わせてくれないからです。わたしだって、もっと強い魔物が相手なら、それに合った戦い方をします」
雛那にはその自信があるようだった。鋭く細められた目が、蒼依の蒼白の双眸を捉えて非難する。
「なら聞くけど、それに合った戦い方ってどんなものなの?」
「それは、」
一瞬、強く反論しようとする素振りを見せる。が、何も思いつかなかったのか、空振りに終わった行き場のない反抗心が、服の裾を掴む手に込められた。
想像をしやすいように、鎧殻盾と鬼人種という二つの例を出していたのだが、それでも浮かばないようで、血河の双眸が蒼依とは別の場所を見る。
「理解が足りないんだよ、魔法に対する理解が」
「理解?」
罰が悪そうに伏せられていた瞳がひょいと揺れて、不意に目が合った。
「自分の魔法がどのくらいの威力を持つのか。あと何回使ったら魔力が切れるのか」
臨機応変というのは、単純でいてかなり難しい。それを可能にしているのは緻密かつ俯瞰的な状況把握であり、即ち理解だ。
目先では必要に思えた行動が、その実最も悪手であった。なんてことは容易に起こりうる。
「それこそ、戦う相手に依るんじゃないですか」と怪訝そうに問い返す。
「確かにその通りだけど、なら今鳥獣種と戦ってた時、そういうこと一度でも考えた?」
「……」
思い当たる節があるのか、雛那は何も答えない。無惨にも切り捨てられた鳥獣種の亡骸に眼を遣りながら、次に掛ける言葉を考える。
鳥獣種は、比較的柔らかい魔物だ。堅牢な外殻を持つ外骨格の獣ではなく、内骨格を有する。故に動きが素早くしなやかで、打撃や魔法の類が他に比べて効きにくい。
それに対して雛那は、間合いを取り遠距離から魔法の物量勝負を仕掛けた。これは、鳥獣種のような、常に動く狙いにくい魔物を相手にした場合の、最も悪手な戦い方だ。
弾速の遅い魔法は避けられ、速い魔法では威力が足りず傷がつかない。魔力を消費するばかりの、不毛な争いになる。
雛那が鳥獣種の群れ相手に善戦出来たのは、魔法の狙いが良かったことと、魔物が飢餓状態にあり、最初から疲弊していたから。つまり、運がよかったからだ。
「戦いを運任せにするのは絶対だめだ。確実な方法でやらないと」
「わたしにとっての確実な方法が、これでした」
「それは理解が足らないからだよ。例えば私が君の立場なら、最初から間合いを詰めて、斬撃だけで戦った。その方が速いから」
当たるかわからない魔法を連発するくらいなら、最初から近付いてしまえばいい。逆も然りだ。馬力のある相手に近付いて、力で押し切られるのなら、近付かず、遠距離から脆い箇所を狙い打つ。
「私が知ってる魔法少女も、雛那と同じ二刀流なんだ。あれはその上治癒までこなすから化物なんだけど。彼女なら、この程度の魔物は多分、それぞれ一撃で殺しきると思う」
雛那が切り捨てた魔物の死体に眼を遣りながら、かつて見た光景を脳裏に浮かべる。
彼女が腰に据えた剣を抜くのは、魔法で破ることのできない装甲を持った、堅牢な魔物を相手にしたときだけだった。
「どちらかにした方が良いと思う。魔法を使うのか、剣を使うのか。どっちも使ってどっちも疎かになるより、余程その方が良い」
「でも、」
「わからない?
雛の表情が強張る。
「別に図に乗ってなんか。ただ、わたしに合った戦い方がしたいだけで、」
「それを図に乗ってるって言ってるんだよ。型破りってのは、型があるからできることなんだ。型の無い人間の言う型破りなんかただの自己流で、全部中途半端の型無しだ」
さらに言い重ねようと、蒼依が小さく呼吸を挟んだ時、後方からハイヒールのこつこつという音が響いた。
「酷いじゃない。そんな言い方しなくたって、雛那ちゃんはちゃんとわかってくれると思うけれど?」
朽葉が楽しそうに蒼依を見下ろした。手元にはいつも肌身離さず持っているタブレットが抱えられ、黒いスーツには埃や皺が一つもついていない。
身長差から、朽葉の目は常に、蒼依を見下げる形を取っていた。
「朽葉さん……!」
助け船が来た、とでも言いたげに、雛那の表情が緩む。
「強くなりたいから、なんて理由を掲げる子が、自分の弱さを理解してないわけないもの。ね」
その目が悪戯っぽく雛那を見据える。
残念ながら、助け船は助け船でも、朽葉のそれは泥船だ。
彼女の首元の赤いペンダントを見詰めながら、蒼依は大きくため息を吐く。
「何しに来たんだ」
「相変わらず冷たいわね。そんなに私と話したくないのかしら」
「うん、話したくない」
「え、それはちょっと、なんていうか心外だわ……」
言葉とは反して、表情は何一つ変わっていない。
「私だからいいけれど、他の子にはそんな態度しちゃだめよ? 嫌われちゃうんだから」
「お前は私のなんなんだよ、親か?」
「親って年でもないでしょ。お姉ちゃんと呼びなさい」
「いや気持ちわりぃよ」
と返すと、朽葉は 「年頃の少女に罵倒されるのは気持ちいいわぁ」と恍惚とした表情を浮かべた。冗談なのか本心なのか、ギリギリわからない。が、本当に気持ち悪いと思った。
「けどね、王女様。その態度でいたら、いつか本当に嫌われちゃうわよ」
朽葉が蒼依の方を見ながら小声で言う。
「君は少し、物の言い方ってのを学んだ方がいいわ。まるで嫌な上司みたいで、見ていてトラウマが抉られるもの」
遠い目をしていた。
蒼依にしてみれば、そもそも人とどう接するのが正解なのかがわからない。
昔の事を思い出しても、職業上の関わりでしか人と話してはいなかった。元から同年代の知り合いなんていなかったのだ。
根本的な部分がわからないというのに、いきなり同年代の、それも部下を持たせられたら、どこを基準にして接すればいいか困惑するのも無理はない。
が、それはあくまで経験値の無い蒼依であるからという話で、ほとんどの人は器用にこなしているのだろう。
例えば朽葉がそうであるように。
そう言う意味では、朽葉の事は純粋に尊敬していた。
「わからないんだよ、どうしたらいいのか」
「わからない? 簡単じゃない。
「例えば私みたいにね」と冗談めかす。
「……で、何しに来たんだ」
その全てをなかったことにして、蒼依は話を無理やり本題に戻した。
言いながら、雛那の方に目を遣ると、気まずそうに魔物の死体とつんつんしていた。
朽葉はそれを眺めながら「楽しくやれてるか見に来ただけよ」と、笑い交りに言った。
だが、朽葉はそんな人間ではない。何か意図が無ければ、こうして蒼依の前に姿を現すことなどしない。
現に、普通に会話をしながらも、手元のタブレットにちらちらと視線を送っているのが蒼依には見えた。
察するに、蒼依ではなく、雛那に用があるのだろう。
「本当の
図星だったのか、吊り上がっていた口角がすっと下がる。不気味なほどの無表情が蒼依を捉え、それから雛那に移った。
「察しがいいのね」
ただの経験則だが、ある程度は、朽葉の考えている事がわかる。その中身までは無理でも、隠し事をしているかであったり、本題が別にあるかであったりなど。そのくらいならば。
朽葉が一つ、面倒くさそうな溜息を吐く。
「機構での私の役職は仲裁官、意味はわかるわよね?」
「魔法少女間の戦力バランスの均衡を維持する役割だっけ」
「完全正答ね、100点だわ。……続きを話すと、この仕事は基本私の独断と偏見でやっているのだけれど、一つだけ絶対に守らないといけない物がある」
それが、司令官の少女のお願いを聞く事だ。
「別にあの子が嫌いなわけじゃないし、年下の女の子なんてみんなかわいいから大好きだけど、思い通りにならないとあからさまに不機嫌になるから面倒くさいのよ」
要は、理知的なだけの子供なのだ。年齢相応と言えばそうなのだろうが、朽葉のような直属の部下にとって、上司がヒステリックな幼女というのはかなり大きな問題だろう。
しかもかなり質が悪い。打算で行動するくせに、読みが外れたりお願いを聞いてもらえないとぐずりだす。
「どういう意図で私にその話をしてるのか知らないけど、何を言われたって私はアイツのところにはいかないよ」
「いちいち言わなくたって、別に連れ出そうなんて考えてないわ。ただ、」
言うかを迷ってから、何かを決心したかのような表情で続ける。
「これは折衷案なのよ。君を連れてくることはできないけど、その様子を見て、こうだったよって伝えることはできる、って」
「けど、こうして私の前に来ると、隠れていてもすぐ見つかる上にその要件が透けて見えるから思い通りにいかない」
「そういうことね」
朽葉が忌々し気に言う。
「まあ、難しいことは語らなくていいわ。君はただいつも通り彼女と遊んでいればいいのよ。君の戦力が削がれている事と、雛那ちゃんが育ってきている事。その二つを上に報告できれば、あとは何もないから」
最初に言っていた通り、朽葉に求められている司令官のお願いは、蒼依という、敵にしたら機構どころか街や県、あるいは国が一つ滅びかねない力を持ってしまった魔法少女を、身動きできなくさせることだ。
朽葉はそのために、よくわからない薬を開発している事を明かし、さらに雛那という新人を連れてきた。
八割くらいは彼女の趣味であろうが、それらがどう作用しているかを報告する必要があるのは、納得がいくことだった。
「なら、一つ私から
中間管理職である朽葉のストレスに共感してしまい、蒼依はそう助け船を出した。
「私は彼女の元に行かないけど、雛那なら別にいってもいい。会った上で二度と会いたくないってなったらそれはそれだけど、観察しに来るより余程確度が高いと思わないか?」
「……へぇ、意外と優しいじゃない。気に入ったわ、雛那ちゃんがいいって言うなら、そうしましょう?」
「ってことなんだけど、雛那はいい?」
割れた瓦礫に石で落書きをしている雛那に視線を送る。
「——え、あ。えっと、すごい人なら、会ってみたいです」
「なら決まりね。感謝するわ、王女様」
「その呼び方やめてくれる? 私を
「そう? 嬉しいわ」
「どこが?」
質問には答えず、朽葉が雛那に近付き、その手を取る。
先ほどまで魔物とやり合っていたせいで、所々傷がついていたり、血なのか泥なのかわからない汚れが至る所に付着していた。
元々色白であるが故にそれらは酷く目立つ。
「まあその前に、お風呂に入りましょう?」
彼女の肢体を上から下までゆっくりと見詰めて、朽葉がそう提案した。
雛那は、訳が分からないまま「え、お風呂……?」と肯き、蒼依に何か言いたげな視線を送った。
「この辺に大浴場があるのよ。私の行きつけなの。言えば貸し切りにしてくれるわ」
「貸し切り!?」
「そう、貸し切り! だから行きましょう? ね?」
「行きます!」
蒼依はそのやりとりを見ながら、単純な奴だなぁとぼんやり思った。
「先輩は? 来ないんですか?」
「いや、私はいい」
「どうして……? 大浴場ですよ」
心底不思議そうな声を上げる。
大浴場が嫌なんじゃなくて、お前らの体を見たくないんだ。とは言えなかった。
いくら体が女であろうとも、蒼依の心は男なのだ。成人済みの一般男性が女の子と大浴場で入浴、なんて、事案ものだ。
「行きましょうよ、先輩。背中くらい流すので、」
「ほら、後輩がこう言ってるわよ。縮めてくれてるんだし、いい加減距離を作るのはやめたらどう?」
といわれても、いけない物はいけないのだ。
「いや、」
言い淀んでいると、その後ろで雛那が浮かない顔をしているのが見えた。分かっているのだ。行くべきであることはわかっている。
だが、絶対に行きたくない。これは譲れない事だ。
が、
「君がその気ならわかったわ、蒼依。……これは業務命令よ。着いてきなさい」
と冷たく言い放つ。
暫くその場で頑なに拒否し続けたが、結局引きずられるようにして朽葉の運転する車に放り込まれた。
蒼依は「新手のセクハラか何かだろ、」と項垂れながら後部座席に座り、朽葉が常備しているらしいかわいらしいパジャマに着替えた雛那に頭を撫でられていた。