この世界でもヤクねこは常識人枠ですね。アル中パウダーが絡まなければ…
夜。
ヤクねこは、自室の机へ冷ややっこの皿を置いた。その横には、角子の字で『アル中パウダー 獣人Ver.』と書かれた小さな保存容器がある。
数日前にもらったばかりだが、中身はすでに底が見え始めていた。
ヤクねこは小さなスプーンを手に取り、残った粉をすくおうとして手を止める。
『一度に使いすぎないほうがいいですよ』
角子にそう注意されたことを思い出した。
「……作った本人が言いますかね」
あの日、角子はまたたびパウダーを四瓶まとめて投入していた。説得力は薄い。
ただ、前日に冷ややっこが見えなくなるまで振りかけた結果、しばらく鼻の感覚がおかしくなったのも事実だった。
今回は少なめにする。
ヤクねこは反省し、スプーンの先へほんの少しだけ取った。
その時。
トン。トン。トントントン。
壁の向こうから、包丁がまな板へ当たる音が聞こえた。
角子が料理を始めたらしい。
入居して以降、珍しい音ではなくなっていた。配信を始める夜には、食材を切る音や炊飯器を動かす音、瓶を置く音まで薄い壁を通して聞こえてくる。
ヤクねこは気にせず、冷ややっこへ視線を戻した。
カラン。
今度は瓶を置く音。
続いて、氷同士がぶつかる。
カラカラ。
「飲み始めましたか」
いつものことだった。
放っておこうとすると、角子の声が壁越しに聞こえてくる。
『ここでウイスキーを入れます』
『少しだけです』
その直後。
トクトクトクトクトクトクトク……。
液体を注ぐ音が、やけに長く続いた。
ヤクねこの手が止まる。
「……少し?」
ようやく音が止まり、瓶が置かれた。
カラン。
これで終わりかと思ったが、再び瓶が持ち上げられる。
トン。トン。トン。
逆さにした酒瓶の底を叩き、最後の一滴まで使っているらしい。
「一本空けたんですかね……」
答えの代わりに、また別の音が始まった。
ガタン。
古い電子レンジの扉が閉まり、数秒後には壁を震わせるような低い作動音が響く。
ブォン……。ジジジジジ……。
普通の電子レンジより、少し苦しそうだった。
正常な家電からは、あまり聞きたくない音まで混ざっている。
ヤクねこは眉を寄せ、壁へ耳を近づけた。
『まだいけるかもー』
「何がですか?」
思わず壁へ問いかけた。
答えの代わりに、電子レンジが鳴る。
バチッ。
ヤクねこの耳が立った。
冷ややっこを食べている場合ではなかった。
◇
ヤクねこが部屋を出ると、角子の部屋の前に誰かが座っていた。
壁へ背中を預け、タバコをくわえたヤニねこである。
「何してるんですか、先輩」
「飯待ってるにゃ」
「頼まれたんですか?」
「匂いしたから来たにゃ」
「それは待ってるんじゃなくて、たかってるだけですよ」
ヤニねこは扉を見たまま、鼻を小さく動かした。
「今日は肉っぽいにゃ」
「だからって部屋の前へ座らないでください」
「ここが一番近いにゃ」
「自分の部屋へ戻ってください」
「できたら呼んでにゃ」
「先輩が自分で聞いてください」
「今、ヤクねこが来たから大丈夫にゃ」
「何が大丈夫なんですか?」
「聞いてくれるにゃ」
「人を呼び出し係にしないでください」
ヤニねこは動かなかった。タバコの煙だけが、ゆっくりと廊下へ流れていく。
部屋の中からは、電子レンジの苦しそうな音が続いていた。
ブォン……。ジジジ……。
ヤクねことヤニねこが、同時に扉を見る。
「今日は電子レンジが苦しそうにゃ」
「先輩もそう思います?」
「いつもより声が低いにゃ」
「いつも聞いてるんですか?」
「飯ができる音だから聞いてるにゃ」
「機械の異音を、炊き上がりの合図みたいに扱わないでください」
再び部屋の中から音がした。
バチッ。
今度は少し大きい。
ヤニねこの耳が伏せる。
「怒ってるにゃ」
「家電は怒りません」
「じゃあ死にかけてるにゃ」
「そっちのほうが問題です」
ヤクねこが扉を叩こうとした瞬間、内側から鍵が開いた。
片手にステンレスジョッキを持った角子が顔を出す。中では氷がカラカラと鳴っていた。
「二人とも、どうしました?」
「飯できたにゃ?」
「もう少しかもー」
「待ってたにゃ」
「そうだったんですか」
ヤニねこは当然のように部屋へ入ろうとした。
ヤクねこが尻尾をつかむ。
「先輩は呼ばれてないですよね?」
「今、呼ばれたにゃ」
「呼ばれてません」
「もう少しって教えてくれたにゃ」
「完成時間を答えただけです」
ヤニねこは前へ進もうとし、つかまれた尻尾だけが伸びる。
「離せにゃ」
「勝手に入らないでください」
「前から入ってるにゃ」
「余計に駄目です」
角子は二人を見比べた。
「よければ、少し食べていきますか?」
ヤニねこの尻尾から力が抜けた。
「呼ばれたにゃ」
「今度は呼ばれましたね……」
電子レンジの状態も気になる。
ヤクねこも一緒に部屋へ入った。
◇
畳の上には、まな板、包丁、大きなボウル、酒瓶、調味料、生肉のパック、盛りつけ途中の皿、何膳もの箸、炊飯器、年季の入った電子レンジが広がっていた。
少し離れた場所には配信用のスマートフォンが固定され、画面にはコメントが流れている。
《来客》
《ヤクねこきた》
《姐さん呼びしろ》
《先輩もいる》
《電子レンジまだ生きてる?》
ヤクねこはコメントを無視し、室内を見回した。
この前入った時も、畳の上には大量の調味料や器具が並んでいた。ただ、あの時はアル中パウダーと大量のまたたびに気を取られ、ほかの場所まで見る余裕がなかった。
改めて見ると、かなり気になる。
生肉のパックは、完成品を盛りつける皿のすぐ隣。まな板の端には肉の汁が残り、その近くへ切った野菜が置かれている。
同じような箸も何膳も並び、どれを何に使ったのか分からない。
ヤクねこは二本の箸を指した。
「この箸、どちらが生肉用ですか?」
角子は見比べ、少し考える。
「右だったと思います」
「思います?」
「左かもー」
「両方洗いましょう」
「分かりました」
角子は素直に箸を受け取り、台所へ向かった。
その間に、ヤニねこが生肉のパックへ手を伸ばす。
ヤクねこが手首をつかんだ。
「何してるんですか?」
「肉見てただけにゃ」
「箸を持ってましたよね?」
「近くにあったにゃ」
「口も開いてましたよ」
「呼吸にゃ」
「生肉を見ながら口呼吸しないでください」
ヤニねこは不満そうに箸を置いた。
ヤクねこは次に、古びた電子レンジを見る。
外装には細かな傷があり、扉の端は少し変色していた。
作動音は今も低い。
ブォン……。ジジジジ……。
「角子さん。これ、いつから使ってるんですか?」
「前の部屋からです」
「何年くらいですか?」
「覚えてないですね」
「買った時期は?」
「たぶん、かなり前です」
「それは見れば分かります」
電子レンジの中で、何かが弾けた。
パンッ。
ヤニねこが一歩下がる。
「怒ったにゃ」
「だから、怒ってるわけじゃありません」
「さっきより怒ってるにゃ」
「角子さん、止めてください!」
「まだ時間が残っていますよ」
「その前に壊れそうです!」
角子は停止ボタンを押した。
低い作動音が止まる。
ヤクねこは念のため少し待ってから扉を開けた。
中には、深めの皿へ入れられた肉料理がある。ラップはかけられておらず、赤茶色の汁が内壁へ飛び散っていた。
「ラップしてください」
「水分を飛ばしたかったので」
「電子レンジの中へ飛ばさないでください」
「なるほど」
角子は納得したように頷いた。
新しい汚れの下には、古い飛び散り跡もいくつか残っている。
「これ、いつ掃除しました?」
「汚れた時に拭いています」
「もう汚れてますよ」
「では、今度拭きます」
「今拭きましょう」
「料理が冷めませんか?」
「その前に電子レンジが燃えそうです」
角子は布巾を取る。
少し酒の匂いがした。
ヤクねこが手を止めさせる。
「これは何を拭いた布巾ですか?」
「さっき、ハイボールを少しこぼしました」
「別の布巾を使いましょう」
「まだ濡れているので、ちょうどいいかと思いました」
「汚れを別の場所へ移しているだけです」
「そういうものなんですね」
角子は素直に布巾を置いた。
ヤクねこは一瞬、言葉を失った。
仕事中の角子は、きっと普通に働いているのだろう。受け答えは落ち着いているし、言われたことも素直に聞く。
ただし、言われるまで気づかない範囲が妙に広い。
その間にも、角子はステンレスジョッキを持ち上げ、一口飲んだ。
カラカラ。
「調理しながら、ずっと飲んでるんですか?」
「はい」
「毎回?」
「だいたいは」
「危なくないですか?」
「座って料理しているので、転ぶことは少ないですよ」
「転倒だけの話ではありません」
角子はジョッキを見る。
「味見も必要なので」
「それ、料理の味見じゃないですよね?」
「ハイボールの味見です」
「料理中に必要ですか?」
角子は少し考える。
「気分には必要かもー」
ヤクねこは額を押さえた。
《正論》
《姐さんの気分は大事》
《ヤクねこ苦労人》
《そのうち監督になる》
「毎回は見ませんからね。私も自分の生活がありますし、料理のたびに呼ばれても来ません」
「今日は呼んでいませんよ」
「そうでしたね……」
自分から来た。
電子レンジの異音を聞いたからである。
その横では、ヤニねこが肉料理の入った皿を覗き込んでいた。
「もう食えるにゃ?」
「あと五分くらいです」
「今でもいけるにゃ」
「生ですよ、先輩」
「表面は色ついてるにゃ」
「中まで火が通ってないでしょう」
「お腹に入れば同じにゃ」
「違います!」
ヤニねこが箸を伸ばす。
ヤクねこが、その手を叩いた。
ぱしっ。
「触らないでください!」
「痛いにゃ!」
「勝手に生肉を食べようとするからです!」
「確認しただけにゃ」
「箸でつかんで、口へ運びかけてましたよね?」
「火が通ってるか確認してたにゃ」
「自分の腹で確認しないでください!」
「前も治ったにゃ」
「腹を壊す前提で食べないでください!」
ヤニねこは手を引っ込めた。
目だけは肉から離れていない。
ヤクねこは改めて、角子の部屋を見回した。
初めて会った時、角子は落ち着いた、働いている年上の住人に見えた。
次には、大量の調味料とまたたびを混ぜる、少し変わった料理好きだと思った。
あの日は特殊な配信だった。
アル中パウダーを作る日だけ、特別におかしかったのだと思っていた。
だが、今なら分かる。
特殊だったのは、アル中パウダーだけではない。
普段の料理も十分におかしい。
酒を飲みながら調理し、器具を畳へ広げる。古い家電が異音を出しても使い続け、生肉用の箸を覚えていない。酒を拭いた布巾で、電子レンジまで拭こうとする。
そして、本人は全部真面目にやっている。
「角子さん。確認しますね」
ヤクねこは指を折りながら、一つずつ伝えた。
「生肉用と完成品用の箸は分けてください」
「分かりました」
「生肉のパックを、完成した料理の隣へ置かないでください」
「分かりました」
「電子レンジを使う時は、必要ならラップをしてください」
「分かりました」
「調理器具を畳へ直接置かないでください」
「分かりました」
「酒を拭いた布巾で、ほかの場所を拭かないでください」
「全部分かりました。次から気をつけます」
返事は素直だった。
ヤクねこは少しだけ安心する。少なくとも、注意を拒絶する人ではない。
「それなら――」
角子は空いた場所へ、大袋のうま味調味料を置いた。
ヤクねこの言葉が止まる。
「それ、何に使うんですか?」
「最後の調整です」
「もう味はついてますよね?」
「少し足りない気がするので」
「もう味見したんですか?」
「まだです」
「食べてないのに、なんで足りないと分かるんですか?」
「見た目で分かります」
「分かりません」
角子が大袋を持ち上げる。
ヤクねこが袋の口を押さえた。
「先に味見してください」
「でも、薄そうですよ」
「色は十分濃いです」
「見た目と味は違いますよ」
「さっき見た目で分かるって言いましたよね?」
角子は少し考えた。
「味見してから入れます」
「それでお願いします」
角子は料理を小皿へ取り分け、一口食べる。
「少し薄いかもー」
「本当ですか?」
「ヤニねこ先輩にも聞きます」
ヤニねこの耳が立った。
「味見するにゃ」
「先輩は待ってください」
「今呼ばれたにゃ」
角子は別の小皿へ料理を盛り、ヤニねこへ渡す。
ヤニねこは熱さを確認せず、そのまま口へ入れた。
「あついにゃ!」
「できたばかりですからね」
「また先に言わなかったにゃ!」
「湯気が出ていましたよ」
ヤニねこは口を開け、何度も息を吸う。それでも吐き出さず、そのまま飲み込んだ。
「これ食えるにゃ」
ヤクねこは顔をしかめる。
「先輩の『食べられる』は信用できないんですよ」
「失礼にゃ」
「前に傷んだ物も食べてたじゃないですか」
「まだ食えたにゃ」
「そういうところです」
「死んでないにゃ」
「判断基準を生死にしないでください」
角子はヤクねこの分も小皿へ盛った。
「よかったら、どうぞ」
ヤクねこは少し迷う。
生肉用の箸は洗った。電子レンジも止めた。少なくとも、今見つけた問題には対処している。
それでも、調理風景を一通り見た直後では、素直に箸が伸びない。
「私は……」
隣では、ヤニねこが二口目へ手を伸ばしていた。
「先輩。それ、私の分です」
「食べないと思ったにゃ」
「まだ断ってません」
「じゃあ早く食べるにゃ」
「急かさないでください」
角子もこちらを見て待っている。
ヤクねこは覚悟を決め、料理を一口食べた。
「…………」
普通にうまい。
肉は柔らかく、火もきちんと通っている。味はかなり濃いが、野菜にも肉の脂と調味料が染みており、酒にはよく合いそうだった。
料理の基礎はできている。
それだけに、調理環境との落差が大きい。
「どうですか?」
「……味は悪くないんですね」
「ありがとうございます」
角子の耳が少し立った。
褒められて、少し嬉しそうだった。
そのまま、大袋のうま味調味料へ手を伸ばす。
「もう少し足したら――」
ヤクねこが袋を取り上げた。
「今ので完成です」
「でも、少し薄いかもー」
「薄くありません」
「先輩はどう思います?」
ヤニねこは三口目を食べた。
「まだ食えるにゃ」
「先輩には聞いてません」
「今聞いたにゃ!」
「聞いた角子さんが悪いです」
「ニャーはちゃんと答えたにゃ」
「『まだ食べられる』以外の感想を言ってください」
ヤニねこは少し考え、もう一口食べる。
「肉があるにゃ」
「見れば分かります」
「味もあるにゃ」
「もういいです」
《味はうまい》
《衛生と味が反比例》
《ヤクねこ監修》
《うま味調味料を守れ》
《姐さんから粉を没収する舎弟》
ヤクねこは大袋を自分の横へ置いた。
「今日は、もう追加しないでください」
「分かりました」
その時。
廊下から大家の声が聞こえた。
「さっきから、何の音だ?」
三人の動きが止まる。
扉が少し開き、大家が部屋を覗き込んだ。
畳の上の調理器具。
古びた電子レンジ。
酒瓶。
料理を食べているヤニねこと、うま味調味料を抱えているヤクねこ。その奥には配信中のスマートフォン。
「…………」
大家は一度、全体を見回した。
「壁がうるさいって話が来てるんだけど」
ヤクねこが反射的に頭を下げる。
「すみません。今、注意していたところです」
「なんで、あんたが謝ってるんだ?」
「……確かに」
ここは自分の部屋ではなかった。
角子が代わりに頭を下げる。
「すみません。次から静かにします」
「包丁の音くらいなら仕方ないけど、さっき家電が変な音してたぞ」
「電子レンジです」
「壊れてないか、それ?」
「まだ動きます」
その瞬間。
停止している電子レンジの奥から、小さな音がした。
パキッ。
全員が電子レンジを見る。
大家が指を差した。
「まず、それ捨てないか?」
「まだ温められます」
「今、何もしてないのに鳴ってたんだけど」
「冷めている音かもしれません」
「壊れる前の叫びじゃないか?」
角子は電子レンジを見つめ、少し悲しそうな顔をした。
「前の部屋から使っていたので……」
「大家としては、思い出より火事のほうが困るんだ」
「まだ元気かもー」
「元気な家電は火花を散らさないぞ」
大家は念のため、電子レンジの電源プラグを抜いた。
ヤニねこは料理を食べながら、その様子を眺める。
「死んだにゃ」
「電源を抜いただけです」
「もう飯作れないにゃ?」
「炊飯器はあります」
「なら大丈夫にゃ」
「先輩の食事基準で、家電を残さないでください」
大家は角子へ電子レンジを買い替えるよう念を押し、部屋を出ていった。
扉が閉まり、室内が少し静かになる。
ヤクねこは、畳の上に広がった調理器具をもう一度見た。
角子は料理ができる。
味も悪くない。
指摘すれば、素直に聞く。
ただし。
指摘する場所が多すぎた。
料理技術は高め。
味は濃いが悪くない。
衛生管理は不安。
調理環境はかなり不安。
家電を見る目は信用できない。
アル中パウダーは非常に高い。
評価表が、きれいにまとまらなかった。
ヤクねこは、うま味調味料の袋を角子へ返す。
「今日は、もう使わないように」
「はい」
「それから、毎回は確認しませんからね」
「分かりました」
「箸も、自分で分けてください」
「色を変えたほうがいいですか?」
「そのほうが分かりやすいと思います」
「今度買ってきます」
「そこはちゃんとするんですね……」
角子は助言を真面目に聞いていた。
ヤクねこは少し安心し、帰ろうとして立ち上がる。
そこで、机の端に置かれた見覚えのあるペットボトルへ気づいた。
『アル中パウダー
獣人Ver.』
中身は、まだ少し残っている。
ヤクねこの視線が止まった。
角子は片づけを始め、ヤニねこは残った肉を探している。
誰もこちらを見ていない。
ヤクねこは少しだけ声を落とした。
「……姐さん」
角子が振り返る。
「はい?」
「アル中パウダーの残りはありますか?」
コメント欄が一気に動いた。
《姐さん出た》
《結局それ》
《監督も中毒》
《評価だけは高い》
ヤクねこはスマートフォンから顔を背ける。
「少し確認したいだけです」
「何を確認するんですか?」
「前の容器が、もう少しでなくなるので」
「それは補充ですね」
「確認用の補充です」
角子はペットボトルを見る。
「今日の料理には使っていませんよ」
ヤクねこの耳が、わずかに下がった。
「……そうですか」
「少し持っていきますか?」
すぐに戻った。
「いいんですか?」
「作りすぎたので」
「ありがとうございます、姐さん」
「角子でいいですよ」
「今だけです」
ヤクねこは、小さな保存容器へ分けてもらったアル中パウダーを大事そうに受け取った。
調理環境への信用は下がった。
料理の味への評価は上がった。
アル中パウダーへの敬意だけは、何も変わらなかった。
その横で、ヤニねこが皿から最後の肉を取り出す。
「これも持って帰るにゃ」
「先輩。それは角子さんの分です」
「余ってるにゃ」
「最後の一枚ですよ!」
「食べ切れない量だったら助かるって言ってたにゃ」
「今日は食べ切れる量でしょう!」
ヤニねこは肉を口へ入れ、そのまま玄関へ走った。
「食ったからもうないにゃー!」
「先輩!」
ヤクねこが追いかける。
廊下へ二人分の足音が響いた。
一階から、大家の声が飛んでくる。
「今度は何の音だ!」
角子は静かになった皿の中を確認した。
肉は一枚も残っていない。
「食べ切ってもらえて、助かったかもー」
問題の評価項目が、また一つ増えた。