ヤクねことの関係も好きです…
夜。
ハメねこは、自室のベッドへ寝転がりながら「ねこねこ動画」を眺めていた。
話題の獣人、炎上した配信、伸び始めた新人。自分より再生数の多い動画と少ない動画。特に目的はなく、面白そうなら見て、つまらなければ閉じるだけだった。
「これ、また似たような切り抜きじゃん。この人はサムネだけ強いし、こっちはタイトルが長すぎ」
誰にも聞かれていないのに、一つずつ評価しながらおすすめ欄を流していく。
しばらく下までスクロールしたところで、妙に古臭いサムネイルが目に入った。
画面の中央には薄茶色の粉が詰まったペットボトル。その手前に置かれた紙には、手書きで『アル中パウダー 獣人Ver.』と書かれている。
背景は畳。業務用の角瓶、ステンレスジョッキ、調味料の空袋、外装の変色した電子レンジまで映り込んでいた。
動画タイトルは『アル中パウダー作ってみたにゃ』。投稿者名はnyanyanya。再生数は少ないが、コメント数だけは妙に多い。
「……サムネが弱い」
少し間を置く。
「いや、内容は強そうだけど。見せ方が弱いという意味ね。私ならもっとクリックされる感じにできるし」
誰も反論していないのに補足し、動画を開いた。
『どうも、nyanyanyaです』
最初に映ったのは、畳とボウルと調味料だった。画角が低すぎて、配信者本人は首から下しか見えていない。
「カメラ低っ。料理を映したいのは分かるけど、顔が切れてるじゃん」
画面の中で、角子が粉からしの袋を開ける。
バリバリッ!
袋の音だけが大きく割れ、その直後に小さな声が続いた。
『まず粉からしです』
「音量調整してないじゃん」
白い字幕で『粉からしを入れます』と表示された時には、角子はすでに二袋目を開けていた。
「字幕も遅い。編集した人、寝てた?」
少し考える。
「……本人編集っぽいな。まあ、私なら十分で直せるけど」
角子は粉からしを四袋、粉わさびも四袋。一味唐辛子を複数本入れ、大袋のうま味調味料まで量を測らず流し込んだ。
ハメねこは画角より、そちらが気になり始める。
「量の方を先に直した方がいいか」
《一袋じゃない》
《四個いった》
《その量は粉じゃなくて地層》
《肺から味付け》
角子が業務用の角瓶を持ち上げると、大きな瓶が顔の前へ重なり、配信者の顔が完全に消えた。
瓶だけが喋っているように見える。
『少しだけ使います』
「配信者が商品に負けることある?」
角瓶が傾く。
どぼどぼどぼ。
《顔どこ》
《角瓶が本体》
《字幕が遅刻》
《少しとは》
ハメねこはコメントを見て、少し不満そうな顔をした。
「視聴者、私と同じこと言ってる」
自分の方が先に気づいたような口調だった。
動画はそのまま進み、角子が獣人用の食用またたびパウダーを一瓶、二瓶、三瓶、四瓶と投入する。
「いや、入れすぎでしょ」
角子は真面目な顔で材料を混ぜた。粉が舞い、咳き込み、それでも混ぜ続け、完成した薄茶色の粉をペットボトルへ詰めていく。
「内容が強すぎて、配信技術の雑さがどうでもよくなってきた……」
ハメねこは画面へ身を寄せた。
角子が換気扇を回した直後、玄関の扉を叩く音が聞こえる。角子は画面の外へ消え、カメラには誰もいない畳とボウルだけが映り続けた。
「カメラ置いてくんだ」
しばらくして、画面の奥へ角子と金髪の猫獣人が入ってきた。
「ヤクねこ?」
ヤクねこは部屋へ入るなり、材料の空袋や小瓶のラベルを確認し、角子へ質問を始めた。そして安全確認という名目で、アル中パウダーの付いたセロリを一口食べる。
動きが止まった。
しばらく無言になり、もう一口。
さらに食べる。
《落ちた》
《合法中毒》
《獣人特効》
《確認長い》
ハメねこは口元を押さえた。
「何やってんの、あいつ」
ヤクねこはアル中パウダーを見つめ、小さいながらもはっきりと言った。
『これから、姐さんと呼ばせていただきます』
ハメねこは再生を止め、少し巻き戻す。
『これから、姐さんと呼ばせていただきます』
『姐さん』
笑いを堪えきれなかった。
「何やってんの、あいつ」
角子から「普通に角子でいいですよ」と言われても、ヤクねこは姐さんと呼び続けている。
「これ、本人に見せたら絶対嫌がるやつじゃん」
ハメねこは動画を保存した。
後で使う気だった。
アーカイブを見終えると、『スペシャルなハイボール作ってみた』『深夜に肉を焼く』『炊飯器で赤い何かを作る』『アル中パウダー補充』『音を立てずにハイボールを飲む』といった関連動画が並んだ。
「タイトルも弱いなあ」
そう言いながら、全部気になる。
最後の動画を開くと、角子が底へ少しだけハイボールの残ったステンレスジョッキを持ち、音を立てないようにすすっていた。
ズッ。ズッ。ズッ。
壁の向こうから声が響く。
『そっちのほうがうるさいにゃー!』
ハメねこの指が止まった。
「……ヤニねこ?」
動画を戻し、もう一度再生する。
『そっちのほうがうるさいにゃー!』
「ヤニねこじゃん」
別の動画を開くと、画面の端に見慣れた金髪と耳が映っていた。ヤニねこは鍋の横へしゃがみ、角子の料理を勝手に食べている。
『これ配信?』
『そうです』
『ふーん』
それ以上気にせず、食事を続けた。
「出演者としての意識が低すぎない?」
ハメねこは背景を確認する。畳、壁紙、窓、古い引き戸。玄関から見える共用廊下、壁の細かな傷、剥がれかけた注意書き。
どれも見覚えがあった。
さらに動画の後半、大家らしき声が入る。
『元気な家電は火花を散らさないぞ』
ハメねこは停止ボタンを押した。
「大家じゃん。これ、このアパートじゃない?」
普通なら投稿者へコメントを残すか、メッセージを送り、廊下で会った時に挨拶する。
ハメねこは、自分の配信画面を開いた。
『【突撃】近所で見つけた謎の底辺配信者と勝手にコラボしてみる』
配信開始。
ハメねこはベッドから起き上がり、髪と耳を軽く整えた。さっきまでの辛口な独り言を引っ込め、口元へ笑顔を作る。
カメラへ向けた声も、普段より一段高く、甘ったるい猫なで声へ変わった。
「はぁーい、みんなこんばんはー。ハメちゃんねるだよー」
《急に始まった》
《声変わった》
《勝手にコラボ?》
《謎配信者って誰》
「さっきね、同じアパートで配信してるっぽい人を見つけちゃったの。再生数はまだ少ないんだけど、内容だけは妙に濃くてぇ……ちょっと気になっちゃったんだよねー」
《失礼》
《本人見てない?》
《許可取った?》
「許可? もちろん、今からちゃんと取るよー」
《先に取れ》
《それ突撃》
「だってぇ、先に取ったら突撃にならないじゃん?」
声も笑顔も柔らかいが、言っていることは何も改善していなかった。
ハメねこはスマートフォンを持って部屋を出る。廊下へ出ても、カメラへ向ける猫なで声は崩さない。
「別に盗撮とかじゃないからねー? ちゃんと玄関で本人に説明するし、嫌だって言われたら顔は映さないよ。音声は入っちゃうかもしれないけど、それは廊下だから仕方ないっていうかぁ……」
《言い訳長い》
《もう配信してる》
《声入るぞ》
「これは企画の導入だから。みんな、細かいこと気にしすぎー」
《便利な言葉》
《先に説明しろ》
言葉は甘いのに、説明するほど怪しくなっていく。
角子の部屋へ近づいたところで扉が開き、小さな皿を持ったヤニねこが出てきた。皿の上には肉と野菜が少しずつ載っている。
「ちょうどいいところにいた」
その一言だけ素の声で漏らしてから、ハメねこはすぐに笑顔を作り直し、スマートフォンをヤニねこへ向けた。
「ねえねえ、ちょっといいかなー?」
ヤニねこが画面を見る。
「これ配信にゃ?」
「そうだよー。今、突撃コラボ中なの」
「ふーん」
ヤニねこは肉を一口食べた。配信より、皿の中身の方が大事らしい。
「この部屋の人、動画やってるんだよね?」
「やってるにゃ」
「どんな人なのー?」
「飯出る人にゃ」
「名前は?」
「カラカラねこ」
「本名は?」
「知らないにゃ」
「動画に何回も映ってるんだけど」
「そうなの?」
「この部屋、何回くらい入ったことあるのー?」
「いっぱいにゃ」
「それなのに、なんで何も知らないの?」
「聞いてないからにゃ」
《情報ゼロ》
《飯だけ食べてる》
《背景猫本人》
《取材失敗》
ハメねこの笑顔が、わずかに引きつった。
「じゃあ最後に聞くけどぉ、今からコラボしても大丈夫そう?」
「飯まだあると思うにゃ」
猫なで声が消えた。
「飯の話じゃない」
「じゃあ知らないにゃ」
ヤニねこは皿を持ったまま、自分の部屋へ戻っていった。
「役に立たないなあ」
「聞こえてるにゃー」
「聞こえるように言ったから」
ハメねこは角子の部屋の前へ立つと、再び配信用の笑顔と声を作った。
「それではみなさーん、謎の配信者nyanyanyaさんへ突撃してみたいと思いまーす」
《声でバレる》
《もう聞こえてる》
《普通にノックしろ》
こん、こん。
少しして鍵が開き、ステンレスジョッキを持った角子が現れた。
ハメねこは頬が痛くなりそうなほど愛想よく笑い、スマートフォンを向ける。
「こんばんはー。ハメちゃんねるでーす。今、生配信中なんですけどぉ」
「そうなんですね」
想像より反応が薄い。
驚かない。怒らない。興味も示しすぎない。
ハメねこの猫なで声が、少しだけ低くなった。
「それでぇ、nyanyanyaさんですよね?」
「そうですけど」
「動画を見つけちゃって。同じアパートの配信者同士、突撃コラボできたら楽しそうだなーって」
「今からですか?」
「今から。もう始まってるけど」
「そうですか」
笑顔を向けても、角子の反応は変わらない。
ハメねこは少しだけ調子を崩した。
「ちょうど、こちらも配信を始めるところでした」
「そっちも?」
「はい」
部屋の奥では、三脚へ固定されたスマートフォンから角子側の配信がすでに始まっていた。
《誰か来た》
《ハメねこ?》
《突撃された》
《配信者同士が鉢合わせ》
同じ場面が、違う角度から二つの配信へ流れている。
「ちょっと待って。これ、どっちのコラボ?」
「どちらでもいいと思います」
「いや、配信の主導権っていうか……」
「入りますか?」
角子は普通に扉を開けた。
「まあ、入るけど」
室内には、動画で見たままの光景が広がっていた。低いカメラ、畳、業務用角瓶、ステンレスジョッキ、調味料、アル中パウダーの容器。
そして、例の古い電子レンジ。
角子の配信画面では、鍋と畳が大半を占め、顔の上半分が切れている。
「まずカメラ低い」
「鍋を映したいので」
「顔が映ってない」
「料理配信なので」
「でも喋ってるのはあなたでしょ」
「声は入っています」
「そういう問題じゃないんだけど」
角子は真面目に聞いており、否定も反論もしない。
ハメねこは少し気分がよくなり、カメラを意識して猫なで声へ戻した。
「配信ってぇ、最初の見た目がすっごく大事なの。顔、料理、タイトル、音量。全部ちゃんと見せないと、せっかく面白くても見てもらえないんだよー」
角子は素直に頷いている。
「私くらいになるとね、カメラを見ただけで、一番かわいく映る角度が分かるっていうかぁ――」
角子が業務用角瓶を持ち上げ、大きな瓶がハメねこのスマートフォンへ近づいた。
「危なっ! 機材の近くに酒置かないで!」
猫なで声が一瞬で消えた。
「このくらいですか?」
「もっと。こぼれたら終わるから」
「配信がですか?」
「スマホが!」
《本気の声》
《機材には厳しい》
《酒からスマホを守れ》
《急に素に戻った》
角子が酒瓶を部屋の端へ移した、その時。
ブォォン……。ジジジジ……。
部屋の奥から、低い音が響いた。
電子レンジの下には新しい耐熱シートが敷かれ、扉には『使用中は離れない』と書かれている。
角子なりに注意を守っているらしい。
ただし、電子レンジ自体は交換されていなかった。
バチッ。
小さな火花が扉の奥で光る。
「今、火花出なかった?」
「たまに出ます」
「駄目じゃん」
「ヤクねこさんにも言われました」
「じゃあ捨てなよ」
「まだ動くので」
電子レンジの中から、大きな音がした。
パンッ!
ハメねこは反射的に角子の背後へ下がり、すぐに元の位置へ戻った。カメラを意識して笑顔を作り直し、声も少し高くする。
「い、今のは別に驚いてないからねー? 機材を守ろうとしただけだし」
《下がった》
《角子を盾にした》
《ビビってる》
《突撃側が負けてる》
「負けてないから」
素の声でコメントへ反応してしまった。
「電子レンジも映した方がいいですか?」
「映さなくていい。止めて」
「動画としては面白いかもー」
「安全を再生数で考えないで」
《おまいう》
《今日一番の正論》
《突撃した人が言う?》
ハメねこはコメントを見ないふりをする。
「私の話は今関係ないから」
「そうなんですね」
「そういう素直な返し求めてないんだけど」
角子が電子レンジを止める。
ハメねこは咳払いし、再び笑顔と猫なで声を作ってカメラへ向き直った。
「それで今日はぁ、私のチャンネルとの初コラボとして、配信環境を改善しながら料理を――」
「今日はアル中パウダーを使った刺身を食べるだけですが」
猫なで声が止まる。
「企画、聞いてた?」
「突撃コラボですよね?」
「そうだけど、こっちにも流れがあるというか」
「刺身、食べますか?」
角子は薄茶色のアル中パウダーがかかった刺身を差し出した。
《食え》
《コラボ相手の料理》
《逃げるな》
《突撃したんだから食べろ》
ハメねこは小皿、カメラ、角子の順に見る。
配信中であることを思い出し、もう一度笑顔を作った。
「まあ、せっかくコラボ相手さんが出してくれた物だしぃ、配信者として食べないわけにはいかないよねー」
誰もそこまで求めていなかった。
刺身を一切れ、口へ入れる。
「…………」
からし、わさび、唐辛子。濃すぎるうま味のあとに、またたび。
大量の刺激が一度に押し寄せ、笑顔が固まった。耳がぴんと立ち、尻尾も大きく膨らんでいる。
「どうですか?」
ハメねこは、震えそうになる口元を無理やり持ち上げた。
「んー……悪くないんじゃないかなー?」
甘い声を保とうとしていたが、語尾だけが少し震えていた。
《効いてる》
《耳固まった》
《尻尾すごい》
《無理するな》
「べ、別に効いてないからねー。味をちゃんと説明するには、一口じゃ足りないだけだし」
そう言いながら、もう一切れ取る。
「追加しますか?」
「それはいい」
返事だけは素だった。
そこへ、空になったアル中パウダーの保存容器を持つヤクねこが現れた。
「角子さん。補充をお願いしたいんですが――」
ヤクねこは、角子、刺身、配信中の二台のスマートフォン、耳を震わせているハメねこを見回した。
「何してるの?」
ハメねこはすぐにカメラ用の笑顔へ戻る。
「突撃コラボだよー」
「許可は取ったの?」
「今、成立したところ」
「先に配信始めたでしょう」
「でも本人は気にしてないし」
角子が頷く。
「刺身も食べてくれました」
「気に入ったの?」
「別に。配信上の確認」
「それ、最初はみんなそう言うんですよ」
「みんなって誰?」
「私です」
少し沈黙が落ちた。
ハメねこは刺身の皿とアル中パウダーを見比べ、カメラに拾われないつもりで声を小さくした。
「……持ち帰り用ってある?」
「ありますよ」
ヤクねこが笑った。
「ようこそ、こちら側へ」
「そういう集まりじゃないから!」
《加入》
《舎弟二号》
《合法組織拡大》
《突撃したら取り込まれた》
《姐さん一派》
「違うって言ってるでしょ!」
ハメねこは自分の配信を終了しようとした。二台のスマートフォンが近くに並んでいたため、焦ったまま確認せず画面を押す。
配信終了。
止まったのは、角子側の配信だった。
《こっちは続いてる》
《逆》
《配信終了失敗》
《全部映ってる》
ハメねこは流れ続ける自分のコメント欄を見た。
「切る方、逆!」
猫なで声は完全に消えていた。
「こちらは終わりましたね」
「私のを終わらせたかったの!」
「続けますか?」
「続けない!」
ハメねこは今度こそ自分のスマートフォンへ手を伸ばし、無理やり笑顔と猫なで声を戻した。
「それじゃあ、みんなー。今日はここまでだからねー。また次の配信で会おうねー」
《急に戻った》
《声作るな》
《容器もらって帰る配信者》
《おつ》
「余計なこと書かなくていいから。おつかれさまー」
配信終了。
画面が暗くなった瞬間、ハメねこの笑顔も消えた。
角子は小さな保存容器を差し出す。
「持ち帰り用です」
「……一応もらうけど、コラボ料だから」
「そうなんですね」
「そういうことにして」
ヤクねこも補充してもらった容器を受け取る。
ハメねこは二人を見比べた。
自分が教える側のはずだった。配信環境を改善し、企画を仕切り、相手を少し困らせるつもりだった。
実際には相手の配信へ入り込み、危険な電子レンジに驚き、怪しい刺身を二切れ食べ、アル中パウダーまで持ち帰ることになった。
「……今日のはコラボじゃないから」
「突撃コラボでは?」
「あれは事故」
「自分でタイトルへ書いていましたよね?」
「ヤクねこは黙ってて」
ハメねこは不満そうに部屋を出ようとして、途中で振り返った。
「次やる時は、ちゃんと私へ連絡して」
「また来るんですか?」
「配信環境がひどすぎるから。放っておけないだけ」
「分かりました」
「あと電子レンジは捨てて」
「まだ動きます」
「動いてるんじゃなくて、耐えてるの!」
電子レンジの奥から、小さな音がした。
パキッ。
三人が同時に見る。
ハメねこは少し下がった。
「……今のは別に驚いてないから」
誰も何も言っていなかった。