とても嬉しい限りです!(・∀・)
お盆期間もあり、少しずつ返信させて頂きますm(_ _)m
ある休日の朝。
氷川角子は、休日でも普段とあまり変わらない時間に目を覚ました。
昨夜使ったステンレスジョッキ、撮影用の三脚、空になった炭酸水のペットボトル。畳の隅には、いつ食べたのか分からない魚肉ソーセージの包装まで落ちている。
角子は一通り見回し、見なかったことにした。
休日の朝から部屋の現実と向き合う必要はない。天気も悪くないし、今日は近所を少し散歩するつもりだった。
片づけは帰ってからでもできる。
たぶん。
「カラカラねこ、いるかにゃー?」
玄関の向こうから、やけに元気な声が聞こえた。
「いますよー」
角子は部屋着の上から適当な上着を羽織る。
休日の朝からヤニねこが人の部屋を訪ねてくる。腹が減った。タバコがなくなった。何か拾った。
理由として考えられるのは、そのくらいだった。
最後だけは嫌だった。
鍵を開けると、相変わらずぼろぼろのTシャツを着たヤニねこが立っていた。髪は寝癖だらけで、片方の靴下だけ足首までずり落ちている。
なのに妙に機嫌がよく、右手を背中へ隠していた。
「何か見つけたんですか?」
「分かるかにゃ?」
「顔に出ています」
「これを見るにゃ!」
ヤニねこが満面の笑みで右手を差し出した。
木の枝だった。
角子は少しだけ安心しかけた。
その先端へ、綺麗な渦を巻いた漫画みたいなうんちが刺さっていた。
下から上へ三段ほど巻き上がり、先端だけ細く尖っている。左右のバランスまで妙に整い、自然に出てきた物とは思えない。
それだけでも十分おかしい。
問題は色だった。
ピンク。
薄い桜色ではない。菓子や玩具に使われそうな、妙に鮮やかなピンク色だった。
「ピンクにゃ」
「見れば分かります」
「珍しいにゃ」
「それも分かります」
角子は少し身体を引いた。
どういう食生活を送れば、こんな色になるのだろう。そもそも、本当に身体から出てきた物なのだろうか。
「臭いはしますか?」
「嗅いでみるかにゃ?」
「遠慮します」
「そんな臭くないにゃ」
「もう嗅いだんですか?」
「ちょっとだけにゃ」
ヤニねこが枝を鼻先へ近づけ、角子は半歩下がった。
「近づけなくて大丈夫です」
「大丈夫にゃ。噛まないにゃ」
「そういう心配はしていません」
朝日に照らされたピンク色のうんちは、妙につやつやしていた。
見ているうちに表面の凹凸が顔のように見えてくる。
丸い目。大きく開いた口。
元気よく、うんち! とでも言っていそうだった。
「アラレちゃんのうんちみたいですね……」
「アラレちゃん?」
角子は少し遠い目をした。
「そうですか……知らないですか……」
「有名なうんちなのかにゃ?」
「うんちの方が有名なわけではないと思います」
角子は枝の先を観察する。
「粘土とか、お菓子とかではないんですか?」
「道に落ちてたにゃ」
「落ちている物の種類を聞いています」
「でも形はうんちにゃ」
そこだけは強かった。
「どこで見つけたんです?」
「シケモク探してたら、道端にあったにゃ」
「朝から何を探してるんですか」
「まだ吸えそうなの落ちてるかもしれないにゃ」
あったとしても吸わない方がいい。
「その枝は?」
「うんちの横に落ちてたにゃ」
「枝も汚い可能性がありますね」
「持ってる方は反対側にゃ」
「そういう問題ではないです」
ヤニねこは枝を胸の前へ掲げた。
「これ、売れると思うかにゃ?」
「何としてです?」
「珍しいうんちにゃ」
「誰が買うんですか」
「ハメねこなら配信で使うかもしれないにゃ」
角子は少し考えた。
可能性はゼロではない。
というより、休日の朝からこんな物を一人だけ見せられているのが少し不公平だった。
「聞いてみますか?」
「売れたら半分やるにゃ」
「私はいりません」
「金の半分にゃ」
「それなら少し考えます」
二人が廊下へ出たところで、ちょうどハメねこが歩いてきた。片手にはスマートフォン、もう片方には自撮り棒。
「朝から何騒いでるの?」
ヤニねこの手元を見て、足が止まる。
「……何それ」
「ピンクのうんちにゃ」
「見れば、うんちっぽいのは分かるけど」
「買うかにゃ?」
「なんで?」
「配信で使えるにゃ」
ハメねこは枝の先を見つめた。
色も形も、画面へ出せば間違いなくコメントは流れる。
「本物?」
「たぶんにゃ」
「たぶんを配信に出さないでよ」
そう言いながら、スマートフォンを構える。
「映すんですか?」
「記録。まだ配信じゃないから」
画面には『LIVE』と表示されていた。
《朝から始まった》
《今日は何》
《なんか持ってる》
《ピンク?》
ハメねこは気づかないまま、普段より一段高い猫なで声を作った。
「はぁーい。今、コーポ大谷の廊下でぇ、ヤニねこが謎の物体を拾ってきましたー」
「ピンクのうんちにゃ!」
猫なで声が消えた。
「まだ断定しないで」
《うんち》
《朝からうんち》
《形が完璧》
《偽物だろ》
ヤニねこはコメントを見て、さらに機嫌がよくなる。
「百円からにゃ」
「競売を始めないで」
「タバコでもいいにゃ」
「現物交換もしない」
「メビウスなら一本でいいにゃ」
「銘柄指定するな」
騒いでいると、隣の扉が開いた。
「朝から何してるんですか?」
ヤクねこだった。
ハメねこがスマートフォンを向けると、手のひらでレンズを遮られる。
「配信しています?」
「今、謎の物体を検証中」
「許可を取ってから映してください」
「これは廊下だから――」
「その説明、前にも聞きました」
ハメねこが黙る。
ヤクねこは枝を見た。
「……何ですか、それ」
「ピンクのうんちにゃ」
「なんで拾ってきたんですか?」
「珍しいにゃ」
「珍しくても拾わないでください」
少し離れた位置から観察する。
「本当に排泄物なんですか?」
「形はうんちにゃ」
「お菓子や玩具かもしれないでしょう」
「私もそう思ったんですが」
ハメねこが尋ねる。
「確認する方法ない?」
「捨てて手を洗うことです」
「確認になってないんだけど」
「確認する必要がありません」
ヤニねこが枝を小さく振る。
ぶらん。
ピンク色のうんちも一緒に揺れた。
「振らないでください!」
「頑丈にゃ」
「そこに感心しないでください!」
《割ってみよう》
《中身確認》
《大家に見せろ》
ハメねこが最後のコメントを読む。
「大家に見せたら?」
角子も少し考える。
「アパートの管理をしていますし、何か知っているかもしれません」
「アパートの管理とうんちは関係ありませんよね?」
ヤクねこのツッコミは正しかったが、ヤニねこの耳はもう立っていた。
「大家にも見せるにゃ!」
「見せるだけですよ。近づけないでくださいね」
「驚くかにゃ」
「目的が変わってません?」
ハメねこもスマートフォンを構え直す。
「まあ、反応は撮りたい」
「ハメねこも同類じゃないですか」
「私は記録する側だから」
「配信を切ってから言ってください」
ハメねこが画面を見る。
《ずっと配信中》
《気づいてなかったの?》
《朝から全部流れてる》
すぐに猫なで声へ戻した。
「えーっと……これは企画の導入でーす」
「最初から配信だったんですね」
「結果的に」
ヤクねこは深く息を吐いた。
ここで戻れば、ヤニねこが一人で大家のところへ行き、恐らく顔の前まで持っていく。
「私も行きます」
「ヤクねこも見たいのかにゃ?」
「先輩が人へ近づけないようにです」
「ニャーを危険物みたいに言うなにゃ」
「今は危険物を持っています」
角子も散歩用の鞄を取り、四人はそのまま一階へ向かった。
大家は共用廊下で、切れかけた電球を交換していた。
脚立の上から振り返る。
先頭はヤニねこ。
手には枝。
枝の先には、鮮やかなピンク色の何か。
後ろには角子、ヤクねこ、自撮り棒を持ったハメねこ。
「朝から何の集団だ?」
「大家ー! これを見るにゃ!」
「近づけるな!」
大家は反射的に半歩下がった。
「何だ、それ!」
「うんちにゃ!」
「それは見れば分かる! なんだ、その無駄に完璧な形と色は!」
「ピンクにゃ」
「それも見れば分かる!」
ハメねこが一歩出て、猫なで声で尋ねる。
「大家ー、これ何だと思うー?」
「知らないよ。あと配信切れ」
声が戻った。
「大家は映してないから」
「声が入ってるだろ」
《大家きた》
《鑑定お願いします》
《ピンクうんち専門家》
「誰が専門家だ!」
大家の声だけでコメントへ返事が入る。
角子も前へ出た。
「大家さんなら何か知っているかと思いまして」
「なんで俺がピンクのうんちに詳しいと思ったんだ?」
「アパートを管理していますから」
「関係ないだろ」
ヤクねこが申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません。止めようとはしたんですが」
「なんで、あんたが謝ってるんだ?」
「……確かに」
「ヤクねこは悪くないにゃ」
「先輩が言うと腹が立ちますね」
ヤニねこは枝を持ち上げる。
「これ売れるかにゃ?」
「売るな」
「百円」
「いらない」
「五十円」
「値下げするな」
「タバコ一本でもいいにゃ」
「交換もしない!」
「ケチにゃ」
「うんちを買わないだけでケチ扱いするな!」
大家は脚立から完全に下りた。
「とにかく、それは捨てろ」
「珍しいのにゃ」
「珍しくても、うんちはうんちだろ」
「まだ本物か分からないにゃ」
「分からない物を持ち歩くな」
ヤニねこはよく見せようと枝を傾けた。
「ほらにゃ。形もきれい――」
「先輩、振らないで!」
少し遅かった。
枝の先で、ピンク色のうんちが揺れる。
一度。
二度。
三度目。
すぽっ。
「あっ」
抜けた。
鮮やかなピンク色の物体が、朝の廊下をゆっくり飛んだ。
「うわっ」
大家が避けようとする。
横には脚立。
ぺたっ。
ピンク色のうんちは、白いTシャツの胸元へ綺麗に張りついた。
渦巻きの形を保ったまま、中央より少し左。
まるで最初から、そういう柄だったような位置だった。
「…………」
全員が止まる。
ハメねこのスマートフォンだけが撮影を続けていた。
ヤクねこが片手で顔を覆う。
「最悪……」
角子は白いTシャツと、鮮やかなピンクの渦巻きを見比べた。
「ど根性ガエルみたいですね……」
大家がゆっくり角子を見る。
「何がだ?」
「いえ……」
ヤニねこの肩が震える。
「ぷっ……ぶははははは! 大家、うんちの服になったにゃ!」
廊下へしゃがみ込み、腹を抱えて笑い始める。
「ピンクうんちシャツにゃ! 似合ってるにゃー!」
大家の顔が引きつった。
「ヤニねこ……」
「うんち着てるにゃ!」
「ヤニねこおおおお!」
「逃げるにゃ!」
ヤニねこは走り出した。
その足が、床へ落ちた枝を踏む。
「にゃっ」
ずるっ。
背中から廊下へ転がった。
「痛いにゃ!」
「止まれ!」
「逃げてないにゃ! 転んだだけにゃ!」
大家が足首をつかむ。
「捕まったにゃー!」
ヤニねこは両手を床へつき、爪を立てるが、引っかかる場所はない。ずるずると大家の方へ引き戻されていく。
「違うにゃ! うんちが勝手に飛んだにゃ!」
「お前が振り回したんだろ!」
「大家の服が呼んだのかもしれないにゃ!」
「どんな服だ!」
「白いから目立ちたかったんだにゃ!」
「うんちに意思を持たせるな!」
「ニャーはなにも悪いことしてないのに……!」
「全部お前が悪い!」
その横で、ヤクねこが大家の胸元へ手を伸ばしかけ、途中で止める。
「……これ、どうやって取ればいいんでしょう」
「素手はやめとけ」
「ですよね」
ハメねこはスマートフォンを構えたまま、少し角度を変えた。
「大家ー、ちょっとだけこっち向いてー?」
「なんで?」
「今の位置だと光が――」
「撮るな!」
猫なで声ごと怒鳴られた。
「サムネ用に一枚だけ」
「撮るな!」
ハメねこはスマートフォンを下げた。
ただし、配信はまだ続いている。
《うんちシャツ》
《奇跡の位置》
《ど根性うんち》
《大家かわいそう》
《神回》
《ヤニねこが全部悪い》
角子もポケットからスマートフォンを取り出す。
「記念に――」
「氷川さんも撮るな!」
「分かりました」
素直にしまった。
ヤニねこは床へ引きずられたまま笑っている。
「一枚くらいいいと思うにゃ」
「お前は黙れ!」
休日の朝。
コーポ大谷へ、大家の怒鳴り声が響き渡った。
しばらく後。
ピンク色の物体は、ヤクねこがビニール袋と割り箸で回収した。
「先輩。絶対触らないでくださいね」
「もう触ってないにゃ」
「朝からずっと持っていたでしょう」
「枝にゃ」
「枝越しでも駄目です」
結局、それが本当にうんちなのかは分からなかった。
大家のTシャツには薄いピンク色の跡が残り、ヤニねこには共用廊下の掃除が命じられた。
十五分後。
本人の姿だけが消えていた。
モップが一本、廊下へ残されていた。
昼前。
角子の部屋には、ヤニねこ、ヤクねこ、ハメねこが集まっていた。宴会ではない。全員、念入りに手を洗った後である。
ハメねこがスマートフォンの画面を三人へ見せた。
「ここ」
大家の胸元へ、ピンク色のうんちが張りついた瞬間で止まっている。
形も位置も完璧。
大家だけが真顔だった。
「これ、サムネにしたら伸びそうじゃない?」
「大家さんに確認した方がいいですよ」
「確認したら絶対駄目って言うじゃん」
「なら使わないでください」
「顔は映ってないし」
「声と服で分かりますよ」
ヤニねこは画面を覗き込み、満足そうに尻尾を揺らした。
「ニャーにも金入るかにゃ?」
「入らない」
「うんち拾ったのニャーにゃ」
「動画を撮ったのは私」
「ニャーが拾わなかったら動画なかったにゃ」
「だからって出演料は払わない」
「タバコ一本でいいにゃ」
「またそれ?」
ヤクねこが二人を見る。
「そもそも、なんで角子さんの部屋で収益の相談をしてるんですか?」
角子はステンレスジョッキへ氷を入れていた。
カラカラ。
「静かなのでいいと思います」
「静かですか?」
隣では、ヤニねことハメねこが報酬を巡って揉めている。
「再生数一万いったら一本にゃ」
「そんな約束しない」
「五千」
「値下げ方式やめて」
「千」
「もう再生数の意味ないじゃん」
角子はハイボールを一口飲んだ。
「結局、あれは何だったんでしょうね」
三人が少し静かになる。
テーブルの端には、二重にしたビニール袋。
中には例のピンク色の物体が入っている。
本当にうんちだったのか。菓子だったのか。玩具だったのか。粘土だったのか。
誰にも分からない。
「調べる方法ある?」
「ありません。というか、調べなくていいです」
ヤクねこが即答する。
「分析とかできないの?」
「何のために?」
「動画」
「捨ててください」
ヤニねこは少し考えた。
「明日、同じ場所探してみるにゃ」
「拾ってこないでください」
「もう一個あるかもしれないにゃ」
「いりません」
ハメねこが余計なことを言う。
「二個あったら並べて撮れるじゃん」
ヤニねこの耳が立った。
「探すにゃ!」
「増やさないでください!」
「色違いもあるかもしれないにゃ!」
「収集しようとしないでください!」
「青いうんちとか売れそうにゃ」
「売れません!」
角子も少し考える。
「今度は、持ち帰る前に配信するといいかもー」
「角子さんまで何を言ってるんですか!」
角子はジョッキを持ったまま、いつもの落ち着いた顔をしていた。
「衛生的には、その方がいいと思いまして」
「拾わないのが一番衛生的です!」
ハメねこが笑う。
ヤニねこは早くも、明日どこを探すか考え始めている。
角子はハイボールを飲んだ。
カラカラ。
散歩へ出るつもりだった休日の朝は、結局そのまま終わった。
引っ越してきたばかりの頃、角子の部屋を訪ねる住人はヤニねこくらいだった。
今では、何か変なことが起きると、いつの間にか何人か集まっている。
誰かが約束したわけでもない。
仲良しの集まりを作ったわけでもない。
飯がある。粉がある。配信がある。変な物が落ちている。
理由は、その程度だった。
角子は空になりかけたジョッキを見る。
「もう一杯作りますか」
「ニャーもなんか食うにゃ」
「アル中パウダーの補充もお願いします」
「待って。今の話、配信した方が――」
「しませんよ」
四人の声が、狭い部屋へ重なる。
誰も、ピンクのうんちの正体は分からなかった。
そして、その正体を本気で知ろうとしている者も、もういなかった。
第1章は、そんな感じで終わった。
これにていったん一区切りとさせて頂きます。
2章からは、アニメでも出ていた登場人物なども追加しつつ…カラカラねことの交流を描いていく予定です!
今後ともよろしくお願いします。