休日の夕方。
妹ねこは、姉の部屋の前に立っていた。片手には、実家から持ってきた食べ物の入った小さな紙袋。
どうせ放っておけば、姉はタバコを飯だと言い張って一日を終える。たまにはまともな物でも食べさせておいた方がいいし、ついでに生存確認もしておきたかった。
前に来た時は、灰皿とゴミ箱の境界がかなり怪しくなっていた。今日は床が見えれば、それだけでも上出来だろう。
「お姉ちゃん」
扉を叩いてみるが、返事はない。
「いないの?」
もう一度叩いても静かなままだった。今日は休みのはずなので、買い物か、タバコか、パチンコか。その辺だろうか。
少なくとも、健康的な用事で出かけているとは思っていない。姉への信頼は、そういうところだけ妙に厚かった。
「またどこか行ってるのかな……」
諦めて帰ろうとした、その時だった。
隣の部屋から、聞き慣れた声がした。
「もっと入れてにゃ」
妹ねこの足が止まる。
姉だった。
嫌な意味で聞き間違えようがない。
「もう結構入ってますよ」
「まだ足りないにゃ」
「入れすぎると、あとで大変ですよ」
「いっぱいの方が気持ちいいにゃ」
「じゃあ、少しだけですよ」
さらさら、と何かを振る音がする。
姉の声に、知らない女の声。何かを入れているらしく、しかも姉は妙に喜んでいる。
どう考えても、聞き流して帰るには嫌な情報が揃いすぎていた。
「効いてきたにゃ……」
「耳、かなり動いてますね」
「もっと欲しいにゃ」
「今日はこれくらいにしましょう」
「ケチにゃ……」
帰っていいだろうか。
一瞬そう思った。
いや、駄目だ。姉である。
知らない女の部屋で、何かをいっぱい入れてもらっている姉を放置して帰るのも、それはそれで身内としてどうなのか。
「……お姉ちゃん、何してるの?」
こん、こん。
少し強めに扉を叩くと、すぐに返事があった。
「はい」
扉が開く。
出てきたのは、自分より少し年上に見える猫の獣人だった。部屋着で、顔つきも受け答えも落ち着いている。
少なくとも、見た目だけならまともそうだった。
その手に、
『アル中パウダー 獣人Ver.』
と書かれた小さな保存容器を持っていなければ。
「どちらさまですか?」
「あの……佐藤ヤニ子の妹です」
「ああ。ヤニねこの妹さんですか」
もう姉の通称を知っている。それだけで、かなり付き合いがあるらしい。
「お姉ちゃん、ここにいます?」
「いますよ」
女性が身体をずらし、妹ねこは恐る恐る室内を覗いた。
「妹子にゃ!」
いた。
姉は畳の上へ座り、粉まみれの冷奴を食べていた。
思っていた状況とは違った。
安心していい状況なのかは、まだ分からなかった。
「何してるの?」
「飯食ってるにゃ」
「それは見れば分かる」
妹ねこは靴を脱ぎ、部屋へ入った。
まず目に入ったのは、やけに大きな角瓶だった。一人暮らしの部屋へ置くサイズには見えず、居酒屋が夜逃げする時に置き忘れたと言われた方がまだ納得できる。
その周囲にはステンレスジョッキや大量の調味料、三脚、スマートフォン用の照明まで並び、畳の端には炊飯器がそのまま置かれていた。
姉の部屋とは違う方向で、あまり安心できない。
少し離れた場所には、妙に年季の入った電子レンジがある。
その扉には、
『使用中は離れない』
と手書きの紙まで貼られていた。
妹ねこはそこだけ二度見した。
「……何、この部屋」
「普通の部屋にゃ」
「お姉ちゃんには聞いてない」
「ひどいにゃ」
部屋の主がアル中パウダーを置き、代わりにステンレスジョッキを持ち上げる。
「氷川角子です。この間、隣へ越してきました」
「あ……どうも。妹です」
「妹子さんですね」
「なんで名前まで知ってるんですか?」
角子はヤニねこを見る。
「よく話を聞くので」
「ニャーのかわいい妹にゃ」
「余計なこと言ってないでしょうね?」
「いっぱい言ってるにゃ」
「何を?」
「かわいいって」
「それ以外」
ヤニねこが黙った。
そのまま冷奴を口へ運ぶ。
「誤魔化さないで」
都合が悪くなると口へ物を入れる。子どもの頃から、大して変わっていない。
妹ねこはため息をつき、今度は角子の持っていた容器を見る。
「その粉、何なんですか?」
「調味料です」
「アル中パウダーって書いてありますけど」
「私が付けた名前です」
「中身は?」
「からしと、わさびと、一味唐辛子とうま味調味料と、獣人用の食用またたびパウダーです」
妹ねこは一瞬、返事に困った。
聞くんじゃなかった。
名前の怪しさを、中身がちゃんと追い越してきた。
「さっき『効いてきた』って言ってたの、これ?」
「これにゃ」
「『もっと入れて』も?」
「もっとかけてほしかったにゃ」
「『気持ちいい』は?」
「またたび効くと気持ちいいにゃ」
全部説明された。
全部説明されても、あまり安心できなかった。
少なくとも、最初に想像したようなことではない。そこだけはよかった。
妹ねこは改めて姉の前を見る。粉まみれの冷奴に、小さな皿がいくつか。その横にはグラスまで置いてある。
「これ、お酒?」
「ハイボールにゃ」
「お姉ちゃんに飲ませてるんですか?」
視線が角子へ向く。
最初の疑惑は消えたが、警戒対象から外すにはまだ早い。
「自分から飲みに来ました」
「一杯だけにゃ」
妹ねこは机を見る。
空になったグラスが二つ。
「一杯?」
「今飲んでるのは一杯にゃ」
「その前は?」
「過去の酒にゃ」
「飲んだんでしょ」
「もうないにゃ」
「なくなった理由を聞いてるの」
ヤニねこは黙った。
また黙った。
だいたい答えは出ていた。
妹ねこは改めて角子を見る。酒を出す。料理を出す。怪しい名前の調味料まで作る。しかも姉は、かなり頻繁にここへ来ているらしい。
放っておけば一日中タバコを吸い、金がなくなれば他人へせびる姉である。そこへ無料で酒と飯を出す隣人が現れたらどうなるか。
姉は来る。
たぶん、何度でも。
「すみません。お姉ちゃん、最近よくここに来てます?」
「結構来ますね」
「飯あるからにゃ」
「お姉ちゃんは黙ってて」
「ニャーの話なのにゃ」
「だから黙ってて」
ヤニねこは不満そうに豚肉を一枚食べた。
「姉、こういうの覚えると毎日来ますよ」
「もう来てますよ」
「……毎日?」
「毎日ではないです」
少し安心する。
「匂いがすると来ます」
「もっと嫌ですね」
「鼻がいいにゃ」
「褒めてない」
妹ねこは姉の皿を見る。肉、野菜、卵。さっきの粉まみれの冷奴を除けば、普通にちゃんとした料理だった。
姉の部屋では、なかなか見ない組み合わせである。実家から食べ物を持ってこられる程度には信用されていない姉が、他人の部屋ではまともな夕食を食べている。
少し納得がいかなかった。
「毎回、これただで食べてるんですか?」
「今日は――」
「妹子」
「何?」
「三百円ある?」
「あるけど」
「貸してにゃ」
「嫌」
「まだ何に使うか言ってないにゃ」
「お姉ちゃんが言う時点で嫌」
「昨日の飯代にゃ」
妹ねこの動きが止まった。
「昨日の?」
角子もヤニねこを見る。
「昨日の分、まだですよ」
「今払おうとしてるにゃ」
「妹のお金で?」
「家族にゃ」
「払わないよ」
「冷たいにゃ!」
「自分で払って」
「金ないにゃ」
「じゃあ食べないで」
「もう食ったにゃ」
「じゃあ払って」
「金ないにゃ」
話が一周した。
ただし、妹ねこにとっては重要な情報でもあった。
金を取っている。
姉へ無条件で飯を与える人ではないらしい。
「……ちゃんとお金取ってるんですか?」
「毎回ではないですけど。作りすぎた時は食べてもらっています。ただ、毎回無料では出してません」
「そうなんですか」
「材料費をもらうか、何か手伝ってもらいます」
「何を?」
「食器洗いとか、撮影の補助とか、食材を運ぶとか」
妹ねこは姉を見る。
「できるの?」
「できるにゃ」
「前は食器を水につけただけでした」
「できてないじゃん」
「洗ったにゃ」
「一枚だけですね」
「一枚はできてるにゃ」
「胸張らないで」
評価が少し上がった。
角子の評価が。
姉の評価は元から低いので、特に変わらなかった。
「タバコも?」
「タバコ?」
「お姉ちゃん、絶対せびってますよね」
「くれなかったにゃ」
「渡していません」
「よかった……」
妹ねこは本気で安心した。
これはかなり大きい。姉にタバコを無料で与える人は、姉にとっては善人でも、妹ねこにとっては警戒対象だった。
「持っててもくれないにゃ」
「そこは偉い」
「妹子まで敵にゃ」
「姉の健康を考えてるだけ」
「タバコ吸えない方が健康に悪いにゃ」
「そんなわけないでしょ」
角子は机の端に置かれた小さなノートを取った。
「あと、勝手に食べた分は一応書いてあります」
「書いてるんですか?」
「忘れるので」
ページを開く。
『豚肉 二枚』
『唐揚げ 三個』
『冷奴 たぶん四分の一』
『刺身 二切れ』
『味見と言って食べたキャベツ 一枚』
妹ねこは一通り目を通した。
思っていたより細かい。
そして、思っていたより姉が食べている。
「お姉ちゃん」
「細かいにゃ」
「角子さんが?」
「世の中がにゃ」
「お姉ちゃんが勝手に食べてるだけでしょ」
「余ってたにゃ」
「勝手に決めない」
妹ねこはノートを閉じた。
ここまで聞けば、最初に抱いた不安はだいぶ消えていた。
姉を酒と飯と怪しい粉で囲っている危険な隣人ではない。勝手に入り込み、勝手に食べ、勝手に飲み、勝手に粉を追加してもらっているのは姉の方だった。
嫌になるほど、いつもの姉だった。
「……すみません。てっきり、お姉ちゃんを甘やかしてる人なのかと思って」
「気にしてませんよ」
「ニャーはもっと甘やかしてほしいにゃ」
「お姉ちゃんには聞いてない」
角子がステンレスジョッキを持ち上げる。
カラカラ。
妹ねこも、ようやく少し安心した。
そして改めて部屋を見た。
安心していいのは、姉への対応だけだった。
大量の調味料に、飲みかけの酒、空になった炭酸水。三脚やケーブルが畳の上を占領し、その端には炊飯器まで直置きされている。『アル中パウダー』という名前を普通に採用している時点で、部屋の主もだいぶ怪しい。
姉の部屋とは、また違う方向で生活感がおかしい。
そして何より気になるのが、さっきから存在感を放っている古い電子レンジだった。
「これ、どうして『使用中は離れない』って書いてあるんですか?」
「前に火花が出たので」
「え?」
「今は離れないようにしています」
妹ねこは電子レンジを見た。見るからに古い上、実際に火花まで出る。しかも大家から買い替えるよう言われているらしい。
それでも、まだ使っている。
「買い替えないんですか?」
「まだ動きます」
姉なら言いそうだった。
嫌なところで人物像がつながった。
「お姉ちゃんを甘やかしてる人ではなさそうですけど」
「はい」
「この部屋も大丈夫なんですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
警戒が、別方向へ戻ってきた。
「大家さんにも、電子レンジは替えた方がいいと言われています」
「じゃあ替えてください」
「まだ温められるので」
「火花が出るんですよね?」
「たまにです」
「たまにでも駄目です」
「妹子、細かいにゃ」
「お姉ちゃんは黙ってて!」
角子は素直に頷いた。
「次の給料が入ったら考えます」
「絶対ですよ」
「たぶん」
「そこは『はい』でお願いします」
妹ねこは額を押さえた。
姉よりはまともそうだった。
比較対象が姉なので、何の安心材料にもならない。
その時、玄関が軽く叩かれた。
「角子さん」
ヤクねこだった。
「どうぞ」
扉が開き、ヤクねこが顔を出す。
「お邪魔します。昨日の――」
そこで妹ねこに気づいた。
「あ」
「こんにちは」
妹ねこが軽く頭を下げると、ヤクねこも頭を下げた。
「先輩の妹さんですよね」
「やっぱり知ってるんですか?」
「先輩から話は聞いてます」
妹ねこが姉を見る。
このアパートで何人に自分の話をしているのだろう。
「何を話してるの?」
「かわいい妹がいるって話にゃ」
「それ以外」
ヤニねこが黙る。
「なんで毎回黙るの?」
やはり何かあるらしい。
ヤクねこが少し笑った。
「大丈夫ですよ。変なことはそんなに聞いてませんから」
「そんなに?」
「ゼロではないんですね」
妹ねこの視線が姉へ戻る。
ヤニねこは料理を口へ入れて逃げた。
いつものやり方だった。
角子は冷蔵庫を開ける。
「妹子さんも何か食べますか?」
「え、いいんですか?」
「今日は多めにありますので」
妹ねこは一瞬、姉を見る。
ヤニねこが自分の皿を守るように身体を寄せた。
「ニャーのはやらないにゃ」
「いらないよ」
「では、別に盛りますね」
角子が小皿を用意する。豚肉とキャベツの炒め物。卵も入っていて、味付けは少し濃そうだが、見た目は普通だった。
ここまで部屋を見た後だと、その普通がかなりありがたい。
妹ねこは少し警戒しながら箸を伸ばし、一口食べた。
「…………」
普通においしい。
肉は柔らかく、野菜にも味がついている。ご飯が欲しくなる味だった。
少し悔しい。
姉がここへ通う理由の一つだけは、理解できてしまった。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
角子の耳が少し立つ。
ヤニねこも、なぜか自分まで褒められたような顔で頷いた。
「カラカラねこの飯、だいたいうまいにゃ」
「お姉ちゃんが作ったみたいな顔しないで」
「ニャーが食って育ててるにゃ」
「何を?」
「料理の腕にゃ」
「何もしてないでしょ」
「感想言ってるにゃ」
「『うまい』しか言わないじゃん」
「まずい時はまずいって言うにゃ」
「それはそうだろうけど」
姉の自己評価だけは昔から高い。
ヤニねこが机の端へ手を伸ばす。
例の保存容器だった。
『アル中パウダー 獣人Ver.』
改めて見ても、嫌な名前である。
「これかけるとうまいにゃ」
「いらない」
「少しだけにゃ」
「いらないって」
「またたび入ってるにゃ」
「余計いらない」
情報を追加するほど魅力が減っていく。
ヤニねこが勝手に振りかけようとしたので、妹ねこは手首をつかんだ。
「自分のにだけかけて」
「妹子も食えば分かるにゃ」
「お姉ちゃんが食べて」
「じゃあもらうにゃ」
ヤニねこは自分の皿へアル中パウダーを振る。
ぱっぱっ。
「先輩。それ、結構かかってますよ」
「いっぱいかけた方がうまいにゃ」
「前に鼻がおかしくなったでしょう」
「治ったにゃ」
「治ればいいという話ではありません」
妹ねこはヤクねこを見る。
「ヤクねこさんも食べたんですか?」
「…………少し」
「容器持って来てますけど」
その手には、小さな空容器があった。
「補充です」
「ハマってるんですね」
「調味料として気に入っているだけです」
「そういうことにしておきます」
妹ねこは深く追及しなかった。
このアパートでは、追及すると余計なものが出てくる。
たぶん、それが正しい付き合い方だった。
角子は妹ねこが食べる様子を見ながら、少し感心したように言った。
「しっかりしていますね」
「え?」
「ヤニねこの妹さんなので、もう少し似ているのかと思っていました」
「似てないです」
「似てるにゃ」
ヤニねこが即座に割り込む。
「どこが?」
「顔にゃ」
「それは姉妹だから多少は似るでしょ」
「あとかわいいにゃ」
「それは自分で言うことじゃない」
「ニャーの妹だからにゃ」
「そこは関係ないと思う」
「あるにゃ」
「ない」
「ニャーが姉じゃなかったら妹じゃないにゃ」
「そういう話じゃない」
「合ってるにゃ」
「言葉としてはね」
妹ねこはため息をついた。
でも、少しだけ笑っていた。
こういうところも昔から変わらない。面倒で、だらしなくて、放っておくと何をするか分からない。それでも、自分のことを可愛い妹だと思っているらしい。
そこだけは、まあ悪くなかった。
食事を終える頃には、最初の警戒はかなり薄れていた。
氷川角子。姉の新しい隣人。
酒を飲む。妙な料理を作る。配信もする。部屋は怪しい。電子レンジはもっと怪しい。名前からして嫌な粉まで自作している。
その一方で、姉が勝手に食べた物は記録する。タバコは渡さない。毎回無料で食べさせるわけでもない。
少なくとも、姉を利用するような人ではなさそうだった。
問題は、この二人の相性だった。
姉は飯と酒が出るから来る。角子は余った料理を食べてもらえるから追い出さない。
片方はタバコ。片方は酒。
どちらも、自分の生活についてだけ判断が甘い。
混ぜるな危険、という言葉が少し頭をよぎった。
「お姉ちゃん」
「何にゃ?」
「ここに来るのはいいけど、迷惑かけないでよ」
「かけてないにゃ」
「勝手に食べてるよね?」
「余ってたにゃ」
「お金も払ってないよね?」
「今度払うにゃ」
「食器洗いもまともにできなかったんでしょ?」
「一枚洗ったにゃ」
「迷惑かけてるじゃん」
ヤニねこは少し考えた。
「でもカラカラねこも酒飲んでるにゃ」
「それとお姉ちゃんが迷惑かけるのは別」
「お互い様にゃ」
「何がお互い様なの?」
「よく分かんないにゃ」
「じゃあ言わないで」
角子はそのやり取りを聞きながら、ハイボールを一口飲んだ。
カラカラ。
「まあ、大丈夫だと思いますよ」
妹ねこが角子を見る。
「その『大丈夫』、あんまり信用できない気がしてきました」
「そうですか?」
「はい」
即答だった。
その横で、古い電子レンジが何もしていないのに小さく鳴った。
パキッ。
妹ねこが振り返る。
やっぱり信用しなくて正解だったかもしれない。
「……本当に買い替えてくださいね」
「次の給料が入ったら考えます」
「考えるじゃなくて」
「買います」
「お願いします」
ヤニねこが小声で言う。
「妹子、大家みたいになってきたにゃ」
「誰のせいだと思ってるの?」
ヤニねこは答えず、アル中パウダーのかかった肉を口へ入れた。
妹ねこの知らない隣人。
少なくとも、姉を食い物にするような危険な人物ではなかった。むしろ姉を適度に止めてくれる分、その点ではありがたい。
ただし、姉と一緒にいることで、別の意味で危険になる可能性はかなり高そうだった。
帰り際、妹ねこは角子へもう一度だけ頭を下げる。
「姉が迷惑かけたら、遠慮なく追い出してください」
「分かりました」
「妹子!」
「あと、お金もちゃんと取ってください」
「はい」
「妹子ー!」
「タバコもあげないでください」
「それは元からです」
「ニャーの味方がいないにゃ!」
妹ねこは聞こえないふりをして部屋を出た。
扉が閉まる。
これなら、少なくとも姉が隣人から一方的に甘やかされ続ける心配はない。
別の心配は増えた。
数秒後。
部屋の中から、また姉の声が聞こえてくる。
「……もう少し入れてにゃ」
妹ねこの足が止まった。
さっきと同じだった。
「アル中パウダーですか?」
「酒にゃ」
「昨日の三百円からお願いします」
「妹子に借りてくればよかったにゃ……」
妹ねこは廊下で少し黙った。
戻って説教しようかとも思ったが、やめた。そこまで面倒を見る義理もないし、姉は姉で少しくらい痛い目を見ればいい。
もっとも、反省するところだけは最後まで間違えていた。