ヤニねことカラカラねこ   作:きのこ大三元

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今回は原作のヤニねこらしい感じで、ハメねこにフォーカスした回を作ってみました。


第13話 黄色いペットボトル……?

 数日前。

 

 深夜のハメねこの部屋では、ゲームの耐久配信が続いていた。開始からすでに六時間。画面の中では次のボス戦が始まろうとしており、コメント欄も普段より流れが速い。

 

《ここから本番》

《あと何時間やるんだ》

《朝までコース?》

 

「朝まではやらないって。たぶん」

 

 ハメねこは笑いながらコントローラーを握り直した。

 

 配信としては悪くない。むしろ、かなりいい。視聴者数もまだ落ちておらず、ここで席を立つのは少し惜しかった。

 

 ただ、一つだけ問題がある。

 

 さっきから、かなりトイレへ行きたい。

 

 一時間ほど前から気づいてはいた。その時はまだ余裕があり、次の区切りで行けばいいと思っていたのだが、イベントが始まり、それが終わった頃には今度はボス戦が来た。

 

《急に静か》

《どうした》

《集中してる?》

 

「いや、普通普通」

 

 普通ではなかった。

 

 かなり行きたい。

 

 ハメねこは画面端の視聴者数を見る。まだ多い。ここで数分抜けるのは、やっぱり惜しい。

 

「……あと一戦」

 

《フラグ》

《それ三十分前にも言ってた》

《耐久配信者のあと一戦は信用するな》

 

「今回はほんとだから」

 

 足を組み直した。

 

 良くならなかった。

 

 むしろ悪化した。

 

 それでもボス戦が始まれば、途中では抜けられない。敵の攻撃を避けながら、頭の片隅ではずっと別のことを考えていた。

 

 倒したら行く。

 

 絶対行く。

 

 今は離れたくない。

 

 そんな時、机の横に転がっていた空のペットボトルが目に入った。

 

「…………」

 

 いや。

 

 さすがにそれはない。

 

 モニターへ視線を戻す。

 

 十秒後。

 

 また見る。

 

 空だった。

 

 口も広めだった。

 

「…………」

 

《また黙ってる》

《眠い?》

《一回休憩したら?》

 

「ちょっと待って」

 

 ボスを倒したハメねこは、すぐに配信画面を切り替えた。

 

《少々お待ちください》

 

《休憩きた》

《トイレか》

《いってら》

 

 マイクをミュート。カメラも切る。

 

 しかし、ハメねこは椅子から立ち上がらなかった。

 

 代わりに、机の横の空ペットボトルを手に取る。

 

 誰も見ていない。

 

 音も入らない。

 

 配信も止まらない。

 

 トイレまで行く必要もない。

 

 効率だけで考えれば、かなり合理的だった。

 

 その判断基準が正しいかどうかは、別の話である。

 

 

 数分後、配信画面がゲームへ戻った。

 

「お待たせ」

 

《おかえり》

《トイレ長かったな》

《ちゃんと水飲め》

 

 ハメねこは何事もなかった顔でコントローラーを持つ。

 

「トイレは行ってない」

 

《?》

《??》

《じゃあ何してた》

《怖い》

 

「ちょっとね」

 

 机の下には、さっきまで空だったペットボトルが置かれていた。

 

 中身は黄色い。

 

 視聴者には見えない。

 

 なら、とりあえず問題はない。

 

 そういうことにした。

 

 

 問題は、一度成功してしまったことだった。

 

 次の長時間配信でも、途中でトイレへ行きたくなった。机の横には、ちょうど空のペットボトルがある。

 

 一回やった。

 

 今さら二回目だけ駄目という理由もない。

 

 そう思ってしまった。

 

 二回目。

 

 三回目。

 

 そのうち、配信前に飲み終えたペットボトルを捨てず、机の横へ置いておくようになった。

 

 用途が変わっている。

 

《今日も長いな》

《トイレ休憩しないの?》

 

「大丈夫」

 

 最近は本当に席を立たなくなった。

 

 配信者としては便利だった。

 

 生活としては、かなり終わっていた。

 

 もちろん、最初から溜めるつもりはない。

 

 終わったら捨てる。

 

 あとで捨てる。

 

 今日は疲れたから明日。

 

 どうせならゴミの日にまとめて。

 

 そして忘れた。

 

 気づけば部屋の隅には、黄色い液体の入ったペットボトルが何本も並んでいた。薄いもの、濃いもの、ほとんど透明に近いもの。

 

 長時間配信の記録だけなら、ずいぶん充実している。

 

 見返したい記録ではなかった。

 

「……今度捨てよ」

 

 ハメねこはそう呟き、視線を逸らした。

 

 その「今度」が来る前に。

 

 氷川角子が、配信機材を見に来ることになった。

 

 

 休日の午後。

 

 角子は約束通り、ハメねこの部屋を訪れていた。

 

「適当に入って」

「お邪魔します」

 

 ハメねこは軽く手を振り、自分は先に部屋の奥へ戻っていく。角子も靴を脱いで中へ入ると、まず目に入ったのはマイクや照明、モニター、キャプチャーボード、それに何本ものケーブルだった。

 

 スマートフォンと小さな三脚が中心の自分の撮影環境とはかなり違う。機材の配置もきれいで、配線もそれなりにまとめられていた。

 

「やっぱり本格的ですね」

「まあ、配信するならこれくらいはね」

 

 ハメねこは少し得意そうだった。

 

「マイクもいいですね」

「それ、結構高いやつ」

「お酒一本より高いですか?」

「比較対象そこなの?」

 

 角子は値段を想像して少し考える。酒に換算すると分かりやすい。だいたい何本分だろう。

 

「今度、私もマイク買おうかと思ってるんです」

「先に電子レンジ買い替えた方がいいと思うけど」

「まだ動きますよ」

「火花出るやつを『動く』に入れないで」

 

 角子は聞こえなかったことにして、モニター周辺へ視線を戻した。

 

 ハメねこは私生活こそ怪しいところがあるが、配信関係だけなら自分よりずっとしっかりしている。

 

 少し参考にしよう。

 

 そう思って部屋の端へ目を向けたところで、視線が止まった。

 

「…………」

 

 壁際に、ペットボトルが何本も並んでいる。大きさも銘柄もばらばらで、その中にはどれも黄色っぽい液体が入っていた。

 

 麦茶にしては色が薄い。スポーツドリンクにしては容器が統一されていないし、酒にしては置き方が雑すぎる。

 

「……これ、何ですか?」

 

 ハメねこの動きが止まった。

 

「何が?」

「そこのペットボトルです」

「…………」

 

 返事がないので、角子は近くの一本へ手を伸ばした。

 

「触らないで!」

 

 思った以上の声量だった。

 

 角子はすぐに手を引っ込める。

 

「はい」

 

 触れてはいけないものらしい。

 

 ただ、それだけでは正体が分からない。

 

「保存してる飲み物ですか?」

「違う」

「お茶?」

「違う」

「お酒?」

「もっと違う」

 

 候補がどんどん減っていく。

 

 角子はもう一度、黄色いペットボトルを見る。飲み物ではない。しかし液体で、それが大量に保存されている。

 

「掃除用の水とか?」

「違う」

「何かの配信用?」

「違う」

「じゃあ――」

 

 その時、玄関の扉が開いた。

 

「何してるにゃ?」

 

 ヤニねこだった。

 

「ヤニねこ、人の部屋勝手に入らないでよ」

「開いてたにゃ」

「閉めてたけど」

「開いたにゃ」

「開けたんでしょ」

 

 ヤニねこは返事をせず、そのまま部屋へ入ってくる。角子の隣まで来たところで壁際のペットボトルに気づき、ぴんと耳を立てた。

 

「ジュースいっぱいあるにゃ」

「あっ」

 

 ハメねこの顔色が変わる。

 

 ヤニねこは一番近くにあった一本へ手を伸ばした。

 

「一本もらうにゃ」

「飲むな!!」

 

 ハメねこが飛びつく勢いで止める。

 

「なんでにゃ」

「駄目だから!」

「いっぱいあるにゃ」

「量の問題じゃない!」

 

 角子は二人を見る。飲ませたくない。触らせたくない。飲み物でもない。

 

 ここまで来ると、だいぶ候補は絞られていた。

 

「……もしかして」

 

 ハメねこが角子を見る。

 

「言わないで」

「まだ何も言ってませんよ」

「顔が言ってる」

「そうですか?」

「分かった顔してる」

 

 角子はペットボトルへ視線を戻した。黄色い液体。元飲料容器。異常なほど触らせたがらない。

 

「これ、尿ですか?」

「言った!」

 

 ヤニねこがペットボトルを見て、次にハメねこを見る。

 

「ションベン?」

「その言い方やめて!」

 

 ハメねこはしばらく黙っていた。逃げ道を探している顔だったが、壁際には逃げ道以上の本数が並んでいる。

 

「……ゲーム配信してた時、途中でトイレ行きたくなって」

「行けばいいにゃ」

「配信中だったの!」

「トイレ行けばいいにゃ」

「だから途中で抜けたくなかったの!」

「漏らす方が嫌にゃ」

「漏らしてない!」

 

 そこは重要らしい。

 

「その時、たまたま空のペットボトルが近くにあって」

「使ったんですか?」

「……一回だけ」

 

 角子は壁際を見る。

 

 一回では説明できない量だった。

 

「全部?」

「…………全部」

 

 少し沈黙。

 

 ヤニねこが一歩下がった。

 

「汚いにゃ」

 

 ハメねこの顔が引きつる。

 

「お前にだけは言われたくない!」

「部屋にションベン溜めたことないにゃ」

「比較対象が低すぎる!」

 

 角子も、そこはヤニねこ側だった。

 

 ヤニねこが衛生面で他人へ引いている。それだけで、かなりの異常事態である。

 

「最初は一回だけだったんだけど、やってみたら配信止めなくて済むし」

「便利だったんですね」

「そう。便利だったの」

 

 角子は少し頷きかけた。確かに席を立つ必要はなく、配信も止まらない。理屈だけなら効率的ではある。

 

 ただ、その効率化の結果が壁際に並んでいる。

 

「で、一回やったら次もやって、捨てるの面倒で……気づいたらこうなった」

「そうですか」

 

 角子には少しだけ分かるところもあった。

 

 後で片づけよう。後で捨てよう。後で整理しよう。

 

 そう思って置いた物が、そのまま一週間残ることなら自分の部屋でもよくある。

 

 ただし、中身が尿ではない。

 

 そこはかなり大きな違いだった。

 

 ヤニねこがしゃがみ込み、ペットボトルを観察し始める。

 

「これ、濃さ違うにゃ」

「見るな!」

 

 確かに違う。角子もつい見てしまった。

 

 薄い黄色から濃い黄色まで差があり、ほとんど透明に近いものもあれば、かなり色の強いものもある。

 

「結構違いますね」

「角子さんまで!?」

「水分量でしょうか」

「分析しないで!」

「酒を飲んだ日とか色違うのかにゃ?」

「知らない!」

「でもこれ薄いにゃ」

「指差すな!」

 

 ヤニねこは完全に面白がっていた。

 

「これは?」

「見るなって言ってるでしょ!」

「ハメねこの体調日記にゃ」

「最悪な名前つけるな!」

 

 角子は一通り眺めたところで結論を出した。

 

「捨てた方がいいと思います」

「……今日?」

「今日の方がいいですね」

「明日じゃ駄目?」

「明日になると、たぶんまた捨てないので」

 

 ハメねこが黙った。

 

 角子も人のことはあまり言えない。

 

 だからこそ分かる。

 

 明日やる、という言葉が本当に明日を指していることは、あまりない。

 

「今やりましょう」

「角子さん手伝ってよ」

「換気はしますよ」

「処分は?」

「本人がやった方がいいと思います」

「急に正論」

「私がやると、また溜めそうなので」

「……それは否定できない」

 

 処分作業が始まった。ハメねこが大きなゴミ袋を用意し、角子は窓を開ける。

 

 ヤニねこは何もしない。

 

「ヤニねこも手伝ってよ」

「ニャーのションベンじゃないにゃ」

「さっきまで面白がってたじゃん」

「見るのと片づけるのは別にゃ」

 

 それはヤニねこらしい理屈だった。

 

 ハメねこが一本ずつペットボトルを持ち上げる。

 

「……重い」

「結構入っていますね」

「言わないで」

 

 角子は少し離れた場所から見守った。全部やってあげるつもりはない。自分で溜めたものは、自分で処分した方がいい。

 

 主に、今後また同じことをさせないために。

 

 数本片づけたところで、ヤニねこが一本持ち上げた。

 

「これも捨てる?」

「全部!」

「もったいないにゃ」

「何が!?」

 

 ヤニねこはペットボトルを眺める。

 

「まだいっぱい入ってるにゃ」

「中身に価値ないから!」

「水分ではあるにゃ」

「何考えてるの?」

 

 ヤニねこは答えず、そのまま一本を持って立ち上がった。

 

「それ、どこに持っていくんです?」

「大家にあげるにゃ」

 

 ハメねこが止まる。

 

「は!?」

「暑そうだったにゃ」

「それ飲み物じゃないって聞いたよね!?」

「水分ではあるにゃ」

「さっきも言った!」

 

 角子も止めた。

 

「飲ませるのは駄目だと思いますよ」

「大丈夫にゃ」

「何が大丈夫なんです?」

「大家、丈夫にゃ」

「身体の強さの問題じゃないです」

 

 ヤニねこはペットボトルを抱えたまま離さない。

 

 嫌な予感しかしなかった。

 

「置いてください」

「一本だけにゃ」

「一本でも駄目です」

「じゃあ行ってくるにゃ」

「話聞いてた!?」

 

 ヤニねこが逃げた。

 

 速かった。

 

 普段は飯を取りに行く三歩すら面倒くさがるのに、こういう時だけ妙に速い。

 

「追いますよ」

「当然!」

 

 角子とハメねこも部屋を飛び出した。

 

 

 一階では、大家が外の共用部分で作業をしていた。気温は高く、額には少し汗を浮かべている。

 

 ちょうど手を止めたところへ、ヤニねこが駆け寄った。

 

「大家」

「何?」

「これやるにゃ」

 

 黄色い液体の入ったペットボトルを差し出す。

 

 大家が少し驚いた。

 

「珍しいな。気が利くじゃないか」

 

 ヤニねこから何かを無償でもらえる。それだけで十分珍しい。

 

 大家は何の疑いもなくペットボトルを受け取った。

 

 少し遅れて、角子たちが階段を下りてくる。

 

「大家さん、それ――」

 

 角子の声が届いた時には、もう大家の手がキャップへかかっていた。

 

 あ。

 

 少し遅かった。

 

 きゅっ、とキャップが開く。

 

 大家はそのまま口へ運んだ。

 

 一口。

 

「…………」

 

 ヤニねこが言った。

 

「それ、ハメねこのションベンにゃ」

 

「――ぶっ!!」

 

 大家が盛大に吹き出し、黄色い液体が地面へ散った。

 

「飲んだ!?」

 

 ハメねこが叫ぶ。

 

 角子も足を止めた。

 

 ヤニねこだけが楽しそうだった。

 

「飲んだにゃ」

 

 大家は手にペットボトルを持ったまま、しばらく固まっていた。口元から液体が垂れている。

 

 やがて本当にゆっくりと顔を上げ、ヤニねこを見る。

 

「…………お前」

「何にゃ?」

「なんでそんなもん渡した!」

 

 怒鳴り声が響いた。

 

「水分補給にゃ」

「尿で水分補給する奴がいるか!」

「飲んだにゃ」

「お前が飲ませたんだろ!」

「ニャーは飲めって言ってないにゃ」

「飲み物みたいに渡しただろ!」

「ペットボトルに入ってたにゃ」

「お前が入れたわけじゃないだろ!」

 

 大家の怒りは次にハメねこへ向いた。

 

「そもそも、なんでこんな物があるんだ?」

「それは……配信中に、トイレ行くの面倒で……」

「トイレ行け!」

「一回だけのつもりだったんだけど」

「何本あるの?」

 

 ハメねこが黙る。

 

「何本?」

「……いっぱい」

「捨てろ!」

「今捨ててたところ!」

「全部!」

「分かってる!」

 

 大家は今度は角子を見る。

 

「氷川さんもいたんだよね?」

「いました」

「止めなかったの?」

「止めました」

 

 ヤニねこが横から口を挟む。

 

「大丈夫って言ったにゃ」

「私は言ってません」

 

 角子はすぐに訂正した。

 

「『飲ませるのは駄目』と言いました」

「じゃあ、なんでここまで来た?」

「ヤニねこが思ったより速くて」

 

 大家は一瞬だけ黙った。

 

「……足だけは速いんだよな」

「ニャー、運動できるにゃ」

「今自慢するな!」

 

 大家はペットボトルを地面へ置き、口元を袖で拭った。顔色はかなり悪い。

 

「とにかく……水……」

 

 口を押さえたまま外の水道へ向かい、蛇口をひねる。

 

 じゃー。

 

 水を口へ含む。

 

 ぶくぶく。

 

 ぺっ。

 

 もう一度。

 

 じゃー。

 

 ぶくぶく。

 

 ぺっ。

 

 さらにもう一度。

 

 かなり念入りだった。

 

 角子は少し離れた場所から見ていた。隣には死んだような顔をしたハメねこ、そのさらに隣にはヤニねこが立っている。

 

 大家はまだ口をすすいでいた。

 

 じゃぶじゃぶ。

 

 ぶくぶく。

 

 ぺっ。

 

「…………」

 

 ヤニねこが首を傾げる。

 

「大家、まだ飲んでるにゃ」

 

 大家が勢いよく振り返った。

 

「すすいでるんだよ!」

 

 休日のコーポ大谷へ、今日一番の怒鳴り声が響いた。




2026年9月7日 0時41分 呼称を修正しました。
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