ヤニねことカラカラねこ   作:きのこ大三元

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第6話 隣の新しい人にゃ

昼過ぎ。

 

 ヤニねこは隣の部屋の前に立ち、扉を叩いた。

 

 こん、こん。

 

「カラカラねこー」

 

 返事はすぐにあった。

 

「います」

 

 少しして鍵が開く。扉の向こうには、部屋着姿の角子が立っていた。片手にはタバコ、もう片方には洗いかけのステンレスジョッキを持っている。

 

「どうしました?」

「タバコくれにゃ」

「嫌です」

 

 今日も即答だった。

 

「一本でいいにゃ」

「自分で買ってください」

「金ないにゃ」

「そうですか」

 

 角子はタバコを口へくわえた。

 

 ヤニねこの目が、その一本へ集まる。

 

「それでいいにゃ」

「これは私のです」

「いっぱいあるじゃん」

「次に買う日までの分しかありません」

 

 前にも聞いた。

 

 それでも、ヤニねこは諦めなかった。

 

「吸いかけでもいいにゃ」

「嫌です」

「半分残るにゃ」

「最後まで吸います」

 

 角子はタバコへ火をつけ、ヤニねこの前で普通に吸い始めた。

 

「見せつけてるにゃ」

「自分の部屋の前で吸っているだけです」

 

 ヤニねこはしばらく角子のタバコを見ていたが、一本も出てくる気配はない。

 

 仕方なく、廊下の奥へ目を向けた。

 

「ヤクねこのところ行くにゃ」

「ヤクねこ?」

「後輩にゃ。たぶん持ってる」

 

 ヤニねこは歩き出した。

 

 角子はその背中を見送り、少し考えてから灰皿へタバコを押しつける。

 

「私も行きます」

「タバコもらうの?」

「挨拶です」

「じゃあ一本多くもらえるかもしれないにゃ」

「私はいりません」

 

 ヤニねこは角子を連れ、共用廊下を進んだ。数部屋先で立ち止まり、扉を叩く。

 

 こん、こん。

 

「ヤクねこー」

 

 数秒後、部屋の中から物音がした。

 

「はい」

 

 扉が少し開く。

 

 顔を出したのは、金髪の猫獣人だった。髪の根元は少し黒く、着ているTシャツには意味の分からない文字が大きく印刷されている。

 

 ヤクねこはヤニねこの顔を見た。

 

「先輩」

「タバコくれにゃ」

「挨拶より先に、それですか?」

「大事にゃ」

 

 ヤクねこは小さく息を吐いた。

 

 そこで、ヤニねこの後ろに立つ角子へ気づく。

 

「……そちらの方は?」

「隣に越してきたカラカラねこにゃ」

 

 ヤニねこは雑に紹介した。

 

「飯と酒をくれる、いいやつだにゃー」

「それだけですか?」

「あと会社員にゃ」

 

 角子は軽く頭を下げる。

 

「はじめまして。氷川角子と申します。先日、隣の部屋へ引っ越してきました」

「はじめまして。越司丸益子です」

 

 ヤクねこも丁寧に頭を下げた。

 

「先輩からは、ヤクねこと呼ばれています」

「聞いています。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 二人の挨拶は普通だった。

 

 ヤニねこだけが、開いた扉の隙間から部屋の中を見ている。

 

「タバコは?」

「まだ言うんですか」

「挨拶終わったにゃ」

 

 ヤクねこはヤニねこの顔を見た。

 

「そういえば先輩。お腹は、もう大丈夫なんですか?」

「治ったにゃ」

「この前、かなり騒いでいたでしょう」

「カラカラねこの飯食ったら、下痢止まらなくなったにゃ」

 

 角子が少し首をかしげる。

 

「味は大丈夫だったんですけどね」

「辛さが大丈夫じゃなかったんじゃないですか?」

「少し唐辛子を入れすぎたかもー」

「少し?」

 

 ヤクねこがヤニねこを見る。

 

 ヤニねこは腹を撫でた。

 

「次の日まで痛かったにゃ」

「病院へ行ったんですか?」

「寝たら治ったにゃ」

「先輩は、そういうところだけ丈夫ですね……」

 

 呆れた声だったが、本気で怒っているわけではない。ヤニねこが無事だったことには、少し安心しているらしい。

 

「氷川さんは、お仕事をされているんですか?」

「はい。平日は会社へ行っています」

「そうなんですね」

「二十九歳です。仕事から帰った後に、料理や動画撮影をしています」

「動画も?」

「料理を撮っています」

「へえ……」

 

 ヤクねこは少し興味を示した。

 

「料理が趣味なんですか?」

「そうですね。お酒も好きです」

「それで、先輩が入り浸っているんですね」

「飯あるからにゃ」

「人の家を食堂みたいに使わないでください」

「余ってたにゃ」

 

 ヤニねこは悪びれない。

 

 角子も否定しなかった。

 

「食べ切れない量だったので、助かりました」

「氷川さんがそう言うなら……」

 

 ヤクねこは、少し安心したように頷いた。

 

 働いている。受け答えも落ち着いている。年上で、料理もできる。

 

 少し酒が好きなだけの、普通の住人に見えた。

 

「カラカラねこ、畳で料理して大家に怒られてたにゃ」

 

 ヤニねこが余計な情報を足した。

 

「畳で?」

 

 ヤクねこの目が角子へ戻る。

 

「卓上コンロを使いました」

「畳の上でですか?」

「はい」

「危なくないですか?」

「段ボールを敷いたんですけど、駄目だったみたいです」

「段ボール?」

「大家さんに、悪化していると言われました」

 

 ヤクねこは少し黙った。

 

 角子の表情は穏やかなまま。冗談を言っている様子もない。

 

「……台所で使ったほうがいいと思うっす」

「次からは、そうします」

 

 返事は素直だった。

 

 その素直さが、本当に理解しているのか少し分かりにくい。

 

「あと高い肉食ったにゃ」

「そこは今、関係ないです」

「うまかったにゃ」

「そうですか」

 

 ヤクねこは深く追及しなかった。初対面で説教を始めるほどではない。

 

 ただ、最初に抱いた印象へ小さなひびが入った。

 

 まともそうな年上の会社員。

 

 ただし、畳の上で火を使う。

 

 どちらが本体なのかは、まだ分からなかった。

 

「それよりタバコにゃ」

 

 ヤニねこが催促する。

 

「さっきから、そればかりですね」

「切れてるにゃ」

「昨日も渡しませんでしたか?」

「昨日のは昨日のにゃ」

「一日でなくなったんですか?」

「吸ったらなくなるにゃ」

「当たり前のことを、こっちの責任みたいに言わないでください」

 

 ヤクねこは部屋へ引っ込み、タバコの箱を持って戻ってきた。

 

 ヤニねこの耳が立つ。

 

「一本だけですよ」

「二本」

「一本です」

「カラカラねこの分」

「氷川さんは、いらないと言っていたでしょう」

「後でニャーが吸うにゃ」

「それは先輩の分です」

 

 ヤクねこは箱から一本だけ抜き、ヤニねこへ差し出した。

 

 ヤニねこはすぐに受け取る。

 

「ヤクねこは話が分かるにゃ」

「一本渡しただけです」

 

 ヤニねこはその場でタバコをくわえ、ライターを探した。

 

 ポケット。

 

 反対側のポケット。

 

 服の中。

 

 どこにもない。

 

「火もくれにゃ」

「部屋の中では吸わないでください」

「廊下ならいい?」

「大家さんに怒られますよ」

「見つからなきゃ大丈夫にゃ」

「先輩」

 

 少し低い声で呼ばれた。

 

 ヤニねこはタバコをくわえたまま、角子を見る。

 

「カラカラねこ、火ある?」

「あります」

「貸して」

「大家さんに怒られるそうですよ」

「ヤクねこが言ってるだけにゃ」

「私も、廊下では吸わないほうがいいと思います」

「裏切りにゃ」

 

 角子は、特に仲間になった覚えはなかった。

 

 ヤニねこは不満そうにタバコを耳へ挟む。

 

「部屋で吸うにゃ」

「そうしてください」

 

 目的を果たしたヤニねこは、すぐに帰ろうとした。

 

 ヤクねこが、その背中を呼び止める。

 

「先輩」

「何にゃ?」

「氷川さんのところで、迷惑をかけてませんか?」

 

 ヤニねこが振り返る。

 

「かけてないにゃ」

 

 角子は少し考えた。

 

「料理を勝手に食べられます」

「先輩」

「余ってたにゃ」

「人の料理を勝手に食べたんですか?」

「味見にゃ」

「本人に頼まれていないなら、味見とは言いません」

 

 ヤクねこは角子へ向き直り、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すみません。先輩がご迷惑をおかけして」

「カラカラねこは助かったって言ってたにゃ」

 

 ヤニねこは不満そうだった。自分が迷惑をかけたことにされるのが納得できないらしい。

 

 角子は頷く。

 

「食べ切れない量だったので、助かったかもー」

「そうですか……」

 

 ヤクねこは二人を見比べた。

 

 勝手に料理を食べる先輩。

 

 それを助かったと受け入れる新しい住人。

 

 しかも、その新しい住人は畳の上で火を使う。

 

 相性がいいのかもしれない。

 

 だからこそ、少し心配だった。

 

「先輩」

「まだ何かある?」

「氷川さんに甘えすぎないでくださいね」

「甘えてないにゃ」

「タバコをもらえなかったから、私のところへ来たんですよね?」

「それはヤクねこの役目にゃ」

「いつ決まったんですか?」

「高校の時くらい」

「決まってません」

 

 ヤニねこは聞かなかったことにした。

 

「じゃあ帰るにゃ」

 

 今度こそ廊下を歩き出す。

 

 角子もヤクねこへ軽く頭を下げた。

 

「それでは、また」

「はい。何か困ったことがあれば、声をかけてください」

「ありがとうございます」

「特に、先輩のことで」

「ヤクねこ、余計なこと言うなにゃ」

 

 廊下の先から声が飛んできた。

 

 ヤクねこは小さくため息をつく。

 

「さっそく心配ですね」

「大丈夫だと思います」

「何か根拠が?」

「今のところ、料理は全部食べてくれています」

「そこを基準にしないほうがいいですよ」

 

 角子は少し考えた。

 

「食材が無駄にならないので、助かっています」

「そういう意味ではなくて……」

 

 ヤクねこは言いかけて、やめた。

 

 まだ初対面だった。強く言うほど、相手のことを知らない。

 

 角子も、悪い人には見えなかった。

 

 少し変わっているだけだ。

 

 少しで済むかは、まだ分からない。

 

 角子が自分の部屋へ戻り、ヤクねこも扉を閉めようとする。

 

 そのとき、廊下の奥からヤニねこの声が聞こえた。

 

「ライターなかったにゃー!」

 

 ヤクねこは扉を閉めた。

 

 聞こえなかったことにした。

 

 数秒後。

 

 今度は角子の部屋を叩く音が響く。

 

「カラカラねこー! 火貸してー!」

 

 ヤクねこは閉じた扉を見つめた。

 

「……大丈夫でしょうか」

 

 隣室から、角子の落ち着いた声が返る。

 

「部屋の中で吸うならいいですよ」

「やったにゃ」

 

 ヤクねこは、もう一度ため息をついた。

 

 少し変な年上の住人。

 

 その評価は、初日のうちに少しだけ下がった。




次は6.5話…あれを作る回にする予定です。
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