転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
ログイン地点。
色鮮やかな水面が波立つ。ツクヨミへログインしてくる時の演出だ。
高く結んだ黒髪を払い、目元の半面を直す。その波へ近づく拍子に、薄青の袖が視界を横切った。
初めてここへログインする人は、アバターの感覚に慣れていなくて転けることがよくある。大事になるわけではないが、心配にはなる。ヤチヨはそれも趣があると言うんだけどね。
転倒まで風情に含めるのは、少し範囲が広すぎないだろうか。
波紋が大きく広がる。今まで見ていたグレーとは違う金髪が水面から現れ、そのまま泳ぎ出るように全身が姿を見せる。
未知の世界へ初めて飛び込む人の顔ではない。満面の笑みだ。
本当に物怖じしないね。
水面から踏み出した足がふらつく。
ほら。
言ったそばから危ない。
そのまま転けないように受け止めた。
「ぶぇ、ん?」
「ようこそ、ツクヨミへ」
視線を落とす。白と濃紺の間を薄青が走る神事服。左胸元には、烏の羽飾りを着けている。半面とともに随分昔から僕に馴染みのあるアバターモチーフだ。
現実ではまず着ない格好だけど、ここでは随分長い付き合いになった。そして現在、その神事服の胸元にはかぐやが突っ込んでいる。
まだ誰か確認もしていないだろうに、そのままグリグリと顔を押し付けだした。確認方法が独特すぎる。
「ポカポカするぅ~」
そう言って、ゆっくりと顔を上げる。それにしてもポカポカする、ね。嬉しいことを言ってくれるじゃないか。
「やっぱ、イツキだ。めっちゃキラキラしてるじゃん!」
「そういうかぐやは、かわいくキャラクリしたんだね」
「えへへぇ、でしょお」
褒められて嬉しいのか、身体を横に揺らしている。かわいいかわいい。
それにしても、最初に確認するのはそこなんだね。
「ふふっ、ギャルいかぐや姫……」
「彩葉だ! かっこよ〜」
半笑いで僕の後ろから彩葉さんが顔を出す。現実での姿から随分印象が変わっている。短くなった髪に、狐を思わせる耳と尻尾。紺や青を基調にした姿を上から下まで眺めて、かぐやの目がさらに輝いた。
かぐやが現実での姿からギャルっぽくイメチェンしたのが、彩葉さんにはツボに入っているみたいだ。
「ちょ、こっちではイロって呼んで。アバターネーム、ネットエチケットだから守って」
自身のアバターを気に入っているのか、褒められてさらに頬が緩んでいる。注意する声にも勢いがない。
威厳が狐耳から抜けていってるよ。
「えぇ~、彩葉は彩葉じゃん。あ、犬DOGE。連れてこれるんだ」
見事なくらい話を聞いていない。
すでにかぐやの興味は足元へ移っている。犬DOGEが三人の周りを走り回り、かぐやもその後を追って視線を動かしてしゃがみ込んだ。
「犬DOGE! こっちでも動くじゃん!」
「昨日作ったばっかりなのに、もう馴染んでるね」
そして、彩葉さんはまだ諦めていなかったらしい。偉い。僕ならもう諦めている。
「かぐや。こっちではイロ。分かった?」
「それじゃあイツキは?」
「藤原さんは関係ないでしょ」
「僕はこっちでもイツキだね」
「彩葉も守んなきゃ!」
「うぐっ」
「僕はどっちでもいいよ」
彩葉さんがこちらを睨んだ。何故だろう。僕は事実を言っただけなのに。
「藤原さん、今そっちにつきました?」
「どっちにもついた覚えはないよ」
「イツキこっち!」
「勝手に派閥を作るな!」
どうやら僕は今、かぐや派になったらしい。僕本人の意思は考慮されていないようだ。
「はぁ、もう行くよ」
「行こ、行こ」
彩葉さんが歩き出し、かぐやも元気よくついていく。
ネットエチケットの戦いは、彩葉さんの敗北で幕を閉じた。
◆
初めて見るツクヨミを、かぐやは忙しなく見回していた。
水面の上を走っては足を止める。頭上を魚が泳いでいけば、その真下まで追いかける。光をまとった魚の群れが宙を横切ると、今度は首が痛くなりそうなくらい上を向いたまま歩き出した。
危ない。
「魚飛んでる!」
「泳いでる、じゃない?」
「空じゃん!」
「まあ、そうなんだけどね」
「じゃあ飛んでるじゃん!」
「泳いでると思うよ」
「空を!」
「うん」
「じゃあ飛んでる!」
「この議論、終わるかな」
「かぐやの勝ち!」
「勝負だったの?」
知らない間に負けていた。
ツクヨミならではの景色だ。水面の反射と、頭上を泳ぐ魚の光。現実では同時に存在しないものが、ここでは当たり前のように同じ景色へ収まっている。
少し先へ進んだところで、今度はかぐやが急停止した。視線の先には、色とりどりの果物やクリームが盛られたパフェ。
分かりやすい。
「これ食べたい!」
「ツクヨミだから、見た目だけだよ」
「食べてから決める!」
「もう結果は分かってるんだけどね」
「まだ食べてないじゃん!」
「そうだね」
止める理由もない。受け取ったパフェから一匙すくい、そのまま口へ運ぶ。
期待に満ちた顔。
一秒。
二秒。
三秒。
眉が寄った。
「味しなーい」
知ってた。
「味覚と嗅覚はまだみたいよ」
「僕も、いつかどうにかなればとは思うんだけどね」
見た目だけなら、かなり美味しそうなんだけど。
かぐやはパフェを見る。
もう一匙食べる。
眉が寄る。
また食べる。
また眉が寄る。
「かぐや、回数を重ねても味は実装されないと思うよ」
「一回くらい急に味するかもしれないじゃん!」
「しないわよ!」
「まだ分かんないし!」
四口目。
「味しない!」
「だから言ったでしょ!」
確認作業が丁寧だ。
「見た目こんな美味そうなのに、詐欺でしょ」
「運営と製作者に喧嘩売らないでよ」
「だって美味そうじゃん!」
「見た目を楽しむものなの!」
「食べ物なのに?!」
「仮想空間だから!」
彩葉さんが正論で殴り始めた。
「運営の今後に期待して。それか、どっかの天才が実装してくれるのを待つしかないか」
「かぐやちゃんなら出来るかもよ!」
「ハッ」
「おいこらぁ! 笑うことないじゃん!」
いや。
かぐやがプログラムするとなると、色々問題が出そうだ。
ヤチヨに言われて何度も能力を使い、バグのある部分を精査した記憶が過る。
原因を探す。
直す。
別の場所で何かが起きる。
また探す。
直す。
何故か最初の場所まで壊れる。
あの時は何度、これは僕の能力の正しい使い方なのだろうかと考えただろう。まさか異世界で得た力が、八千年後にデバッグ要員として酷使されるとは思わなかった。
「時間だ。そろそろ行きましょう」
「ライブってやつ?」
「早く行くよ!」
「え、待ってよ。彩葉〜!」
……あれ。意識を戻した時には、二人の姿がなかった。
「……いない」
置いていかれた。
少し先、人の流れに混じって歩く金髪と狐耳が見えた。
早いなぁ。
「僕も一緒に来たはずなんだけどな」
まあ、見えているならいいか。
◆
『キタキタキター! これが無いとツクヨミの夜は始まらない! ヤチヨミニライブの開演だぁああー!』
会場へ近づくにつれて、歓声が大きくなっていく。
中心に広場があり、そこから放射状にいくつもの橋が架かっている。観客は橋の上から中央を向き、これから始まるライブを心待ちにしていた。
辺りを満たしているのは深い青。青、白、赤、緑。色とりどりの光をまとった魚たちが、星の群れに紛れるように空を泳いでいる。水面へ落ちた光も波に合わせて揺れていた。
人の流れを追って橋へ向かうと、少し先からかぐやの声が聞こえてきた。
「あれ、イツキは?」
「すぐ来るでしょ。それよりもう始まるんだから静かにしてて」
「置いてきた?」
「勝手についてくるでしょ」
「僕、野良猫かな」
すぐ後ろまで来ていたんだけどね。
「あ、来たよ」
「うん。ちゃんと来たよ」
「遅い!」
「置いていったのは二人なんだけどな」
こちらへ気づいたかぐやが大きく手を振る。僕も片手を上げて応え、二人の隣へ並んだ。
彩葉さんは何事もなかった顔をしている。すでにこっちに割く意識はないらしい。
『3……2……1……』
観客の声が重なる。
何もなかった中央から光の粒子が立ち昇った。初めは数えるほど。それが瞬く間に数を増やし、二本の柱を作る。上部へ集まった光が左右から伸び、中央で繋がった。
最後の粒子が弾け、一基の鳥居が姿を現した。その上には、いつの間にかヤチヨが腰掛けている。
ゆっくりと立ち上がり、袖を口元まで持ち上げた。
隣から息を呑む音がした。見る。彩葉さんだ。もう駄目そうだ。
『えへへぇ。おまたせ! ヤオヨロ〜。神々のみんな、今日も最高だった~?』
ヤチヨだ。
一瞬で歓声が膨れ上がる。隣を見る。彩葉さんは、もうヤチヨしか見ていなかった。口元が緩み、瞳は中央へ完全に固定されている。
普段なら周囲を気にする人なんだけどね。今なら隣で魚が爆発しても、たぶんヤチヨを見ると思う。
「彩葉」
「……」
「彩葉?」
「……」
かぐやが顔の前で手を振る。
反応なし。
「動かない」
「ライブが終われば戻ってくると思うよ」
「壊れた?」
「推しを見てるだけだから大丈夫」
「これ大丈夫なの?」
「たぶん」
僕も少し不安になってきた。
『それじゃあ、今宵も皆を誘っちゃうよ! Let's go on a trip!』
一瞬、静けさが場を満たした。
『星降る海』
聞き慣れたイントロが会場へ広がる。
何度も聴いた曲だ。舞台裏から。ヤチヨの近くで。演出の確認をしながら。それでも、観客の中から聴くと少し違う。
最初の声が響いた。
賑やかだったかぐやも、いつの間にか黙って中央を見ている。
ヤチヨの歌声は高く伸び、そのまま広い会場へ溶けていく。聞き慣れているはずなのに、今日は妙に一つ一つの音が耳に残った。
その歌に呼応するように水面が波立つ。橋の縁を越えた水が、足元へ流れ込んできた。
膝。
腰。
胸。
曲が進むほど水位は上がり、やがて頭上まで青に満たされる。
息苦しさはない。
橋も、観客も、光も。全部が水の中へ沈んだ。
それまで空を泳いでいた魚たちが、僕たちのすぐ横を通り過ぎていく。光の尾が水中へ長く伸びる。
でも、目を奪われるのは一瞬だった。中央で歌うヤチヨへ、自然と視線が戻る。
鳥居から一歩踏み出す。何もないはずの空間へ置かれた足の下に、透明な道が浮かび上がった。
一歩。
また一歩。
歌いながら、空へ続く道を歩いていく。光る魚がその周囲を泳ぎ、時折ヤチヨの姿を隠しては離れていった。
かぐやが小さく僕の袖を引く。
「イツキ」
「何?」
「あの歌、好き」
短い感想だった。
僕も中央を見る。
「僕も好きだよ」
何度も聴いた。それでも飽きたことはない。
派手な演出がなくても、この歌を聴きに来る人はいると思う。たぶん僕も、その一人だ。
透明な道の上でヤチヨが立ち止まる。
曲が大きく展開した。伸ばした腕の先まで光が走る。
次の瞬間。
ヤチヨの身体から無数の光が弾けた。
白い粒子が四方へ飛び散り、一つ一つが膨らんで小さな形を取っていく。
白い髪。
小さな手足。
ころころとした身体。
大量のミニヤチヨが、ヤチヨ本人から弾け飛ぶように現れる。
「わぁ……!」
かぐやが声を漏らす。
彩葉さんも漏らした。
「っ……」
何かを。声なのか魂なのかは分からない。
「彩葉、大丈夫?」
「だ、大丈夫」
「今なんか出たよ」
「出てない!」
「出てたよ」
「出てない!」
戻ってきた。一瞬だけ。
ミニヤチヨたちは魚に混ざり、観客の間を飛び回り始める。頭上を抜けるもの。橋の下へ潜るもの。観客の目の前まで近づき、すぐに離れていくもの。
見た目だけなら完全に別々に動いている。けれど、あの小さな分身にもヤチヨ本人の意識があることはツクヨミではよく知られている。
つまり。
この会場は現在、ヤチヨ本人だらけだ。
彩葉さん、大丈夫かな。
さっきから視線が忙しい。
本体。
ミニ。
本体。
ミニ。
本体。
推しが増えたことで処理能力を試されている。
そのうちの一人が、こちらへ飛んできた。僕の周囲を一度くるりと回る。そのまま肩口へ近づき、頬を寄せるように身体を預けてきた。
『……やあ』
周囲には聞こえないよう、小さく思念を送る。
ミニヤチヨが嬉しそうに目を細めた。返事の代わりなのだろう。
本体のヤチヨは、ずっと鳥居から伸びた道の上で歌っている。当然、歌は途切れない。
昔から変わらない。こういうところだけ妙に距離が近い。
ミニヤチヨが肩から離れ、小さな手を一度振って他のミニヤチヨたちへ混ざっていった。
視線を戻す。
かぐやは目を輝かせながらも、追っているのはミニヤチヨより本体の方だった。隣の彩葉さんは、相変わらずヤチヨしか見ていない。
ただし、本体だけという意味ではなかった。
一人のミニヤチヨが彩葉さんの目の前を通り過ぎる。
ぴたり。
彩葉さんが止まった。本当に止まった。視線だけが、その小さな姿を追っていく。
分身にも本人の意識がある。
つまり今。
推し本人が、目の前を通った。
彩葉さんの口が少し開く。閉じる。また開く。何も出てこない。
……顔、すごいことになってるよ。
声を掛けるのはやめておこう。今話しかけたら、何か大事な処理を邪魔してしまいそうだ。
ミニヤチヨが離れると、彩葉さんは何事もなかったように本体へ視線を戻した。
いや。何事もなくはないな。頬が全然戻ってない。
魚にも、かぐやにも、僕にも目を向けない。結局、最初から最後までヤチヨしか見えていないらしい。
これだけ魚がいるのに。
曲は終盤へ入る。
ヤチヨの声が少しずつ高くなる。伴奏も重なり、広い水中へ音が満ちていく。
ミニヤチヨたちが四方へ散った。何人かは魚の群れに紛れ、光の中へ消えていく。
本体の姿も、いつの間にか透明な道から消えていた。
どこへ。
そう思った瞬間、鳥居の上へ、どこからともなくスポットライトが差し込んだ。そこにヤチヨが立っている。
いつ戻ったのか分からない。本人は何事もなかったように歌い続けていた。
……相変わらず上手い演出だ。
隣を見る。彩葉さんが僅かに前へ身を乗り出している。
落ちないよね?
気持ちだけはもう鳥居の上まで行っていそうだ。
四方を飛び回っていたミニヤチヨたちが、一人ずつ光へ変わる。光は水中を昇り、鳥居の上へ集まっていく。
最後の一人。
さっき僕へ寄り添ってきた子も、一瞬こちらを振り返った。
小さく手を振る。
そして光へ変わった。
ヤチヨの周囲へ粒子が集まる。その光を背に、最後のフレーズが響いた。
水の中に満ちていた歌声が、ゆっくり遠くへ伸びていく。
僕は何も考えず、ただ聴いていた。隣にはかぐやがいる。その向こうには、ヤチヨしか見えていない彩葉さん。
いつもなら僕は舞台裏にいる。ヤチヨの近くで、ライブを支える側にいる。今日は違う。かぐやと彩葉さんと同じ場所から、同じ歌を聴いている。
それだけなのに。
少しだけ、いつもより好きな曲に聞こえた。
最後の音が伸びる。
水位がゆっくり下がっていった。
頭上。
胸。
腰。
膝。
やがて橋の下まで戻る。
魚たちも再び空へ昇り、星のような光の中を泳ぎ始めた。
鳥居の上で、ヤチヨが最後の一音を歌い切る。
音が消える。
会場に、静寂が満ちていった。
・藤原一継のアバターモチーフ
二つのアバター、共通して烏をモチーフにしています。
葛原イッキは配信向けなので、黒・白・金の和装に烏の翼を思わせる大型コートと、かなり華やか。
対して藤原一継の一般アバターは、薄青・白・濃紺の海と月を思わせる神事服。モチーフは半面や羽飾りに落とし込み、静かな方向へ寄せています。
ざっくり言うと、
葛原イッキ:仕事着・派手・目立つ
藤原一継:私服枠・静か・目立ちたくない
なお、一般アバターの服も十分目立つという。
本人だけがあまり気にしていない。
見てくれている方が増えてて嬉しい半面、評価や感想の音沙汰がない……。
媚びます。
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………失礼、取り乱しました。
でも評価と感想はください。