【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
静寂は、ほんの一瞬だった。
橋の上のどこかで誰かが息を吸い、それを合図にしたように歓声が弾けた。
「ヤチヨー!」
「最高だったー!」
「もう一曲!もう一曲だけー!」
鳥居の上のヤチヨが、声の飛んでくる方へ一つずつ手を振り返していく。
『いえ~い。感謝感激雨アラモ~ド~! ヤチヨは果報者なのです』
隣のかぐやも両手を振り回して何か叫んでいたけれど、歓声に紛れて聞き取れない。彩葉さんはまだ戻ってきていなかった。
足元にいたFUSHIが身体を伸ばし、ヤチヨの肩へよじ登る。
『さてさて、ここでもう一つ。今日はみんなに、お知らせがありま~す!』
会場の空気が、ふっと前のめりになった。
『その名も──ヤチヨカップ!』
両手を広げたヤチヨの頭上に、大きな文字が浮かび上がる。
「ヤチヨカップ……?」
ようやく彩葉さんの口から言葉が出た。目はまだ鳥居の上から動いていないけれど、少なくとも意識は戻ってきたらしい。
肩の上のFUSHIが説明を引き継ぐ。参加するのはツクヨミのライバーたち。開催期間中に獲得した新規ファンの数を競い合う。
『優勝した人には、ヤチヨとのコラボライブをプレゼント!』
ざわめきが一拍遅れて歓声に変わった。
「うっそ、コラボライブ!?」
「何それ、すごいの?」
「凄いなんてものじゃないって! ヤチヨ、配信のコラボはあっても、ライブはずっと一人でやってたんだよ!」
「ふーん?」
「ファンの間じゃ、運営が止めてるんじゃないかって言われてたくらいなのに……ついに許可が下りたってこと!?」
……その運営なら、今あなたの隣にいるんだけど。
もちろん口には出さない。
空中に紹介用のPVが流れ始めた。ヤチヨと並んで狐を思わせる意匠の男性アバターが映っている。誰を意識した人選なのか、紹介用とはいえ分かりやすい。
「ほ~ん? じゃあ、三人で一緒にやろ!」
かぐやが僕と彩葉さんの腕を片方ずつ掴んだ。
三人。当然のように僕も数に入っている。
返事をする前に、会場の別の一角がひときわ大きく沸いた。
ブラックオニキスの三人だ。派手に橋の上へ現れるなり、周りの観客へ手当たり次第にファンサを振りまき始める。登場だけで一つの演目になっていた。
「俺ら優勝するから。ヤチヨちゃん、コラボよろしくね」
『それが運命なら、ヤチヨは従うよ』
歓声がさらに膨らむ。
僕の腕を掴んでいたかぐやの手が、するりと離れた。
一歩、もう一歩と中央へ進んでいく。何をする気なのかは背中を見ただけで分かった。
「ヤぁぁぁチぃぃぃぃヨぉぉぉぉぉぉ!!」
近くの観客が一斉に振り返る。
「かぐやがヤチヨカップ優勝する! そんで絶対コラボライブする! い……むぐぅ」
後ろから伸びた彩葉さんの手が、かぐやの口を塞いだ。さっきまで固まっていた人とは思えない速さだった。
「ログインする前に大人しくしててって言ったでしょ!」
初耳の約束だった。守られていないことだけは、よく分かる。
『……いとかわゆし』
鳥居の上からヤチヨが楽しそうにこちらを見下ろしている。周りの視線まで集まり始め、彩葉さんの狐耳がぴんと立った。
「あんたはほんと勝手に! い、イツキさんも止めてくださいよ!」
呼び方が、一瞬だけつかえた。
「ごめんね。黒鬼の登場があまりにも派手だったから」
嘘ではない。ただ、かぐやが歩き出した時点で何をするかは分かっていたし、止めるつもりもなかった。自分で決めて踏み出したのなら、それを遮る理由はない。黒鬼の三人には半分ほど言い訳に使わせてもらった。
『ほいでは、ライブはここで一旦クローズ! みんなとちょこっとお話させてね。さらばーい!』
ヤチヨが大きく手を振ると、会場のあちこちに等身大の分身たちが現れた。観客のグループごとに一人ずつ。ここからは交流の時間だ。
僕たちの前へやって来たのは、一回り小さなヤチヨだった。
ライブ後の交流でごく稀に現れる、ちびヤチヨ。ファンの間ではレアイベント扱いされている姿が、FUSHIを連れてまっすぐこちらへ歩いてくる。
……少しの贔屓は、まあ仕方ない。
小さく手を振ると、ちびヤチヨも同じように振り返してきた。
その間に口を解放されたかぐやは狙いを変えていた。
「ねぇ、彩葉も一緒にやろ!」
「だめ! だいたい──」
「ムリムリムリ! 小娘が!」
甲高い声が割り込んだ。FUSHIだ。随分と口調が荒い。
「こら、FUSHI」
「むっ」
窘められて黙ったものの、その声の端はわずかに震えていた。ただ追い払いたいだけの言い方には聞こえない。ヤチヨも、それ以上は咎めなかった。
一方で、彩葉さんはそれどころではなかった。
目の前に、推し本人がいる。手を伸ばせば届く距離に。
横顔をちらりと見て、すぐに視線を外した。人に見せていい顔ではない。ツクヨミに放送禁止テロップを実装する予定はないけれど、今日だけは少し欲しくなった。
「それに、お忘れかな? 参加はライバー限定なのです」
「そうだった! じゃあかぐやライバーになる!」
ちびヤチヨの一言に、かぐやは迷う素振りすら見せなかった。
「そうと決まれば準備準備~」
身体が淡く光り、輪郭が桜の花びらへほどけていく。最後の一枚が風に溶けると、もうそこには誰もいなかった。
何を準備するのかは、たぶん帰ってから考えるのだろう。
残されたのは、僕と彩葉さんとちびヤチヨ。かぐやの見張り役から解放された彩葉さんは、もう目の前のヤチヨしか見ていなかった。
「今日は楽しめた?」
「は、はい!」
「よきかな~」
「いつも、応援してて。ヤチヨは私にとっての光で、それで……」
言葉が続かない。何度も頭の中で用意してきたのだろう台詞が、本人を前にして途中でほどけていく。
「ふふふっ。ゆっくりでいいんだよ? いつも来てくれてるから、ヤチヨも嬉しいんだ」
ちびヤチヨが彩葉さんの手をそっと両手で包んだ。
「!? ……に、認知されて?! それに、て、手!」
彩葉さんの視線が、包まれた手とヤチヨの顔を往復する。認知されていた。手に触れられた。しかも向こうから。三つの非常事態が同時に起きて、処理がまるで追いついていない。
……並列演算は貸してあげられないから、自力で頑張ってほしい。
「ふふん、ヤチヨの記憶力も捨てたもんじゃないよ。ちゃんと覚えてます!」
「ちょっと抜けてるところもあるけどね」
「そこ! 茶化さない」
「はい」
余計な一言は叱られた。大人しくしておこう。
ヤチヨは彩葉さんへ向き直り、少しだけ声を落とした。
「頑張り屋さんだからね。ひと時でいいから肩の力が抜けていたら、ヤッチョとしては本望なのです」
そう言って背伸びをし、彩葉さんの頭へ手を伸ばす。
「えらいえらい」
小さな手が労わるようにゆっくり往復する。
彩葉さんは動かなかった。瞬きもほとんどしていない。呼吸をしているかどうかも怪しい。
「ヤチヨ」
「ん? なんだい」
「彩葉さん、オーバーヒートしてない?」
「あぁ! 彩葉ぁああ!!」
「あ、はい。彩葉です! き、今日はこれにて失礼します!」
勢いよく下げた頭から、身体ごと桜の花びらに変わって散っていった。本来はもっと風情のあるログアウト演出のはずなんだけど、今のはどう見ても緊急脱出だ。
「感動の再会なのに、締まらないね」
「ヨヨヨ、生彩葉がぁ……」
ちびヤチヨが花びらの消えた辺りへ未練たっぷりに手を伸ばしている。
周りではほかの分身たちがまだ担当の観客と話し込んでいた。人の流れは少しずつ出口へ向かい始め、さっきまで人で埋まっていた橋にも隙間が見えている。
「じゃあ、僕も行くよ」
「またあとでね」
「ヤチヨもお疲れ様」
「イツキもね」
軽く手を上げて、僕もログアウトした。
◆
「イツキ、ライバーやるよ!」
翌日、リビングの扉が開くなりそう宣言された。玄関の音から廊下の足音、扉が開くまでが、いつもの半分の時間だった。
スマホを握りしめた手より先に、その髪へ目が行った。
金色だ。昨日ツクヨミのアバターで見た色が、現実の髪にも移っている。
一瞬だけ見て、目を戻す。本人はまるで気にしていない。今のかぐやには、髪の色よりライバーの方がずっと大事らしい。
「もう決めたんだ」
「決めた!」
「彩葉さんは?」
「バイトだって」
僕の隣へ勢いよく座り込み、あぐらをかく。少し行儀が悪い。
画面に顔を近づけて検索を始めたかと思えば、開いたページをすぐ閉じ、また別のページを開く。寝て起きても気は変わらなかったどころか、昨日より勢いが増している。
「彩葉、ライバーの話全然聞いてくれないし。一緒にやりたいのにぃ~」
「彩葉さんにも、やらないといけないことがあるからね」
「それも彩葉の大事なもの?」
「そうだと思うよ」
画面を滑っていた指が、少し遅くなった。
学校へ向かう彩葉さんを見送った朝と、同じ顔だ。自分と一緒にいない時間にも、彩葉さんなりの理由がある。それを一つずつ確かめている。
「僕だって、仕事があればずっと一緒にはいられないし」
「え、イツキも!?」
勢いよく顔が上がった。
そこまで驚かれるとは思わなかった。かぐやの中で僕は、いつでもここにいるものになっていたらしい。
何か言いたそうに口を開きかけて、かぐやはまた画面へ目を戻した。今度は動画の作り方を調べているらしい。
「じゃ、イツキは何する?」
「何って?」
「最初の動画! かぐやとイツキでしょ?」
最初から二人でやる前提だったらしい。
昨日の会場でも、三人と数えられたまま返事をしそびれていた。ちゃんと言っておかないといけない。
「動画はやらないよ」
「……え?」
「ヤチヨカップにも参加しない」
画面の上で、指がぴたりと止まった。
葛原イッキとしてなら、参加資格はある。けれど、僕の立場でこういう競争性のある公式イベントに出るのは色々と難しい。順位を競う側には入らないと、ずっと前から決めている。
……ヤチヨも、僕とのコラボはしたがってたけどね。
そういう事情を、今のかぐやに全部話すことはできない。
かぐやがゆっくりと顔を上げた。怒っているのでも、拗ねているのでもない。返事をどう受け取ればいいのか分からない顔だった。
「かぐやとやりたくない?」
思っていたより、ずっと小さな声だった。
断ったことがそこへ繋がるとは思っていなかった。
「そうじゃないよ。かぐやがやるなら応援するし、困ったことがあれば手伝う。でも、ヤチヨカップには僕は出ない」
「……一緒じゃないじゃん」
視線が膝の上へ落ちる。
参加しないこと自体より、別のところが引っ掛かっているらしい。思い返せば、かぐやに何かを頼まれて、ここまではっきり断ったのは初めてだった。
「……じゃあ、一人?」
「一人じゃないよ。やるのはかぐやだけど、僕もいる」
「……」
「応援するよ」
「……絶対?」
「うん」
まだ納得しきれない顔のまま、かぐやが僕を見上げる。
「じゃあ、絶対見ててよ」
「見るよ」
「最初から最後まで!」
「分かった」
約束を確かめるように一度頷いて、かぐやはようやく画面へ目を戻した。止まっていた指が、少しずつ動き出す。
「最初って何すればいいんだろ」
「かぐやがやりたいことでいいんじゃない?」
「それじゃ決まんない!」
「いっぱいあるんだ」
「ある!」
即答だった。やりたいことだけは、決めきれないほどあるらしい。
しばらく画面と睨み合っていたかぐやが、ぱっと顔を上げた。
「……よし。まず、かぐやを知ってもらう!」
「決まった?」
「決まった!」
さっきまで止まっていた指が、また忙しなく画面の上を走り始めた。