転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
帰ってきた彼女は僕が知っていた少女とは違っていた。
もちろん、面影は残っている。
笑った時の目元。考え込むと少しだけ唇を引き結ぶ癖。言いたいことを我慢している時ほど、こちらをまっすぐ見ようとするところ。けれど、その身体はもう僕の手を借りなければ立てなかった頃のものではない。
僕の知らない土地を歩き、僕の知らない人と出会い、僕へ相談することなく失敗してきた。何を経験し、何を得たのか。彼女はそれを自分の言葉で語り、これから何をするのかも自分で決めていた。
彼女が家を離れていた間、両親にも時間は流れていた。
父親の髪には白いものが混じり、以前なら軽々と担いでいた荷物を一度地面へ置いて持ち直すようになった。母親も家事の合間に腰を下ろすことが増えた。立ったまま僕を追い払っていた頃と違い、今では椅子に座ったまま口だけであれをしろ、これをしろと指示してくる。
それなのに、僕の姿だけはほとんど変わっていなかった。
彼女が幼子から少女へ、少女から大人へ変わった時間を僕の身体は何一つ刻んでいない。
その事実を彼女も知っていた。
それでも最初のうちは以前と大きく変わらない日々が続いた。
僕が家へ顔を出せば、彼女は旅先で見たものを話した。僕が何かを勧めれば、必要だと思ったものだけを受け取る。
必要のないものははっきり断った。
重い物へ手を伸ばせば自分で持てると言う。失敗しそうな道を避けるよう勧めれば、それでも自分はこちらを選びたいと答える。
もう、僕が先回りして道を整えるだけの相手ではなかった。
分かっていたはずなのに、長年の癖はなかなか抜けなかった。
ある日、彼女と街を歩いていた時のことだった。
僕たちに気づいた人々が、次々と足を止めた。
『金眼の預見者』
その名は僕が拠点としていた街の外へも広がっていた。依頼の相談を持ちかける者。家族の未来を見てほしいと頼む者。商売の吉凶を尋ねる者。握手を求め、祈るように頭を下げる者までいる。
一人へ応じれば、また一人が近づいてくる。
僕が対応している間、彼女は少し離れた場所で待っていた。やがて人の波が途切れ、ようやく歩き出せるようになった。
けれど、僕がその場を離れた後も彼女のもとへ近づく者がいた。
僕への依頼を取り次いでほしい。親しいなら次にどこへ行くのか教えてほしい。貴族の遠縁に当たる家なら、有力者との付き合いもあるのだろう。
彼女自身が外で何をしてきたのかではなく、僕にどれほど近い人間なのか。そればかりを尋ねられていた。
彼女は慣れた様子で断った。笑顔を崩さず、伝えるべきことだけを伝え、それ以上は話さなかった。追いすがる相手にも最後まで声を荒らげなかった。
だからこそ、その後に吐いた息がひどく重く聞こえた。
「すまない」
「どうしてあなたが謝るの?」
そう言った彼女は首を傾げていた。
答えられなかった。
僕が望んで得た名声ではない。それでも、その名が僕以外の人間へまで影を落としていることは事実だった。
しばらくして、今度は僕が彼女へ心配をかけた。
依頼から戻った僕を見て、彼女は何も言わず椅子を引いた。
「座って」
「大した傷じゃないよ」
「座って」
二度目は少し低い声だった。
抵抗しても話が長くなるだけだと判断し、素直に腰を下ろす。彼女は傷口を覆っていた布を外し、消毒と新しい包帯を用意した。
手つきに迷いはない。
僕がいない時間にも、彼女は必要なことを覚え、経験を重ねてきたのだろう。
「自分でできるよ」
「知ってる」
「なら」
「私がしたいの」
短く返される。
彼女の手を煩わせるほどの傷ではない。そう伝えようとしたところで、彼女が顔を上げた。
「あなたが私を助けるのはよくて、私があなたを助けるのは駄目なの?」
言葉に詰まった。
駄目なわけではない。
ただ、僕の問題へ彼女を巻き込みたくなかった。そう答えると、彼女は小さく息を吐いた。
「巻き込まれるかどうかも、私が決めることじゃないの?」
以前にも似たことを言われた。
失敗するかどうかまで勝手に決めないで。私の選択まで奪わないで。
幼かった頃の声と、目の前にいる彼女の声が重なった。
僕は反射的に視線を伏せた。
彼女は僕の前へ屈み込むと、下から顔を覗き込んだ。
「目を逸らさないで」
視線が合う。
そのまま彼女はじっと僕の瞳を見つめた。
「昔から、その目が好きだった」
思いがけない言葉に瞬きをする。
「温かくて、見ていると安心するの。何があっても大丈夫だって思える」
彼女はそう言ってから、わずかに眉を寄せた。
「だから、安心させるためだけに笑ってる時も分かる」
誤魔化せていると思っていた。
僕はこの瞳を気に入っている。前の世界で愛した人がお日様のようだと褒めてくれた。形を変えて生まれた僕に、かつての自分が残っている証でもあった。
けれど、この世界でも同じ目を温かいと言ってくれる人がいる。
そのことを嬉しいと思った。
同時に、怖いとも思った。
彼女はもう守られるだけの子どもではない。僕を見て、僕の隠したものへ手を伸ばし、差し出したものを受け取るかどうかまで自分で選べる。
だからこそ、気づかないふりを続けることはできなかった。
彼女と過ごす時間が増えるほど、僕の中に新しい未来が積み重なった。
次に何を話そうか。
何を食べようか。
どこへ行こうか。
彼女が選ぶ道の先に、自分もいたい。
それは前の世界で愛した人へ会うための道ではなかった。
今ここにいる彼女と生きる道だった。
彼女も同じ変化へ気づいていたのだろう。
ある日、彼女は僕へ自分の気持ちを告げた。
幼い頃から慕っていたことは否定しなかった。けれど、それだけではないと言った。
外の世界を見た。僕以外にも信じられる人や大切な場所ができた。一人でも生きられるようになった。
その上で、僕と生きたいと選んだのだと。
僕はその気持ちをすぐには受け取れなかった。
「君が子どもから大人になるまで、僕の姿はほとんど変わらなかった」
彼女は黙って聞いている。
「君の父親も、母親も、少しずつ年を重ねている。けれど、僕はこれからも同じかもしれない」
口にすると、恐れていた未来が輪郭を持った。
「君は僕よりずっと早く老いる」
彼女の表情は変わらない。
僕は続けた。
「それだけじゃない」
街で彼女へ群がった人々を思い出す。
僕の名を使おうとする者。彼女自身ではなく、僕に近い人間としてしか見なかった者。貴族の遠縁という家柄まで掘り起こし、利用価値を探ろうとした者。
「僕と一緒にいれば、君自身の名前より先に僕の妻として見られるようになる」
今でもすでに、その兆しはある。正式に結ばれれば、さらに逃れにくくなるだろう。
「僕は今も前の世界で愛した人を忘れていない」
その人へ会うために、ここまで生きてきた。
別の人を愛する自分をどう受け入れればよいのか分からなかった。幼い頃から関わった僕が彼女の人生を狭めた可能性もある。この感情を受け取れば、彼女が別の未来を選ぶ機会まで奪うのではないか。
考えられる危険を並べ終えると、彼女はしばらく僕を見つめていた。
やがて、困ったように笑った。
「やっぱり、そうすると思った」
「何がだい?」
「私のためって言って、私の未来をあなた一人で決めること」
胸の内を見透かされたようだった。
彼女は僕の挙げた危険を一つも否定しなかった。
寿命が違うことも。周囲から役割を押しつけられる可能性も。前の世界に愛する人がいることも。
すべてを理解した上で、僕へ言った。
「起こるかもしれないことは教えてほしい」
彼女の視線は逸れない。
「でも、それを知って何を選ぶかは私に決めさせて」
僕はまた彼女の選択を守ろうとして、その選択自体を奪おうとしていた。僕が恐れている未来を見せないことと、彼女を守ることを同じにしていた。
「前の人を忘れてほしいなんて言わない」
彼女は続けた。声はだんだん震えていた。
「私は誰かを忘れて空いた場所に入りたいわけじゃないから」
その言葉を聞いて、ようやく分かった。
前の世界で愛した人への想いを捨てなければ、現在を選べないわけではない。
過去を大切にすることと、今ここにいる人を大切にすることは同じ人生の中にあってもいい。
彼女は誰かの代わりではない。
僕がこの世界で出会い、時間を重ね、変わっていく姿を見てきた人だ。
そして今、僕自身が未来を共にしたいと思っている人だった。
『
この選択が正しいのか。どれほど長く一緒にいられるのか。最後に後悔するのか。
何一つ確かめなかった。
「僕は前の世界で愛した人を今も愛している」
彼女は静かに頷いた。
「それでも、君を愛していることまで過去への裏切りにはしたくない」
もう一度、彼女の目を見る。
「僕は、君と生きたい」
「うん。私も、あなたと生きたい」
彼女は泣きそうな顔で笑い、互いの手が重なった。
その時、遠くで何かが告げられた気がした。
《物質体への依存の解消を確認しました。種族:聖人への進化……成功しました。以降精神体への移行が自在に可能になりました。》
《
《
確かに聞こえたはずだった。
けれど、その時の僕はようやく受け取れた手の温度以外を考える余裕がなかった。
変化へ気づいたのは数日後だった。
絶えず揺らいでいた魔素は呼吸をするように自然に巡っている。肉体は変わらず存在していたが、そこへ縛られている感覚が消えていた。長く魂の内側へ折れ曲がっていた道も、もう僕自身によって塞がれてはいない。
『
だが、『
一度知覚した地点へ渡るだけではない。渡る前に到着地点とその周辺を観測できる。その力がどこまで届くのか、当時はまだ分からなかった。
ただ、僕が今から続く未来を選んだ時、僕の魂もようやく同じ選択をしたのだろう。
妻となった彼女との生活は劇的なことばかりではなかった。
時折、一人で過ごしたいと思う時もあった。そんな時は彼女に一言伝え、自分だけの時間を取った。妻はそんな時、何も言わずに一人にしてくれた。
僕が食事を作りすぎる。彼女が仕事を抱え込みすぎる。互いに休めと言いながら、自分は休まない。
何度も同じことで叱り、同じことで叱られた。
僕が一人で答えを出そうとすれば、彼女は必ず問い詰めた。迷っていることも、怖いことも、隠さず話せと言った。疲れた時には僕の向かいへ座って目を合わせた。
「やっぱり安心する」
「何がだい?」
「その目。温かいから」
何度目か分からない言葉を彼女は飽きもせず繰り返した。僕が同じことを尋ねるたび、彼女は同じように答えた。
彼女と暮らし始めてから、瞳を褒められることは昔の自分が残っている証だけではなくなった。
今の僕も誰かを温められる。
そう思える、小さな誇りになった。
彼女の両親とも、以前と変わらず食卓を囲んだ。
父親は相変わらず冗談を言ったが、その声は以前より少し穏やかになった。母親は椅子へ座って作業する時間が増えた。それでも僕が余計な世話を焼けば、口だけは昔と変わらない勢いで僕を追い払った。
僕だけが変わらない。
その事実を幸福な日常の中でも何度か意識した。
ある日、彼女が海を見たいと言った。
僕たちが暮らす場所からは遠く、気軽に行ける距離ではない。それでも、いつか時間を作って行こうと約束した。
彼女は海は光によって色が変わると聞いたのだと言った。
「あなたの目みたいに、いろんな色が見えるのかな」
その時は必ず行けると思っていた。
僕たちにはこれから長い時間があると思っていたから。
彼女の家は以前から、近隣の孤児院や施療所を支援していた。食料や薬を届け、壊れた家具を修理し、人手が足りなければ仕事を手伝う。
僕もこの世界へ来て間もない頃から、荷物運びや料理の手伝いで関わっていた。妻となった彼女も家の役目だからではなく、自分の意思で孤児院へ通い続けた。
二人で暮らすようになってからも、それは変わらなかった。
そこで、一人の少年と顔を合わせるようになった。
七つか八つほどに見えたが、本人も正確な年齢を知らなかった。
最初の頃、少年は僕たちをほとんど信用していなかった。
欲しい物を尋ねても答えない。食事の席では端へ座る。こちらが話しかければ、必要なことだけを短く返す。
それでも、他の幼い子が食事をこぼせば黙って布を差し出した。泣いている子がいれば、見つからないよう隣へ座った。
自分の物は大切に隠すくせに、誰かが困っている時には手を貸す。壊れた玩具や魔導具を拾い、捨てずに持っていることも多かった。
僕たちは何度も孤児院へ通った。
一緒に食事をした。何も話さず、同じ部屋で別々の作業をした。少年が壊れた玩具を分解し、元へ戻せなくなった時も、頼まれるまでは手を出さなかった。
やがて少年の方から、小さな頼み事をするようになった。
この部品を押さえていてほしい。この本の文字を読んでほしい。次に来る時、細い針金があれば持ってきてほしい。
僕たちが来ない日を気にしていることも、少しずつ分かるようになった。本人は決してそう言わなかったけれど。
僕たちも、少年へ会う日を生活の中へ数えるようになった。
何年かを重ねた後、僕と彼女は少年へ一緒に暮らしたいと伝えた。
答えを急かさなかった。
彼女の両親も少年を歓迎したが、決めるのは本人だと何も押しつけなかった。
少年は長く考えた。
それからある日、わずかな荷物を古い箱へ詰めて僕たちの前に立った。
その日から、食卓には一つ椅子が増えた。
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■ 本日のハイライト
・ヒロイン、精神的イケメン度がカンストしている件。
「私の未来をあなた一人で決めないで」「空いた場所に入りたいわけじゃない」← カッコよすぎ
・告白受諾の瞬間に流れる『世界の声』さん、相変わらず空気が読める。
・「精神体移行可能」「太陽之王覚醒」という超進化を遂げた直後の感想:「手の温度以外を考える余裕がなかった」(※純情か)
・結婚生活の日常:料理を作りすぎる旦那 vs 仕事を抱え込みすぎる嫁vsダークライ。ファイッ!!
・そして現れた、のちに大切な息子となるツンデレな少年……!
面白いと思っていただけたら、感想・高評価等ぜひよろしくお願いいたします