【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
海水浴の話は、写真付きだった。
かぐやは僕の隣へ座るなり、スマホをぐいっと目の前へ突き出してきた。最初は青い海と砂浜。続いて芦花さんと真実さん、それから彩葉さん。髪を濡らしたまま騒いでいる一枚もあれば、人より食べ物の方が大きく写っている一枚もある。次々と画面が流れていって、最後に止まったのは岩と水だった。
「これ、カニ」
「……どこ?」
「ここ!」
かぐやが指で画面を広げて、岩をさらに大きくした。
余計に分からなくなった。
「これ、本当にカニ?」
「カニだよ」
「撮った時は『多分』って言ってたでしょ」
向かいに座る彩葉さんから、すかさず訂正が入った。かぐやがくるりと振り返る。
「でも、カニいたもん。軍隊も作った!」
「もうしないでよ!……今は写ってるかどうかの話」
「写ってるって。イツキ、分かるよね?」
「その聞き方だと、分からないって言いにくいな」
「じゃあ分かる?」
「聞き直されても、岩がカニに見えるようにはならないよ」
もう一度見せられた画面は、やっぱりほとんど岩だった。
写真の出来はともかく、三人と思いきり遊んできたことだけはよく伝わってくる。
かぐやの説明は、写真を送る指と同じくらい忙しかった。真っ先に海へ走っていったこと。みんなで水を掛け合ったこと。芦花さんが整えてくれた髪が、あっという間に崩れたこと。真実さんが買ってきた焼きそばを、なぜか彩葉さんが全部食べたこと。
最後のだけ、少し引っかかった。
「彩葉さん、真実さんの焼きそば全部食べたの?」
「そこは拾わなくていいです」
「食べたよ」
「かぐやも言わなくていいから」
「何かあったの?」
「ちょっとした報復です」
食べ物を奪われるほどの何かがあったらしい。真実さんには相当効いただろうと思ったけれど、聞けば長くなりそうなので黙っておいた。
写真はまだ続く。かぐやと芦花さん。真実さんと料理。海を背にした四人。きれいに整った記念写真というより、その場の騒がしさごと閉じ込めたような写真ばかりだ。
その中に一枚、彩葉さんが少し呆れた顔で写っているものがあった。海へ行く時間を作るために、前もって予定を調整していたらしい。休むために先に無理をするあたりが彩葉さんらしいけれど、少なくとも写真の中では、ちゃんと三人と同じ場所にいた。
「楽しかった?」
聞くと、かぐやは迷わず頷いた。
「楽しかった! 彩葉も途中から本気だったし、芦花と真実も、今度は配信一緒にやろうって」
「へえ」
「歌でもゲームでも料理でもいいって。三人でコラボする!」
「もう三つ出てるけど」
「一個ずつやるから大丈夫」
そこはちゃんと覚えているらしい。彩葉さんが小さく息を吐いた。
「言葉の意味は分かってるんですよ。使い方がちょっとおかしいだけで」
「合ってるよ。一個終わってから次やってるもん」
「間隔の話もしてるの」
「そこまでは聞いてない」
即答だった。笑いそうになって、口元を押さえる。
もちろん、かぐやは見逃さなかった。
「今笑った?」
「笑ってないよ」
「絶対笑った」
「気のせいじゃないかな」
「イツキまで彩葉みたいなこと言うようになった」
それは少し心外だ。向かいを見ると、彩葉さんも納得していない顔をしていた。
「私を何だと思ってるのよ」
「彩葉」
「それは名前」
今日も元気そうで何よりだ。
満足するまで見せ終えたのか、かぐやの指がようやく止まった。と思ったら、何枚か戻したところで、ふっと顔を上げる。
「そうだ。今日、歌おうと思ってるんだ。ツクヨミでいい場所見つけたんだよね。橋の上なんだけど――」
「待って。今から? それに私も弾く前提?」
「うん。海で言ったじゃん、もっと一緒に歌いたいって」
「あれは時間が空いてたらって話でしょ」
「曲もちゃんと決めてあるよ!」
「曲の準備じゃなくて、伴奏者のスケジュールの問題」
彩葉さんが額に手を当てた。
「ねえ、彩葉~。一曲だけ、一緒にやろ? かぐや、彩葉に演奏してほしいんだもん」
かぐやが眉尻を下げ、甘えるように彩葉さんの顔を覗き込む。彩葉さんは額に当てていた手を下ろして息を吐き、自分の予定を確かめた。
「……一曲なら。今日はそれでおしまいだからね」
「うん、一曲! やったー!」
返事を聞くなり、かぐやが勢いよく立ち上がった。
「じゃあツクヨミ行こ!」
僕も腰を上げると、かぐやがすぐにこっちを向いた。
「イツキも最初から見ててね」
「最後まで、でしょ?」
「そう!」
「分かってるよ」
もう何度目かの約束だった。何度目でも、守ればいい。それに、僕も二人の演奏を聴きたかった。
◆
常夜のツクヨミには、見上げても太陽がない。
黒に近い空には、月のように見える巨大な球形のミラーボールが浮かんでいる。鏡面タイル状の表面が淡い光を返し、その下に木造の家々が幾重にも連なっていた。
細い通りを挟んで低い軒と二階建ての町家が並び、格子窓の奥から橙色の明かりが漏れている。家々の間には提灯を模した灯りが浮かび、石畳へ赤や金の色を落としていた。
江戸とも平安とも言い切れない。古い日本の街並みをいくつも混ぜ合わせて、現実にはなかった形へ組み直したような町だ。
通りの途中を細い水路が走り、その上に木造の渡し橋が架かっている。今日の舞台は、その橋の上だった。
水の中では、青白く光る魚がゆっくり泳いでいる。群れが水面近くまで上がってくると、ときどき欄干の高さまでふわりと浮かび、光の尾を残してまた沈んでいった。
その光を背に、かぐやが橋の中央に立っている。少し後ろには狐の着ぐるみ姿のいろP――彩葉さんがいて、肩から下げた鍵盤で何度か音を確かめていた。かぐやもそれに合わせて、軽く声を出している。
僕はいつものアバターで、橋から少し離れた通り側に立った。
観客はまだ少ない。橋を渡ろうとしていた人が何人か足を止め、何が始まるのかと様子をうかがっている程度だ。
宣伝もない。
大きなステージもない。
スタッフの誘導もない。
かぐやが歌いたくなって、彩葉さんが一曲なら弾ける。だから歌う。
ゲリラライブとしては、それで十分だった。
「今から一曲やる! 通りすがりでもいいから、聞いてって!」
かぐやの声が、橋の向こうまでまっすぐ抜けていく。足を止めていた人たちが少し笑い、その中からすぐに別の声が上がった。
「かぐやだ」
「いろPもいるじゃん」
もう知っている人も混ざっていたらしい。かぐやはすかさずそっちへ顔を向けた。
「知ってる人もいるじゃん。じゃあ、もっと聞いてって!」
強引だ。
でも、離れていく人はいなかった。
彩葉さんが鍵盤に手を置く。短く視線を送ると、かぐやが頷いた。
音が始まった。
『竹取オーバーナイトセンセーション』
曲名を聞いて、少しだけ可笑しくなった。
竹取。
それを今のかぐやが選んで、橋の真ん中で堂々と歌おうとしている。なんというか、妙に似合う。本人が気に入って選んだのなら、それでいい。
彩葉さんの鍵盤が軽快に走り出した。
少し影のある響きを含んでいるのに、曲は沈まない。音が鳴るたびに次へ次へと引っ張られて、立ち止まる暇もなく前へ進んでいく。速いけれど、忙しなさより勢いの方が先に耳へ入ってきた。
そこへ、かぐやの声が重なる。
高い音へ上がっても、声は細くならない。言葉の多い曲なのに、一つ一つが流れに埋もれずに届いてくる。息継ぎの場所も少なそうなのに、速さだけで押し切っている感じはしなかった。
前より上手くなった。けれどそれ以上に目立つのは、やっぱり覚える速さだ。
歌そのものは、最初から得意だった。今はそこへ、配信や人前で歌った経験が少しずつ積み重なっている。目の前の相手へ声を投げ、返ってきた反応に気づき、次の瞬間にはそれを歌の中へ拾う。その切り替えが速い。
橋の端にいた一人が手を振った。かぐやはすぐに気づき、歌を崩さないまま視線だけをそちらへ向ける。
一人が足を止め、その後ろでまた人が止まる。いつの間にか、橋を通り過ぎるだけだった人たちが欄干の脇へ寄り始めていた。通りの向こうからも人が来る。途中で気づいたファンも混ざり始めたらしい。
「かぐやー!」
声が飛んだ。
かぐやがそちらへ顔を向け、嬉しそうに応える。その横で、彩葉さんの伴奏も少しだけ前へ出た。
かぐやの声が高く抜けるところでは鍵盤が一歩引き、細かく言葉を刻むところでは下から音を置いて支えている。歌を追い立てず、かぐやが次に行きやすい場所を先に作っていた。
彩葉さんが音楽を仕事として続けてきたことを考えれば、技術だけなら前から持っていたものなのだろう。けれど今の演奏には、それだけではないものが見えた。
彩葉さんが、ときどきかぐやを見る。かぐやも振り返る。言葉や合図で確かめる様子はない。目が合えば、それだけで次へ行く。
以前、僕の部屋で二人がやっていた即興に少し似ていた。相手が何をするのかを見て、それを受けて自分が返す。ただ今は、それを大勢の前でやっている。
気づけば、橋の上だけでは人が収まらなくなっていた。両側の通りにもアバターが並び、提灯の明かりの下へ人影が増えていく。水路から浮かび上がった青白い魚が、その間を縫うようにゆっくり横切った。
最初の静けさは、もうどこにもない。
その人波の端に、見覚えのある姿を見つけた。
忠犬オタ公。
こんなところまで来ていたのか。いや、ファンなのだから、むしろ当然かもしれない。
一瞬こちらに気づくかと思ったけれど、視線は橋の中央から微動だにしなかった。完全にかぐやしか見ていない。
筋金入りだ。
それなら、僕から声を掛ける必要もない。今は僕も、同じ観客の一人だ。
曲はさらに勢いを増していく。
速い曲は、どこか一か所が崩れると全体まで引っ張られやすい。歌が急げば伴奏も急ぎ、伴奏が押せば歌も前へ出る。
けれど、二人の間にはまだそれがない。
かぐやが少し先へ出れば、彩葉さんは慌てて追いかけるのではなく、その先に着地できる場所を作る。彩葉さんが音の形を変えれば、かぐやもすぐにそれを拾う。どちらか一人が全部を合わせているわけじゃない。
二人で一つの流れを作っている。
橋の向こうで歓声が上がった。かぐやがそれを受けて、さらに声を伸ばす。
「「ハイ!」」
声に合わせて、何人かのアバターが跳ねた。ほとんど同じタイミングで、水路から青白い魚の群れが一斉に浮かび上がる。光の尾が、人の頭上を流れていった。
偶然なのか、何かの演出か。ただ、常夜の町並みにはよく似合っていた。
最後まで、二人の勢いは落ちなかった。
彩葉さんの指が鍵盤から離れ、かぐやの声が止まる。
一瞬だけ、橋の上が静かになった。
次の瞬間、歓声が弾けた。
最初は数人しかいなかった場所が、すっかり人で埋まっている。かぐやは目を丸くしたあと、すぐに観客へ向き直った。
「ありがと! また突然やるかもしれないから、見つけたら来て!」
あくまで突然やるらしい。周りからはすぐに声が返ってきた。
後ろの彩葉さんは、諦めたように肩を落としている。次のことを想像したのかもしれない。
僕も同じことを考えた。
かぐやだけが満足そうだった。
◆
ログアウトすると、さっきまでの歓声が嘘みたいに消えた。常夜の町も、橋を埋めていた人影もなくなって、視界はいつもの部屋へ戻ってくる。
先に接続を切っていたかぐやが、もう僕の方を見ていた。
「どうだった?」
彩葉さんもスマコンを外しながら、こちらを見る。感想を待ちきれない顔のかぐやの横で、彩葉さんは僕の返事を静かに待っていた。
「よかったよ」
「それだけ?」
やっぱり足りなかった。
「あるけれど、一個ずつ話してもいいかな」
「いいよ。いっぱいあるんでしょ?」
「自分でどんどん期待を上げていくね」
「だって、よかったんでしょ?」
僕はさっき見ていたものを、そのまま順番に返すことにした。
「速い曲なのに、言葉が潰れてなかった。高いところでも声が細くならなかったし、人が増えてからもちゃんと反応を拾ってたよね。前より、人がいる場所で歌うのに慣れてる感じがした」
「でしょ!」
かぐやの顔が一気に明るくなる。僕は彩葉さんの方へ向き直った。
「彩葉さんの伴奏もよかったです。かぐやが少し前へ出ても、ただ追いかけるんじゃなくて、その先に戻れる場所を作ってたから」
「……そこまで見てたんですか」
「最初から最後まで見るって約束したから」
言うと、かぐやがすぐに頷いた。
「ちゃんと見てる!」
「前にも確認したよね」
「何回でも確認する」
「信用されてないのかな」
「信用してるよ。確認したいだけ」
「それなら仕方ないか」
彩葉さんが、やれやれというように息を吐いた。
「面倒くさいでしょ」
「今さらかな」
「それもそうですね」
かぐやが、僕と彩葉さんを交互に見る。
「人、いっぱい来たよね」
「最後はかなりいたね」
「最初は全然だったけど」
すぐに彩葉さんの訂正が入った。
「だから増えたんじゃん」
「そこは否定してない」
「じゃあ成功!」
それでいい。大きな会場を借りたわけでも、大々的に宣伝したわけでもない。橋の上で一曲歌い始めて、通りかかった人が足を止めて、少しずつ増えて、最後まで聞いていった。
ゲリラライブとしては、十分すぎるくらいだ。
かぐやはもう、次のことを考えていそうな顔をしていた。彩葉さんも気づいたらしい。
「先に言っとくけど、今日はもうやらないからね」
「分かってる」
思ったより素直な返事だった。彩葉さんが少しだけ目を瞬かせる。
かぐやは続けた。
「今日は終わり。でも次はまたやる」
「そこは変わらないのね」
「変える理由ないじゃん」
確かに。
彩葉さんは何か言いかけて、結局やめた。
「次も、できる時だけよ」
「うん。できる時にやる」
「……ちゃんと聞いてる」
「前から聞いてるって」
かぐやが少し不満そうに言う。
僕はとうとう笑った。
今度は隠さない。
「イツキ、今笑った!」
「笑ったよ」
「認めた!」
「認めるところだからね」
彩葉さんが息を吐いて、肩をすくめた。
さっきまで橋の上にあった賑わいとは違う。三人しかいない部屋の、気の抜けたやり取りだった。
満足したのか、かぐやはもう一度スマホを手に取った。
「そうだ。まだ見せてないのある」
「まだあるの?」
「いっぱい撮ったから」
彩葉さんが露骨に嫌そうな顔をする。
「変なの見せるなよ」
「変なのって何?」
「それを私に聞くな」
また始まりそうだ。
僕は笑いながら、二人の間に差し出された画面を覗き込んだ。
今夜は、まだ少し賑やかになりそうだった。
【ツクヨミ路上ライブ目撃スレッドより】
・速報:渡り橋の上で急にかぐやといろPがゲリラライブ開始
・選曲『竹取オーバーナイトセンセーション』は草。本人カバーの破壊力よ
・いろPのキーボード伴奏、完全にプロの仕事で鳥肌立った
・間奏のアイコンタクトだけで音合わせてるの尊すぎないか?
・後ろの方で腕組みして真剣に見てた神事服アバターの男、雰囲気が完全に保護者のそれだった件
・人混みの端っこで微動だにせずかぐやを凝視する忠犬オタ公のブレなさ
お読みいただきありがとうございました
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