【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
ヤチヨ誕生日記念
何度確認しても、鍵盤は鍵盤だ。
仕事でも触っているし、配信でも弾いた。ゲリラライブだってやった。いつもの狐の着ぐるみ姿で、いつものキーボードの前に立っている。指の置き場所も最初の音も、もう身体が覚えている。
なのに今日は、舞台の向こう側が妙に気になる。
ツクヨミに空気なんてものはない。匂いも温度もない。それでも、舞台を隔てた先から途切れず届くざわめきだけで、そこに大勢がいることが分かってしまう。
みんな、かぐやを待っている。
どうしてこうなったかと言えば、始まりはいつもどおり、かぐやの一言だった。
「ライブやる!」
その日、私はキーボードの前で作業中だった。
何かをしている最中に、かぐやが別の何かを持ち込んでくるのにも慣れてきた。慣れたくはなかったけど。手だけ止めて振り返ると、かぐやはツクヨミの画面を開いたまま、妙に堂々と胸を張っていた。
「……ライブ?」
「うん! かぐやのライブ! 今度はちゃんとしたやつ!」
「今までのがちゃんとしてなかった自覚はあるんだ」
「あるよ? 今度のは、いーっぱい来るやつ!」
説明が雑。自覚があるのも、それはそれで困る。
ただ、指さされた画面を覗き込めば、言いたいことは分かった。その場の勢いで歌い始めるんじゃない。最初からライブとして場を用意して、観客を呼んで、自分の歌を聴いてもらう。かぐやはもう、配信でも動画でもゲリラライブでも歌っている。振り付けを合わせてステージで歌うのも初めてじゃない。それでも今回は、最初からかぐやを見るために人が集まって、その真ん中にかぐや一人の名前がある。
これまでやってきたことを考えれば、次が本格的なライブなのは自然な順番だった。
「で、彩葉も出る!」
「何で決定事項なのよ」
「キーボードで!」
「担当の話はしてない」
反射で返したところで、かぐやがぴたりと口を閉じた。少し前なら、そのまま次の話まで一気に進めていただろうに、今は私の顔をじっと見て、返事を待っている。
……そういう待ち方、どこで覚えてくるのよ。
私は画面へ視線を戻した。やること自体に反対する理由はない。問題は、私まで出ることだ。人前で弾くことより先に、準備にどれだけ時間を取られるかが頭に浮かぶあたり、我ながら現実的だと思う。
「……何曲やる気?」
「一曲! 『私は、わたしの事が好き。』!」
曲名まで即答だった。私に話す前から、全部決めてたってことじゃない。
小さく息を吐いて、私は鍵盤の上へ手を戻した。一曲なら、今の作業の合間でも合わせられる。
「分かった、やる。ただし条件は三つ。ゲリラの時みたいに、その場で何とかするのはなし。入りと終わりは必ず合わせて、歌とキーボードのバランスも確認する。それと、直前になって思いつきで何か増やさない」
「分かった!」
返事が早い。ホントに聞いてんのか、こいつ。
「今、最後の聞いてた?」
「聞いてた!」
「じゃあ言ってみて」
「直前に思いついても、彩葉には黙っとく!」
「一番ダメな解釈したわね!?」
かぐやがけらけら笑う。まったく。
それでも、私の手はもう鍵盤から離れていなかった。
準備そのものは、思っていたよりずっと簡単だった。ツクヨミにはライブに必要なものが最初から揃っていて、私たちは用意された範囲を確かめ、自分たちに合わせて少し調整すればいい。
……はずだったのだけれど。
実際にツクヨミの会場へ入り、かぐやと音を合わせていると、隣で聞いていたイツキさんが口を開いた。
「歌とキーボード、一回客席側でも確認した方がいいよ」
イツキさんは、何気ない調子で続けた。
「舞台側で聞こえる音だけ合わせても、客席で同じように聞こえるとは限らないから。入りと終わりだけでも、一度外から聞いておくと本番で迷わなくて済むと思う。よければ僕、客席側で聞いてくるよ」
言うが早いか、イツキさんはもう客席の方へ歩き出していた。かぐやがその背中へ声を掛ける。
「イツキ、やったことあるの?」
「似たような準備を見る機会は何度かあったよ。でも、歌うのはかぐやだし、弾くのは彩葉さんだから、最後は二人で決めてね」
客席側でこちらを向いたのを確かめ、かぐやと目を合わせた。合図を出して、最初の音から弾き始める。
歌い出しを過ぎたところまで進めて止めると、向こうから声が返ってきた。
「歌い出しのところ、キーボードに声が少し隠れるかな。その後はちゃんと聞こえる」
……具体的すぎない?
「じゃあ、歌が入るところだけ少し引いてみます。もう一回いいですか?」
「うん。同じところをお願い」
もう一度かぐやと合わせ、歌い出しに重なるところだけ、鍵盤を叩く強さを少し抑えた。こちらでも声の立ち上がりが聞き取りやすくなる。ただ、客席でどう聞こえるかは別だ。弾き終えて顔を上げると、イツキさんが頷いた。
「今の方が、最初の声がはっきり聞こえるよ。キーボードもちゃんと聞こえてる」
「かぐや、歌いにくくない?」
「全然。こっちの方が自分の声聞こえる!」
「じゃあ、入りは今のでいこう」
どこを少し引けばいいか確かめ直してから、客席側を見た。イツキさんが戻ってくる。
「……イツキさん、こういうの詳しすぎません?」
「そうかな?」
「そうです。普通の人は、頼まれる前に客席側へ回ったりしません」
少なくとも私は、それを近所のお兄さんの標準装備だとは思っていない。
イツキさんは少しだけ首を傾けた。
「まあ、こういうのは少し見たことがあるから」
そういうもの、なんだろうか。
引っかかったけれど、横ではもうかぐやが別の項目を触っていた。
「ねえ、ここの光もっと派手にしてもいい? あとこっちも――」
「だから勝手に触る前に聞いて!」
「本番前に変えるなら一個ずつね。どこを変えたか分からなくなると、戻すのが大変だから」
イツキさんが、さらっと付け足す。
一個ずつ。それ、私がかぐやに言ったやつ。
「じゃあ一個ずつ全部派手にする!」
「一個変えたら確認するの。全部変えるって先に決めないで」
あまりにも自然な流れだったので、その時は私も一緒になってかぐやを止めていた。あとになってから、やっぱり詳しすぎない? とは思ったけれど。
曲はもうある。振り付けも決まっている。新しく作るものはない。最後に必要だったのは、私とかぐやがちゃんと同時に始めて、ちゃんと同時に終われることだけだった。
「もう一回。入りだけ」
「えー、今よかったじゃん!」
「よかった。でも、かぐやが半拍先に出た」
「半拍って、ほぼゼロじゃん!」
「ゼロじゃないから半拍って言うの」
「彩葉めんどくさ!」
文句を言いながらも、かぐやはちゃんと元の位置へ戻る。
合図を出す。私の指が鍵盤へ落ちて、すぐにかぐやの声が重なった。
今度は合った。
少し先まで弾いて止めると、かぐやが得意げにこっちを見る。
「今の、完璧じゃない?」
「……今のはね」
「やったー!」
すぐ調子に乗る。でも、実際よかった。
イツキさんがもう一度客席側へ戻るのを待って、今度は曲の終わりを合わせる。最後の音と歌声が揃って止まると、向こうから小さな拍手が聞こえた。
それ以上やる理由もなかったから、その日の合わせはそこで終わりにした。ツクヨミから戻って手を休めると、肩に少し重さを感じる。腕を上へ伸ばす私の横で、かぐやはもう次の画面を見ていた。
本番が楽しみで仕方ない。その顔だけは、見れば分かった。
――そして今、私はここにいる。
「彩葉」
呼ばれて振り向くと、かぐやがすぐ近くにいた。
落ち着きなく走り回っているわけでも、思いついたものへ飛びついているわけでもない。ただ舞台の向こうへ耳を澄ませるように顔を向けて、それから私を見た。
「彩葉、来て」
「何?」
かぐやが手を出す。
「彩葉とかぐや、なかよしのやつ」
「……なにそれ」
思わず苦笑が漏れた。それでも、かぐやは手を引っ込めない。待っている。
仕方なく、その手に自分の指を重ねた。指先が組み合わさって、一つの形になる。
何だこれ。自分でやっておいて、妙に恥ずかしい。
「これでいい?」
「うん!」
かぐやは満足そうに手を離した。
直後、舞台の向こうで歓声がひときわ大きくなる。かぐやはそちらを見て、もう一度私を見た。今度は何も言わない。ただ、行く、と言うみたいに軽く顎を上げる。
私はキーボードへ向かった。
光が開いた。
先にステージへ飛び出したかぐやの姿が、客席からの歓声に飲み込まれる――いや、違う。かぐやは、そのど真ん中に立っていた。
「かぐやっほー!」
返ってくる声が、想像していたよりずっと大きい。
かぐやが両手を広げた。
「聞こえなーい! 今日、誰のライブ見に来たのー!?」
さらに大きな声が返る。
「もっと! まだいけるでしょ!」
煽る。とにかく煽る。
初ソロライブで、何でそんなに堂々としてるのよ。
呆れながら、それでも私は鍵盤へ指を置いた。客席へ一度だけ視線を向けると、光の向こう、人の波の中に見覚えのある姿があった。
イツキさん。合わせの日と同じ、客席側にいる。最初から。
かぐやも見つけたのか、一瞬だけそちらへ視線をやった気がした。でも確かめる暇もなく、次の瞬間には客席全体へ向き直っている。
「じゃあいくよ! 今日は最後までついてきて!」
息を整えて、指先に力を入れる。
『私は、わたしの事が好き。』
鍵盤を叩く。音が走って、かぐやが跳ねた。
もう何度も弾いた曲なのに、今日の最初の一音はまるで違って聞こえた。
私の音の上を、かぐやの声が駆けていく。決まった振り付けで身体を動かしながら、視線だけは客席の一か所に留まらない。右へ、左へ、前へ。声が返ればそちらを見る。客席もただ聴いているだけじゃなかった。かぐやが腕を振れば向こうで光が揺れ、かぐやが前へ出れば歓声が一段近くなる。
私は鍵盤を弾きながら、その全部を横から見ていた。
どこで息を吸うかも、どこで足を運ぶかも、だいたい分かっている。だから余計に分かった。かぐやは、いつもより楽しそうだった。
いや、楽しそう、だけじゃない。返ってくるものを全部拾おうとしている。自分の投げた声が届いて、また声が返ってくる。そのたびに、かぐやの動きが少しずつ大きくなる。
私の指も、自然にそれを追った。強く出るところでは強く。歌を立たせたいところでは一歩引く。
視線が一瞬だけ合う。かぐやがほんの少し顎を引く。
次。
分かってる。
私が鍵盤を叩き、かぐやが踏み出す。音と声が重なった。
ゲリラライブの時とは違う。あの時は、偶然そこにいた人たちが足を止めてくれた。今日は、最初からここへ来た人たちがいる。かぐやを見に、この歌を聴きに。
観客の声は、音量なんかじゃなかった。身体ごと押されるみたいだった。イヤホン越しでも、画面越しでもない。舞台の向こうから、一斉にこっちへ返ってくる。
こんなのを、ヤチヨはいつも浴びているんだろうか。
一瞬だけそう考えて、すぐ鍵盤へ意識を戻した。
今は、かぐやだ。
サビへ向かって、歌がさらに前へ出る。かぐやの動きが大きくなり、客席が応え、私は指を走らせる。何度も弾いたはずのフレーズが、今日は妙に手に馴染んだ。特別なことをしているわけじゃない。私は弾いているだけで、かぐやは歌っているだけ。なのにそれが向こうへ届いて、こんなにも大きなものになって返ってくる。
最後の音へ向かう。
かぐやが中央へ戻った。私は鍵盤へ両手を置く。目が合う。今度は、何も確認しなくても分かった。
せーの。
最後の音とかぐやの声が、同時に切れた。
一瞬、静かになった。
その一瞬が、やけに長かった。
次の瞬間、歓声が爆発した。
思わず鍵盤から手を離す。
すご。
言葉にすると、それだけだった。
かぐやも、すぐには動かなかった。ステージの真ん中で目を丸くして、ただ客席を見ている。さっきまであれだけ煽っていたのに。
ほんの一拍。それから。
「どうだったー!?」
返事が来る。
「えー? 聞こえなーい! もっと言って!」
さらに大きくなる。かぐやが笑い声を上げた。
「もっと! もっともっと!」
まだ返ってくる。
いつまでやる気よ。そう思ったのに、止める気にはならなかった。
かぐやが両腕をいっぱいに広げる。
「すっごい! 何これ、めーちゃくちゃ楽しい!」
声が少し裏返っていた。
「かぐや、ライブ好き! 歌うのも大好き! みんなが返してくれるのもちょー好き!」
歓声を全部浴びながら、かぐやはもう一度大きく息を吸った。
「またやる! 絶ー対っやる! だから次も来て! 今日よりもっと声出して!」
無茶を言う。でも客席は、さらに大きな声で応えた。
かぐやが一瞬、言葉を失った。それからこっちを向いて、何も言わずに手を差し出してくる。
今度は意味が分かった。
「……今やるの?」
かぐやは答えない。嬉しそうに、手だけをもう少しこちらへ伸ばす。
ほんと、勝手なんだから。
私はキーボードの前を離れ、かぐやの隣へ歩み寄った。差し出された手へ自分の指を重ねる。さっき舞台裏で作ったのと同じ形が、今度はステージの真ん中で出来上がる。
かぐやの顔が、ぱっと明るくなった。
客席から、もう一度歓声が上がる。その声は、まだしばらく止まりそうになかった。
【ツクヨミ・かぐや初ソロライブ実況スレより】
・速報:かぐや・いろP初ソロライブ『私は、わたしの事が好き。』が神イベすぎた件
・客席煽りエグい。「今日誰のライブ見に来たのー!?」で喉枯れたわ
・いろPのキーボード伴奏、音の支え方が完全にプロの所業
・最後の音がピッタリ同時に切れた瞬間の鳥肌ヤバかった
・曲終わったあとに二人でステージの真ん中でやってた謎のハンドサイン何??? 尊死するんだが???
・客席の端で最初から最後まで静かに見届けてた神主さん、オーラが完全に身内のそれだった件
▼ いろPの反省メモ:
「ステージ中央でハンドサインを強要された(※客席から悲鳴のような大歓声が上がったため演出としては機能した模様)なお、藤原さんが音響のプロ並みに詳しかった件については要警戒」
かぐやの初ソロライブを最後まで見届けていただき、ありがとうございました。
客席の後方で見守っていたイツキと共に、皆様からの温かい高評価・ご感想を心よりお待ちしております