【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
短めです。
机上の端末に、今日の確認事項が並んでいる。
ツクヨミの運営に関わる案件は、ほとんどがそれぞれの担当で片づく。僕のところまで上がってくるのは、最終承認が要るものか、通常の手順では判断を出し切れないものだけだ。補佐がその中から、今日見ておくべきものをまとめてくれていた。
一件目は、担当側の確認記録が一通り揃っていた。結論だけでなく、判断の根拠になっている部分まで追う。引っかかるところはない。
「これはこのまま進めてください」
「承知しました」
返事とほとんど同時に、処理済みの項目が手元から消える。
二件目は、途中までは問題なかった。手が止まったのは、判断の前提に使われている資料を開いたところだ。結論がおかしいわけじゃない。ただ、その結論を出すには材料が一つ足りない。
「この前提の部分、裏付けは取れていますか?」
「担当から上がっているのは、表示されている内容までです」
「では、今は決めません。裏付けが揃ったら、もう一度回してください」
「差し戻します」
うなずいて、次へ進む。材料が揃っているものには承認を出し、足りないものは戻す。その繰り返しの途中で開いた資料に、見覚えのある名前があった。
かぐや・いろP。
公式側で扱う露出や推薦の候補として、その名前が並んでいる。
指が止まったのは、ほんの一瞬だった。
「これは、私を外してください」
「この案件から、ですか」
「はい。かぐやが含まれている以上、私が判断するべきではありません。担当側で、通常どおり進めてください」
知っているから通すのも違うし、知っているから必要以上に厳しく見るのも違う。どちらにしても、もう公平な判断じゃない。
「承知しました。代表判断から外して、担当へ戻します」
「お願いします」
資料が閉じられる。僕も、次の項目へ目を移した。
残りを確認し終えて、最後の表示が消える。背もたれへ少しだけ身体を預けたところで、補佐が言った。
「以上です」
僕はもう一度、端末を見た。
「……本当に?」
「代表確認が必要なものは、です」
「ということは、ほかにはあるんですね」
「あります。代表が見る必要のないものが」
来るべきものだけが来て、来なくていいものは来ない。補佐がそう整えてくれているなら、ここで手を出すのは邪魔をするだけだ。
一拍置いて、端末を閉じた。
「分かりました。今日はここまでにします」
「お疲れさまでした」
「お疲れさまです」
席を立ちかけて、ふと補佐の方を見る。
社用車の話は出ない。
視線を向けたまま少し待っていると、補佐もこちらを見返した。やがて何かを察したように、静かにため息をつく。
「……帰らないんですか」
「帰ります」
即答して、今度こそ席を立った。
――許された。
エレベーターで下りて建物の外へ出ると、ガラス越しに眺めていた光が一気に近くなった。日はまだ高い。歩道を行く人の流れにも、夕方の帰宅時間らしい密度はなかった。
少し歩いたところで、道沿いの自動販売機が目に入った。通り過ぎかけて、一つだけやけに主張の強い文字に視線が戻る。
EXカフェオレ。
何がEXなのかは分からない。少なくとも、見たことはなかった。
数秒眺めてから、ボタンを押す。落ちてきた缶を取り出して表を見ても、やっぱりEXだった。
開けるのは、家に着いてからでいい。
「ただいま」
「おかえり、イツキ」
ヤチヨの声が返ってくる。
靴を脱いで上がると、玄関近くの水槽で水が静かに揺れていた。紺と白を基調にした室内に、木目の家具。柔らかな色合いのソファとローテーブル、その先に普段使っている机。見慣れた部屋の中へ足を進めて、途中で止まった。
ソファの端に、ぬいぐるみ。ローテーブルの隅には、配信で使ったらしい派手な小物。その横に、何に使うのか分からない物。机の近くにも、もう一つ。
床が埋まっているわけではない。通る場所も座る場所も普通に空いているし、家具の配置も崩れていない。ただ、視線を動かすたびに、僕の物ではない何かが一つずつ見つかる。
「……増えてない?」
「増えてるねえ」
即答だった。
「この前、まとめたばかりなんだけど」
「まとめる速度より、かぐやが買ってくる速度の方が上だったみたいだね」
「僕の部屋を勝負の場にしないでほしいな」
片づける前にローテーブルへ缶を置こうとして、手が止まった。帰り道からずっと持っていたせいか、開けてみたい気持ちの方が先に来ている。
「ところで、その缶なに? 見たことないけど」
ヤチヨも気づいたらしい。
「EXカフェオレ」
「名前の圧がすごいね」
「僕も見たことなかったから、買ってみた」
「見たことないって理由でEXに挑むんだ。勇者だねえ」
プルタブを引いて、一口。
舌に触れた瞬間、予想よりずっと強い甘さが広がった。
「……甘い」
「EXってそこ?」
「たぶん、そこがEXなんじゃないかな」
「ほんとに?」
缶を見直しても、商品名は変わらない。少し考えて、もう一口だけ飲む。やっぱり甘い。
「飲めないことはないけど、かなり人を選ぶと思う」
「イツキは選ばれた?」
「それはまだ分からないよ」
缶をローテーブルへ置いて、まずはソファのぬいぐるみを持ち上げた。
ぬいぐるみを邪魔にならない場所へ移し、派手な小物を一か所にまとめる。近くに散っていたものも寄せていくと、使える面積が少しずつ戻ってきた。途中で一度ローテーブルへ戻って、缶を取る。もう一口。甘い。置いて、また片づけに戻る。
机の端には、元から置いてあるメンダコのペン立て。そのすぐ横に、用途の分からない小道具が居座っていた。
持ち上げて、裏を見て、ひっくり返す。
やっぱり分からない。
「ヤチヨ、これ何に使うか分かる?」
「分かんない。昔の私も知らなかったよ、それ」
「知らないのに買ったんだ」
「気になったんだから仕方ないでしょ」
「それで今も用途不明、と」
「そういうこと。ヤッチョに聞けばなんでも出てくると思った?」
「少しは期待した」
「残念でした」
用途不明品も、かぐやの物をまとめている場所へ移す。これで机の周りは、だいたい元に戻った。
ローテーブルへ戻って、缶を手に取る。
軽い。
振ってみると、中身はもう半分も残っていなかった。
「……癖になりそう」
「もう選ばれてるじゃん」
否定しようとして、手の中の缶を見る。片づけの合間に一口ずつ減らしていたのは、間違いなく僕だ。
「そうかもしれない」
ヤチヨが笑う気配を横に、缶をもう一度ローテーブルへ戻した。
片づいた机へ移って、椅子に座る。端末を開き、今度は葛原イッキとしての公開活動に関わる通知を確認する。
新しく来ているものを上から見て、すぐ済むものはその場で処理する。直近の配信に関係する情報にも一通り目を通し、急がないものはそのまま残した。
「今度はイッキのお仕事?」
「確認だけね。溜めると後で大変だから」
「代表が終わったらライバーかあ。働き者さんだ」
「今日は軽く整理するだけだよ」
必要なところまで見て、端末を閉じる。ローテーブルの缶に残っていた最後の一口を飲むと、分かっていた分だけ、最初より驚きは少なかった。
缶を置いて、部屋の空いているところへ移る。
「次、いつもの?」
「うん」
軽く身体をほぐして、呼吸を整える。日課にしている能力鍛錬へ、意識を切り替えた。
大きく何かを変えるわけじゃない。いつもの範囲を、いつものように進める。一区切りごとに状態を確かめて次へ移り、最後まで終えたところで力を抜いた。
息を吐いて、肩を回す。端末のある方へ戻ろうとした、その時だった。
着信。
画面には、かぐやの名前。
すぐに出る。
「もしもし、かぐや?」
『イツキ!』
耳へ飛び込んできた声に、足が止まった。
速い。いつもの勢いとは違う。言葉の端が、はっきり揺れている。
『いま、家の最寄り駅にいる。彩葉がアツアツで、動かない。ねえ、イツキ……どうしたらいい?』
端末を持ち直そうとして、指に思っていたより力が入っていたことに気づいた。一度ゆるめてから、握り直す。
僕まで声を急がせたら、かぐやはもっと慌ててしまう。
「二人とも、家の最寄り駅にいるんだね」
自分でも分かるくらい、ゆっくり聞き返した。
『うん。彩葉、ほんとに動かなくて……』
「彩葉さんは今、自分で歩けそう?」
返事まで、少し間が空いた。電話の向こうで、かぐやが彩葉さんを確かめているらしい。かすかな衣擦れと、彩葉さんを呼ぶかぐやの短い声だけが聞こえる。
ほんの数秒のはずなのに、やけに長い。
どうして、いつから。浮かびかけた考えを、そこで止めた。それは今、電話越しに決めることじゃない。
『……だめ。やっぱり動けない。イツキ、早く来て』
息を一つ吸う。
「分かった。今からそっちへ行く。かぐやは、そのまま彩葉さんのそばにいて」
『うん……お願い』
通話を切る。
画面が暗くなるより先に、身体の向きを変えていた。
出るのに必要なものだけを掴む。財布を一度取り落としかけて、拾い直した。こういう時ほど、いつもの手順が少しずつ抜けていく。空になった缶は、ローテーブルに置いたままだ。
玄関へ向かいながら、声を掛けた。
「ヤチヨ、ちょっと出てくる」
一拍だけ置いて、返事が来た。
「うん。いってらっしゃい、イツキ」
その一拍の間、ヤチヨは何も聞かなかった。
「いってきます」
言い終わる前に、もう靴を履いていた。
扉を開けて、そのまま外へ出た。
【ツクヨミ運営企業:代表補佐の執務メモ(社外秘)】
■ 本日の代表(藤原一継)観察記録
1. 案件処理:相変わらず異常な速度と精度。不足資料は一瞬で見抜いて差し戻し。
2. 利益相反の自己申告:注目の推薦枠に『かぐや・いろP』の名前を見つけるや否や、「かぐやが含まれている以上、私が判断するべきではありません」と秒速で自己辞退。プラットフォームの公平性を誰よりも徹底している(※相変わらず公明正大の極み)
3. 終業時:「代表確認が必要なものは以上です」と伝えた瞬間、明らかに早く帰りたそうな視線を送ってきたため「……帰らないんですか」と促したところ、「帰ります」と即答。社用車も使わず、昼過ぎの街へ徒歩で颯爽と消えていかれました。
お読みいただきありがとうございました
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