転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
仕舞っていたジャケットとスラックスを身に着け、上から冬用コートを羽織る。ビジネスバッグに必要なものを入れて、腕時計を着用する。
『久しぶりの出勤だねぇ』
「そうだねぇ」
用事もあるが、そろそろきちんと顔を出しておきたい。これまでも合間を見て立ち寄ってはいた。だが、ちゃんと出勤するのは久しぶりだ。
『イツキのスーツ姿、キマってるよ。ヤッチョが保証しちゃう!』
「一緒に選んだスーツだからね」
白シャツとチャコールグレーのツーピースに濃紺の無地ネクタイ。玄関で黒い革靴を履いて鏡の前に立つ。そんな僕の姿は、いつもとは違う印象を与えるんじゃないだろうか。
心はいつだって成長しきらないのに、周りから見える自分だけが変わっていく。ほんとうに奇妙な感覚だ。
アパートを出ると道路脇に降りた霜が見える。冬に入って少したったが、季節の巡りは早い。以前見かけた落ち葉はもう見えなくなっていた。
背後の階段から誰かが下りてくる。振り返ると最近ではすっかり顔なじみとなった彩葉さんがいた。
「彩葉さん、おはよう」
『ヤオヨロ〜、彩葉!』
「おはようございます。今日は出勤ですか?」
「そう。たまにはオフィスに顔出ししないと」
「珍しいですね」
まぁ、普段は私服で出歩いているからね。スーツ姿に馴染みはないか。そのまま最寄り駅まで、少し前を行く彩葉さんを追いかける。
「彩葉さん、学年末試験は?」
「まだですけど、そろそろです」
少し前のクリスマス配信を思い出す。試験となると、普段より勉強を詰め込む時期だ。彩葉さんは頑張り屋さんだから、空き時間も使って無理をしていないか気になってしまう。ヤチヨ直伝の彩葉検定からすると、これは朝の時間もほとんど勉強にあてていると見た。
「それで朝ご飯を抜いた?」
「話が飛びましたよ」
ちゃんと繋がってるから大丈夫。
『これは賄いを少しだけつまんだ顔だ』
「バイトの賄い食べたんだ」
「なんで分かったんですか?!」
彩葉さんは体を仰け反らせてこちらを見てくる。さすが、彩葉検定奥伝保持者。アタリを引いたようだ。
彼女が手元の携帯で「隠しカメラ 探し方」と検索しているのが見える。失礼な、犯人はあなたの推しだよ。
「もう少しで春か、早いね」
「いつの話ですか。まだしばらく先ですよ」
「あっという間だよ」
そう、時間っていうのは気づけば過ぎている。まだ今を感じたいと思っていても、時間は変わらず過ぎていく。
「まだまだクソ寒いんですけど」
手がコートに入れっぱなしなのが見える。
『彩葉そう言いつつ全然着込んでないよ』
ヤチヨの言う通り、学生服の上にコートを着て、マフラーもしているものの肝心の手足が冷えている。これでは末端から冷えてしまって、暖かくはならないだろう。
「手袋は?」
「駅までなんで、別にいいんですよ」
「もう手が冷えてるだろう」
「見なくていいところまで見ないでください」
分かりやすく寒そうにコートのポケットに手を入れておいて、それはないんじゃないかな。
上京してきた彩葉さんと会ってから、彼女の節制癖はこうしたところで何度も垣間見えている。健康が一番の節約だと気づいてほしいが、こればかりは自分で実感するしかない。
さて、このままだとヤチヨも僕も心配で夜しか眠れないので温まってもらおう。ビジネスバッグに忍ばせていたカイロを取り出す。
「はい、これカイロ」
「大丈夫ですから」
残念。真顔で突き返された。
『イツキ、サングラス外してからお願いしてみて』
「?」
ヤチヨから飛んでくる助言に脳内で首をかしげる。たまにこう言われるが、何故これで僕の意見が通りやすくなるのだろう。不思議である。
だが、自慢の瞳を見せることに否はない。ヤチヨに言われたなら、なおさら。サングラスを下にずらしてみる。
前を進む彩葉さんを追い越し、目線を合わせる。
「見てるとこっちまで寒く感じるから。受け取ってくれないかい」
「……っ!」
しばらく彩葉さんの瞳を覗き込む。真っ直ぐな眼差しをしている。ヤチヨは彩葉さんのこの顔が大好きだと言っていた。それが少し羨ましい。
……サングラスのレンズを彩葉さんに向ける。
「……はぁ」
『こうかは ばつぐんだ!……私もちょっと横になるね』
口を引き結んでいた彩葉さんが脱力する。渋々と差し出された手のひらに、これ幸いとカイロを多めに乗せる。
それにしても不思議だ。僕の目が原因なのは分かる。だが、彩葉さんの反応はただ瞳に見入っているというものでもない。……けしかけた本人は彩葉さん成分過補給で横になってしまった。
また今度聞こう。
「なんか増えてるんですけど」
「オマケ付き」
「オマケで3倍になってるんですけどっ」
「特典の返品は受け付けていません」
手の重みに違和感を持った彩葉さんが抗議してくる。隙を見せるほうが悪い。少なくとも渡すカイロが1つとは言っていないのだから。
箱ごと持ち歩いていなかったのが悔やまれる。
そして、気づけばもう駅の出入り口へ着いていた。僕の職場へ向かう電車は、彩葉さんが使う乗り場とは別だ。追及から逃れるにはお誂え向き。
「ちょっと!」
伸ばしてくる手を躱して先へ進む。走る必要はない。ただ追いつけないように歩くだけ。
十分な距離をとって、他の人にぶつからないようにゆっくり振り返る。
「その代わり、メッセージ送るから回答しておいてね」
『さらば〜い』
彩葉さんはもらいっぱなしだと気にするので、この後にメッセージを送る。
内容はいつも哲学問題。トロッコ問題などについて彩葉さんなりの回答をしてもらっている。思考の整理にはなるだろう。
それに僕も驚くような回答があったりするから、結構楽しみにしている。
「私は藤原さんのゼミ生じゃないんですけど!」
僕もゼミ生のように面倒は見ていないよ。
彩葉さんの言葉に笑みを浮かべ、心の中で返答してから踵を返した。
「あの人、私に悟りでも開かせるつもりか?」
微かに聞こえた声に、困惑はあれど拒絶の色はなかった。それを感じて、ゆっくりと息を吐いた。
◆
この会社はヤチヨが何の憂いもなくツクヨミを運営するために設立したものだ。
仮想空間ツクヨミを運営するにあたり必要なものはプログラムだけではない。法務・安全・権利・企業対応。如何に月のテクノロジーが凄まじくとも現実で一般公開するには通さなければいけない筋がある。
今回の会談もその一つ。
「本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
会談相手が部屋から退出していくのを見届ける。あとの見送りは、ほかの者へ頼んでいる。廊下の向こうから他の者が話しかける声が聞こえた。
自分のデスクに戻り、手元に残った企画書に再度目を通す。
何も覆われていない目元が少し寂しい。無意識に手を伸ばし、誤魔化すように前髪を撫でつけた。
「代表、お疲れ様でした」
「ああ、ありがとう」
頃合いを見てか、僕の補佐をしてくれている者がコーヒーを淹れてくれる。補佐といっても、この会社の実務を任せている者の一人だ。
自分の方が忙しいだろうに、僕の出勤時は毎度側付きのように振る舞っている。クッションの厚い椅子が座り心地の悪いものに感じる。
「企業区画のお話、如何でしたか」
「企画書を見たけど、よかったよ」
横で控えている補佐に企画書を渡す。
今回の話を持ってきたのは大手広告・ITグループ傘下のデジタル体験事業会社。参加型の常設企業区画という提案自体は、ツクヨミにとって有益なものだった。
信用も経験もある大手。本来なら一度社内で検討し、話を進めるところだ。
「ではついに?」
「いや、今回は見送った」
だが、一点見逃せないものがあった。
「またですか」
補佐の短いため息。こういった話は今回に限ったことではない。だが、いまだに同様の企業区画がないのはそういうことだ。
パラパラ漫画を見るような速さで企画書をめくり、概要を理解し終えたのだろう。こちらに返してきた。いつも話が早くて助かる。
問題の箇所は企画書の一部にあるデータ要望欄に記載されていた。
『月見ヤチヨの対話モデル』
用途:施設専用の案内AI
ヤチヨの複製を求めているに等しい項目だった。
会談相手の口からも月見ヤチヨという看板AIに対する配慮はあっても人格に関する言及は無かった。あちらも積極的にAIの活用をしている。ヤチヨに対する認識の相違と言える。
表向きはAIライバーと謳っている以上、こちらにも非はある。それでも、譲れないものはあった。当然、こちらの意見を伝え、修正を提案した。
「代表のヤチヨちゃんへの姿勢は変わりませんね」
「彼女あってのツクヨミだ。変わらないよ」
ヤチヨには楽しくツクヨミを運営していてほしい。だから、ヤチヨへ判断を求める前にこちらで法務や安全面を精査している。会談の途中経過が自動で伝わらないよう、いつものサングラスをはじめ、通信機器も外していた。耳元が静かなのは、いつまで経っても妙な感じがする。
指先が耳を撫でていた。
その後、補佐から判断に迷う案件の是非や、承認が必要な事項を確認する。前回ここへ来たのは半月ほど前だったためか確認事項が多い。補佐の書類をめくる音がやんだ。
……メールやAR上で決裁するのも限界があるか。
「確認事項は以上になります」
「手間をかけさせたね」
「仕事ですから」
そう言いつつも、僕が居ない間も会社を回せるよう仕組みをつくったのは補佐だ。こちらの事情を理解し、何かを求めるでもなく手を回してくれる。感謝してもし足りない。
「私は帰るよ」
長居していても僕に出来ることはもうないだろう。これ以上補佐の手を止めるのも悪いしね。
何処か寄って帰ろうかな。
「車を手配します」
「何度も言ってるが、必要ないよ」
わざわざ人を回してもらうほどでもない。それにあまりこっちには来ないから、見て回りたい場所もあることだし。
「何度もお伝えしましたが、代表として相応しい振る舞いをお願いいたします。これでは他の者が社用車を気軽に利用できません」
そう言われてしまうと弱い。
僕一人が歩いて帰るだけなら、誰に迷惑をかけるわけでもない。けれど、代表である僕が使わないせいで他の者まで利用をためらうというなら話は別だ。
「散策しながら、帰るつもりだったんだがなぁ」
「行き先までは乗っていってください」
補佐が譲らない態度で勧めてくる。
声を荒らげているわけでも、露骨に急かしているわけでもない。ただ、僕が了承するまでこの話を終えるつもりがないことだけはよく伝わってきた。
ここで押し問答を続ければそれだけ補佐の仕事を止めることになる。僕が折れるのが一番早い。そこまで計算しているのだとしたら僕の扱い方を随分と心得ている。
「散策ってそういうのじゃ」
「お乗りください」
「……わかった」
信じられるかい?僕、これでも代表なんだよ。
この会社の方針を決め、最終判断を下す立場にいる。それなのに自分の帰り道一つ満足に決められない。
もっとも、僕が好きに動いて困るのはきっと補佐なのだろう。
その後も、社用車に乗り込むまで補佐は傍を離れなかった。僕が扉の向こうへ収まったのを見届けてようやく仕事へ戻っていった。
―サングラス外してからお願いしてみて
超かぐや姫名物垂れ目族
酒寄彩葉
完璧超人を遂行する女子高生。
上京してしばらくしてから隣人と推しから侵略を受ける。
彩葉本人より学んだ解像度の高い攻略検定を勝手に伝授されている。逃げ場はない。
幼少期のキーホルダーは糸が解れてしまったため、神棚の横に置かれている。
当時のことは朧げにしか覚えていない。
ツクヨミ運営企業
イツキがヤチヨのために設立した企業。
設立当初にヤチヨとイツキが引っ張ってきたSSR人材と先を視るイツキにより進化。規模は中堅、影響力は国内有数の化け物企業となる。進化を残している。
補佐
ツクヨミ運営企業の古参幹部。SSR人権の一人。
イツキからのヘッドハンティングで入社。
ヤチヨとイツキの事情を聞いた当初宇宙猫と化した。
仕事がキツくないか聞いたら本人曰く、業務の分散はできているから問題ない、とのこと。
状況把握と全体調整の達人。イッキ推し。