転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
酒寄朝日視点
ネットで先に知り合って、現実ではあとから会う。配信者をやっていれば、別に珍しくもない光景だ。
VRじゃ何度も顔を合わせている。同じ大型企画に出たこともあるし、KASSENじゃ俺が選手で向こうが解説席だった。声の張り方も、独特の喋る間も耳に染みついている。それでも現実じゃ今日が初対面――そういう相手自体は、この界隈にいれば何人か心当たりがある。
ただ、その男が妹の隣人だったとなると、話の毛色はだいぶ変わってくる。
指定された喫茶店に入り、必要な連絡をひと通り済ませてから約束の席へ向かう。先に着いていた男が、こちらの足音に気づいて軽く頭を下げた。
「朝日さん」
「どうも。……藤原さん、でいいんですよね」
「はい」
知っていたはずの名前なのに、実際に口に出して呼ぶと妙な座りの悪さがある。
藤原一継。葛原イッキ。同じ一人の人間。
解説の特等席に座って、俺たちが泥臭く暴れ回っている横で、涼しい顔をして好き勝手言ったこともある張本人だ。まあ、好き勝手やって場をかき回していたのは俺の方も同じだが。
その葛原イッキが、今はごく普通の私服姿で目の前に座っている。別人というわけじゃない。声のトーンもそのままだし、目元を隠すサングラス越しでも顔立ちの印象は配信と大きく変わらない。返事の独特の間も聞き覚えがある。ただ、電子の枠が一枚取り払われただけで、急に生々しい生活感が輪郭を持って立ち上がってくる。
「なんか、変な感じですね」
「何がです?」
「何十回も言葉を交わしてるのに、これが初対面っていうのがですよ」
一継さんは、ほんの少しだけ考え込む仕草をした。
「配信活動をしていると、たまにある現象ですね」
「まあ、理屈としてはそうなんですけど」
言いたいのはそこじゃない。
「俺としては、妹の隣人があの葛原イッキだったって事実の方がよっぽど飲み込みづらいんですけどね」
「それに関しては、僕もまったく同感です」
真顔で即答された。思わず喉から笑いが漏れる。
この淡々とした返しはよく知っている。大会の解説席でも、こっちがどれだけ煽ってもこんな調子で受け流されたものだ。ただ、勝負の熱狂の中ではなく、喫茶店のテーブル越しに俺の個人的な愚痴へ投げ返されると、受ける手応えがまるで違う。
「彩葉たちの引っ越しの件、書類とか手続きで必要なところは全部俺の方で引き受けますんで」
「ありがとうございます。助かります」
「妹に頼まれただけですから。保証人の手続きくらい、別にどうってことないですし」
むしろ、あの手のタワマンの賃貸審査なら、一棟丸ごと買い取らされずに済んだ分だけ俺の基準からすれば相当まともな出費で済んでいる。もちろん、こんな台詞を口に出せば彩葉から「これだから成金は嫌なんだ」と底冷えのする目を向けられるのが目に見えているので、綺麗に胸の内に引っ込めておく。
彩葉が自分から引っ越すと言い出して、家賃も自分たちで払うと言い切って、その上で「どうしても親族の署名が必要だから」とお願いしてきたのだ。なら、兄貴として頼まれた枠の中できっちり動く。それ以上でもそれ以下でもない。
「藤原さんも、同じ建物なんですよね」
「はい。同じ階の、別室です」
「かぐやちゃん、それでよく納得しましたね」
「あまり納得していませんでしたね」
一切の迷いがない返答だった。
「あー……でしょうねえ」
情景がありありと目に浮かぶ。かぐやちゃんは、そういう性質の人間だ。
理解自体は驚くほど速い。大人の理屈だってちゃんと飲み込む。けれど、理屈を理解したからといって、自分が抱いた希望やワガママを大人しく引っ込める義理はないとばかりに食い下がってくる。傍から見ている分には、そこが一番面白い。
あの子が個人勢として産声を上げた最初の頃から追っている身としては、ファンとしてこれほど見ていて飽きない配信者もそういないのだ。
だからこそ、竹取合戦を仕掛けた。
あのかぐやちゃんと、身内びいきを抜きにしても頑固で骨のある彩葉。この二人が真正面からぶつかり合ったら、絶対に化けるという確信があった。そこへ葛原イッキまで引っ張り出されて参戦してきたのだから、企画屋としてはまさに棚からぼた餅の極上エンタメだったわけだ。
実際、最高に面白かった。
いちライバーとしては、臍を噛むくらいに悔しかったが。
「でも、同じ階なら妥協するって言ってました」
「妥協、ですか」
「本人がそう言い張っていました」
やっぱり吹き出してしまう。
「かぐやちゃんらしいなあ、相変わらず」
「朝日さん、ずいぶん彼女の扱いに詳しいですね」
「古参ファンなんで」
いまさら取り繕うようなことでもない。堂々と言ってやると、一継さんは微かに眉を寄せて言った。
「彩葉さんも、色々と苦労が絶えませんね」
「それを俺の前で言います?」
「何かおかしなことを言いましたか?」
一瞬、本気で心当たりがないという顔をされた。それから、竹取合戦の準備期間中に俺が彩葉に仕掛けたあれこれを思い出して、苦笑交じりに肩をすくめる。
「あれはゲームの盤上での話ですから」
「公私の線引きは別、ということですね」
「完全に別です」
一継さんはそれ以上追及せず、口元に微かな笑みを浮かべただけだった。
なるほどな、と思う。
VR越しに見ていた葛原イッキと、目の前にいる藤原一継。別人の仮面を被っているわけじゃない。本質は驚くほど地続きだ。ただ、これまで知らなかった生活者としての輪郭が、目の前で一つ新しく重なった。
彩葉のすぐ側では、こういう温度感で立っている男なのか。
それ以上の内情まではまだ踏み込めないし、今日初めて現実で顔を合わせた間柄なら、この程度の距離感がちょうどいい。
少なくとも、妹がこれから暮らす新居の目と鼻の先にいるのが、得体の知れない赤の他人じゃなかった。
今のところは、それだけで十分だ。
◆
引っ越したという実感は、トラックから部屋へ箱を運び入れた瞬間よりも、自分でテープを裂いて中身を引っ張り出し始めた時の方が、ずっと生々しく湧いてくるものらしい。
新しい部屋のリビングには、以前の部屋から運んできた見慣れたソファとローテーブル、作業机、それに水槽がすでに収まっている。家具の正確な配置はまだ定まっていないけれど、段ボールを開けて一つずつ日用品を並べていけば、かつての生活の空気が少しずつこちらへ移し替えられていくはずだった。
だから、最初の二箱を開けている間は、至極平穏だったのだ。
問題は、三つ目の段ボールだった。
テープを剥がしてフラップを開いた瞬間、視界に飛び込んできたのは、やたらと主張の激しい星形のプラスチックサングラスだった。
僕の私物ではない。
その下を退けると、角の丸い小さなホワイトボードが出てきた。これも、当然ながら僕の持ち物ではない。
さらに底の方を探ると、フェルト生地で作られた三日月型の被り物が顔を出した。言うまでもなく、僕が私生活で身につけるような代物ではない。
僕は手を止め、一度箱の外側に貼られた管理番号を確認した。僕の部屋へ搬入する荷物として、僕自身の手で番号を振ったはずの箱で間違いない。
箱は合っている。中身だけが、根本的に間違っている。
いや、誤配されたわけではないこともすぐに分かった。どれも見覚えがありすぎるのだ。全部、以前の部屋でかぐやが配信の小道具や悪戯に使って、そのままあちこちへ転がしていた私物だった。
続く四つ目の箱からは、妙に手触りのいい深海生物のぬいぐるみ、ヤチヨのアクリルスタンド、何かのノベルティステッカー、果ては用途のよく分からない派手な応援用の紙扇まで発掘された。
そして箱の底の隅から、カランと硬い音を立てて金属の小物が一つ転がり出た。
指先で拾い上げる。
見慣れたアバターの顔。葛原イッキ。
僕自身だった。
手のひらの上の自分を数秒ほど無言で見つめてから、ひとまずローテーブルの端へ置く。
自分の引っ越し荷物を開けて、中から自分の公式グッズが出てくる。事情を知らない第三者が見れば、自己顕示欲の塊のような少し不気味な光景に見えるはずだ。
唐突に、玄関のインターホンが鳴った。
モニターの受話器を取るまでもなく、鳴らした主の察しはついている。玄関ドアのロックを外して引いた。
「イツキー! 荷物奪還しに来たよー!」
案の定、一番乗りで飛び込んできたのは部屋着姿のかぐやだった。そのすぐ後ろから、申し訳なさそうに眉を下げた彩葉さんがついてくる。
「奪還も何も、あんたが向こうの部屋に勝手に放置してたゴミ……じゃなくて荷物でしょ」
「ゴミって言わないで! ちゃんと意味があって置いてあったやつだもん!」
「その言い訳だと、不法占拠の事実が何一つ改善されてないからね」
二人をリビングへと招き入れる。
かぐやは床の上に一時避難させておいた自分の私物の山を見るなり、パッと両目を輝かせた。
「おお〜っ! あるある、勢揃いしてる!」
「あるある、じゃないの」
彩葉さんが額を押さえて、深いため息を漏らす。
「なんで一継さんの部屋に、こんな段ボール何箱分も溜め込んでるのよ」
「えっ、だって必要だったし?」
「何に」
「……いろいろ?」
実に都合のいい逃げ台詞だった。
かぐやは悪びれもせず床へしゃがみ込むと、深海生物のぬいぐるみを両腕で抱きしめて頬を擦り寄せた。
「これ懐かし〜! 元気だったか我が友よ!」
「先週まで見てたでしょ。そんな昔の話じゃない」
「時間の長さじゃないの、気持ちの密度の話!」
彩葉さんが呆れ果てた視線をこちらへ向けてくる。
「一継さん、これ、本当に全部かぐやの私物ですか?」
「……たぶん」
「たぶん、なんですか?」
「僕も、部屋のどこに何が置かれているかまでは完全に把握しきれていなかったので」
僕が正直に白状すると、彩葉さんは床の山と、目の前でぬいぐるみを揺らしているかぐやの姿を交互に見比べた。
かぐやは今度は月の被り物をすっぽりと頭に被り、両手を頭上で丸めて片足を器用にぴょこんと跳ね上げてみせる。
「彩葉、見て見て! 新居記念の月神様!」
「今その確認いる? 引っ越しの最中にやること?」
彩葉さんは冷ややかに言い放ちつつも、手慣れた様子で指示を飛ばす。
「はいはい、似合ってる似合ってる。ほら、遊んでないで自分の部屋に運ぶものをまとめる!」
「雑な褒め方! もっと情緒を持って!」
口を尖らせて文句を言いながらも、かぐやは素直に被り物を脱ぎ捨てた。手先は案外器用に動いて、持ち帰るべき物品を一箇所へ集め始める。
これなら割と早く片付くかもしれない――そう安堵したのは、わずか数分程度のことだった。
「よし、これはこっちに常備ね」
かぐやが、あの小さなホワイトボードを抱え上げ、僕の作業机の脚元へ当然のような顔で立てかけた。
「……かぐや、それは持って帰る側じゃないの?」
「これはイツキんちにも必要なの!」
「どうして僕の部屋に必要なのさ」
「何かひらめいた時に、すぐバーッて書けるから! 歌のアイデアとか!」
「僕の部屋にも、紙とペンくらいはあるよ」
「でもホワイトボードの方がパッと消せるし、書いてて楽しいじゃん!」
「それは単なるホワイトボードの機能説明だよね」
かぐやは腕を組んで、大真面目な顔で二秒ほど考え込んだ。
「じゃあ、ここに置いてていいってこと?」
「どうして僕のツッコミからその結論が導き出せるの」
背後で、彩葉さんがたまらず吹き出した。
「一継さん、今のは隙を見せすぎです」
「僕が?」
「かぐやは、そういう都合のいい言葉の端っこだけ拾うのが異常に早いですから」
「彩葉、今の聞き捨てならない! 悪口だ!」
「事実の指摘。ほら、無駄口叩いてないで手ぇ動かす」
「もう! 彩葉ってばイツキの前だと急にしっかり者ぶるんだから!」
二人がいつもの調子で言い合っている隙に、僕は机の横からホワイトボードを無言で回収した。それに気づいたかぐやが、すぐに抗議の声を上げる。
「あーっ、イツキ!」
「はい、持って帰って」
「えぇ〜っ! ケチ!」
「向こうの部屋、以前よりずっと広くなったんでしょ」
「なったけどぉ……!」
「なら、置く場所には困らないはずだよね」
「置けるけどさ! イツキんちにあった方が、いざって時に便利なこともあるじゃん!」
「いざって、具体的にどんな時?」
三秒ほど視線を泳がせてから、かぐやは胸を張って言い放った。
「遊びに来た時!」
「最初から遊びに来る前提で領土を広げようとしないでほしいな」
「えっ、来るでしょ? すぐそこだよ?」
むしろ何を当たり前のことを聞き返しているのか、とでも言いたげな顔をされる。
彩葉さんも、その前提自体には特に異論を挟むつもりはないらしい。
「まあ、同じフロアですからね。それは来ますけど」
「ほら見ろ〜!」
「でもホワイトボードは持って帰る。あんたの部屋で使いなさい」
「そこは譲ってくれないんだ……」
結局、ホワイトボードは撤収組の山へと戻された。
その後も、同じような攻防戦が幾度となく繰り返された。
これは持って帰る。これはここに置いとく。却下。じゃあこっちのペン立ては? 僕の部屋のペン立てで十分足りている。
そんな押し問答を続けている最中、ふとローテーブルの前にしゃがみ込んだかぐやが、例の小物を目ざとく見つけ出した。
「あ」
丸い金属を摘み上げ、かぐやがまじまじと見つめる。
「これ、かぐやが前の部屋でなくしたやつだ……」
「そうみたいだね。僕の箱の底から出てきた」
「持って帰る?」
「それは……うん、イツキにあげるよ」
「どうして? かぐやのコレクションでしょ」
「だって、ここに本人が住んでるし!」
今度は彩葉さんが声を立てて笑った。僕もつられて小さく肩を揺らす。
「本人が目の前に住んでいるなら、なおさらグッズを部屋に飾る必要はないんじゃないかな」
「違うよ、記念だよ記念!」
「何の記念?」
「イツキんちに、イツキの缶バッジがちゃんと奉納されてる記念!」
「今この場ででっち上げた記念だよね、それ」
「じゃあ今日がその記念日! めでたい!」
「勝手に祝日を増やさないで」
結局、押し問答の末に、その缶バッジだけはローテーブルの上に残されることになった。
残しておく必然性はまったく見当たらないけれど、指先ほどの小さな金属片だ。部屋の美観を損なうほど場所を取るわけでもない。
そうこうしているうちに、床を埋め尽くしていた雑多な荷物は粗方ダンボールへ収まり、見違えるほど床が見えてきた。
かぐやが両腕いっぱいに荷物を抱え、彩葉さんも残りの箱を持ち上げる。
「じゃ、またあとでね、イツキ!」
「うん。落ち着いたら」
「これ以上、余計な私物をこっちへ持ち込まないでよ」
彩葉さんが背後から釘を刺す。
「えー……でも、あとちょっとくらいなら隙間あるよ?」
「ありません。却下」
「即答すぎない!?」
「自分たちの家なんだから、自分の物は自分の家に置きなさい」
「うちじゃん!」
その響きが、どこか誇らしげで、たまらなく嬉しそうだった。
彩葉さんは一瞬だけ足を止め、かぐやの横顔を見つめてから、腕の中の段ボールを軽く抱え直した。
「そう。私たちの、うち。だからちゃんと持って帰るの」
「そこはそう繋がるんだぁ〜……」
「はいはい、口を動かさないで足を動かす。帰るよ」
「はーい」
かぐやがサンダルを鳴らして玄関へ向かい、彩葉さんもそれに続く。
同じ一つの「家」へと帰っていく二人の背中を、僕は玄関口まで見送った。
「じゃあ一継さん、また後ほど。片付け、手伝えなくてすみません」
「いいえ、こちらこそ。また」
「イツキもサボってないで早く片付けなよー!」
「誰の荷物の仕分けで作業が中断していたと思っているのかな」
「うっ、藪をつついて蛇が出た! じゃーねっ!」
パタン、と重厚な玄関扉が閉まり、ロックの電子音が静かに鳴る。
一人で暮らすには少しばかり持て余す広さの部屋に、ふっと唐突な静寂が戻ってきた。さっきまで床一面に散らかっていた極彩色の小道具たちも、今はすっかり姿を消している。視界に残っているのは、僕の荷物が入った数個の段ボールと、使い慣れた家具、そして静かに水を循環させている水槽のかすかな水音だけだ。
それから、片付いたローテーブルの上に、ぽつんと一つ。
葛原イッキの缶バッジ。
僕はそれを視界の隅に捉え、誰に向けるでもなく、小さく息を吐いて笑った。
そうして、まだテープの留められたままの、次の段ボールへと手を伸ばした。