転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
駒沢乃依視点
スマートロックがカチャリと解錠される電子音が響いて、重い玄関ドアが開く気配がした。
ソファに転がってスマホでツクヨミのトレンドを追っていた俺は画面から視線を上げずに声を投げる。
「おかえりー。遅かったじゃん」
「ただいま。……いや、手続き自体はすぐ終わったんだけどな」
靴を脱いで上がってきた朝日の声は、どこか気の抜けたような、それでいて喉の奥に可笑しさが引っかかっているようなトーンだった。
足音を聞きながら、俺はクッションを抱え直して上体を起こす。
「で? どうだったの、本物の葛原イッキは。VR越しと中身違った?」
「いや、びっくりするくらいあのまんま。淡々としてて、こっちが何言っても綺麗にスカされたわ」
「あは、目に浮かぶ〜。朝日のウザ絡みなんて、あの人にとっては日常茶飯事の平常運転でしょ」
「ウザ絡み言うな。大人のスマートでビジネスライクな対話だろ」
そう言いながら、朝日は首元のタイを緩めてリビングのテーブルに鍵を放り出した。その横顔を見て、俺は思わず口元を緩める。
「なーに、その顔。絶対なんかあったでしょ」
「別に何もないっての」
「嘘だ〜。妹の引越しでヤキモキしてた保護者面が、すっかり剥がれてるじゃん。……まさか、本当にタワマン一棟買いして彩葉ちゃんに絶縁宣言でも食らってきた?」
「買うわけねーだろ! 頼まれた通り、保証人の欄にきっちり実印押してきただけだっつーの」
朝日は大きく息を吐きながら、俺の隣のスペースへドスンと腰を落とした。
ソファが沈み込む。漂ってくるのは、彼が愛用しているシトラス系の香水と純喫茶特有の焙煎された珈琲の匂い。
「まあ、一棟買いの話が出たこと自体は否定しないんだ?」
「……最初、そっちの話かと思って身構えてたのは事実だけどよ」
「ほら見ろ〜。成金思考が隠せてないよ、帝ちゃん」
「うるせえ。彩葉が『自分たちで家賃払うから』って意地張るからさ。なら、こっちは頼まれた枠の中で最高にスマートに動いてやるのが筋だろ」
ぶつぶつと言い訳を並べる朝日の横顔は、いつもの配信で見せるギラついたプロゲーマーの顔じゃなくて、完全にただの「世話の焼ける妹を持つお兄ちゃん」そのものだった。
黒鬼のリーダーとして何百万人ものファンを熱狂させてるカリスマが、たった一人の妹の独立にここまで振り回されている。そのギャップが可笑しくて、俺は肩を揺らして笑った。
「えらーい。ちゃんと我慢できて、よしよし」
「子供扱いすんな」
「で? イッキさんとは何話したのさ。彩葉ちゃんのこと?」
「それもそうだし……あの子、かぐやちゃんのこともな」
「あー、あの超新星の」
朝日は背もたれに頭を預け、天井を仰ぎ見た。
「イッキのやつ、同じ階の別室に部屋取ったらしいんだけどさ。かぐやちゃん、それで妥協したんだと」
「妥協? あの子が?」
「部屋を分けること自体は納得してねえけど、同じフロアならまあ許してやる、って言い張ってたらしい」
「……ぷっ。あははは! 何それ、めっちゃ解釈一致!」
「だろ? あの子、ホントあの子のまんまだわ」
可笑しそうに笑う朝日の目は、どこか温かかった。
彼がどれだけかぐやちゃんを配信者として買っているか、そしてその相方として引っ張り出された彩葉ちゃんを誇りに思っているかは、一番近くにいる俺が誰よりもよく知っている。
「じゃあさ、今頃あっちの新居、とんでもないことになってるんじゃない?」
「間違いなくな。イッキの部屋、初日からかぐやちゃんに不法占拠されてるに一票」
「彩葉ちゃんがオカンみたいに怒鳴り込んでるのに二票〜」
くだらない賭けをして、二人で顔を見合わせて笑う。
朝日はふっと息を緩めると、テーブルに置かれた自分のスマホをチラリと見た。画面は静まり返っている。彩葉ちゃんからお礼の連絡でも来ているか、気になって仕方がないらしい。本当に分かりやすい男だ。
「……ま、得体の知れない奴が隣にいるよりは、よっぽどマシだろ」
「そだね。あの人なら、変なこと絶対しないし。むしろ彩葉ちゃんたちに振り回されて胃を痛めてそう」
「違げえねえ。……よし」
朝日は膝を叩いて立ち上がると、クローゼットへ向かいながら部屋着を引っ張り出した。
「飯、どうする? なんか美味いもんでも頼むか」
「賛成〜。もちろん朝日の奢りで、一番高くて美味いやつね」
「はいはい、分かってますよ。作画の良い乃依様のために、最高級の肉でも手配させていただきます」
「わーい、話が分かる男は大好き♡」
適当にハートを飛ばすと、朝日は呆れたように笑いながら洗面所へ向かっていった。
パタパタとスリッパの音が遠ざかるのを見送りながら、俺はもう一度ソファに身を沈める。
妹の引っ越しを無事に済ませて、ちょっとだけ肩の荷が下りた背中。
普段は強がってばかりの俺たちのリーダーが、ちゃんと息をつける場所がここにあるなら――まあ、今日の高い晩飯代くらいは、美味しく平らげてあげてもいいかなと思った。
入り浸り乃依と男前朝日