【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜   作:蠱毒は孤独

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28.繰り返さないために

 

 あのライブから、時間は瞬く間に過ぎていった。

 

 その間、僕の意識の大半はツクヨミの大規模な障害対応へと注ぎ込まれていた。表向きに公表されたアナウンスは「原因不明の通信障害」。現段階において、それ以上の憶測を外部へ漏らすことはリスクが大きすぎる。

 

 特設スタジアムで発生した通信の影響範囲の特定、復旧後のサーバー負荷の推移、関係各社やライバーたちへの状況説明、そして万が一の再発に備えた防御プロトコルの策定。各専門部署から上がってくる膨大な調査ログは一度補佐の手元で整理され、優先順位をつけられた状態で僕のデスクへ運ばれてくる。

 

 僕はそれらを速やかに精査し、現場で処理できる事案は担当へ委ね、全体の方向性を左右する判断だけを手元に引き取って決裁を返していく。昔に比べれば、組織の長として他人に実務を託す呼吸は随分と身についたはずだった。

 

 それでも、今回ばかりは書類の承認だけで終わらせるわけにはいかなかった。

 

 社内の解析チームがどれほどログを浚っても、通常の通信記録には何の痕跡も残っていない。ツクヨミを統括する管理システムですら、侵入者をオブジェクトとして捕捉することすらできなかったのだ。あの日、僕自身の能力を使ってようやく手繰り寄せかけた、空間の物理的な連続性すら無視したあの極細の経路――あれを追う手立ては、この場において僕の手元にしか存在しなかった。

 

 執務室に籠もり、各所への指示を終えた後のわずかな時間を見つけては、あの時の知覚を何度も辿り直した。白い人型はどこから侵入し、どこへ向けてあの糸を伸ばしていたのか。しかし、一度途切れた因果の断面はあまりにも滑らかで、どれほど感覚を研ぎ澄ませても、その先の手応えは綺麗さっぱり消え失せていた。

 

 だからこそ、僕は別の角度から事実を確かめる必要があった。

 

 ライブの翌日、業務の合間を縫ってヤチヨに直接通信を繋ぎ、改めて二人きりの時間を取ってもらった。確かめたいことは、最初から決まっていた。

 

 「……あの白い人型。ヤチヨが昔話してくれた、『お迎え』なんだね」

 

 向かい合ったヤチヨは、すぐには答えなかった。視線をわずかに揺らし、それから、深く息を吐き出すようにして頷いた。

 

 「うん。あれがお迎えだよ、イツキ」

 

 やはりそうだった。

 

 あの日、ステージの上に白い異形が現れた瞬間から、僕の耳の奥で遠い過去に聞いた彼女のあっけらかんとした声が、ずっと反響していたのだ。

 

 ――いや~、お迎えがきちゃってさー。

 

 だが、過去の昔話として聞くのと、目の前で現実として突きつけられるのとでは、胸に落ちてくる重みがまるで違っていた。

 

 「九月十二日。あの日、会場のモニターに繰り返し浮かび上がっていた日付は、その日なんだね」

 「うん。次の満月の夜」

 

 ヤチヨの返答は、痛々しいほど短かった。

 

 僕の脳裏に、あの瞬間の光景が焼き付いて離れない。かぐやへ向けて無機質に伸びた白い腕。糸が切れたように崩れ落ちた小さな身体。そして――最後まで押し込むことのできなかった、緊急切断のボタン。

 

 「……このままなら、かぐやも、君が辿った道を進むことになるんだね」

 

 ヤチヨは膝の上に置いた自らの手をじっと見つめ、静かに視線を落とした。

 

 「うん。今のかぐやも、同じ輪廻を巡ってる。……私が通ってきた道を、一歩ずつ、そのまま。一度月に帰って、それでも彩葉に会いに戻ろうとして……八千年前に落ちる」

 

 その声には、リスナーたちの前で見せるいつもの軽妙さは欠片も含まれていなかった。

 

 同じ輪廻。それは遥か昔、彼女自身から打ち明けられた身の上話だった。月の退屈な仕事を放り出して地球へ遊びに来たこと。彩葉さんと過ごし、迎えに連れ戻され、それでも再会を求めて八千年前へ落ちたこと。その話が、今のかぐやにも繋がっていることは分かっていた。

 

 だからこそ、同じ別れへ進ませずに済む方法を探してきた。

 

 けれど、九月十二日。迎えが来るその日。物語が「現在のかぐや」へと追いつき、輪の始まりを閉じようとしている。

 

 「……会場から、逃がそうとしたんだ」

 

 喉の奥から、掠れた声が漏れた。

 

 あの日、緊急切断のキーへ指をかけた瞬間、ヤチヨへ続く未来の道が途切れた。

 

 あの手から逃がしたかった。ついさっきまで三人で笑って歌っていたのに。けれど、押そうとするたびにヤチヨの道が消えた。どちらも失いたくなくて指を止めた。

 

 「……押せなかったよ」

 「……そっか」

 

 それ以上、僕は何も尋ねなかった。ヤチヨもまた、伏せた視線を上げようとはしなかった。

 

 翌日も、朝から分刻みの執務に追われていた。

 

 補佐から持ち込まれる各所の調査結果を突き合わせ、対外的な説明の論点を整理する。技術陣から上がってきた暫定的な監視強化案に目を通し、必要な予算と人員の配置を即決で通していく。ひと通りの調整を終え、執務机の背もたれに深く身体を預けた頃には、窓の外はすっかり夕暮れの茜色に染まっていた。

 

 ふと、机の端に伏せたまま放置していた個人用の端末へ目をやる。画面を点灯させると、未読の通知が何件も並んでいた。

 

 その中に、彩葉さんからのメッセージを見つけた。

 

『今日、かぐやと花火大会へ行くことになりました。もしお仕事が落ち着いていて、一継さんのご都合がよろしければ一緒にどうですか』

 

 送信された時刻を確認する。すでに数時間前だった。

 

 手元の時計を見れば、祭りはとっくに始まっていて、夜空に大輪の火の粉が散り始めている頃合いだ。

 

 「……遅かった、か」

 

 誰もいない静まり返った執務室で、ぽつりと呟きが落ちた。

 

 行けるものなら、一緒に行きたかった。二人と一緒に屋台を冷やかし、夜空を見上げる時間が持てたなら、どんなによかっただろう。けれど、ここで放り出すわけにはいかない責任が僕にはあった。

 

 気づくのが遅れたことへの短い詫びの言葉だけを打ち込み、僕は画面を暗転させて端末を机の上へ戻した。

 

 その日の夜、公式のアカウントから『かぐや』の活動終了――卒業が正式に発表された。

 

 九月十二日、卒業ライブ。

 

 残された時間は、もう数えられるほどしか残っていなかった。

 

 その後も、慌ただしい日々は続いた。

 

 自宅には毎晩戻っていたものの、日付が変わる直前に泥のように滑り込み、早朝にはオフィスへ向かう生活が続いていた。同じフロアに住んでいるはずの二人と、顔を合わせる機会すら作れずにいた。

 

 だがその日、僕は数日ぶりにある程度まとまった時間に仕事を切り上げ、まだ人の活動の気配が残る宵の口に帰宅することができた。

 

 玄関の鍵を開け、革靴を脱ぐ。ビジネスバッグをリビングの棚へ置き、ようやくネクタイを緩めて息を吐き出した瞬間――静かな部屋に、控えめなチャイムの音が響いた。

 

 覗き穴を確認することもなく扉を開けた。

 

 外の廊下に立っていたのは、部屋着のままサンダルを履いたかぐやだった。

 

 「おかえり、イツキ」

 「……ただいま」

 

 自分の家の玄関先で、隣人にそう出迎えられるのは、いつまで経ってもどこかこそばゆい。

 

 かぐやは僕の顔をじっと見上げ、わずかに眉を下げてから口を開いた。

 

 「イツキ、今ちょっと時間ある? 少しだけ話したいんだけど」

 「うん、大丈夫だよ。入っておいで」

 

 リビングのソファへ促し、二人で並んで腰を下ろす。かぐやは膝の上で両手を所在なさげに弄びながら、天井の照明をぼんやりと見つめた。

 

 「かぐやが卒業すること、もう知ってるよね?」

 「うん。公式の告知も見たし、運営側としても把握しているよ」

 「だよね。イツキ、運営の人だもんね」

 

 かぐやは小さく笑った。けれどその笑みはすぐに消え、静かに指先を絡め合わせる。

 

 「でもさ、なんで卒業するのかは、イツキに自分の口から言ってなかったなって思って」

 

 僕は口を挟まず、静かに次の言葉を待った。僕がすでにどれだけの事情を知っているのか、彼女は知る由もないのだから。

 

 「かぐやね、どうやら月から来てたみたいなんだ」

 

 その口調は、驚くほど軽かった。自分自身の重大な秘密を打ち明けているはずなのに、どこか他人事のようにあっけらかんとしている。

 

 「この前のライブでさ、あの変な白いやつに触られた時に、頭の中にブワーッて記憶が戻ってきてさ。どうも私、ちゃんとかぐや姫だったっぽいんだよね」

 「……っぽい、かい」

 「いや、もう自分の中じゃ完全に確定なんだけどさ。でも、急に自分が昔話の主人公でしたって言われても、なんか実感が湧かないじゃん?」

 

 照れ隠しのようにへへっと笑ってから、彼女は少しだけ真面目な声で言葉を継いだ。

 

 「月の退屈な仕事が嫌でさ、放り出して地球へ遊びに来ちゃってた。……だから、あいつらは私を連れ戻しに来たお迎えなんだって」

 

 かぐやは両手を合わせ、申し訳なさそうに眉を八の字に曲げてみせる。

 

 「九月十二日、卒業ライブの日かい?」

 

 僕が問いかけると、かぐやは丸い目をパチクリと瞬かせた。

 

 「あれ? なんで日にち知ってるの?」

 「あの日、ライブ会場のモニターにずっとノイズ混じりで表示されていたからね」

 「あー、そっか! イツキも見てたもんね」

 

 納得したように頷き、彼女は視線を正面の壁へと戻した。

 

 「うん。その日。次の満月の夜。……だから、私、月に帰るんだ」

 

 その横顔に、迷いの色は見当たらなかった。

 

 仕事をサボって逃げ出してきた以上、迎えが来たなら戻らなければならない。その筋道自体は、彼女の中でとっくに飲み込み、決着をつけているようだった。

 

 「彩葉にはね、この前の花火大会の時に全部話したの」

 「……うん」

 「でも、イツキにもちゃんと言っておかなきゃダメだなって思って」

 

 その飾らない一言に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

 

 「わざわざ、言いに来てくれたんだね」

 「わざわざって何」

 

 かぐやがぷくっと頬を膨らませて僕を睨んでくる。

 

 「言うに決まってるじゃん、イツキにも。当たり前でしょ」

 「……そっか」

 「そうだよ」

 

 かぐやは一度言葉を切り、膝の上の指先を強く握りしめた。そして、何でもない雑談の続きのように、ぽつりと零した。

 

 「だってさ……イツキとも、まだ色んなことやりたいもん」

 「僕と?」

 「うん」

 

 何を今さら当たり前のことを聞き返すのか、とでも言いたげな眼差しだった。

 

 「竹取合戦だってすっごく楽しかったし、また三人で一緒に何か企みたかったし……最近イツキ、ずっと仕事ばっかりで全然一緒に遊べてなかったじゃん」

 「それは……本当にすまなかったと思っているよ」

 「別に謝ってほしくて言ってるんじゃないってば」

 

 かぐやはすぐに首を横に振った。けれど、その瞳の奥には隠しきれない小さな寂しさが滲んでいた。

 

 「でも、月に帰っちゃったらさ。今みたいにサンダル履いて、隣のドア開けて突撃したりできなくなるじゃん。ご飯一緒に食べたり、新しい曲ができたから聴けって押しつけたりもできないでしょ? ……それ、結構やだなーって思って」

 

 彼女の飾らない言葉を聞きながら、僕は失われてしまう日常の重みを、今さらながら生々しく実感していた。

 

 突然鳴り響くチャイムも。

 

 床を散らかすぬいぐるみも。

 

 面白いことを見つけたと騒ぎ立てる声も。

 

 すべてが、この部屋から消えてしまう。

 

 「イツキに見ててほしいこと、まだいっぱいあったんだけどな」

 

 かぐやは笑っていた。けれど、その笑顔はどこか困ったように微かに震えていた。

 

 僕はすぐに言葉を返せなかった。かぐやがそんな僕の沈黙を不審に思ったのか、小首を傾げて覗き込んでくる。

 

 「……イツキ?」

 「いや……」

 

 喉に詰まりかけた息を整え、僕は彼女の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。

 

 「かぐやは、月に帰るのは嫌じゃないのかい?」

 「んー……」

 

 かぐやは腕を組み、天井を見上げて真剣に眉を寄せた。

 

 「仕事を放り出してきちゃったのは私のワガママだし、お迎えが来ちゃった以上、帰らなきゃいけないのは分かってる。だから、帰るよ。それはもう決めた」

 

 そこには、逃げ出す気のない彼女なりの責任感が確かにあった。けれど、彼女は間髪を入れずに言葉を重ねた。

 

 「でもね、帰ったらみんなと会えなくなるのは、すっごく嫌。彩葉と離れるのも嫌だし、イツキとバイバイするのも絶対に嫌だ」

 

 僕を見る瞳には、一片の濁りもなかった。

 

 子どもじみているかもしれない。けれど、これ以上なく純粋で、剥き出しの本音だった。

 

 「……変かな、これ?」

 「変なことなんて、何一つないよ」

 

 僕は迷うことなく、即座に返した。

 

 「帰るって決めたことと、会えなくなるのが嫌なのは別だからね。どっちも本気なんでしょ?」

 

 かぐやが大きく目を瞬かせた。

 

 僕の言葉を一つずつ噛み締めるようにじっと見つめ、やがて、花がほころぶようにぱっと表情を明るくした。

 

 「そっか! ……うん、じゃあ、どっちも本当!」

 

 いつものように、答えは誰よりも早かった。

 

 「かぐや、月には帰る。ちゃんと帰るよ」

 

 そして、僕を真っ直ぐに見据えて笑った。

 

 「でも、イツキたちともまだ一緒にいたい! 離れたくない!」

 

 あまりにも屈託がなく、迷いのないその宣言に、僕は思わず圧倒されて苦笑いをこぼした。

 

 「……うん。ちゃんと、受け取ったよ」

 

 今はそれ以上の言葉を返すことができなかった。

 

 それから少しだけ他愛のない話をして、かぐやが満足そうに隣の部屋へと戻っていった後も、僕はリビングのソファに腰掛けたまま、しばらくの間微動だにできなかった。

 

 九月十二日。

 

 月へと帰還する。

 

 それでも、まだこの場所で共に生きていたい。

 

 どちらの言葉も、かぐや自身が迷い抜いた末に選んだことだった。

 

 かぐやが月へ帰り、過去へ落ちる。その先には、僕が共に歩んできたヤチヨとの時間がある。あの環を力任せに断つわけにはいかない。会場から退避させようとしただけでも、彼女へ続く道は途切れた。

 

 誰も消さず、歩んだ時間も失わせず、その先へ続く道は、かすかながら見えていた。けれど、先を辿ろうとすれば分岐が重なり、輪郭が滲む。どうすればそこへ届くのかは、まだ掴めていない。

 

 月には帰る。それでも、一緒にいたい。

 

 かぐやが口にした二つの本音を、もう一度思い返した。

 

 思考の底から、一つの古い記憶が浮かび上がってくる。

 

 遥か昔、ヤチヨが月を抜け出す際、自分が抜けても月の管理業務が滞らないよう、自らの『複製』をその場に残してきたという話。

 

 あの『複製』でできたことを、今のかぐやにも応用できないだろうか。

 

 本人が帰る以外の形で、月へ返せるものがあるのなら――。

 

 だが。

 

 思考がそこへ至った瞬間、冷たい棘のような自戒が僕の胸を刺し貫いた。

 

 ――考えつくことと、本当に救えることは同じじゃない。

 

 かつて、彩葉さんのお父さんの身に、明確な死の未来を観測した時のことが脳裏に蘇る。

 

 あの時、僕は目の前の死を回避したい一心で、咄嗟に因果の糸を強引に手繰り寄せ、死に至るはずだった運命を無理やり逸らした。結果として死線からは救い出せた。けれど、その後に彼を待っていたのは何年にも及ぶ昏睡だった。

 

 あの選択は、本当に正しかったのだろうか。

 

 僕が死を遠ざけたことで、彼と家族から大切な歳月を奪ってしまったのではないか。けれど、それすら断言することはできない。自分の介入が何をどこまで変えたのか、その答えを僕は今でも出し切れていない。だからこそ、分からないまま再度因果へ手を伸ばすことはしなかった。全貌を見通せないまま未来へ手を加える怖さは、彼と家族のその後を前に、思い知ったはずだった。

 

 今回も同じだ。

 

 何かかぐやの代わりになるものを用意できたからといって、それですべてが解決するなどと、誰が保証できるというのか。下手に因果へ干渉すれば、かぐやだけでなく、八千年間を歩んできたヤチヨまで巻き込んで破綻しかねない。

 

 だが、かぐやが月へ帰ると決めたことも、それでも僕たちと一緒にいたいと願っていることも、本人の口から聞いた。

 

 なら、このまま運命の激流を指をくわえて見送る理由はなかった。

 

 かぐやを救って、ヤチヨにもこの先を生きていてほしい。けれど、ヤチヨ自身はどんな未来を望んでいるのだろう。

 

 まだ、この考えを彼女には打ち明けていない。まずは話して、彼女がこの先どうしたいのかを聞かなければならない。

 

 過去の失敗を繰り返さないために。

 

 今度こそ、誰かの人生を僕一人で勝手に決めつけてしまわないために。

 

 





 ちょっと難航中。それと寄り道も。
 首を長くしてお待ちあれ。完結はさせます。外伝も用意してます。

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