転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
転スラパート 過去編最終話
家族が三人になってから、家の中は少し騒がしくなった。
少年はすぐに僕たちを父や母とは呼ばなかった。
当然だ。
家族になったと決めたからといって、それまでの人生が消えるわけではない。僕たちは同じ家で暮らし、同じ食卓を囲んだ。
彼女が食事を用意し、僕が具を詰め込みすぎたオムレツを作り、少年が形の崩れた部分から先に食べた。
彼女の父親は少年の無愛想な顔を面白がって何度もからかった。母親はそんな夫を叱りながら、少年の皿へ黙って料理を足した。
少年は最初こそ戸惑っていたが、やがて二人の近くでも背中を丸めずに食事をするようになった。
相変わらず、壊れた物を見つけては拾ってきた。
最初は玩具だった。次に小さな魔導具。そして、やがて自分で動く人形を作るようになった。
木の骨組みに魔力回路を通し、動きに合わせて外装を調整する。布が関節へ挟まれば衣装の形を変え、用途に応じて重心や腕の長さまで作り直した。
僕が教えられることは教えた。けれど、造形や設計についてはすぐに教える側ではなくなった。僕の作った人形は動くたびに布が引っかかったが、少年が直すと同じ人形が自然に歩いた。
「どうして、この形にしたんだい?」
そう尋ねると、少年はしばらく僕を見つめ、それから少しだけ笑った。
いつの間にか、僕は少年から教わるようになっていた。
彼が初めて僕を父さんと呼んだのはその頃だった。
特別な日ではない。作業中に工具を取ってほしいと頼まれ、振り返った時だった。
「父さん、それ」
本人も口にした後で気づいたらしく、急に黙り込んだ。僕も何を返せばよいのか分からなかった。
妻だけが笑っていた。
それから少しずつ、父さんと母さんという呼び方が僕たち三人の間へ馴染んでいった。
息子の技術は家の外でも知られるようになった。
運搬を助けるゴーレム。危険な場所を調べる魔導人形。工房の作業を補助する小さな人形。
どれも人の代わりになる存在ではない。人が自分の仕事を続けられるよう、手を貸すための道具だった。
彼は観察し、失敗し、何度も作り直した。
その成果は間違いなく彼自身のものだった。
けれど、周囲はそう見なかった。
僕の名が広まるほど、彼は英雄の息子と呼ばれた。彼の成果も、僕が教えたから生まれたのだと言われた。妻も彼女自身の名より先に英雄の妻と呼ばれることが増え、彼女の父母まで僕を救った一家として過剰な礼を向けられた。
公の場で、息子が一つの魔導人形を披露した時のことだった。
人々は息子の技術を褒めながら、最後には僕へ礼を向けた。
僕は口を挟まなかった。僕が前へ出れば、さらに息子の成果を奪うことになる。本人が自分の言葉で訂正する方がよい。
そう考えた。
だが、息子は何も言わなかった。
家へ戻ってから、僕へ怒りをぶつけた。
「なんで何も言ってくれなかったんだよ!」
突然の声に、妻も手を止めた。
息子の両手は震えていた。
「父さんなら分かってるって思ってたのに!」
「君自身が伝えるべきだと思ったんだ」
そう答えた瞬間、息子の顔が歪んだ。
「そんなこと頼んでない!」
机を叩く音が響いた。
「一人でやれって言われたかったんじゃない!」
声が掠れる。
「せめて、父さんだけは僕の側にいてくれると思ってた!」
僕は彼の自立を尊重しているつもりだった。
実際には何も手を出さないことと、隣に立たないことを同じにしていた。息子がどれほど苦しんでいるかを尋ねもせず、自分で歩けると信じることを理由に、一人で歩かせていた。
謝った。
けれど、一度の謝罪で以前と同じ関係へ戻れるはずもなかった。
僕は息子の問題を代わりに解決しなかった。研究の説明も反論も本人へ返した。その代わり、自分の立場だけは公に言葉にした。
彼の成果は彼のものだ。
僕は造形と設計において、すでに彼へ教わる側にいる。父親であることと、研究者として優れていることは別だ。
それを何度も示した。
息子が望む時には隣へ立ち、必要ないと言われた時には口を出さなかった。
すぐには許してもらえなかった。
それでも時間を重ねるうち、僕たちは少しずつ話せるようになった。彼女とその両親は無理に仲直りさせようとはしなかった。ただ、僕たちが同じ食卓へ戻れるよう、いつもの場所を残してくれた。
やがて息子は自分の工房兼研究拠点を持った。仲間と技術を競い、職人と意見を交わし、助手へ自分の考えを教えるようになった。
僕の名を使わなくても、彼の作った物は彼の成果として認められた。
定期的に家へ戻り、祖父母となった二人へ生活を助ける道具も作った。
父親には重い物を運ぶ小型のゴーレム。母親には立ち上がる時に身体を支える器具。
二人は口では必要ないと言いながら、いつの間にか毎日使っていた。
僕はそのことを誇らしく思った。同時に、必要な時に隣へ立つことを今度こそ忘れないようにした。
家族の時間が積み重なる一方で、妻の身体にも少しずつ変化が現れた。
最初は疲れやすくなっただけだった。次に歩く速度が遅くなり、以前なら一日で終えていた仕事に何日もかかるようになった。
父親の髪はすでに白くなり、母親も長い時間立ってはいられない。
それでも、娘である彼女の老いはそれ以上に速く進んでいた。
僕の外見はほとんど変わらない。息子は大人になった。
彼女だけが、僕たちより早く時間を進んでいった。
彼女の父母はその変化を誰よりも早く理解していた。
父親は以前より冗談を言わなくなった。母親は娘の前では普段どおり振る舞いながら、見えない場所で何度も涙を拭っていた。
息子は母親の生活を助ける道具を作った。
物を運ぶ小型のゴーレム。立ち上がる時に身体を支える器具。遠くへ歩けない日にも、庭へ出られるよう補助する人形。
それらは彼女の負担を減らした。
けれど、時間そのものを止めることはできなかった。
彼女は疲れると、僕の顔を見た。
「その目、昔から変わらないね」
皺の増えた手で頬へ触れ、目元を確かめる。
「変わらないのは、嫌かい?」
「温かいから好き。見ていると安心する」
彼女は首を振って、そう答えた。
僕だけが変わらないことを責めるのではなく、長い時間の中で変わらず残った安心として受け取ってくれた。
そのことが嬉しくて、同じだけ苦しかった。
海へ行こうという約束はまだ残っていた。
仕事が落ち着いたら。息子の研究発表が終わったら。争いが静まったら。僕の調べ物が終わったら。
理由はどれも嘘ではなかった。
だからこそ、何度でも先延ばしにできた。
彼女も急かさなかった。いつか行けると思っていたのだろう。
僕もそう思っていた。
海へ続く道筋は求めればいつでも示された。それでも、今日でなくてもよいと考え続けた。
けれど、彼女の身体は遠い海まで旅ができる状態ではなくなっていった。
僕は彼女がもっと長く生きられる方法を探した。
成功すれば、彼女の時間を延ばせる可能性はあった。だが、安全な方法ではない。
魂にも、人格にも、身体にも重大な危険がある。成功した後の彼女が、本当に今の彼女と同じ存在でいられる保証さえなかった。
伝えれば、危険な希望を持たせることになる。
彼女なら断るだろう。
そう考え、選択肢の存在そのものを伝えなかった。
研究へ時間を使った。より安全な方法を探し、『
彼女と食事をする時間も、散歩をする時間も、いつか海へ行くために必要な時間だと思っていた。
未来を守ろうとするほど、今を一緒に過ごす時間が減っていった。
彼女はその変化を見逃さなかった。
僕が何かを調べている。自分の身体について何かを隠している。説明を求めても、僕が目を合わせようとしない。
ある日、彼女は逃げ道を塞ぐように僕の前へ立った。
「目を見て話して」
それでも、視線を上げられなかった。
彼女は僕の目を温かく、見ていると安心すると言ってくれた。その目で彼女へ嘘をつくことが怖かった。
追及され、僕は彼女の寿命を延ばせる可能性があることを認めた。危険も、成功できるかどうかも、人格が変わる可能性も伝えた。
すべて聞き終えると、彼女は長く黙っていた。
「たぶん、私は断ったと思う」
予想していた答えだった。
それでも胸が痛んだ。
「でもね」
彼女は僕の手を取った。
「あなたと一緒に悩みたかった」
関係を始める時、彼女は言った。
起こり得ることを教えてほしい。知った上で何を選ぶかは自分に決めさせてほしい。
僕はその言葉を理解したつもりで、最も大切な時に同じ過ちを繰り返した。
彼女の命を守りたかった。けれど、彼女の人生について悩むことまで、自分一人で抱え込んでいた。
彼女の寿命を延ばすことを完全に諦めることはできなかった。一日でも長く生きられる可能性があるなら、探さずにはいられなかった。
彼女も、僕がすぐにやめられないことを知っていた。だから最後まで、すべてを止めろとは言わなかった。
ただ、そばにいてほしい時にはそう言った。僕も以前よりは研究を中断して隣へ座るようになった。
彼女の父は以前のように酒の話をしながら娘を笑わせようとした。母は長く立っていられない身体で娘の髪を整え、昔と変わらない手つきで衣服の皺を伸ばした。
息子は補助器具を何度も改良した。
僕も、隣にいた。
それでも、足りなかった。
海へ行く機会はもう戻らなかった。
彼女と囲めたはずの食卓も。何でもない話をできたはずの夕方も。
未来を探すことへ使ってしまった時間は取り戻せなかった。
最期の日、家族は彼女のそばにいた。
父親は震える声で、幼い頃の彼女がどれほど手のかかる子だったかを話した。母親は娘の手を握ったまま、何度も名前を呼んだ。息子は自分が作った小さな人形を枕元へ置いた。
やがて彼女の両親と息子が部屋を出て、僕と彼女だけが残った。
手を握った。
呼吸が弱くなるたびに、死なない道を探した。それでも道は閉じていった。
彼女は薄く目を開け、僕を見た。
「まだ、そんな顔をしてる」
笑おうとしたのだと思う。
「ごめん」
何について謝っているのか、自分でも分からなかった。
選択を隠したこと。海へ連れて行けなかったこと。未来ばかりを見て、今を使えなかったこと。
彼女はわずかに首を振った。
指先が、僕の目元へ触れる。
「温かいね」
声は小さかった。
「見ていると、安心する」
僕はその言葉に、何も返せなかった。
彼女は最後に、息を整えるように間を置いた。
「私のそばで、立ち止まらないで」
それが、彼女の残した願いだった。
彼女が亡くなった後、『
蘇らせる道。過去へ戻る道。死をなかったことにする道。
存在しないわけではなかった。
けれど、その道を選べば、彼女が選んだ人生が変わる。
息子が育った時間が消える。彼女の父母が娘と過ごした時間も、僕たちが家族だった日々も別のものへ置き換わる。
彼女を取り戻すために、彼女が生きた人生を消す。
そんなものを救いとは呼べなかった。
道を閉じた。
それでも、後悔は残った。
もっと時間が欲しかった。そのために、すでに残されていた時間まで使ってしまった。
救えなかったことだけではない。救おうとするあまり、生きている彼女を見ていなかった。
息子も母を失った。彼女の父母は自分たちより先に娘を見送った。
同じ人を失っても、悲しみ方はそれぞれ違った。
息子は長く工房へ戻れなかった。それでも少しずつ研究を再開し、母親が使っていた補助器具を同じように身体が弱った人へ使える形へ改良し始めた。
彼には自分の工房があった。研究仲間がいた。続けたい研究があった。
彼女の父母も高齢だったが、息子や地域の人々との関係がある。僕がいなければ生活が立ち行かない状態ではなかった。
それでも僕はここへ残るべきだと考えた。
家を守る。記録を残す。彼女が生きていた場所を変えない。
そうしていれば、何かを失わずに済む気がした。
息子はその考えを見抜いた。
「父さんが旅に出ても、母さんとの時間が消えるわけじゃない」
僕は答えられなかった。
「僕には研究がある。仲間もいる。祖父さんたちのことも、僕一人で抱えるわけじゃない」
そう言ってから、息子は少しだけ困ったように笑った。
「父さんがいなくても生きていける」
それは拒絶の言葉ではなかった。
「でも、父さんが家族じゃなくなるわけじゃない」
胸の奥へ、静かに残る。
「父さんは僕に自分の道を選べって言っただろ」
息子は僕を見る。
「だったら父さんも、自分の行き先を選んでよ」
僕は長い間、答えを探した。
彼女を忘れるためではない。悲しみから逃げるためでもない。
失った後から取り戻す道ではなく、今そこにいる誰かへ間に合う道を選びたい。
僕は息子と、彼女の両親へ旅に出ることを伝えた。いつ戻れるかどうかも分からない。
それでも、父親は行ってこいと言った。
母親は娘の最後の願いを忘れるなとだけ告げた。
その願いは僕の胸に、すでに刻まれていた。