【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
彩葉さんが説明を終えると、アキラさんは腕を組み、得心がいったように何度も大きく頷いた。
「かあ~~、かぐやちゃんが本当に月のプリンセスとは……わかるっ!」
何が分かったんだろう。
彩葉さんも似たような疑問を抱いたのか、兄へ何とも言えない微妙な視線を向けている。
ツクヨミ内の屋外ミーティングルームには、彼女の切実な呼びかけに応じて、芦花さんと真実さん、ブラックオニキスの三人、そして僕とヤチヨが集まっていた。
かぐやが光る電柱から現れたこと。本当に月から来た存在であること。そして次の満月の夜には迎えが来て、帰らなければならないこと。
常識に照らせば、俄には信じがたい荒唐無稽な話のはずだった。けれど、真実さんはぽんと手を打つように納得の声を漏らした。
「築地生まれじゃなかったんだ」
「海行っても肌真っ白だったもんね」
芦花さんもすんなりと頷く。二人の屈託のない受け止め方に、彩葉さんは少しだけ肩の力を抜いたようだった。それでもすぐに真剣な面持ちへ戻り、隣のヤチヨへと向き直る。
「ヤチヨ、かぐやを守ることってできないかな」
「調べてみたんだけどね、どこからアクセスしてるのか足取りすら掴めなかったんだ。ごめん」
「僕の方でもログを追っているけれど、まだ特定には至っていないんだ」
あの日、白い人型へ続く通信経路を捉えかけたのは、ほんの一瞬だった。切断された痕跡をどれほど手繰り直しても、何も返ってこない。
ツクヨミの管理者たるヤチヨと運営である僕の手をすり抜ける相手に対し、彩葉さんの口元は固く結ばれたまま動かない。その張り詰めた空気を和らげるように、芦花さんが身を乗り出した。
「じゃあ、ライブも中止して、かぐやちゃん一生ここにログインしないというのは? 迎えがツクヨミに来るなら、最初からここにいなければ連れていかれずに済むんじゃないかな」
「……私も、最初はそう考えた。でも、かぐやは現実の電柱から出てきたから」
彩葉さんは唇を噛み、不安を振り払うように言葉を絞り出す。
「こっちに来なかったら、今度は現実の部屋まで直接迎えに来るんじゃないかって。もしそうなったら、私には何もできないまま、部屋からそのまま連れていかれちゃう気がして……」
「ログインしなければ絶対に安全だとは、今のところ僕からも保証できないね」
「現実にも、あいつら来られるんですか?」
芦花さんの鋭い問いに、僕は少し言葉を選んだ。
「AR上とはいえ、現実にも姿を見せているからね。どこまでできる相手か分からない以上、部屋にいれば大丈夫とは言えないんだ」
誰もすぐには言葉を継げなかった。
襲来の期限だけが正確に分かっていて、それを防ぐ決定打が見当たらない。接続を断てば解決する問題なら、どれほど救われただろう。重苦しい沈黙が広がりかけたその時、アキラさんがあっけらかんと笑い飛ばした。
「なら、ツクヨミで追い払えばいいんでしょ?」
彩葉さんが弾かれたように顔を上げる。アキラさんは妹の驚きを正面から受け止め、不敵に口の端を持ち上げた。
「なんだよ、その顔は。そのために俺らを呼んだんだろ。任せとけって。宇宙人だろうがなんだろうが、ツクヨミに入ってきてくれるなら好都合だ。引き込もうぜ、ここなら俺たちが一番つえーし。力づくで叩き潰す、月に帰りたくなるまでな」
あまりにも直球で、無謀な理屈だった。
月の使者がこちらのルールに従ってくれる保証などどこにもない。それでも、先日の合戦で実際に刃を交えた僕には、彼の豪語をただの虚勢として片付けることはできなかった。
ブラックオニキスの三人は、盤面の理不尽を強引に自分たちの土俵へとねじ伏せる力を持っている。今度はその牙が、かぐやを理不尽に連れ去ろうとするものへと向けられようとしていた。
「……私もやる」
彩葉さんが言った。アキラさんの視線を受け止め返しながら、彼女は迷いを振り切るように、はっきりと頭を下げる。
「何ができるか分からないけど、私も一緒に戦う。だから……お願いします。かぐやを助けるの、手伝ってください」
「もちろん。最初からそのつもりだ」
アキラさんは頼もしく頷き、そのまま視線をこちらへと滑らせてきた。
「一継さんにも期待していいよね。あの強さが今度は味方にいるんだから、これ以上ないくらい心強いよ」
「ごめん。僕は、前線には出ない」
「えっ、出ないの?」
意外そうに目を丸くするアキラさんに、僕は穏やかに首を振った。
「今回は、裏方の対応に専念させてほしい。侵入経路の監視も、ライブのシステム周りの準備も、まだやることが山積みなんだ」
「戦いながら裏方を回す、ってわけにはいかないか」
「中途半端に関わって、肝心な局面でどちらも手放すことになったら取り返しがつかないからね。表で敵を食い止める役目は、みんなにお願いしたい」
再びあの人型が現れた瞬間、何が起きるかは誰にも読めない。前と同じように、ほんの数秒だけ開く隙間があるのかもしれない。その刹那に確実に手を伸ばせるよう、今から準備を進めておく必要があった。
そして、僕が盤面の裏側に全霊を傾けている間、正面からかぐやへ伸びる手を阻んでくれる存在が、どうしても不可欠だった。
「アキラさんたちに前線を任せられるなら、僕は安心して自分の役割に集中できる」
「一継さんって、運営の方もそこまで自由に動かせるんですか?」
彩葉さんの素朴な疑問に、僕は少しだけ肩をすくめてみせた。
「こう見えても、それなりに偉い立場にいるんだよ」
自分たちの作り上げた庭で外からの理不尽を野放しにするつもりはない。
「ふぅ~ん……」
僕の言葉を聞いた乃依さんが細めた目をこちらへ向けた。その横でアキラさんは惜しそうに息を吐きつつも、すぐに気持ちを切り替えて笑った。
「そっかあ。戦力としては惜しいけど、裏方がパンクしたら元も子もないもんな。分かった、正面の露払いは俺たちに任せてよ」
「ありがとう。頼りにしてる」
「一継さん」
彩葉さんが改めて僕を見つめ、深く一礼した。
「運営の方、よろしくお願いします」
「僕にできることは、すべて尽くすよ」
まだ、かぐやの未来を確実に保証できない。それでも、彼女から託された信頼には、持てるすべてで応えたかった。
アキラさんはすでに踵を返し、自らのチームへ指示を飛ばしていた。
「よし! じゃあ準備だな、乃依」
「えー、あれー? めんど~」
「リーダーは絶対」
「はーいはい」
乃依さんはあからさまに億劫そうな声を上げながらも、雷さんの低い制止を受けると、すぐさまアキラさんと細かな打ち合わせへ入っていった。文句を言いながらもすでに勝つための準備を始めている。対戦相手として対峙した時にはこれ以上なく厄介だったその切り替えの早さが、今は心強かった。
「彩葉、来年もみんなで海行こうね」
芦花さんが、柔らかく彩葉さんの肩に手を置いた。
「温泉も行こー!」
真実さんも弾んだ声で両手を合わせる。
彩葉さんは二人を見つめ、こみ上げるものを抑えるように小さく唇を噛んだあと、あたたかな笑みを返した。
「……うん。ありがと」
来年の海にも、温泉にも。二人が語るこれからの予定の中には、ごく当たり前のようにかぐやの居場所が数えられていた。
僕はただ、その輪を見守った。彩葉さんの瞳には、もう先ほどのような迷いの影はなかった。
やがて戦支度へ向かうブラックオニキスの三人に続き、芦花さんと真実さんも彩葉さんを促した。彩葉さんは去り際に僕とヤチヨへもう一度頭を下げ、友人たちと肩を並べてミーティングルームを後にしていった。
*
「ヤチヨ。少し、時間をもらえるかな」
遠ざかる背中を見送っていた私は、隣からかけられた落ち着いた声に振り返った。一継はまだその場に佇み、真摯な光を宿した瞳を私へ向けていた。
「なんだいなんだい。月見相談室、ただいま待ち時間ゼロですよ」
「それはありがたいな。少し、込み入った相談になるんだけど」
「難問は大歓迎。一緒に頭を抱える方式でいこう。どうぞ?」
軽口を返すと、一継の口元がわずかに緩んだ。
彼は、かつて私が月を抜け出した時の話をもとに、今のかぐやを救う着想を慎重に語った。私には思いつかなかった抜け道だった。
けれど、それはかぐやをここに引き留めるだけでは済まなかった。
「あの日、会場でかぐやを強制切断して逃がそうとした時……実行の引き金を引こうとするたび、これから先にある君の続く道が、完全に途切れて見えなくなっていたんだ」
「……だから、あの時、手を止めたの?」
「ああ、押そうとするたびに見えなくなった」
かぐやを逃がそうとして、押せなかった。一継が私に明かしてくれたのは、その事実の輪郭だった。
「かぐやを助けたい。でも、その結果として君が消えてしまう結末は絶対に選べない。君がここまで積み重ねてきた時間も、絶対に失わせたくないんだ」
静かに告げられた言葉が、胸の奥へと深く、あたたかく染み渡っていく。
ああ、そうだったんだ。
かつて私が、かぐやとして月へ連れ戻されたあの日も。
卒業ライブを終えて、光の雲に乗って昇っていったあの時。一継はただ諦めて見送っていたわけじゃなかった。私の知らないところで、私の見えない場所で、必死に抗い、助けようとしてくれていたのだ。
そして、今。私のことも。
目の前で不器用なほど真剣に私を見つめる彼を見ていると、言葉にされなくても、そのことが痛いほど伝わってきた。
「ヤチヨ?」
「……うん。大丈夫、ちゃんと聞いてるよ」
こみ上げそうになる熱をそっと整え、息を吸い込んだ。一継は急かすこともなく、私の言葉を待ってくれている。
「今の話なら、私の方で確かめられることがいくつかあると思う」
「助かるよ。……でも、その準備に入る前に、一つだけ僕に聞かせてほしい」
「ん、何?」
「ヤチヨは、この先、どうしたい?」
用意しかけていた返答が、喉の途中で止まった。次に何をすべきかばかりを巡らせていた頭に、まったく別の角度から、柔らかな問いが届いていた。
「私、が……?」
「うん。この局面を越えたあと、君自身はどうしていたい?」
脳裏に、さっき芦花と真実が交わしていた言葉が鮮やかによみがえった。来年の海。温泉の約束。彩葉へ向けられた、明日も明後日も当たり前に続いていく未来の誘い。
私も、あの輪の先へ行きたい。
彩葉に会いたくて、もう一度歌声を聴きたくて、気の遠くなるような時間を越えてここまで辿り着いた。ツクヨミで言葉を交わし、同じステージで歌えた。それだけで奇跡で、そこで物語が終わってもいいはずだと、自分に言い聞かせてきた。
でも、一度触れてしまった温もりを手放したくなんてなかった。もう一度、あと一度と数えるうちに、私は結末の先にある当たり前の明日を諦めきれなくなっていた。
そして何より、私の前には私を探し、今もこうして私自身の手を取ろうとしてくれている一継がいる。
「一継と、彩葉と……一緒にいたい」
口にした瞬間、喉の奥が微かに震えた。
でも、もう誤魔化すつもりはなかった。いつもの笑みを脱ぎ捨てて、まっすぐに彼の目を見つめる。
「この先も、ずっと。みんなと一緒にいたいよ…っ」
一継は驚くことも茶化すこともなく、ただ静かに私の言葉を受け止めていた。
震える私の口元から、ゆっくりと視線を上げ、深く、噛みしめるように頷く。
「……うん。ちゃんと、受け取ったよ」
肩に入っていた力がすっと抜けた。私は小さく頷き返し、ゆっくりと息を吐いた。
しばらくして、一継は私に頼みたい準備を一つずつ確かめていった。その声は変わらず穏やかで、私は静かに耳を傾けた。
「任せてもいいかな」
「うん、そこは私に任せて。ツクヨミ側で確認が取れたものから、順次渡していくね」
「ありがとう。僕も、可能性を探し続ける」
そこで一継はわずかに視線を伏せ、慎重に言葉を継いだ。
「誰も失わずに済む道筋は、かすかに見えている。けれど、まだ具体的な経路を掴めたわけじゃないんだ。手繰ろうとするたびに、無数の分岐が重なり合って揺らいでしまう」
私は彼の横顔を見つめた。
この作戦が、そのまま望む結末へ辿り着く保証はどこにもない。けれど、一継がリスクを隠さず率直に伝えてくれたことで、かえって心の覚悟が定まった。
「……了解。手探りなのは百も承知だよ。だからこそ、分かった材料は全部集めて一継に投げる。使えるものは何でも使って」
「うん。状況が動いたら、すぐに僕からも共有する」
私たちはそれぞれ、自分にしかできない作業へと歩み出した。隣で、彼が端末へ意識を沈めていく気配が伝わってくる。
まだ、この手が望む未来へ届くのかは分からない。
けれど、かつて諦めかけた願いは、もう胸の奥に隠すことなく、はっきりと声にできていた。
今だけじゃない。満月の夜を越えた、その先も。
一継と、彩葉と、一緒にいたい。
隣で思考を走らせる一継へ、最初に検証すべきシステムの項目を伝える。
彼は迷わず作業の手を止め、こちらの言葉を受け止めるために振り返ってくれた。