【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
完結まで書き上がりましたので1話ずつ投稿していきます。最後までよろしくお願いします。
「ここでライブ?」
天守閣の縁まで歩いていったかぐやが、欄干から眼下を覗き込んだ。かつて大将落としを目指して駆け上がった場所が、今夜は彼女の舞台になる。
「彩葉の希望でね~」
「あ、ヤチヨ。イツキも来てたんだ」
「本番前に顔を見ておこうと思ってね」
かぐやは欄干に指を掛けたまま、ちらりとこちらを振り返った。
「イツキ、この前は湿っぽくしちゃったけどさ。今日は、ああいうのなしにしたいんだ」
視線が、眼下へ戻る。開演を待つ無数の光が、夜の底で揺れていた。
「歌ってるのに、帰っちゃうことばっかり考えられたら悔しいじゃん。聴いてる間くらいは、歌だけで胸をいっぱいにしたいの。だから、イツキも最後まで見ててね。お仕事があるのは分かってるけど、あとでちゃんと聞くから」
「何をだい?」
「どこがよかったか」
「感想の提出まで求められるのか」
「うん。『すごかった』だけじゃ駄目だからね」
悪戯っぽく笑いながらも、僕の返事を待つ瞳は少しも逸れなかった。
「分かった。最後まで見届けるよ。歌も、一音たりとも聞き逃さない」
「約束ね」
かぐやは満足そうに頷くと、自分の手へ目を落とした。人差し指が一本だけ、ゆっくりと伸びる。
あの合図の始まり方だった。
「……ねえ。彩葉と三人のやつ作ったじゃん。あれ、かぐやだけ楽しかったんじゃないよね?」
軽い口調だった。けれど、伸ばした指先は返事を待つように宙で止まっている。
「それ、聞くまでもないんじゃない?」
先に口を開いたのはヤチヨだった。
「答え、ここに一人いるじゃん」
ぽんと背中を押すような視線がこちらへ向く。かぐやも、指を立てたまま僕を見た。
「楽しかったよ。……僕まで数に入れてくれたのは、君だしね」
かぐやの目が、少しだけ丸くなった。
「よし、答え合わせ終わり!」
ヤチヨが両手を打ち合わせる。
「行っておいで、かぐや。今日のステージの真ん中は、かぐやの場所だからね。ヤッチョのお墨付き!」
かぐやは立てていた指をぎゅっと握り込んだ。それから、呆れたように細めた目でヤチヨと僕を順に見る。
「ほんと口ばっかり。……でも、うん。泣く暇なんて、あげないからね!」
言うが早いか、かぐやはくるりと背を向けて舞台の方へ駆け出していった。
僕とヤチヨも、配置へ戻るため歩き出す。振り返ると、天守閣の縁に立つかぐやが両腕を大きく振っていた。
僕も胸の高さまで右手を上げた。
*
轟くような歓声が、開演の合図を一瞬で呑み込んだ。
舞台の中央で、かぐやが両腕を大きく広げる。客席一面の光が波打ち、彼女の名前を呼ぶ声が幾重にも重なった。挨拶をしようと口を開くたび、どこかから声が飛んで、言葉の続きがかき消される。
「もー、聞いてってば!」
マイクに乗った笑い声に、会場がもう一段沸いた。
ついさっき、帰ることより歌で胸をいっぱいにしたいと言っていた顔だ。その顔のまま、彼女は今、数え切れない光を相手に笑っている。
大丈夫だ、と思った。今日のかぐやは、きっと最後まで笑っていられる。
手元のコンソールへ視線を落とす。仕込んできたデータと準備の進捗は、どれも予定の範囲に収まっていた。画面の端では、運営チャットの通知が細かく積もっていく。
意識の半分を、画面の外へ向けた。かぐやからヤチヨへ続く因果を辿り、二人とも失わずに済む未来を探る。望む結末へ通じる道は、かすかに見えている。用意してきたものもある。けれど、どこから踏み込めばその構想をこの先の道へ繋げられるのか、まだ掴めなかった。
「今日はね、悲しいお別れにはしたくないんだ!」
かぐやの澄んだ声が、夜空の下へ広がった。
「最後まで楽しんでいって! かぐやも、そうするから!」
天守閣の縁で聞いた願いを、彼女は今、自分の舞台で本当にしようとしている。応える歓声が、地響きのように膨れ上がった。
その頭上に、巨大な花が咲いた。
幾重もの大輪が夜空を埋め、開いた花弁の内側から、白銀の光を纏った異形が姿を現す。月人。演出だと受け取った客席から拍手が湧き、静かに降りてくる群れに、会場の熱がさらに跳ね上がった。
そこへ、空から六つの桃が落ちてきた。
弾けた桃の中から、棍棒を構えたアキラさんが現れる。雷さん、乃依さん。芦花さんは舞台へ大きく手を振り、真実さんまで両腕を突き上げている。
その中央に、キーボードを携えた彩葉さんが立っていた。
かぐやの動きが、ぴたりと止まった。
彩葉さんも、その場でわずかに視線を伏せる。歓声の渦の中で、二人の間にだけ音のない時間が落ちたように見えた。
僕は息を詰めて、それを見ていた。
やがて、かぐやが顔を上げた。マイクを握り直し、口元がほころぶ。
「っ……! みんな、自由だぁ!」
鋭い伴奏が駆け抜けた。
一声目が、夜を割った。
澄んでいるのに、どこにも遠慮のない声だった。迷いを捨ててきたというより、迷いごと全部抱えて飛び出してきたような声。その響きが、胸の奥まで真っ直ぐに届いた。
歌い出しに重なるように、彩葉さんが前へ踏み出す。進路を塞ごうと迫った月人を、横合いからアキラさんの棍棒が押し返した。
「おいおい、一人で行くなって!」
「分かってる!」
「だったら、たまにはお兄ちゃんも使ってくれていいんだぞ」
彩葉さんが、並んで走る兄を見上げた。
「……じゃあ、お願い。前、開けて!」
「おう! そういうのを待ってた!」
氷の矢が走り、芭蕉扇の風が月人の列を裂く。回り込もうとする影の前には芦花さんと真実さんが立ち塞がり、その隙間を彩葉さんが駆けていく。
かぐやの歌が、その上をどこまでも伸びていった。
別れを、思いきり鮮やかに飾ろうとする歌だった。途方もない時間が過ぎても、この一瞬は消えない。そう歌い上げる声は、底抜けに明るい。
途方もない時間。
その長さを、僕は知っている。このまま何も変えられなければ、目の前で歌う彼女がヤチヨになるまでに歩く時間の長さを。
歌っている彼女はその長さを知らない。
視界の端で、前線が少しずつ押され始めていた。雷さんの立っていた櫓が攻撃の光に呑まれて崩れ、乃依さんの姿が敵の影に埋もれて掻き消える。リスポーンした二人のステータスを確かめ、運営チャットの緊急確認に返答を打ち込む。顔を上げるまでのわずかな間にも、前線はまた後ろへ下がっていた。芦花さんと真実さんも押し切られ、残る戦力が目に見えて削られていく。
かぐやの声は、途切れない。
張り上げた音の終わりに、わずかに息が乱れる。それでも休まず、すぐ次の音へ身を投じていく。仲間が押し戻されても、月人が舞台の近くまで迫っても、歌うことをやめなかった。
――『すごかった』だけじゃ駄目だからね。
分かってる、と胸の内で返す。今の一声も、ちゃんと覚えておく。
その時、戦場の中央へ、巨大な影が音もなく落ちてきた。
◆
「彩葉、下がれ!」
振り下ろされた巨大な錫杖を、アキラさんの棍棒が火花を散らして受け止めた。
衝撃に弾かれた彩葉さんが地面を転がり、すぐに顔を上げる。棍棒にかかる月人の重みが、目に見えて一段増した。
「……雷、乃依。使うぞ!」
二人の短い応答が重なった。
手元のコンソールに、あるシステム表示が即座に立ち上がる。
次の瞬間、三人の全身から眩い光が噴き上がった。力負けしかけていた棍棒が、錫杖ごと巨大な月人を弾き飛ばす。作戦会議の場で乃依さんが面倒だとぼやいていた準備は、これだったらしい。
「ここでチートモードォ!?」
……僕にも相談してほしかったけど、運営の前で準備するのは大胆過ぎだよ。
実況の悲鳴に近い絶叫を背に、三人はもう大地を蹴っていた。
運営者権限のパネルへ手を滑らせる。チートモードの使用を承認し、全天へ公式のアナウンスを打ち出した。
『ツクヨミ運営より――本戦闘に限り、ブラックオニキスのチートモード使用を承認します。
かぐや姫の月帰還を阻止せよ!』
スタジアム全体が、割れんばかりの歓声で爆発した。
「物語を終わらせないための公式公認! 運営まで味方についたぞォッ!!」
光条が月人の群れを貫き、電光が駆け抜け、棍棒が立ち塞がる敵を押し退ける。その背後を、彩葉さんが一心不乱に進んでいく。
「……行ってくれ」
承認キーから指を離して、小さく呟いた。
かぐやの歌が、一段高く夜空を突き抜けた。無数のサイリウムが揺れ、彩葉さんの進む先に一本の道が開けていく。
けれど、拓かれた光の向こうにも、もう新しい影が立っていた。
薙ぎ払った直後から、次の月人が虚空より湧き出してくる。矢の閃光が消えるより早く、別の影がその空白を踏み荒らした。
「まだ増えるのかよ!」
新たに現れた地点へ、観測を絞った。あの日、白い人型を追って捉えかけた経路を記憶から呼び戻し、今の出現と重ね合わせる。どこから入ってきている。どこへ続いている。
辿った先は、月の側だけではなかった。
観測の起点を、舞台の上へ移す。歌っているかぐや本人へ。
その向こうに、帰還へ続く流れが見えた。見つめれば見つめるほど、それははっきりしていく。
用意してきたものは、手の中にある。それを、この流れのどこへ繋げばいいのか。二人とも失わずに済む未来へ届かせるには、何が足りないのか。先を確かめようとするたび、分岐が重なって滲んだ。
歌は二番に入っていた。帰ることを受け入れる言葉と、まだ歌い続けていたいという願いが、同じ旋律の上に並んでいく。
あの日、かぐやは僕に言った。帰る、と。それでも、離れたくない、と。
どちらも本当だった。その二つが今、一つの歌の中で同時に鳴っている。
強がりも、きっと歌の一部だった。泣く暇なんてあげない、と笑って駆けていった背中が、舞台の上の姿に重なる。彼女は、自分に定められた行き先ごと受け止めて笑っている。その行き先を、僕は書き換えようとしている。彼女が選んだ笑顔を、否定したいわけではないのに。
奥歯に力が入った。こうしている間にも、歌は先へ進んでいく。
一曲目の最後の音が、歓声に溶けた。
間を置かずに、聞いたことのない前奏が流れ出す。
新しい曲だった。
「ここはいい! 走れ、彩葉!」
アキラさんの絞り出すような叫びに、視線を戻した。
彩葉さんが駆け出していた。兄たちが引き受けた敵の脇をすり抜け、かぐやの立つ舞台を目指して、ひたすら足を前へ運んでいく。交錯する閃光。頭上をすれすれに掠める矢の軌跡。その嵐の下を、一度も止まらずに。
上空から一体の月人が舞い降り、行く手を塞いだ。咄嗟に進路を曲げた先にも、また別の影。幾重にも折り重なる包囲の中で、キーボードを胸元に構え直す背中が見えた。
新しい曲は、誰かが誰かへ贈る歌のようだった。わがままも、はしゃぎ過ぎも、全部いいと笑って許す。一緒に過ごした部屋のことも、画面の向こうの街で過ごした日々のことも、何一つ置いていかずに大事に持っていこうと呼びかけている。
部屋、という言葉に、ふと三人の食卓が浮かんだ。並んだ三人分の皿。湯呑みが一つ足りなかった夜。天守閣の縁で、かぐやが一本だけ立てた人差し指。
サビに入った瞬間、その旋律にだけ聞き覚えがあった。
かぐやは跳ねるようにステップを踏み、客席へ手を伸ばし、全身で歌っていた。楽しんでいる。最後まで楽しむと言った、その通りに。
最後のフレーズが、夜空の果てまで伸びていく。
まだ終わらないで、とせがむような明るさのまま。
僕はその声に耳を澄ませた。最後まで伸びやかで、力強い。その響きを追いながら、もっと聴いていたい、と思った。
長く尾を引いた歌声がほどけ、伴奏の残響だけが天守閣を包み込んでいく。かぐやはその余韻の最後まで踊り、やがてそっと両足を揃えて止まった。
それから、その目が動いた。客席から、戦場のただ中へ。包囲の中で立ち尽くす彩葉さんの方へ。
次の曲のイントロは、始まらなかった。
最後まで、歌い切った。
約束した通り、僕は最初から最後まで見届けた。一声目も、途切れなかった声も、空へ伸びていった最後のフレーズも。伝えたいことはいくらでもあるのに、今はそれを言葉にする時間がなかった。
見上げると、頭上の空が無数の月人で埋め尽くされていた。
荒れ狂っていた攻撃の光が、嘘のように引いていく。彩葉さんを取り囲んでいた月人たちもその場で静止し、整然とした動作で左右へ身を引いた。
開けた視界の先に、かぐやが立っていた。
彩葉さんは、その場から動かない。
歓声と拍手の余韻だけが、夜風に揺れていた。
コンソールの数値へ視線を落とし、用意してきた仕掛けを確かめる。それから、二人とも失わずに済む未来へ、もう一度意識を向けた。道筋は、消えずにそこにある。
それなのに、繋ぐ先がまだ掴めない。
天守閣を覆う静寂の中、一体の月人が列を離れた。
優雅な足取りで舞台へ進み出て、かぐやの前で恭しく礼をした。かぐやは何も言わず、その銀色の影を静かに見ていた。
もう、迎えが彼女の前にいる。
僕はかぐやと月人の姿を捉えたまま、手元の鍵盤へ指を戻した。