【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
星が横へ流れた。
目の前を大きな影が塞ぎ、激しい衝撃が走る。景色が回った。さっきまで向かっていた先が分からなくなり、どうにか立て直そうとする焦りだけが膨らんでいく。
もう一度。
その思いを抱えたまま、青い星が迫った。
次に見えたのは、暗い水の中だった。
頭上にかすかな光がある。そこへ向かおうとしても、見える景色は変わらない。もと光る竹の内側から外を窺い、何度も動こうとする。そのたびに、目の前の岩も砂も同じところへ残った。
彩葉。イツキ。
私と、一継さんの名前だった。
会いたい。帰りたい。もう一度、二人の声を聞きたい。
自分たちを呼ぶ声が、その切実さごと胸へ流れ込んでくる。ここにいるよと言いたくても、かぐやの前には暗い水が広がっていた。
光が薄れ、また戻る。魚が通り過ぎるのを見送る。何も来ないまま待つ。
同じ景色の中で過ごした時間が、途切れずに押し寄せた。名前を呼んだ時だけではない。返事を待って黙っていた間も、呼ぶのをやめてしまった間も、私はそこにいた。
だから、声が返ってきた時には、何を言われたのかすぐに分からなかった。
『聞こえてるよ』
胸の内で、何かが跳ねた。
返事が来た。
こちらが問いかければ、もう一度返ってくる。海の上にいるというその人は、今から行くと言った。
待っている間にも、かぐやは何度も呼びかけた。まだかと尋ね、見えないと訴える。その一つ一つへ短い返事が届く。
『近くまで来たよ』
『……どこ?』
『目の前』
それでも見えなかった。探そうとしても、好きな方へ目を向けることさえできない。
やがて、一人の男の人が視界へ入った。
知らない顔だった。
けれど、かぐやが勢いよく話しかけるたびに返す声には、どこか覚えがあった。驚くほど短く答えるのに、返事がなくなることはない。
その人が、竹へ手を伸ばした。
触れられた途端、かぐやの声が止まる。
『……ぽかぽかする』
もう一度と頼んで、触れてもらう。
『イツキとおんなじ、ぽかぽかする』
『イツキ?』
『かぐやの知ってる人。なんか似てる』
私は目の前の顔を見つめた。
髪も顔立ちも、一継さんとは違う。それなのに、かぐやがそう言った時、私も同じ人を思い浮かべていた。
名乗った名前は、刹那だった。
かぐやはゆっくり繰り返したあと、すぐにもう一度呼んだ。
『セツナ!』
『聞こえてる』
『呼んでみたかった!』
その嬉しさが、胸の奥まで響いた。
セツナはかぐやの話を聞き、もと光る竹へ手を掛けた。砂が舞い、長く動かなかった景色がずれる。
『動いた!』
『動いたね』
『動いてる!』
同じことを繰り返す声が、少しも落ち着かない。
岩が遠ざかり、魚が視界を横切った。暗かった水に青が戻ってくる。海の底でこんなふうに動けることに驚いているうちに、頭上の光が大きくなった。
水面を越えると、かぐやの質問が止まらなくなった。
空はどうなっているのか。雲はあるのか。鳥は。陸は。
セツナは自分に見えるものを教えた。かぐやがもっと詳しくとせがむたび、また答えが返ってくる。
そのやり取りの途中で、かぐやは尋ねた。
『セツナはどこから来たの?』
『ここじゃないところ』
『どこ?』
『別の世界』
私はその言葉に驚いた。
かぐやも驚き、どうやって来たのかと続ける。返ってきたのは、能力、という短い答えだった。
知らない世界から、ここへ来る力。
もと光る竹に触れていた手を、私は見た。海の底まで来て、声を聞き、ここから出られなかったかぐやを連れ出した人だった。
『なんで来たの?』
『僕を求めてる存在を探した』
『それ、かぐや?』
『道はここに続いてた』
『じゃあ、それかぐやじゃん!』
かぐやの声が弾んだ。
セツナは、そうかもねと答えた。
初めて会ったばかりの二人が、そのまま話し続けている。どこから来たのか、どうしてここにいるのか。聞いた答えへまた質問を重ね、返事をもらう。
陸へ向かうと言われた時、かぐやは自分も一緒なのかと確かめた。
『置いていかないよ』
その一言を聞いた時の安堵まで、私の中に残った。
◆
潮の匂いが変わった。
人の声が近くなる。FUSHIを通して見る世界は低く、誰かが屈み込むと、その顔がすぐそばにあった。
「いましは縁起よしとぞ」
こちらへ向けられた声に、かぐやの気持ちが明るくなる。
人と話す。返事をもらう。そばへ来た相手をもっと知りたくなって、こちらからも言葉を返す。
やがて、別の声が聞こえた。
「逢い見ての、のちの心にくらぶれば――」
言葉を紡ぐ人の顔を、かぐやは見上げていた。交わしてきた言葉があるからこそ、その声を聞くのが嬉しかった。
季節が変わる。
親しくなった人の姿が、少しずつ変わっていく。名前を呼べば返事があった場所で、もう一度その声を聞こうとしてしまう。
会えなくなったあとにも、日は昇った。
何もかもを忘れてしまえるわけではない。それでも、また誰かと言葉を交わし、面白いことがあれば笑った。笑ったあとで、あの人にも聞かせたかったと思った。
そんな日々の中で、セツナの姿が変わった。
「セツナ?」
戻ってきた人へ、かぐやが呼びかける。
返事をした顔を見て、私も息を止めた。
一継さん。
知っている顔だった。こちらへ向き直る仕草まで、すぐに思い出せる。
かぐやは何度も向きを変えさせ、顔や手元を確かめていた。そして、ようやく言った。
「イツキ」
「その名前、前にも言ってたね」
「違う」
「何が?」
「セツナがイツキ」
セツナが黙った。
私は、ようやく二つの顔を同じ人として受け取った。
別の世界から来たと話していた人。海の底でかぐやへ返事をした人が、私の知っている一継さんだった。
運営会社の代表だと知って驚いたばかりの、あの隣人が。
かぐやは、ずっと似ていたのだと話した。ぽかぽかするところも、喋り方も、人のことばかり気にするところも。けれど、見た目が違っていたのだと。
今は同じだと、迷わず言った。
「だから、やっぱりイツキだった」
そう言うかぐやの嬉しさを受けながら、私はその顔を見続けていた。
知らない世界を越えてきた力も、長くそばにいた時間も、ここで初めて身近な人へ繋がった。
名前をどう書くのかと尋ねられ、かぐやは音しか知らないと答えた。それなら今決めると言い出して、少し考えたあと、得意げな声を上げる。
「かぐやと彩葉、それにセツナも」
私の名前があった。
「みんなを一つに繋いで、その先までずっと継いで、連れてってくれる。だから――一継」
一つに、継続の継。
電話口で説明したばかりの字だった。
「僕自身も入ってるんだ」
「当たり前じゃん。セツナだけ置いてったら意味ないし」
一継さんは、その名前をゆっくり繰り返した。
「いい名前だと思う」
「でしょ!」
かぐやの声が、ますます明るくなった。
初めて呼ばれた時、返事は少し遅れた。すぐにかぐやが文句を言い、一継さんが困ったように答える。
次に呼ばれた時には、すぐに返事があった。
◆
「会いたい者がいるのだろう?」
問いかける顔が、近くにあった。
その声を聞いた時の思いを抱えたまま、景色が変わる。目の前に、燃える城があった。
もう、その人のそばにはいなかった。
城の外から見上げた炎が、夜を赤く染めている。音がするたびに、まだ間に合うのではないかという思いが胸を突いた。
「一継、助けてあげてよ!」
かぐやが叫ぶ。
「かぐや」
「まだ、あそこにいるんだよ。ねえ……!」
一継さんへ向けた声が、途中で崩れた。
「……彼女たちの選択を奪ってはいけないよ」
炎へ目を戻す。さっきの声が、まだ耳の奥にある。会いたい相手を尋ねた人へ、もう一度話しかけたかった。
言葉を受け止めようとしても、燃えている城を見上げるたびに涙が止まらなかった。
「ムカつくからさ、つらくても笑うんだよ」
今度の声は、勢いよくこちらへ飛んできた。
花魁はそう言って笑った。顔を見ていると、かぐやの中にあった言葉がこぼれる。
「泣きそうな時でも?」
「逆さ! 泣きそうで挫けそうな時こそ笑ってやるんだよ!」
あまりに真っすぐ言われて、かぐやが笑った。
花魁も、つられたように笑う。話を続けながら襟元を直し、こちらの返事を待たずにまた何かを言ってくる。かぐやが口を挟むと、すぐに言い返された。
声が重なった。
言いたかったことの途中で笑ってしまって、もう一度初めから言い直す。相手も笑っているから、それだけでまたおかしくなる。
この人と話すのが好きだった。
それが分かった途端に、もう会えない寂しさまで胸へ触れた。
今、目の前で笑っている。
なのに、もういない。
私は次の言葉を待ちながら、聞き慣れた声がなくなった日々も受け取っていた。
紙の上を動いていた手が止まる。
指に墨のついた人が、こちらへ顔を向けた。
「君の活躍する時代を、俺も見てみたかった」
かぐやは、その人を見つめた。
見ていてほしかった。
そう思った時には、顔も声も、もう懐かしさを伴っていた。
焼け跡の街に、花があった。
少女が手にしている小さな色へ、目が向く。周囲を見てから、もう一度その顔へ戻った。
「私にはここなの」
すぐには言葉を返せなかった。
少女は花へ目を落とした。その手元を見ているうちに、かぐやの中から別の言葉が出てくる。
「……綺麗だね」
顔を上げた少女が笑った。
その笑顔を見て、もう少し話していたくなった。声を掛ければ、こちらを見てくれる。言葉を交わせることが嬉しくて、次の返事を待った。
花の色と、その顔を覚えていた。
少女と別れたあとにも、ふとしたところで思い出した。違う景色を見ているのに、また話しかけたくなる。
あの場所へ向いていた意識を、そばにいた声が引き戻した。
「しばらく滞在できる場所が近くにある」
一継さんがいた。
返事が出ないまま見ていると、もう一度声が届く。
「そばにいることはできるから」
胸に残った花の色を抱えたまま、近くにいる人の言葉を聞いていた。
◆
画面に文字が並んだ。
たどたどしく入力して、送る。
Hello, world!
返事が来た。
Hello, you.
思いがけない速さで返ってきた文字を、かぐやは見つめた。遠くにいる相手と、こうして言葉を交わせる。
もう一度、入力する。
次の返事を待つ間にも、試してみたいことが浮かんだ。できることが増えるたびに、その先が欲しくなった。
仮想の世界で会う。
自分から声を届ける。
画面の中へ伸ばした思いが、少しずつ形になっていく。
もと光る竹を盗み出した男の人がいた。
こちらへ渡そうとしていたところで、一継さんが動いた。相手が拘束され、かぐやの声が鋭くなる。
「一継、離して!」
一継さんがこちらを見た。
「危ないことをしたね」
「でも、私も一継にずっとおんぶに抱っこじゃないんだよ」
「……」
「カーターにお願いしたのは私。だから一継、離してあげて」
一継さんが拘束を解いた。
男の人は一度身を整えると、一継さんへ顔を向けた。
「……手荒な歓迎だ。だが、姫の護衛ならそうでなくては」
やがて、その人とも別れる時が来た。
「極上のワインは時間が経つほど深まる。悪いことばかりじゃないさ」
片方の口角を上げた笑い方が、言葉と一緒に残った。
腕を上げる。
指が開く。
声を出すと、歌になった。
見慣れた手が目の前で動いている。足を踏み出し、顔を上げると、客席が見えた。
ヤチヨとして、舞台に立っていた。
声が伸びる。身体を動かせる。次の音へ届くことが嬉しくて、自然に笑った。
歌うのが、こんなに楽しい。
客席から返ってくる声を聞き、また歌いたくなる。終わったばかりなのに、次は何をしようかと考えている。
ライブを重ねた。
人の顔を見た。歌いながら、客席の中を探した。今日こそ来ているかもしれない。そう思うだけで、もう一度舞台へ出たくなった。
その中で、見覚えのある景色が広がった。
私はこの場所へ来たことがある。
かぐやや一継さんと一緒に見たミニライブより、前だ。
ただ、今いるのは観客側ではなかった。向こうから見ていたはずの舞台に立ち、たくさんの顔へ歌を届けている。
その中に、私がいた。
ヤチヨを見ていた。
胸の奥が、大きく揺れた。
――彩葉。
呼びかけは、声にならなかった。
次の音が続く。目を離したくないのに、歌うこともやめたくなかった。見つけた顔へ、もっと声を届けたい。
私は、笑っていた。
あの時のことを思い出した。ヤチヨの歌を聴けることが嬉しかった。次も、その次も聴いていたかった。
その顔を見て、ヤチヨが笑う。
私が好きだった笑顔だった。
もっと聴いていてほしいという気持ちと、もっと聴きたいという気持ちが、自分の中で重なった。
◆
「彩葉! ねえ、彩葉……っ!」
肩を支える感触があった。
瞼を開けると、ヤチヨの顔がすぐ近くにあった。こちらを覗き込む目が揺れている。私の腕を掴む手に、力が入っていた。
「……ヤチヨ」
名前を呼ぶと、その口が止まった。
大きく息を吐いても、ヤチヨは私から目を離さなかった。
「もう……死んじゃうよ」
私は身体を起こした。支えてくれる腕の向こうに、澄み渡る水面が広がっている。私たちの周りから、小さな波紋が離れていった。
さっきまで、あんなにたくさんの声がしていた。
今は、目の前の人の声がする。
私はヤチヨへ腕を伸ばした。
抱き寄せると、彼女の手が背中へ回った。その感触を確かめながら、もう少し強く抱き締める。
花魁と笑っていた声も、少女の花を綺麗だと言った声も、私を見つけた時の喜びも、まだ胸の内にあった。その間に過ごしてきた長い時間まで、何か言おうとするたびに迫ってくる。
「……会いに来てくれたんだね」
「うん。やっと、見つけた」
耳元で返事がした。
その顔を見たくなって少しだけ離れる。
ヤチヨもこちらを見ていた。
頬へ流れたものを拭こうとすると、先に彼女の指が触れた。けれど、その目も濡れていて、私は伸ばしかけた手で同じように頬へ触れた。
言いたいことが、いくつもあった。
それでも、最初に伝えたいことは決まっていた。
「かぐやといたい」
目の前の人を見て言った。
「また一緒に曲を作って、歌って。今日みたいに、話の続きを聞いていたい。ライブが終わったら、よかったところをちゃんと話したい」
ヤチヨが唇を動かす。
声が出るまで、私は待った。
「……私もいたいよ」
私は頬から手を離し、ヤチヨへ差し出した。
その手へ目を落としたヤチヨが、顔を上げる。私が待っていると、彼女も手を上げた。指先を重ね、二人で一つの形を作る。
なかよしのやつ。
ヤチヨは合図をほどき、そのまま私の手を取った。重なった手へ視線を落とし指でそっと撫でる。
「こうやって手を繋いだら、あったかいかなって今も思うんだ」
私はその手を見た。
触れたくても、触れられなかったものがあった。言葉を交わせても、一緒にできなかったことがあった。
ヤチヨが顔を上げる。
「また、一緒にパンケーキ、食べたいなぁ」
その言葉で思い浮かんだのは、ふわふわの生地を頬張った嬉しそうな顔だった。
皿を並べて、同じものを食べる。おいしいと言う顔を見て、笑い合う。
そんな時間を、この人と過ごしたかった。
どうすればいいのか、答えがあるわけではない。それでも、一緒に食べたい。そのために、自分がしたいことがあった。
「わかった」
ヤチヨの身体を作る。パンケーキを食べたいと言ってくれた、この人の身体を。
握っていた手を、もう一度握り直した。
「最後まで付き合ってよね」
ヤチヨが目を見開いた。
握っていた手へ、力が返ってくる。頬に涙を残したまま、彼女は笑った。
「……うん」
水面に重なった私たちの影が、ゆっくり揺れていた。
◆
FUSHIから一継さんの居場所を聞いた。
同じアパートの別室にいる。けれど眠ったままで、呼びかけても返事をしないのだという。
設備のある部屋を出て、案内された扉の前へ立つ。中へ入ると、一継さんは目を閉じていた。
そばまで歩いて足を止めた。
海の底でもと光る竹へ触れた手。
かぐやに呼ばれ顔を向けた姿。
新しくもらった名前をゆっくり繰り返していた声。
目の前にいるのは、廊下で会えば挨拶を返してくれた人だった。かぐやの話を聞き、私が頼んだことを引き受けてくれた一継さんだった。
「一継さん」
返事はなかった。
別の世界から来たと話していた人が八千年をかぐやと過ごし、私のすぐ近くにいた。
聞いた言葉も見てきた姿も、もう私の中にある。それでも、本人の声で話を聞きたかった。
今、どうして眠っているのか。
あの夜、何をしていたのか。
いつもなら呼びかければこちらを見てくれた。少し待てば今もそうしてくれるような気がして私はその顔を見つめた。
「……一継さん」
その目は、閉じたままだった。