【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜   作:蠱毒は孤独

55 / 56

 ビターエンド



IF End1

「ねえ、まだ?」

 

 何度目か分からない問いかけに、彩葉さんの肩がぴくりと動いた。

 

「まだ」

「さっきもまだって言った」

「さっきもまだだったから」

 

 画面から目を離さないまま返す声は、平坦だった。集中している時の彩葉さんは、昔からこういう声になる。

 

 かぐやは唇を尖らせて、台の周りをもう一周した。今朝、自分の身体で目を覚ましたばかりだというのに、足取りに迷いがない。床を踏めば硬いと言い、壁に触れれば冷たいと言い、僕の袖を引いては「引っ張れる」と言う。半日のうちに、それを何十回聞いたか分からない。

 

「イツキ、ヤチヨまだ起きないの? 私の時って、もっと早くなかった?」

「まだ始まってないからね」

「じゃあ、始まったらすぐ起きる? 私、起きた時のこと全然覚えてないんだよね。気づいたら天井見てた」

「彩葉さんの準備が終わったらね」

 

 かぐやはそれ以上は言わずに、彩葉さんの背中を見た。急かしたいのを我慢しているのが、横顔にそのまま出ていた。

 

「視線がうるさい。あと少しだから」

 

 

 部屋の中央の台には、もう一つの身体が目を閉じて横たわっていた。

 

 僕にできることは、もう全部終えてある。

 

 十年かかった。

 

 かぐやの精神体が戻り、ツクヨミで再び動けるようになってからは、待つだけの十年ではなくなった。かぐやは彩葉さんへ注文を出し続け、ヤチヨは自分が何を感じたいのかを一つずつ言葉にしていった。彩葉さんは学び、作り、うまくいかなければ作り直した。

 

 僕はその間、日々が途切れないように動いていた。

 

 試作のたびに魂の側から接続を確かめ、危ないものは先に遠ざける。足りないものを揃え、必要な話をつける。研究室に泊まり込んだ彩葉さんを夜中に迎えに行くのも、ツクヨミから戻ってこないかぐやを呼びに行くのも、たいてい僕だった。

 

 何かあれば、まず僕に連絡が来る。

 

 それが、この十年の当たり前だった。

 

 身体そのものを作ったのは、彩葉さんだ。僕が繋ぐのは、最後の一箇所だけ。その一箇所も、昨日のうちに済ませてある。

 

 

「……始めるよ」

 

 小さな声だった。かぐやがぴたりと黙る。

 

 彩葉さんの指が、最後の操作を押した。

 

 

 目を開けるまでに、どれくらいの時間がかかったのか。実際には数秒だったのだと思う。けれど、台の傍らで待っていた僕には、ひどく長く感じられた。

 

 閉じた瞼が、ごく小さく震えた。

 

 それだけで、操作卓の前の彩葉さんの肩が強張った。かぐやは息を止めたみたいに動かない。

 

 僕もたぶん、似たような顔をしていた。

 

 もう一度、瞼が動いた。ゆっくりと開いていく。

 

 現れた瞳は、しばらく天井だけを映していた。焦点が合うまでの、わずかな時間。それから視線が横へ流れる。

 

 彩葉さん。かぐや。最後に、僕。

 

 何度も見てきた顔だった。画面越しにも、ツクヨミでも、それよりずっと前にも。

 

 それなのに、初めて会うみたいだった。

 

 唇が動いて、声になるまで一拍あった。

 

「……聞こえる」

 

 いつもの声だった。何千回、何万回と聞いてきた声。それが空気を震わせて耳へ届いたというだけで、胸の奥が妙に騒がしくなる。

 

 彩葉さんはすぐに画面へ目を落とした。

 

「ヤチヨ、私の声、聞こえる?」

「うん」

「視界は? 二重に見えたり、暗かったりしない?」

「大丈夫。……たぶん」

「たぶんじゃ困るんだけど」

「研究者さん、初手から厳しくない?」

 

 いつものヤチヨだった。それを確かめた途端、彩葉さんの肩から少しだけ力が抜けたのが見えた。

 

 かぐやの方は、もう限界だったらしい。

 

「ヤチヨ!」

「ちょ、かぐや、まだ――」

「起きた!」

 

 彩葉さんの制止を最後まで聞かずに、かぐやが台の脇まで飛んでいく。さすがに抱きつくのは思い留まったのか、ぎりぎりのところで止まって、顔だけを覗き込んだ。

 

「どう? 重いでしょ。私も朝そうだったもん、腕上げるだけで疲れちゃって。でも最初だけだから、すぐ慣れるよ」

「かぐや、ヤチヨまだ起きたばっかりだから」

「だから教えてあげてるの。分かんないことあったら聞いてね、私、半日先輩だし」

「先輩風が早いなあ」

 

 ヤチヨが小さく笑った。

 

 笑いながら、自分の手を持ち上げる。指を一本ずつ曲げる。開く。握る。手首を返して、掌を眺める。

 

 ひどく慎重な動きだった。

 

 人差し指で掌を押す。手の甲を押す。腕に触れて、それから頬へ。

 

「……ちゃんと、私の手だ」

 

 彩葉さんの唇が震えたのが、ここからでも分かった。

 

「そっか」

 

 短く言って、彼女は画面へ顔を戻した。手の甲が一度だけ目元を擦る。

 

「彩葉、泣いてるじゃん」

「泣いてない」

「泣いてるよー」

「起動ログ見てただけ」

 

 かぐやとヤチヨが顔を見合わせて笑う。似た笑い方で、少しずつ違っていた。

 

 

 ヤチヨは台の縁から足を下ろした。床に触れた爪先が、ぴくりと跳ねる。

 

「……床」

「床だね」

「硬い」

「床だからね」

「彩葉、感動を全部現実に戻してくるね」

「感想を聞かれたら、そう答えるしかないでしょ」

 

 両足に力を入れて、立ち上がる。

 

 一歩目で身体が前へ傾いた。僕とかぐやが同時に動きかけて、彩葉さんの声の方が早かった。

 

「待って。自分でどこまでできるか見たいから」

 

 伸ばしかけた手を止める。ヤチヨは台に片手をついて、自分で身体を戻した。

 

「おっと。……身体って、こんなに重かったっけ」

「長いこと身体がなかったんだから、感覚も鈍ってるでしょ」

「昔はこれで普通に走ってたんだけどなあ」

「今日は歩くところまで」

「はーい」

 

 もう一度。今度は、ちゃんと立った。一歩。また一歩。

 

 少し先で、かぐやが両手を広げて待っている。何をするつもりなのか、分かりやすすぎた。

 

「ヤチヨ、ここまで歩いてきて。ゴールね」

「何そのゴール」

「いいじゃん、目標あった方が歩きやすいでしょ」

 

 辿り着いた途端、今度こそ抱きつかれた。

 

「うわっ」

「ほんとにいる。……ちゃんと触れるんだね」

「いるいる。力、ちょっと強い」

「もうちょっとだけ。今離したら、なんか消えちゃいそうなんだもん」

「消えないってば」

 

 そう言いながら、ヤチヨの腕もかぐやの背中へ回っていた。

 

 二人が、同じ場所に立っている。似ているところもある。まるで違うところもある。

 

 どちらかをどちらかに重ねる必要は、最初からなかった。

 

 

 かぐやがようやく離れると、ヤチヨは彩葉さんの方を見た。

 

 彩葉さんは、目を逸らした。

 

「何」

「いや?」

「その顔やめて」

「まだ何も言ってないよ」

「言いそうな顔してる」

「十年頑張った人がいるなあって」

 

 彩葉さんは黙った。

 

 ヤチヨが、手を差し出す。

 

 一瞬だけ迷ってから、彩葉さんはその手を取った。すぐに普段の顔へ戻したけれど、唇の端が震えていたのを、僕は見た。

 

「……どう」

「どうって?」

「手」

 

 ヤチヨが少しだけ握る。彩葉さんも握り返す。

 

「ちゃんと握れてる。温度も……問題ないと思う」

「研究者の感想だ」

「じゃあ何て言えばいいのよ」

「別に。これでいい」

 

 二人とも、しばらく手を離さなかった。

 

 

 やがてヤチヨの方から指を解いて、僕を見た。

 

「一継」

「うん」

「手」

 

 それだけだった。

 

 近づいて、手を差し出す。

 

 指先が触れた瞬間、ヤチヨの肩がかすかに跳ねた。確かめるように僕の指をなぞって、それから掌を重ねてくる。

 

 握られた。握り返す。

 

 ヤチヨが黙った。

 

 俯いて、重なった手を見ている。いつもの軽口も出てこない。ただ、親指が僕の手の甲を、ゆっくりとなぞった。

 

「……あったかい」

「うん」

 

 僕も、それしか返せなかった。

 

 

 八千年。

 

 長すぎて、今さらその長さを言葉にする意味もない気がした。

 

 同じ場所にいた。何度も別れた。何度も帰った。笑って、怒って、歌を聞いて、何年も顔を合わせない時期があっても、また同じ時間へ戻った。

 

 ずっと近くにいたはずなのに。

 

 手の温度だけは、知らなかった。

 

 

 ヤチヨが顔を上げた。目元が少し赤い。それでも笑った。

 

「ぽかぽかする」

 

 知っている言葉だった。

 

「知ってたんだよ、ずっと前から。……でも、この手で分かるのは初めて」

「でしょ。イツキってぽかぽかなの。私、ずっと前から言ってたもん」

 

 横から、かぐやが胸を張った。

 

「かぐやが先に見つけたんだからね」

「えー、それ言う? 私のほうがずっと前から知ってるんだけど?」

「ずるい。それ、後から出してくるの反則じゃない?」

「張り合うとこ、そこ?」

 

 彩葉さんの呆れた声に、二人が揃って振り向く。揃ったのはそこだけで、続く言い分はまた別々だった。

 

 ヤチヨはもう一度だけ、僕の手を握り直した。

 

 ほんの少し。

 

 それから、離した。

 

 

「ねえ彩葉」

「何」

「私、パンケーキ食べたい」

「……今それ?」

「今それ。ずっと言ってたでしょ」

「私も食べたい。ふわふわで、上にバター乗ってるやつがいい」

「起動したばっかりなんだけど」

 

 彩葉さんがこめかみを押さえる。ヤチヨは悪びれもせずに笑って、それから僕の方へ顔を向けた。

 

「一継は?」

「僕?」

「何かしたいこと、ないの? 一継ってさ、そういうの全然言わないじゃん」

 

 かぐやも、彩葉さんも、こちらを見た。

 

 

 したいこと。

 

 すぐには出てこなかった。誰かの望みを聞くことには慣れていても、自分のものを探すのには、いつも少し時間がかかる。

 

 探そうとして、視界の端に彩葉さんが映った。

 

 目の下に、ここ数日の徹夜がそのまま残っている。起動の直前まで、ほとんど座ってもいなかったはずだ。

 

「……今日は、彩葉さんに休んでほしいかな」

 

 口にしてから、それが答えになっているのかどうか、少しだけ分からなくなった。

 

 ヤチヨが瞬きをした。

 

「ふーん」

 

 それだけだった。何か言いかけたように見えたけれど、ヤチヨはそのまま、彩葉さんの方へ向き直った。

 

「だってさ、彩葉」

「私は大丈夫です」

「大丈夫な人の目の下じゃないよ、それ」

「じゃあ、パンケーキ食べてから寝ればいいじゃん」

 

 かぐやが、いいことを思いついた顔で続けた。

 

「彩葉も一緒に食べて、そのまま休むの。それなら両方できるでしょ」

「順番の問題なんだけど」

 

 言いながら、彩葉さんの口元はもう緩んでいた。

 

 間違った答えではなかったと思う。彩葉さんは本当に疲れていたし、休んでほしいのも本当だった。

 

 ただ、ヤチヨが一瞬だけ僕を見たあの目が、少し後まで残った。

 

 

 ◇

 

 

 初日の確認が一通り終わる頃には、窓の外が夕方の色に変わっていた。

 

 まだ確かめたいことはいくらでもあるらしい。それでも彩葉さんが端末に記録を残しながら「今日はここまで」と言うと、かぐやが誰より先に喜んだ。

 

「やった。パンケーキだ」

「何であなたが一番喜ぶのよ」

「だってお祝いでしょ。ヤチヨが起きた日なんだから」

「……それは、そうだけど」

 

 

 四人で、同じ建物の同じ階へ戻った。

 

 台所に立とうとすると、先に彩葉さんが袖をまくっていた。

 

「今日は私が作ります」

「休むんじゃなかったの?」

「休むのは焼いてからです」

「彩葉さん」

「十年待たせたんだから、パンケーキくらい焼かせてください」

 

 そう言われると、何も返せなかった。

 

「私も手伝う」

「邪魔しないなら」

「しないってば。……たぶん」

「じゃあ座ってて」

「違うってば、ちゃんと手伝うから。卵割るのとか得意になったんだよ」

 

 結局、二人で並んで準備を始めた。

 

 僕も何か手伝おうとしたら、振り返った彩葉さんにきっぱりと言われた。

 

「一継さんは座っててください。今日は何もしなくていいです」

 

 座るしかなかった。

 

 何もしないで待つというのは、どうにも落ち着かない。手の置き場が分からない。

 

 隣を見ると、ヤチヨが両手をテーブルの上に置いて、それを眺めていた。指で木目をなぞる。カップの縁に触れる。そのたびに、表情がほんの少しずつ変わる。

 

「楽しい?」

「楽しいよ」

「触ってるだけなのに?」

「触れる側はそう言うんだよね」

「なるほど」

「一継も一回、八千年くらい触覚なくしてみる?」

「遠慮しておくよ」

「でしょうね」

 

 香ばしい匂いが漂ってきた。ヤチヨの顔が上がる。

 

「……匂いって、こんな感じだったね」

「思い出した?」

「覚えてるつもりだったんだけどなあ。実際に嗅ぐと、全然違う」

 

 鼻先に指を当てて、ヤチヨは小さく笑った。

 

 

 皿が四枚並んだ。

 

 最初だからと、彩葉さんはかなり小さめに焼いたらしい。かぐやだけが、露骨に不満そうだった。

 

「私のも小さいんだけど」

「今日はヤチヨが主役なの」

「じゃあ、あとでもう一枚焼いてくれる?」

「まだ一口も食べてないでしょ」

 

 ヤチヨはフォークを握って、小さく切った一片を口へ運んだ。

 

 噛む。

 

 動きが止まった。

 

 誰も何も言わずに、待った。

 

「……甘い」

「うん」

「柔らかい」

「うん」

「……おいしい」

「そっか」

 

 彩葉さんは俯いたまま、それだけ返した。ヤチヨはもう一口を食べた。今度は止まらなかった。

 

「いただきまーす」

「もう食べてるじゃない」

「ん、おいしい。彩葉、これ練習してた時のより絶対ふわふわだよ」

「感想が早い」

 

 僕もフォークを取る。少し焼き色の濃いところがある。それでも、美味しかった。

 

 

 大事件のはずだった。十年の研究。八千年の願い。ありえなかったものが、現実になった日。

 

 それなのに僕たちがしているのは、パンケーキを食べながら他愛のない話をすることだった。

 

 たぶん、これでよかったのだと思う。

 

 

「ねえ、今度みんなで旅行行こうよ」

 

 食べ終えたかぐやが、唐突に言った。彩葉さんは驚きもしない。

 

「いつ」

「今度は今度。ヤチヨが外に慣れたら」

「一番予定が立てにくいやつ」

「四人でね。ヤチヨもやっと外に出られるんだし、イツキも一緒に」

「私はしばらく研究の整理があるから、すぐは無理」

「じゃあ、それが終わったら。待ってるから」

「まあ……そのくらいなら」

 

 かぐやの目がヤチヨへ向く。

 

「ヤチヨはどこ行きたい?」

「温泉」

「早くない?」

「八千年、考える時間あったからね」

「ずるい」

「何が?」

「私、まだ全然決めてないのに。行きたいとこ多すぎるんだもん」

「それは知らないよ」

 

 それから、かぐやの目がこちらへ来た。

 

「イツキは?」

「僕?」

「どこ行きたい?」

「そうだね……三人なら、彩葉さんの予定さえ合えば、どこへでも行けるんじゃないかな」

 

 

 会話が、一瞬止まった。

 

 かぐやが眉を寄せる。

 

「……今、四人って言ったよね」

「ああ」

「イツキも入ってるの。数え間違えないで」

「もちろん。僕も行けるならね」

「行けるならじゃなくて、行くの」

「はいはい」

「返事が軽いんだけど」

 

 ヤチヨが笑った。

 

「一継、諦めた方がいいよ。こうなったかぐやは長いから」

「ヤチヨだって来るんだから、一緒でしょ」

「私は最初から温泉って言ってるでしょうが」

「彩葉も逃げないでね」

「何で私まで巻き込むのよ」

「だって四人だもん」

 

 かぐやが笑う。彩葉さんも呆れながら笑っている。ヤチヨは端末で温泉地を探し始めた。

 

 

 三人。

 

 楽しそうだった。

 

 それを見ているだけで、胸の内側が少し温かくなった。

 

 これなら大丈夫だと、思った。

 

 

 ◇

 

 

 夜になって、今日は解散することになった。

 

 かぐやは最後まで「明日も来る」と言い張っていたし、彩葉さんは明日の確認項目をもう頭の中で並べているようだった。身体に慣れるまではと、ヤチヨも今夜は二人の部屋へ泊まることになっている。

 

 玄関で靴を履きながら、かぐやが振り返った。

 

「イツキ」

「うん?」

「明日、何する?」

「僕?」

「うん」

「かぐやは何がしたい?」

「違う。イツキが何したいか聞いてるの」

 

 

 答えようとして、言葉が止まった。

 

 明日。

 

 やらなければならないことなら、いくらでもある。今日の記録の整理。二人の身体の経過確認。彩葉さんの研究の後片づけ。

 

 でも、僕がしたいこと。

 

「……片づけかな」

 

 かぐやの顔が、露骨に曇った。

 

「そういうのじゃなくて」

「じゃあ何だろう」

「それは自分で考えてよ」

「難題だな」

「じゃあ宿題ね。明日までに考えてきて。……片づけ以外で」

「はいはい」

「返事は?」

 

 かぐやはそれきり口を閉じて、僕を見ていた。考えておくよ、と返すと、ようやく頷いた。それから彩葉さんに呼ばれて、先に廊下へ出ていった。

 

 

 まだ一人、残っていた。

 

 ヤチヨは玄関の手前で、ゆっくり靴に足を入れているところだった。立ち上がる時は、まだ少し慎重だ。

 

 僕は隣に並んだ。

 

 ヤチヨは数歩進んで、扉の前で止まった。

 

「一継」

「うん」

「明日もいる?」

 

 何でもないような声だった。

 

 八千年の間にも、似たことを何度も聞かれた。明日はいるのか。いつ帰るのか。今度は一緒に行くのか、残るのか。

 

 長く生きるうちに、いちいち大げさな約束はしなくなった。僕たちにとっては、普通の確認だった。

 

「いるよ」

「そ」

 

 ヤチヨが笑った。

 

「じゃ、おやすみ。一継」

「おやすみ、ヤチヨ」

 

 

 ヤチヨが廊下へ出ていく。少し先で待っていたかぐやが、すぐに何か話しかけた。彩葉さんもそこへ加わる。

 

 三人の声が、遠ざかっていく。

 

 僕は一人、開いたままの扉の前に立っていた。

 

 

 明日もいる。

 

 それは嘘じゃない。

 

 明日は、まだ。

 

 

 研究は終わった。二人の身体は、ここにある。

 

 かぐやは、今朝初めて自分の足で立った。それなのにもう、行きたい場所を自分で選んでいる。

 

 ヤチヨはもう、誰かの端末や仮想空間の中だけで生きる必要はない。

 

 彩葉さんは十年前に自分で選んだ未来を、自分の手で形にした。

 

 三人は笑っていた。四人で旅行に行く話をしていた。

 

 僕がいなくても、その話はきっと続けられる。

 

 

 それを思うと、不思議なくらい安心した。

 

 

 ――もう、この三人は。

 

 僕がいなくても、生きていける。

 

 

 扉を閉めて、部屋の明かりをつけた。

 

 端末を開く。今日の記録を整理するつもりだった。

 

 画面の隅に、新しい項目を一つ作った。

 

 名前は、まだ付けなかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。