【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜   作:蠱毒は孤独

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 身体を得てから、三週間が過ぎた。

 

 最初の数日は、何をしても彩葉が飛んできた。階段を上れば「どう?」、お風呂から出れば「違和感ない?」、少し長く歩けば「疲れてない?」。朝、寝癖のまま台所へ行けば「頭痛は?」と顔を覗き込まれる。

 

 過保護だと言ったら、十年分の研究対象なんだから当然でしょ、と真顔で返された。

 

 研究対象。

 

 わざと頬を膨らませてみせると、彩葉は一拍だけ固まってから「そういう意味じゃない」と付け足した。知ってる。知ってるから、言わせたくなる。

 

 かぐやもかぐやで、半日だけ早く身体を得たことを、いまだに先輩の根拠にしている。

 

「ヤチヨ、そこの段差気をつけてね。私、最初の日に引っかかったから」

「経験談だ」

「でも次の日はちゃんと越えたよ。二回目からは平気」

「二回引っかかったんだ」

「一回だってば。二回目っていうのは、越えた方の二回目!」

「数え方が独特だなあ」

 

 むきになって言い返すかぐやの後ろで、彩葉が小さく息を吐いた。こういう時の言い訳の組み立て方が、二人は最近よく似てきた。言ったら二人とも全力で否定するだろうから、私は黙っておく。

 

 少し離れたところで、一継が笑っていた。

 

 そういう時間が、増えた。

 

 朝に起きて、ご飯を食べて、話をして、必要なら研究室へ行く。配信も少しずつ再開した。自分の足で歩いて、自分の手で服を選んで、自分の喉で声を出す。

 

 何かに触れるたび、遠い昔の感覚が一つずつ戻ってくる。忘れていたわけじゃない。記憶にはちゃんとあった。ただ、覚えていることと今ここで感じることは、まるで別物だった。

 

 雨の日の湿気。朝の床の冷たさ。熱すぎる飲み物。直らない寝癖。新しい靴の踵。

 

 人間って面倒だったなあ、と久しぶりに思う。その面倒くささごと、今は少し楽しかった。

 

 

 一継の部屋へ寄ると、ソファの肘掛けに文庫本が伏せてあった。

 

 開いたまま、背を上にして。

 

「また途中」

「何が?」

「本。出かける前に読んでたでしょ」

「ああ。帰ってきたら続きを読もうと思って」

 

 知ってる。

 

 一継は昔から、何かを途中で置いていく人だ。読みかけの本を伏せておく。書きかけのメモを机に残す。洗い物を一枚だけ流しに置いたまま出かけて、帰ってきてから片づける。遠くへ行く時ほど、そういう「続き」が部屋のどこかに一つ残っている。

 

 本人は、たぶん気づいていない。八千年も見ていれば、こっちは嫌でも気づくけれど。

 

「一継のそれ、癖だよね」

「どれ?」

「何でもない」

 

 言ったら直してしまいそうな気がして、私は伏せられた本をそのままにしておいた。

 

 

 ◇

 

 

 その日は、四人で外へ出た。

 

 旅行ではない。私もかぐやも、まだ長い遠出は控えた方がいいらしい。研究室からそう遠くない商業施設を、ぶらぶら回るだけだ。

 

 かぐやは服を見たいと言い、彩葉は生活用品を買い足したいと言い、私は食べ歩きがしたいと言った。

 

 一継は、「じゃあ全部回ろうか」と言った。

 

 いつもの一継だった。

 

 

 服屋に入って、十分後。

 

「イツキ、これとこれ、どっちがいいと思う?」

 

 かぐやが、左右の手に違う上着を一枚ずつ持っていた。一継は真面目に両方を見比べる。

 

「僕に聞く? 彩葉さんの方が詳しいと思うけど」

「彩葉はこっちだって。でも私、こっちもけっこう好きなんだよね。だからイツキの意見も聞きたいの」

「多数決にする気?」

 

 少し離れた棚を見ていた彩葉が、振り向きもせずに言う。

 

「参考だよ、参考」

 

 一継はもう一度、二着を見た。少し考えてから、左を指す。

 

「僕なら、そっちかな」

「なんで?」

「かぐやが着るなら、その方が似合いそうだから」

「じゃあこっちにする」

「決めるの早っ」

 

 彩葉が振り返る。

 

「私に聞いた意味は?」

「彩葉のも参考にしたよ。ちゃんと」

「結果に一ミリも反映されてないんだけど」

 

 かぐやは笑いながら試着室へ向かった。一継も笑っていた。

 

 その横顔を見ていて、何かが胸の端に引っかかった。

 

 何だろう、と思う。分からない。分からないまま、一継が服を選んだ理由だけが妙に残った。

 

 かぐやが着るなら、自分はこっちが好き。

 

 一継は今、そう言ったのだ。

 

 

 ◇

 

 

 お昼は、目についた店に入った。

 

 私は食べたいものが多すぎて、メニューの同じページを行ったり来たりしていた。

 

「ヤチヨ、まだ決まらないの?」

「八千年ぶりの外食選びだよ。慎重にもなるでしょうが」

「さっきクレープ食べてたじゃん。あれも外食じゃないの?」

「食べ歩きは別腹です」

「別腹って、ほんとにあるのかな。イツキはどう思う?」

 

 急に振られた一継が顔を上げる。

 

「何が?」

「別腹。イツキも甘いもの食べるでしょ」

「僕に医学的な証明を求めてる?」

「医学的じゃなくていいから」

 

 一継は少し考えた。

 

「気持ちとしては、あるんじゃないかな」

「ほら、あるって」

「医学的な話、一個もしてないでしょ、それ」

 

 彩葉の即座のツッコミを聞きながら、私はメニューを閉じた。

 

「決めた」

「どれ?」

「これ」

「それ、一番最初に見てたやつじゃない?」

「遠回りにも意味はあるんだよ~」

「八千年分の遠回り?」

「そこまで回った覚えはないなあ」

 

 一継が、また笑った。

 

 

 ◇

 

 

 料理を待つ間に、次にどこへ行くかの話になった。

 

 かぐやは買った服を早く着たい。彩葉は予定の買い物を済ませたい。私はさっき見つけた甘味処に、もう一軒行きたい。

 

 一継は三人の話を聞きながら、端末で順路を組み立てていた。それも、いつもの一継だった。

 

「この順番なら、全部回れると思うよ。彩葉さんの買い物を先にして、そのあとかぐやの店に寄って、最後にヤチヨの甘味処」

「最後なの?」

「さっき甘いもの食べたばかりでしょう」

「一時間もあればリセットされるよ」

「便利な身体だな」

「人体の神秘です」

「そんな神秘ないから」

 

 彩葉の呆れ声に重ねるように、かぐやが地図を覗き込んだ。

 

「ねえ、あと、ここも寄れないかな。前から気になってたお店なの」

「増えた」

「近いよ? ほら」

 

 一継も地図を覗き込む。

 

「本当だ。……僕も、ちょっと見たいな」

 

 メニューを置こうとしていた指が、止まった。

 

 かぐやがぱっと顔を上げる。

 

「イツキも?」

「うん。ここ、前から少し気になってたんだ」

「じゃあ絶対行こう。イツキが行きたいとこなら、なおさら」

「時間は大丈夫?」

「全部ちょっとずつ急げばいけるでしょ」

「それ、一番危ない計画の立て方だからね」

 

 口ではそう言いながら、彩葉も地図を見ている。

 

「……でも、そこまで遠くないか。閉店も遅いみたいだし」

「決まり!」

 

 かぐやが勝手に決めた。一継は止めなかった。むしろ、少し楽しそうだった。

 

「イツキが自分から行きたいって言うの、珍しいよね。前にそういうこと言ったのって、引っ越しの時くらいじゃない? 今くらいの距離にはいたい、ってやつ」

 

 かぐやが、何でもないことのように付け足した。

 

「あれ、彩葉が聞いたんだよね」

「……あったね、そんなこと。よく覚えてるね」

「覚えてるよ。イツキがああいうこと言うの、ほんとに珍しかったもん」

 

 私は、その話を知らなかった。

 

 十年前の引っ越しの相談。私がまだツクヨミの中にいた頃の、どこかの昼間。一継は、二人の前でそう言ったのだ。

 

 前から気になっていた。

 

 一継がそう言った。ただそれだけのことなのに、何かが胸の底へ、ことりと落ちた。

 

 

 ◇

 

 

 午後、一継が見たいと言った店にも寄った。

 

 古い文具や雑貨を扱う、小さな店だった。何がそんなに気になっていたのかと思えば、手帳だった。

 

「手帳? イツキ、予定とか全部端末で管理してるじゃん」

「そうなんだけど。紙のを一冊、使ってみたくて」

「なんで?」

「なんとなく」

 

 なんとなく。

 

 その返事が、また引っかかる。

 

 必要だからでもない。誰かに頼まれたからでもない。ただ自分が使ってみたいから、欲しい。一継はそう言った。

 

 かぐやが横から棚を覗き込む。

 

「これ、かっこいい」

「ちょっと大きくない?」

「じゃあこっちは? 色もいいよ」

「それは小さすぎるかな」

「注文多いなあ」

「僕の手帳なんだから、いいでしょう」

「あ」

 

 かぐやが、嬉しそうな顔をした。

 

「今の、いいね」

「何が?」

「僕の手帳、って言った」

「僕が買うんだから、僕の手帳でしょう」

「そうなんだけど。なんかいいの」

 

 かぐやは何がそんなに嬉しいのか、ずっとにこにこしている。彩葉も少しだけ口元を緩めていた。

 

 私は、笑えなかった。

 

 笑うところだ。変なことは何もない。一継が、自分の欲しいものを自分で選んでいる。いいことのはずだ。

 

 八千年前の私なら、たぶん手を叩いて喜んだ。今だって、喜びたい。

 

 なのに、頭の中に浮かんだのは、昔の一継だった。

 

 

 ◇

 

 

 何がしたい?

 

 そう聞いたことなら、数え切れないくらいある。

 

 どこか行きたい? 何が欲しい? 何食べたい? 何見たい?

 

 返ってくる答えは、たいてい同じだった。

 

『ヤチヨは?』

『僕は何でもいいよ』

『君が行きたいなら』

『必要なら付き合うよ』

 

 嫌々だったわけじゃない。一緒にいる時は楽しそうだった。私が選んだ場所で笑っていたし、私が作るものを手伝ってくれた。歌を聞いてくれた。馬鹿なことも一緒にした。

 

 思い出なら、両手で抱えきれないくらいある。

 

 それでも。

 

 一継が自分から先に「僕はこれがしたい」と言ったことは、八千年のうちに何回あっただろう。

 

 いつか、空っぽの掌を見つめていた日のことを思い出した。三人が作った小さな三角を、少し離れたところから見ていた日。

 

 あの時と同じ場所に、また立っている気がした。

 

 

「ヤチヨ?」

 

 呼ばれて顔を上げる。一継がこちらを見ていた。

 

「どうしたの。さっきからぼーっとしてる」

「身体、疲れた?」

 

 彩葉も振り向く。

 

「大丈夫だよ」

「ほんとに?」

「ほんとほんと。ちょっと考え事」

 

 笑う。ちゃんと笑えたと思う。

 

 一継がそれ以上聞いてこなかったことに、少しだけほっとした。

 

 そして、少しだけ腹が立った。

 

 

 ◇

 

 

 それから数日、似たようなことが続いた。

 

 大したことじゃない。前からそうだったのに、私が見ていなかっただけかもしれない。

 

 彩葉が新しい確認方法で迷っている時、「一継さんなら、どっちにします?」と聞かれて、一継は「僕はこっちの方が面白そうだと思う」と答えた。

 

 かぐやが次の配信の企画で騒いでいる時、「イツキも見に来る?」と聞かれて、「それは僕も見たいな」と返した。

 

 四人で夕食を決める時、「何食べる?」に、「今日は魚がいいかな」と言った。

 

 ほんの一言。ほんの小さな希望。

 

 一継が別人になったわけじゃない。相変わらず、自分より先に人を見る。困っている誰かがいれば先に動くし、何かを決める時も他人の意見を聞く。

 

 ただ、前よりほんの少しだけ、自分を会話の中へ入れるようになった。

 

 知っている。それはいい変化だ。一継はずっと、自分のことを後ろへ回す癖があった。

 

 だから、嬉しい。

 

 はずだった。

 

 

 ◇

 

 

 一人でいる時ほど、嫌な考えが浮かんだ。

 

 どうして、今なんだろう。

 

 八千年。

 

 一継と生きた時間は、長かったなんて言葉では足りない。

 

 一緒にいた。離れていた時期もある。私がついていったこともあるし、残ったこともある。一継の帰りを待った夜もあれば、私の方が帰る場所になったこともある。別々に暮らして、また何となく同じ屋根の下へ戻ったこともある。

 

 それが普通だった。八千年を、ずっと続く一つの毎日にしていたわけじゃない。

 

 それでも、長い人生のどこを切り取っても、一継がいた。

 

 その私が知らなかった顔を、一継は彩葉とかぐやの前で見せるようになった。

 

 

 最低だな、と思う。

 

 彩葉もかぐやも、何も悪くない。むしろ感謝している。一継が変われたのなら、それでいい。もっと欲張ればいい。もっと我儘を言えばいい。もっと自分の人生を選べばいい。ずっと、そう思っていた。

 

 なのに、胸の奥からひどく幼い声が出てくる。

 

 

 私じゃ、駄目だったのかな。

 

 

「……最悪」

 

 声に出してみる。自分に向けて。

 

 ベッドに仰向けになると、天井が見えた。身体を得て、こういうこともできるようになった。

 

 八千年も生きて。人が生まれて、年を取って、いなくなるのを何度も見て。時代が変わって、国が変わって、言葉が変わって、ネットが生まれて。彩葉を探して、やっとここまで来て。

 

 それで考えることが、これ。

 

「八千歳が聞いて呆れるなあ」

 

 笑ってみる。誰も返してくれない。余計に虚しくなった。

 

 

 ◇

 

 

 次の日、研究室で一継と二人になった。

 

 かぐやは彩葉と別室で身体の調整を受けている。私の分は先に終わっていたから、休憩室で待っていた。そこへ、一継がコーヒーを二つ持って入ってきた。

 

「一人?」

「見れば分かるでしょう」

「今日はちょっと刺々しいね」

「そう?」

「そう」

 

 隠せていなかったらしい。

 

 一継は「僕が何かした?」とは聞かなかった。カップを一つ私の前に置いて、隣の椅子に座る。自分の分に口をつけて、黙っている。

 

 昔から変わらない。私が話し出すまで、待つ。急かさない。

 

 優しい。今日は、それにも腹が立った。

 

 

「一継」

「うん」

「最近、楽しい?」

 

 一継は少し考えた。

 

「楽しいよ。ヤチヨは?」

「楽しい」

 

 嘘じゃない。身体がある。彩葉がいる。かぐやがいる。一継もいる。楽しいし、幸せだ。

 

 だから余計に、こんなことを考える自分が嫌だった。

 

「一継さ、最近けっこう自分のこと言うようになったよね」

 

 一継が瞬きをする。

 

「そうかな」

「そうだよ。かぐやの服選んだり」

「あれは聞かれたから」

「手帳が欲しいって言ったり」

「買ったよ」

「魚が食べたいとか」

「そこまで覚えてるの?」

「記憶力がいいのは、一継の専売特許じゃないんだからね」

 

 一継が笑った。私も笑う。

 

 笑えた。そこで終わらせればよかった。

 

「いいことだと思うよ」

「そう?」

「うん。もっと言えばいいのに。一継がしたいこと」

 

 一継は手の中のカップに目を落とした。

 

「……難しいな。まだ、ぱっと出てこないことの方が多いから」

「そっか」

「でも、前よりは考えるようになったかも」

 

 聞かなければよかった。

 

 胸の奥が、きゅっと縮む。

 

「きっかけ、あった?」

「きっかけ?」

「うん」

 

 一継が考える。その数秒さえ、嫌だった。

 

「……かぐやと彩葉さんを見てたからかな」

 

 予想していた答えだった。なのに、ちゃんと痛かった。

 

「二人とも、自分がやりたいことをはっきり言うでしょう。特にかぐやは、あそこまで真っ直ぐ言われると考えるんだよね。じゃあ自分はどうしたいんだろうって」

「……そっか」

「ヤチヨ? やっぱり疲れてる?」

 

 また、それ。

 

 身体。疲労。まだ慣れていないから。心配してくれているのは分かる。分かるから、余計に苛立った。

 

 

「私さ」

 

 口が勝手に動いていた。

 

「一継と八千年いたよね」

「うん」

「その間、私、一継に何も思わせられなかった?」

 

 一継の表情が止まった。

 

 言ってから、後悔した。これじゃ完全に八つ当たりだ。

 

「ごめん。今のなし」

「ヤチヨ」

「忘れて」

「それは無理かな」

「こういう時だけ記憶力いいの、ほんと嫌い」

「能力を使わなくても、忘れないよ」

「じゃあ、もっと嫌だなあ」

 

 軽くしようとした。無理だった。

 

 一継は黙っている。その沈黙に、私の方が耐えられなかった。

 

「一継はさ、私と一緒にいて、何かしたかった?」

「何か?」

「一継が。私がやりたかったことじゃなくて」

 

 一継は少し目を伏せた。

 

「……たくさんあると思うよ。一緒に旅をしたこともあるし、君の歌を聞くのも好きだった。ツクヨミを作ってた時だって――」

「違う」

 

 自分でも驚くくらい、はっきり遮っていた。一継が黙る。

 

「それ、私がやってたことじゃん。私が歌うから聞いてた。私が作るから手伝った。私が行きたいって言ったから、一緒に行った」

「それが嫌だったわけじゃないよ」

「知ってる」

 

 それくらい知っている。

 

 一継が嫌な時にどんな顔をするのか。楽しい時にどれくらい口元が緩むのか。興味がある時、どこを見るのか。八千年、見てきた。

 

「嫌だったなんて、思ってない」

「じゃあ――」

「一継がしたかったこと」

 

 もう一度、言う。

 

「私と一緒にいた八千年で、一継自身がやりたかったことって何?」

 

 一継は答えなかった。

 

 数秒。たぶん、一分も経っていない。それでも長かった。

 

 答えが出てこない。それが、そのまま答えみたいに思えてしまった。

 

「……そっか」

「ヤチヨ」

「八千年じゃ」

 

 喉が詰まる。こんな感覚も久しぶりだった。身体は面倒だ。感情が全部、呼吸や喉に出てしまう。

 

「足りなかった?」

 

 一継が目を見開いた。

 

「何が?」

 

 違う。欲しかったのは、その返事じゃない。

 

 でも、私だって何を聞いているのか分からなかった。八千年で何が足りなかったのか。私なのか、時間なのか、一継自身なのか。答えなんて、どこにもない。

 

「……なんでもない。ごめん、一人にして」

 

 一継はすぐには動かなかった。それにも、腹が立った。

 

「お願い」

「……分かった」

 

 立ち上がって、何か言いかけて、やめる。そのまま扉の方へ歩いていく。

 

 その背中を見ながら、言えない言葉が喉まで上がってきた。

 

 

 違うって言って。

 

 八千年の私が足りなかったんじゃないって。私といたかったって。一継自身が、そうしたかったんだって。

 

 

 扉が閉まった。

 

 一人になって、両手で顔を覆う。

 

「……ほんと、最悪」

 

 今度は、笑えなかった。

 

 

 ◇

 

 

 廊下へ出ても、最後の声が耳に残っていた。

 

 八千年じゃ、足りなかった?

 

 何が足りなかったのか、僕には分からなかった。

 

 僕たちは長く一緒にいた。長すぎるほどに。何度も助けられたし、何度も笑った。僕にとって、ヤチヨと過ごした時間が軽かったことなんて一度もない。

 

 だからこそ、どこで傷つけたのかが分からない。

 

 最近。身体を得てから。僕が自分のことを口にするようになってから。そこまでは分かる。かぐやと彩葉さんを見ていたから、と答えた時の、ヤチヨの顔も。

 

 あの子は、八千年の間に僕が何をしたかったのかと聞いた。

 

 答えられなかった。

 

 答えがないわけじゃない、と思う。ただ、言葉の形をしたものが、どこを探しても見つからなかった。

 

 このままにはしておけない。

 

 今日はもう、これ以上話さない方がいい。ヤチヨは一人にしてと言った。なら、明日。もう少し落ち着いてから、ちゃんと話そう。何が答えなのか分からないなら、分からないと言うところから。

 

 

 ポケットの端末が震えた。彩葉さんから、調整が終わったという連絡だった。

 

 返信を打とうとして、画面の隅が目に入る。

 

 名前のない項目が、一つ。

 

 僕はそれを開かずに、画面を閉じた。

 

 

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