忘却の揺り籠   作:みそそ

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第6話

ギィ……と、重く乾いた音を立てて、木製の大きな扉が開かれた。

 

夜霧を押し分けるようにして教会の礼拝堂へと足を踏み入れた四人を迎えたのは、冷徹な静寂と、微かに揺れる蝋燭の明かりだった。

 

外のゴーストタウンの荒廃ぶりが嘘のように、その聖堂の内部だけはチリ一つなく、奇妙なほど厳かに保たれている。

 

「……小僧。随分と熱心な出迎えじゃないか」

 

クー・フーリン・オルタがゲイ・ボルクを低く構え、祭壇の前に立つ影を睨みつけた。

そこにいたのは、昼間の平民の服を脱ぎ捨て、端正な漆黒の「神父姿」を纏った衛宮士郎だった。

 

その赤髪は月光に照らされてどこか昏く、その瞳には、昼間の人懐っこい少年の面影はカケラも残っていない。過酷な運命を一人で背負ってきた者だけが持つ、歪んだ覚悟の光が宿っていた。

 

「待ってくれ、俺はお前らと戦う意志はない」

 

士郎は静かに両手を広げ、クー・フーリン・オルタたちの殺気を遮るように制した。

 

「ハッ、戦う意志がないですって? 私の兵隊を地下で化け物に変えておいて、よくそんな寝言が言えるわね!」

 

メイヴが激怒し、腰の鞭に手をかける。だが、クー・フーリン・オルタは動かなかった。彼の野生の嗅覚と赤い瞳は、この教会の「外」から漂う、尋常ではない異臭の塊をすでに捉えていたからだ。

 

「おい、メイヴ。騒ぐな。……外の連中が起きるだろ」

 

「え……?」

 

クー・フーリン・オルタの言葉に、メイヴとアルトリア・リリィがハッとして教会のステンドグラス越しに外庭を見やった。

 

白く深い霧が這う庭園。そこに、無数の「影」がひしめき合っているのが見えた。

それは、人間の原型を辛うじて留めているだけの、巨大で醜悪な肉の塊だった。外殻は硬質な皮膚に変異している。グールの最終形態――『エルダーグール』。

 

その化け物たちが、数百、数千という圧倒的な大群を成し、教会の庭を埋め尽くしていた。しかし彼らは狂い叫ぶことなく、まるで月光を浴びて静かに祈りを捧げる民衆のように、植物のような静謐さで佇んでいる。

 

「何よこれ……! 国中の人間が、みんな化け物になってるじゃない……!」

 

メイヴの顔から、初めて余裕が消え去った。

 

「そうだ」

 

神父姿の士郎が、悲痛な、しかし冷徹な声で告げる。

 

「このアラヤ国の民衆全てが、すでにエルダーグールだ。少しでも刺激すれば……どうなるか、そっちの狂王なら分かるはずだ」

 

それは事実上の、国家規模の「人質」による脅迫だった。

力技で全てを粉砕してきたクー・フーリン・オルタにとっても、これほど膨大な数のエルダーグールが一斉に暴走すれば、流石に一筋縄ではいかない。士郎はクー・フーリン・オルタが槍を引くことを期待し、まっすぐにその赤い瞳を見つめ返した。

 

「そんな……この魔物全てが元々は、普通の人間だったものなのですか……?」

 

アルトリア・リリィが両手で口を覆い、絶望に震える声で呟いた。国中の民が手遅れの怪物と化している現実。その悲痛な視線を受け止めながら、神父姿の士郎は静かに首を振った。

 

「そうだ。俺の話を聞いてくれ。俺は好きでケルトの兵士を被験体にしたんじゃないんだ。……俺の兄は、エミヤって言うんだ。兄さんは、殺生院キアラって言う邪教の教祖を倒す仕事を任命された、アラヤの戦士だった」

 

張り詰めた教会の静寂の中で、士郎はついに、彼がこの地獄の神父となった、あまりにも残酷な「兄の因縁」を語り始める。

 

「だけど、キアラを倒した後に兄さんは様子がおかしくなってしまった。何もかも忘れたいって言い出して、本当に口数が少なくなってしまったんだ。兄さんは『ミセラブル・コア』の最初の犠牲者、いや、この国を蝕む病の『苗床』になっちまったんだよ。これは、キアラの呪いなんだ」

 

「エミヤって奴が苗床か。なら、そいつを倒せば解決だな」

 

士郎が語り終えるか終えないかの瞬間、オルタニキが冷酷極まりない声を響かせた。

 

「なっ……!?」

 

あまりの冷たさに、士郎は息を呑み、驚愕の表情で狂王を睨みつける。

 

「待ってください、クー・フーリン!」

 

アルトリア・リリィが慌てて割って入った。

 

「衛宮さんはお兄さんを救うために、国のみんながグールなっても、たった一人でここまで頑張ってきたのですよ!? それを、そんな簡単に……っ!皆さんで力を合わせて、キアラの呪いを解きませんか?」

 

「クーちゃんの言う通りよ、アルトリア」

 

メイヴが傲然と胸を張り、リリィの言葉をバッサリと切り捨てた。その瞳には、一国の女王としての非情なまでの現実主義が宿っている。

 

「その苗床とやらを潰さなきゃ、戦わずしてグールになって殉職した私の勇士たちが浮かばれないわ。それにアルトリア、あなた、苗床を潰せばそこのランスロットの呪いだってすぐに解けるかもしれないのよ? もう倒されちゃったキアラだなんて奴の呪いを、解く方法が見つかる見込みなんて、現時点でどこにもないじゃない」

 

「でも……! 誰かを救うために切り捨ててもいい命なんて……っ!」

 

アルトリア・リリィは言い返し、しかし、続く言葉を紡げずに拳を握りしめて黙り込んだ。正論を並べるメイヴの言葉は、目の前の現実においてあまりにも正しかった。誰かを救うために、別の誰かを諦める。美しい騎士道には存在しない、残酷な二者択一が少女の心を激しく揺さぶる。

 

沈黙の中、士郎は力なく自嘲気味に笑った。その瞳は、教会の蝋燭の光を濁らせて、どこか虚ろに昏い。

 

「……なぁ。お前たちは、何もかも忘れて、無垢な存在になった方が幸せだ、と思ったことはあるか?」

 

「いきなり何よ。何が言いたいのよ、小僧」

 

メイヴが不快そうに眉をひそめる。

 

「アルトリア・リリィ、グールになった騎士を連れている、君ならわかるんじゃないか?ここにいるグールたちはみんな幸せそうだよ。戦争からも、病気からも解放されて、何も考えず、植物のように平穏に生きているんだ。兄さんだって、コアに呑まれて全部忘れたとき、初めて穏やかな顔をして眠ったんだ。……だから俺は、これ以上誰も自分を責めなくていいように、彼らをこの静寂の中で管理しているんだよ。それが、俺にできる唯一の『救い』だ」

 

自責の念という心の隙に寄生する『ミセラブル・コア』。ならば、すべての記憶を捨てて化け物になってしまうことこそが、絶望に満ちたこの国の人々にとっての「救済」なのではないか――。

 

「正義の味方」を目指した少年が、絶望の果てに辿り着いた歪んだ結論。

だが......

 

「全てを忘れた方が幸せなど、私は思いません」

 

アルトリア・リリィは涙を払い、まっすぐに士郎を見つめ返した。その瞳には、キャメロットの騎士としての、どれほど過酷でも誇りを捨てないという精神の片鱗が輝いていた。

 

「ランスロットがエルダーグールになってしまう姿なんて、見たくありません。彼は……誇り高き、私の騎士なのです!」

 

「誇り……か。」

 

士郎が悲しげに呟く。だが、その哲学的な問答がこれ以上続くことはなかった。

クー・フーリン・オルタはもう、途中から衛宮士郎の話を全く聞いていなかったのだ。

 

「一番大きい魔力がある場所は……」

 

不機嫌そうに鼻を鳴らした狂王は、濁った赤い瞳を自身の足元へと向け、ニヤリと凶悪に笑った。

 

「案外、この下にエミヤって奴はいるのかもな」

 

「え――」

 

士郎が表情を凍らせる。その直後、教会の静謐な礼拝堂に「ドゴォォォン!!」と地鳴りのような爆音が響き渡った。

 

クー・フーリン・オルタがゲイ・ボルクの石突きを石床に向けて力任せに叩きつけたのだ。粉砕された瓦礫の雨と共に、暗い地下の空洞が剥き出しになる。

 

「何やってんだお前ー!」

 

士郎が驚愕し、絶叫する。

 

「その反応を見るに、ビンゴね♪」

 

メイヴは嬉しそうに声を弾ませると、クー・フーリン・オルタの後に続いて大穴へと一気に飛び降りた。

 

「アルトリアとランスロットは危ないから、絶対にあいつらの後を追わないでくれ!」

 

士郎は悲痛な叫びを上げ、慌てて大穴へと滑り込んでいく。

残された1階の広間で、ランスロットは静かにバイザーの奥の目を地下への大穴へと向け、行きましょう、と告げるように低く唸った。アルトリア・リリィは士郎が消えた闇を見つめ返し、選定の剣を強く握りしめる。

 

「……ごめんなさい、衛宮さん。私たちは騎士です。誇りを捨てて生きるくらいなら、私たちは戦うことを選びます!」

 

少女は決意を胸に、黒き騎士と共に大穴へと飛び込んだ。

地下の最深部。そこは教会の聖なる空気など微塵もない、肉壁と触手が蠢く『ミセラブル・コア』の巨大な巣だった。

 

その中心に佇んでいたのは、全身を黒い呪いの泥に侵食され、肌は漆黒に染まり、髪は無残な白となった男――苗床となった『エミヤ・オルタ』だった。

 

「へえ、これが苗床か」

 

クー・フーリン・オルタが軽くエミヤ・オルタに槍を突き刺そうとする。だが、その瞬間。

カチリ、と「銃の撃鉄を起こす音」が響き、エミヤ・オルタの金色の瞳が闇の中でカッと見開かれた。

 

もはや彼に感情はほぼない。本来のエミヤ・オルタよりさらに強力な『防衛システム』と化しており、ただ目の前の敵の攻撃に対して、寸分の狂いもなく超高速でカウンターを返す反応しかしない。

 

「――誰も邪魔すんじゃねえ。これは俺とこいつの一騎打ちだ」

 

クー・フーリン・オルタがゲイ・ボルクを目にも留まらぬ速さで突き出す。本来なら肉片も残らない一撃。しかし、エミヤ・オルタは表情一つ変えず、ミリ単位の見切りでその刃先をかわし、同時にクー・フーリン・オルタの心臓へ向けて、改造された二丁の銃剣の銃口を突き出していた。

 

だが、クー・フーリン・オルタもまた、その「かわされた瞬間」を野生の直感で予期しており、硬質な尾を激しく振り回して銃身を弾き飛ばす。

 

ガキィィン!!

地下聖堂に金属音だけが超高速で鳴り響く。お互いに一歩も退かない、超高速のチェスのような戦い。

 

どれほど凄まじい連撃を叩き込んでも、まるで鏡に映った自分の攻撃が返ってくるかのように、完璧なタイミングで迎撃される。普通の戦士なら「なぜ当たらない」と焦るが、クー・フーリン・オルタの瞳はさらに爛々と輝き、牙を剥き出して笑った。

 

「――最高だ。どれだけ力を込めても、それ以上の力で返してきやがる……ッ!!」

 

感情のないエミヤ・オルタの冷徹さが、逆にクー・フーリン・オルタの眠っていた「最強の戦士としての狂気」を限界まで引きずり出していく。

 

エミヤ・オルタの銃口が火を噴いた。放たれたのは、内側から無限の剣を爆発させる最悪の呪弾――『アンリミテッド・ロストワークス』。

 

クー・フーリン・オルタはその弾丸を、最小限の頭の動きだけで紙一重で回避する。

 

ドゴォォン!!

銃弾を受けた背後の巨大な石柱が、内側から粉々に弾け飛ぶ。クー・フーリン・オルタはその極限の死線(スリル)に、思わず満面の笑みとなった。

 

だが、完璧な戦闘マシーンを破る術は一つしかなかった。

次に放たれたロストワークスの呪弾に対し、クー・フーリン・オルタはかわすのをやめ――あえて左肩でまともに受け止めた。

 

士郎やアルトリア・リリィが息を呑む。

 

ボガァァン! と、クー・フーリン・オルタの左肩の肉と骨の鎧が内側から凄まじい音を立てて爆散した。だが、狂王は痛みに眉一つ動かさず、ただ「肉を切らせて骨を断つ」最短ルートの代償として平然とそれを受け入れた。

 

攻撃が直撃したその一瞬、エミヤ・オルタの精密なカウンターシステムに、予測不可能な「一瞬の着弾のラグ(バグ)」が生じる。次の一歩が、わずかに遅れた。

 

「――終わりだ、小僧の兄貴」

 

その一瞬の隙を見逃さず、クー・フーリン・オルタは残った右腕でゲイ・ボルクを、エミヤ・オルタの心臓目掛けて全力で突き立てた。

 

赤い魔槍が、肉壁の深奥に眠る苗床の核を、深々と貫いた瞬間だった。

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