嘆きの裏野は頑張りたい   作:永佑

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前作『嘆きの亡霊は創星と出会う』が完結したので、続編を書いてみました。

主人公はオリジナルキャラクターの「裏野空」に交代していますが、本作からでも楽しめるように頑張ります。

よろしくお願いします。


序章 裏野空、嘆きの世界で1週間
第1話 裏野空と女神


 

 それは、本当に何気ないやり取りから始まった。

 

 たった一つのメッセージ。たった一つの言葉。今思えば、それだけだった。だけど、人の心というものは不思議だ。

 

 積もり積もった小さな不満は、ある日突然、限界を迎える。コップから水があふれるみたいに。静かに、そして取り返しがつかないほど、一気に。

 

 僕は、あいつのことを仲のいい友達だと思っていた。人の陰口は言わないし、誰かを仲間外れにすることもしない。場を盛り上げるのも上手くて、一緒にいると退屈しない。だから、一緒にいて楽しかった。……いや、正確には。

 

 "楽しいと思おうとしていた"のかもしれない。

 

 あいつには、一つだけ欠点があった。驚くほど、言い方にデリカシーがないことだ。言葉は強いし思ったことをそのまま口にする。相手がどう感じるかなんて、あまり考えていないんだろう。

 もちろん、本人に悪気がないことくらいは分かっていた。だから我慢した。

 

 だけどその夜、胸の奥に積もっていたものが、とうとう限界を迎えた。

 

 画面越しに見える文字を見つめながら、僕は小さく息を吐く。もう、このまま我慢し続けるのは嫌だった。だから、勇気を出して送った。

 

 たった一通のメッセージを。

 

 それが、全部の始まりだった。

 

 

———

 

 

 23:30

 

 

『いい加減、その強い口調やめろよ』

 

友人

 

『自分の普通がこれなんで』

 

 返事はすぐに返ってきた。画面に表示された短い一文を見た瞬間、胸の奥がじわりと熱くなる。謝る気は、最初からない。そんな意思表示にしか見えなかった。

 

 

『開き直るな』

 

友人

 

『うるさいなー』

『そんなに文句言うなら話さんかったらええやろ』

 

 指先が止まる。スマホを握る力が少しだけ強くなった。

 ……そういう言い方だよ。そういうところが、ずっと嫌だった。

 

友人

 

『自分から話しかけといて、「態度悪いからちゃんと話せ」は傲慢やろ』

 

 傲慢。その二文字を見た瞬間、何かが切れた。違う。そうじゃない。僕は喧嘩がしたいんじゃない。謝ってほしかっただけなんだ。

 

 

『傲慢とか、お前が言っていい言葉ちゃうやろ』

『今までのやり取り振り返ってみろや』

『話しかけたからって何言っても許されるわけちゃうやろ』

『今まで調子乗ってたん、お前やろ』

『そのことまず謝れ』

 

 送信ボタンを押した瞬間、自分でも少し言い過ぎたかもしれないと思った。だけど、それ以上に、今まで我慢してきたものが一気に口から飛び出してしまった感覚の方が強かった。

 

友人

 

『キレすぎやろ』

『今までのやり取り振り返るとしたら、聞いたことなんでも返ってくると思ってるなら、それが傲慢』

 

 頭が真っ白になった。

 

 違う。違う違う違う。

 

 僕はそんな話をしてるんじゃない。

 

 

『はあ!?』

『お前もキレてるやろ』

『じゃあ僕がお前から聞かれたこと無下にしたことあんのかよ?』

 

友人

 

『無下にされたことあるかは知らんけど、無下にしたらいいやん』

 

 思わずスマホを握り直す。画面を見ているだけなのに、心臓がうるさいくらい鳴っていた。胸の奥が熱い。腹が立つ。でもそれ以上悲しかった。

 

 

『僕はそんなことしたくないし、お前が変わる気ないならもういいよ』

『謝ってくれ』

『もう話さんようにするから』

『お前もめんどくさいんやろ』

 

 送信してから、数秒。返信はなかった。既読だけが静かについている。その沈黙が、妙に長く感じた。

 

友人

 

『一回落ち着けよ』

『疲れてるんちゃうか』

 

 その言葉を見て、思わず笑いそうになった。違うそうじゃない。疲れているから怒っているんじゃない。前から、ずっと言いたかったことなんだ。

 

 

『前から言い方に関しては言ってるやろ』

 

友人

 

『あそう』

『喋り方うざいから俺と話す時だけ普通に喋ってくれってか?』

『なんで自分が変わろうとする前に人を変えさせる』

『色んな人とこれから出会うと思うけど、人を変えようとするんじゃなくて、自分が適応というか、「こんなもんか」くらいの気持ちでいた方がいいと思うけどな』

 

 画面の文字を読むたびに、胸の中がぐちゃぐちゃになっていく。確かに、言っていることは間違っていないのかもしれない。人は簡単には変わらない。そんなことくらい僕だって分かっている。だけど、その一言くらい。「言い方が悪かった」そう認めてくれるだけでよかった。

 

 

『何で言い返してくんの?』

『いい加減折れろや』

『お前、ずっと自分が正しいスタンスでおるな』

『僕が悪いみたいに』

『「確かに言い方強かったかもな」とか、「次から気をつける」とか、そういうのはないの?』

『僕がお前に適応してもいい』

『でも、お前も直すべきところは直していくべきなんじゃないん?』

『「あそう」もおかしいやろ』

『簡単に流すなよ』

 

 送信。画面が静かになる。僕はベッドに腰掛けたまま、スマホを見つめ続けていた。

 部屋は静かだった。エアコンの送風音だけが、小さく耳へ届く。

 時計を見る。もう日付が変わろうとしていた。それなのに、心だけは全然落ち着かない。画面の上に、小さく「入力中」の表示が現れる。点が三つ。消えて。また現れる。何を書いているんだろう。謝ってくれるのか。

 それとも、また言い返してくるのか。ほんの少しだけ。期待してしまった。

 そして届いた最後のメッセージは——。

 

友人

 

『僕は変わるつもりないですよ』

『このスタンスで数年生きてきて、君より友達多いのが答え』

『確かに周りの優しさのおかげってのはあると思うけど、それだけで関係続かないってのも君が証明してる』

 

 ……そこで、画面を見るのをやめた。スマホを伏せる。

 ベッドへ倒れ込み、天井を見上げた。白い天井がぼんやりと滲んで見える。涙は出なかった。怒りも、悲しみも。いろんな感情が混ざり合って、もう何を感じているのか自分でも分からなかった。

 これ以上続けても、何も変わらない。

 

 そんな気がした。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 午前一時。

 

 夜風は思っていたより冷たかった。北海道の夜は、夏でも少し肌寒い。

 

 コンビニではなく、僕が向かったのは近所のホームセンターだった。深夜ともなれば、車通りはほとんどない。交差点には誰もいない。赤信号だけが、律儀に道路を照らし続けていた。

 

 立ち止まり、ぼんやりと信号機を見上げる。

 

(……長いな)

 

 左右を確認する。ヘッドライトは見えない。エンジン音もしない。静かだった。

 世界に僕しかいないんじゃないかと思うくらいに。

 

(……渡っちゃうか)

 

 人気のない横断歩道を足早に渡る。 

 自動ドアが開く。店内へ入った瞬間、木材と洗剤、それから新品の段ボールが混ざったような、ホームセンター特有の匂いが鼻をくすぐった。

 

 聞き慣れたBGM。静かな店内。夜勤の店員さんが商品を並べている姿が目に入る。胸が、うるさいくらい脈打っていた。

 

 こんなに緊張したのは、大学のプレゼンで発表担当になった時以来だ。

 ……たった一週間前のことなのに。昔の出来事みたいに感じる。

 

 十分後、僕は店を出た。

 左手には、オレンジ色の指定ゴミ袋と、標識用のトラロープが入ったビニール袋。

 

 歩くたび、袋が小さく揺れる。カサリ。乾いた音だけが夜道に響いた。

 

(帰ったら、まずは掃除するか)

 

 誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。部屋くらいは綺麗にしておこう。

 

 最後くらいは。

 

 そんなことを考えてしまう自分が、不思議と冷静だった。怖くないわけじゃない。手は少し震えている。足取りだって軽くはない。

 それでも、一度決めてしまった心は、もう止まらなかった。

 

(明日、死ぬ前にそれくらいはしないとね)

 

 夜空を見上げる。星は少なく、街灯の光だけが静かに道路を照らしていた。

 

 その時の僕は、まだ知らなかった。

 

 この次の日の夜が、僕の人生の終わりであり――

 

 そして、新しい人生の始まりになることを。

 

 

———

 

 

裏野空。二十歳。大学三年生。

 

 僕は、この世を去った。

 

 ……たぶん、ほとんどの人はこう思うだろう。「何で、そんなことで?」と。

 

 その気持ちは分かる。僕だって、もし他人の話として聞いていたら、きっと同じことを思っていた。

 

 友達と喧嘩したくらいで?そんな理由で?もっと他に何かあったんじゃないのか、と。でも、違う。あの夜の口論は、確かにきっかけではあった。

 悲しかったし腹も立った。何より、「この人とはもう分かり合えないんだ」と突きつけられた気がして、苦しかった。だけど、それだけで死を選んだわけじゃない。

 

 僕はあいつを恨んでいない。悪い奴だったとも思わない。言い方はきつかったけれど、人を陥れようとするような人間じゃなかった。むしろ、友達は多かった。人付き合いが上手くて、誰とでもすぐ打ち解けられる。

 だからこそ、最後に送られてきたあの一文は、妙に説得力があった。

 

 『君より友達多いのが答え』

 

 あの言葉が頭から離れない。でも、だからといって全部あいつのせいかと言われたら、それも違う。

 

 そもそも、一番仲が良かったわけじゃない。地元には親友と呼べる奴もいる。大学にも話せる友達はいた。家族との仲だって悪くなかった。それなのに、どうして僕は死んだんだろう。今なら、少しだけ分かる。

 

 ……たぶん、好奇心だった。

 

 昔から、そんな題材の漫画や映画が好きだった。人が死んだ後の世界。異世界。

 

 「死んだらどうなるんだろう」

 

 そんな答えのない疑問を、子どもの頃から何度も考えていた。もちろん、本気じゃない。

 

 そんなことを知る方法なんて一つしかないと分かっていたから。

 

 だから、ずっと考えるだけだった。踏み出さなかった。いや、踏み出せなかった。

 

 理由はいくつかある。一つは、母さん。母子家庭で、女手一つで僕と妹を育ててくれた。そんな人を裏切るような真似だけは、したくなかった。妹もいる。僕がいなくなれば、二人がどれだけ苦しむかくらいは想像できた。

 ……もう一つの理由は、もっとくだらない。まだ読みたい漫画が山ほど残っていたことだ。

『嘘喰い』も最後まで読めてない。新刊を楽しみにしている作品だってある。

 

 アニメ化が決まった漫画もあった。それを見届けずに死ぬのは、正直もったいないと思っていた。

 

 それに痛いのも苦しいのも嫌いだった。死ぬことそのものより、その過程が怖かった。だから今まで、生きてきた。

 

 死にたい理由より、生きる理由の方がほんの少しだけ勝っていたから。でもあの夜だけは違った。全部がどうでもよくなった。

 

 ———もう、いいや。母さん。妹。……本当に、ごめん。

 

 その謝罪だけを胸に。

 

 僕の意識は、静かに途切れた。

 

 

———

 

 

 …………あれ?え?

 

 …………え?

 

 ゆっくりと目を開く。視界がぼやけている。頭も少し重い。まるで長時間眠ったあとみたいな感覚だった。

 

(……ん?)

 

 裏野空。二十歳。大学三年生。

 

 僕は、この世を去った。

 

 ……はずだよね?

 

 反射的に胸へ手を当てる。ドクン。ドクン。ドクン。と鼓動が聞こえる。しかも、めちゃくちゃ元気だ。

 

(え……生きてる?)

 

 いやいやいや、おかしい。ちゃんと死んだよね?僕、死んだよね?

 

 …………。

 

 …………あ。

 

(まさか、失敗?)

 

 その可能性に気付いた瞬間、全身から変な汗が吹き出した。

 いやいやいやいや!最悪なんだけど!?あれ、めちゃくちゃ勇気いるんだぞ!?一世一代の覚悟だったんだぞ!?失敗って何!?ギャグじゃん!いや笑えないけど!

 

 昔から運は悪かった。行動を起こした瞬間に嫌なことが起きる。絶妙なタイミングでトラブルに巻き込まれる。

 

 あと少しで上手くいくと思ったら失敗する。

そんなことばかりだった。だから成功体験なんて、ほとんどない。でもさ、さすがにさ、死ぬことまで失敗する!?

 人生で一番勇気を出した行動なんだけど!?もうこれ以上ないくらい覚悟決めたんだけど!?

 

 なんでだよ!もし何事もなかったみたいに家へ帰ったら。母さん、めちゃくちゃ怒るだろうな。……きつい。 

 その光景を想像しただけで胃が痛くなる。

 

(神様キモすぎだろ……)

 

 せっかく覚悟決めた人間の邪魔するとか。それ、一番やっちゃダメなやつでしょうが。

 

「口を慎みなさい、このダメ人間!」

 

 突然、透き通るような女性の声が響いた。

 あまりに突然だったせいで、肩がビクッと跳ねる。

 

 今の、誰?

 

 

———

 

 

 眩しい。

 

 最初にそう感じた。瞼の裏まで焼き付くような白い光に思わず目を細め、ゆっくりと瞼を持ち上げる。ぼやけていた視界が少しずつ輪郭を取り戻していくと、目の前に広がっていた光景に思考が止まった。

 

 真っ白だった。

 床も白い。壁も白い。天井らしきものすら見当たらない。ただ、どこまで行っても白だけが続いている。不思議と足元には感触があるのに、周囲には何も存在しない。その異様な空間に思わず息を呑んだ。

 

(……ここどこ?)

 

 病院でもない。夢の中とも違う。現実感だけが妙に薄く、それでいて意識だけは驚くほどはっきりしている。

 混乱したまま辺りを見回していると、静かな空間へ一人の女性の声が響いた。

 

「目が覚めましたか、裏野空」

 

 自分の名前を呼ばれ、反射的に振り返る。

 そこに立っていたのは、一人の女性だった。

 腰まで流れる金色の髪は光を溶かし込んだように美しく、白と金を基調としたドレスは神聖という言葉がこれ以上なく似合う。整った顔立ちは人間離れしていて、思わず見惚れてしまうほどだった。

 

 ……腕を組み、仁王立ちしていなければ。

 

 その堂々とした立ち姿だけで、神々しさの半分くらいが台無しになっている。

 

「女神をキモい呼ばわりする人間なんて初めて見ました」

 

「……あれ聞こえてたんですか?」

 

「当然です」

 

 まじっすか。心の中で思っただけならセーフだと思ってたんだけど。

 

「安心してください。あなたはちゃんと死んでいます」

 

「お、ちゃんと死ねたんすね」

 

「…………」

 

「ふぅ」

 

「安堵するところですか?」

 

「いやー、我ながらそう思います」

 

 普通なら逆なんだろう。死んだと聞けば取り乱して、泣いて、現実を受け入れられなくなる。それが当たり前だ。

 

 だけど、僕は違った。

 昔から痛いことも苦しいことも嫌いだったくせに、不思議と死ぬことだけはそこまで怖くなかった。もちろん母さんや妹のことを考えれば踏み出せなかったし、何度も思い留まってきた。でも、それは「生きたい」からじゃない。「二人を悲しませたくない」からだった。

 もし使命感なんてものがあるとしたら、きっとそれだけだったんだと思う。

 

「……まあ、過去の話ですね」

 

「切り替え早いですね」

 

「終わったことなんで」

 

 そう言うと、女神は小さく頷き、ぱん、と一度手を叩いた。

 

「なるほど。では本題です。突然ですが、あなた漫画が好きですよね?」

 

「めっちゃ好きっす」

 

 これは即答できる。今まで読んできた漫画の数なら、同年代にはそこそこ負けない自信がある。

 

「ラノベは?」

 

「読まないですね」

 

 そう答えた瞬間、女神の動きがぴたりと止まった。

 

「…………」

 

 嫌な沈黙が流れる。え、何?そんなにまずいこと言った?

 ラノベ読まない人なんて世の中いくらでもいるだろ。なのに目の前の女神は、時間まで止まったんじゃないかと思うくらい微動だにしない。

 

 ……もしかして地雷踏んだ?

 

「漫画は読むんすけど、文字だけって何か読む気にならなくて」

 

「あそうですか」

 

 返ってきた声は、さっきまでとは比べものにならないくらい素っ気なかった。

 うわ、絶対怒ってる。なんだその「あそうですか」。ちょっと傷つく。

 

「私は『嘆きの亡霊は引退したい』というラノベ作品が大好きなんです」

 

「は?」

 

 思わず間の抜けた声が漏れた。

 神様ってもっと世界の均衡とか、人類の未来とか、そういう壮大なことを考えている存在じゃないの?

 まさかラノベ好きとは思わなかった。

 

「それどころか二次創作まで読みます」

 

「へぇ……」

 

 そこまでいくのか。公式だけじゃなく二次創作まで追うとは、想像以上に本格派だった。

 なんというか、一気に親近感が湧いた。

 

 ……親近感というより、この人かなり重度のオタクなんじゃないか。

 さっきまで女神と言われても納得するような神々しい存在だったのに、急に趣味の合うオタクのお姉さんみたいになってきた。いや、趣味が合うかは分からないけど、二次創作まで読むあたり相当なガチ勢なのは間違いない。神様ってもっと世界の平和とか人類の未来とか、そういう壮大なこと考えてるものだと思ってたんだけどな。案外、暇なのかもしれない。

 

「最近、『嘆きの亡霊は創星と出会う』という作品を読んだんですよ。最近完結しましたけど」

 

「はあ」

 

 タイトルだけ聞くと、たぶん『嘆きの亡霊は引退したい』の二次創作なんだろう。僕はラノベを読まないから元ネタは知らないけど、さっきの話を聞く限りかなり好きな作品らしい。

 

「悪くはありませんでした」

 

「あ、そうなんすか」

 

「オリジナルキャラクターも魅力的でした」

 

「おお」

 

 そこまで褒めるなら作者も喜ぶだろうな、と他人事のように思う。

 そんな事を考えていると、バンッ!!と突然、どこからともなく現れた机を思い切り叩いた。

 

「ですが!」

 

「うおっ!?」

 

 肩がびくりと跳ねる。さっきまで落ち着いて喋っていたのに、急にスイッチが入った。感情の起伏どうなってんだこの女神。

 

「あれは『嘆きの亡霊』じゃありません!」

 

「!?」

 

「『嘆きの亡霊』とは!」

 

 ビシッ、と人差し指を突き上げる。その勢いだけで空気が震えたような気がした。

 

「最弱の主人公クライが、本人の意思とは無関係に周囲から最強と勘違いされ!味方にも敵にも勝手に祭り上げられ!本人だけが胃を痛める勘違いコメディなのです!」

 

「はい」

 

 勢いに飲まれて反射的に返事をしてしまう。内容は全然知らないけど、今だけは逆らっちゃいけない気がした。

 

「なのに!ソル・バートンとかいうキャラは格好良すぎるし!ルーナ・ネロナは優秀すぎる!創星界(ステラ・ファミリー)!強すぎます!」

 

「はい」

 

「クライが霞んでるじゃないですか!」

 

「知らんがな」

 

 思わずツッコんでしまった。僕に言われても困る。作者に直接レビューを書いてくれ。

 

「いや、面白かったんですよ?」

 

「どっちなんすか」

 

「面白かったんです」

 

「はい」

 

「でも」

 

 そこで女神はすっと真顔になった。さっきまで机を叩きながら熱弁していた人物とは思えないくらい、一瞬で表情が消える。

 

「もっと面白くできる」

 

 いや知らんて。その一言だけで済ませるには重すぎる話なんだけど。

 すると、今度はビシッ、と真っ直ぐ僕を指差した。

 

「そこで、裏野空」

 

「はい」

 

「あなた、『嘆きの亡霊は創星と出会う』の世界へ行ってください」

 

 …………。

 

「……………………何言ってんの?」

 

「だから」

 

「聞こえてますよ」

 

 聞こえてる。聞こえてるけど意味が分からない。

 だって普通そんなこと言われると思わないじゃん。異世界転生って漫画やアニメの中の話だぞ。それを神様が本人に直接依頼してくるとか、誰が予想できるんだ。

 

「あなたが行って、私好みの作品にしてください」

 

 女神は満面の笑みを浮かべる。

 

「…………ほんまもんや」

 

 この人。いや、この神様。本当に頭がおかしい。

 

 

———

 

 

「ちょっと待ってくださいよ!」

 

「はい?」

 

「僕が何すればいいんですか!」

 

 異世界へ行けと言われても、目的くらいは教えてほしい。

 いや、さっき「作品をもっと面白くしろ」とは言われたけど、それって具体的に何をすればいいんだ?主人公を助けるのか、敵を倒すのか、それとも物語をめちゃくちゃにすればいいのか。情報がふわっとしすぎている。

 

 そもそも僕は原作を知らない。知らない作品の二次創作世界へ放り込まれて、「何とかしてください」と言われても困るだけだ。

 

「まずは創星界を何とかしてください」

 

「だから何とかって! あの! 自分! 頭悪いんでちゃんと説明してくれませんかねぇ!?」

 

 説明不足にも程がある。知らない料理名を作ってと言われて材料もレシピも教えてもらえないようなものだ。それで美味しく作れと言われても無茶振りにも限度がある。

 

 すると女神は、大きく息を吸い込み、盛大なため息を吐いた。

 

「はぁぁぁぁ……」

 

 ……なんだろう。こっちが呆れる立場なのに、すごく納得いかない。

 

「聞いたら何でも返ってくると思ってるなら、それは傲慢ですよ。裏野空」

 

「…………」

 

 その瞬間だった。胸の奥が、ズキッと痛む。

 

 友人に言われた言葉を思い出した。その言葉だけは、今聞きたくなかった。

 せっかく少し忘れかけていたのに、一気に昨夜のやり取りが頭の中へ蘇ってくる。

 

 『僕は変わるつもりないですよ』

 『君より友達多いのが答え』

 『それだけで関係続かないってのも君が証明してる』

 

 ……思い出すな。思い出すなよ。せっかく死んでまで忘れようとしたのに。

 

(お前の方が傲慢だろ、このクソアマ。若作りババア)

 

「一応言っておきますけど、心の声、全部聞こえてますよ?」

 

 女神がにっこりと微笑む。ですよねー。知ってた。いや、知ってたけど、そりゃ言いたくもなるだろ。人間ってそういう生き物なんだよ。

 僕は気まずさを誤魔化すように肩をすくめた。

 

 

———

 

 

「…………それで、どうやって行けばいいんです?」

 

「おや、意外ですね。もっと嫌がるかと思っていました」

 

 女神は少しだけ目を丸くした。

 行きたいわけがない。見ず知らずの世界へ飛ばされるなんて、普通に考えたら怖いに決まっている。

 

「嫌ですよ」

 

「ですよね」

 

「でも」

 

 不思議と、足は止まらなかった。いや、正確には、止める理由が見つからなかった。

 

 一度死んだからだろうか?さっきまで抱えていた恐怖も、不安も、今は驚くほど薄れている。

 命を失うこと以上に怖いものなんて、そうそうない。それをもう経験してしまった。

 だからなのか。もう一度ゼロから始められると言われても、不思議なくらい抵抗がなかった。

 

「もう一回やり直せるなら……今度は、ちゃんと生きてみたいとは思ってました」

 

 自然と口が動いていた。口にした瞬間、自分でも少し驚いた。

 そんなことを考えていたのか、と。

 さっきまでの僕なら、こんな台詞は絶対に言わなかっただろう。でも、一度死んだからこそ分かったことがある。 

 

 僕は人生を諦めたかったわけじゃない。

 生きることに疲れていただけだった。

 大学へ行って、講義を受けて、課題をやって、バイトへ行って、家に帰れば漫画を読んで寝る。休日も似たようなものだ。たまに友達と遊んで、それなりに笑って、それなりに楽しい時間もあった。

 

 けれど、それだけだった。何か夢があったわけでもない。

 将来こうなりたいという目標があったわけでもない。

 毎日をただ消化して、気付けば一年が終わり、また同じ一年が始まる。その繰り返し。

 

 もちろん幸せな瞬間だってあった。

 

 新刊の漫画を読んで興奮したり、ゲームで夜更かししたり、友達とくだらない話をして笑ったり。

 でも、それは人生を楽しんでいたというより、毎日の中にある小さな楽しみを拾い集めていただけだった気がする。

 

 胸を張って「生きていて良かった」と言えるほど、僕は自分の人生を好きになれなかった。

 

「だから、せっかくなら今度くらいは頑張ってみようかなって」

 

 その言葉だけは、不思議なくらい素直に出てきた。女神は静かに僕を見つめる。そして、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「……そうですか」

 

 その表情は、今までとは少し違って見えた。さっきまでのように大げさに騒ぐこともなければ、机を叩くこともない。どこか安心したような、嬉しそうな、そんな、少しだけ優しい笑みだった。

 

 ……まあ、気のせいかもしれないけど。

 

「ちなみに」

 

 その空気をぶった切るように、女神が人差し指を立てた。

 

「ファンタジー世界です」

 

「え?」

 

「剣があります。魔法もあります。魔物もいます。あなた好みでは?」

 

「…………」

 

 数秒、固まる。

 そしてようやく、一番大事なことを思い出した。

 ……そうだった。ラノベだ。異世界だ。ファンタジーだ。何で今までそこを忘れてたんだ、僕。

 

 漫画で読む分には最高だ。主人公が魔法を使って、ドラゴンを倒して、世界を救う。

 めちゃくちゃ面白い。でも、それを自分がやるとなると話は別である。

 

「やっぱやめます」

 

「え?」

 

 いやいやいや、冷静になれ!

 剣がある。魔法がある。魔物もいる。つまり、普通に死ぬ世界ってことじゃん。

 ゲームならリセットできる。漫画なら主人公補正がある。でも現実は違う。痛いものは痛いし、刺されたら終わりだ。魔物なんて見た瞬間に腰抜かす自信しかない。

 

 そもそも僕は、ごく普通の大学生だ。運動神経も平均以下、格闘技経験ゼロ。サバイバル知識ゼロ。異世界知識も漫画で読んだ程度。

 そんな人間を魔物がいる世界へ放り込むって。ほぼ虐待じゃない?

 

「僕、一般大学生ですよ?」

 

「そうですね」

 

「詰んでません?」

 

「詰んでますね」

 

「じゃあやっぱなしで」

 

「無理ですね」

 

「即答!?」

 

 交渉終了まで三秒とか聞いたことない。もう少し迷ってくれてもいいじゃないか。

 「うーん、そうですねぇ」くらい考える素振りを見せるとか、神様にも社会性ってものはないんだろうか。

 

「では、行ってらっしゃい」

 

「ちょっ──」

 

 その瞬間だった。

 パァァァァ……。

 足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。幾何学模様が何重にも重なり合い、青白い光を放ちながらゆっくりと回転し始める。

 

 いやいやいや!これ!完全に転移するやつじゃん!!

 

 漫画で何百回も見た。見たことあるからこそ分かる。逃げる時間なんて一秒も残されていないやつだ。

 

「待っ!」

 

 光は容赦なく強くなっていく。膝元から淡い粒子が舞い上がり、身体が少しずつ浮き始める。

 やばい、本当に飛ばされる。

 

「せめてチュートリアル!」

 

「ありますよ?」

 

「あるんすか!?」

 

 一瞬だけ希望が見えた。やっぱり異世界といえば最初に説明役がいて、ステータスが見れて、スキルを選べて……そういう優しい世界なんだろ?

 

「ありません」

 

「どっちだよ!」

 

 希望を返せ!ほんの0.5秒で絶望に叩き落とされたんだけど。

 この女神、人を弄ぶ才能だけは一級品じゃないか?

 最低だ。本当に最低だこの女神。女神は悪戯が成功した子どものように笑う。

 

「まあ、一応少しくらい補正はかけておきます」

 

「補正?」

 

「死ににくくなる程度です」

 

「もっと盛ってください!」

 

 どうせならチート能力くださいよ。魔王をワンパンできるくらいでいいです。いや、贅沢言わない。せめて熊に勝てるくらいで。

 

「嫌です」

 

「ケチ!」

 

「努力してください」

 

「異世界まで自己責任!?」

 

 ブラック企業でももう少し研修期間あるぞ。いきなり実戦とか、新人教育として終わってる。

 

 光はもう腰の辺りまで僕を包み込んでいた。身体が少しずつ透けていくような感覚。もう本当に時間がない。

 すると、女神が思い出したように手を叩く。

 

「そうそう私の名前、まだ言ってませんでしたね」

 

 いや今!?もっと早く言うタイミングあったでしょうが!

 

「ソーラ・システリア」

 

 太陽のような笑顔を浮かべながら、自分の名を告げる。なるほど、名前までそれっぽい。神様って感じはする。

 

「困ったことがあれば、この名を呼びなさい」

 

「助けてくれるんですか!?」

 

 最後の希望だった。困ったら神様コール。異世界生活の保険みたいなものだ。

 

「気が向いたら会話くらいはできます」

 

「役に立たねぇ!」

 

 思わず叫ぶ。会話じゃ魔物は倒せない。

 相談したところで目の前のスライムは待ってくれないんだ。

 

「女神ですから、便利屋じゃありません」

 

 いや、そこは頑張れよ。神様なんだから。せめてもう少しサービス精神を見せてくれ。

 そう叫ぼうとした瞬間、視界いっぱいに白い光が溢れた。

 

「では」

 

 ソーラ・システリアは最後まで楽しそうに笑っている。まるでこれから始まる物語を、一番近くで観客として見届ける人のように。

 

「良い“物語”を期待していますよ」

 

「いや作者扱いす──」

 

 言い終わる前に、世界が白く染まった。

 

 身体が宙へ投げ出される。上下も左右も分からない浮遊感。意識だけがゆっくりと遠ざかっていく。

 

(帰れたら……あのクソ女神の顔面を一発、いや二発殴ろう)

 

 それだけを心に固く誓いながら——

 

 僕、裏野空は。

 

 『嘆きの亡霊は創星と出会う』の世界へと転生した。





ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回から新主人公・裏野空の物語が始まります。

前作とはまた違った雰囲気になりますが、まだ登場していない創星界のメンバーも登場予定ですので、引き続き楽しんでいただければ嬉しいです!
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