慎重に穴の中へ降りると、そこには石造りの通路が広がっていた。
湿った空気が肌へまとわりつく。壁にはところどころ見たことのない文字が刻まれ、長い年月を経たせいか、床には砂埃が薄く積もっていた。
思っていたより広い。宝物殿というより、誰かが暮らしていた地下施設のようにも見える。どこか研究所のような雰囲気だった。
原作を読んだばかりだからだろうか。地下研究所と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、秘密結社《アカシャの塔》だった。
ノト・コクレアとソフィア(シトリーちゃん)が暗躍していた、あの施設。もっとも、あれは【白狼の巣】での出来事だ。場所も違うし、同じとは限らない。
「ソーラさん。これって、《アカシャの塔》の施設だったりします?」
『おそらくそうだと思います』
予想外にあっさり肯定された。もっと「違いますよ」と笑われると思っていただけに、思わず言葉を失う。
嫌な予感が、じわりと胸の奥へ広がっていった。
『原作には登場しませんが、Web版では触れられています。ここはノト・コクレアが使っていた研究施設の一つですね』
「…………」
やっぱり嫌な予感しかしない。そんな気持ちを押し殺しながら、僕はゆっくりとソーラさんへ問い返した。
「何もないって言ってませんでした?」
『…………い、言ってませんでし——』
「言ってませんよね!? いちいち誤魔化さなくていいですから!」
もー、本当にこの女神は。説明不足なのか、忘れているのか、それとも天然なのか。最近ではもう、その全部なんじゃないかと思い始めている。
『で、でも今回は本当に大丈夫ですよ?』
「どうしてそう言い切れるんですか?」
『ノト・コクレアはもう死んでいますから。シトリーの方は何故か出てないので分かりませんが……』
「……死んでる?」
『はい。『
「……ソル・バートン?」
『原作には出てこない、この世界だけのキャラクターです』
…………そうだった。この世界は原作ではなく、二次創作の世界。
それなら原作と違う歴史を歩んでいてもおかしくはない。だから、この研究所が残っていたとしても、肝心の本人はもう存在しない。
「じゃあ、誰もいないってことですか?」
『そうです! 絶対に何も起きません! 命を懸けます!』
「命は懸けなくていいです」
そんな事で命懸けんな。それに、その台詞を聞くと逆に不安になる。今までの経験上、この女神がそこまで言い切る時ほど、大体ろくなことが起きない。
だが結局、それ以上何も起きることはなかった。
———
施設の中を一通り見て回る。
壁際には朽ちた本棚や机が並び、床には砕けたガラス片のようなものが散らばっていた。棚の上には紙切れのようなものも残っていたが、長い年月を経て風化しており、指で触れた瞬間に砂となって崩れてしまう。「何か残ってないかな」と期待して辺りを見渡したものの、役に立ちそうなものは何一つ見つからなかった。
人の気配も魔物の気配もない。ただ、かつて誰かがここで何かを研究していた――そんな痕跡だけが静かに残されていた。
僕は少しだけ肩の力を抜きながら、来た道を戻る。両手を地面につき、よいしょ、と体を持ち上げる。外へ出ると、乾いた風が頬を撫でた。
『ね? 何も起きなかったでしょう?』
「一回当たったくらいで得意げにならないでください」
僕は呆れ半分で苦笑する。別に言葉足らずなところに不満があるわけではない。ただ、「言いましたよね?」と本当に言った感じで言われるのが嫌なだけだ。もう何回そのやり取りをしたことか。
そのあとも石柱の周囲を歩いてみたが、完全に無駄足になってしまった。宝具が転がっている様子もない。本当に、初心者向けの宝物殿なんだな。
『やっぱり、がっかり宝物殿でしたね』
「まあ、仕方ないですね」
少し期待していただけに残念ではある。でも、最初から大きな成果を期待していたわけじゃない。今日は無事に帰れれば、それで十分だ。
すると、ソーラさんが少しだけ声の調子を変えて言う。
『でも、あなたにハンターの素質があるかもしれないって分かっただけでも、大きな収穫ですよ』
「……僕に素質?」
一体、何を根拠にそんなことを言うんだろう。首を傾げる僕へ、ソーラさんは少し嬉しそうに続けた。
『気付きませんか? あなた、少しだけマナ・マテリアルを吸収していますよ』
「え?」
思わず自分の体を見る。腕も足も、さっきと何も変わらない。強くなった実感なんて、一ミリもなかった。
『最初はそんなものです。そのうち実感できますよ』
その言葉を聞き、僕の胸の奥がほんの少しだけ軽くなった。
僕が一番不安だったのは、「僕には才能がないかもしれない」ということだった。
もしマナ・マテリアルをほとんど吸収できない体質だったら、どれだけ努力しても強くなれない。だけど、少しでも吸収できているというなら話は別だ。
まだ本当に少しだけなんだろう。それでも、ちゃんと前へ進めている。
『この調子でどんどん強くなって、《創星界》を止めて、この作品を完結させるんです!!』
……テンション高いなこの女神。
でも、その能天気さには少しだけ救われている自分もいた。この世界で一人だったら、たぶん僕はとっくに心が折れていただろう。
そんなことを考えた、その時だった。
ゴゴゴゴゴ……。
地面が、小さく震えた。
最初は気のせいかと思ったけど、振動は止まるどころか、少しずつ強くなっていく。足元の砂が細かく跳ね始めたのを見て、僕はようやく異変を確信した。
『!?』
「……え?」
足の裏から伝わる鈍い振動。乾いた砂がぱらぱらと跳ね、十七本の石柱がわずかに軋む。振動は、僕がさっきまでいた穴の方から聞こえてきていた。
嫌な汗が背中を伝う。やはり、さっきのソーラさんの発言はフラグだったのか。
「ソーラさん……」
『…………』
さっきまで「大丈夫です」「何も起きません」と騒いでいたソーラさんが、不自然なくらい黙り込む。いつもなら何かしら言い返してくる人だ。そのソーラさんが言葉を失っている。それだけで、嫌な予感が何倍にも膨れ上がった。
ゆっくりと穴の方へ視線を向ける。
次の瞬間、砂煙を巻き上げながら、一体の巨体が姿を現した。砂色の光沢を帯びた岩の身体。二メートルを優に超える巨体。重々しい足音を響かせながら、ゆっくりと立ち上がる。
僕は喉を鳴らした。足が、勝手に一歩後ろへ下がる。頭の片隅で「日本へ戻れば」という考えが一瞬よぎった。でも、すぐに打ち消す。戻った瞬間、目の前にあいつが待っているかもしれない賭けなんて、できるはずがない。
「…………ソーラさん……あれ、何ですか?」
震える声で尋ねる。しばらく沈黙したあと、ソーラさんも珍しく自信なさそうに答えた。
『…………分かりません』
分からない。その一言の方が、今まで聞いたどんな「大丈夫です」よりも、何倍も恐ろしかった。
『アカシャゴーレム……? いえ、違いますね……』