時計を見るのも忘れていた。気づけば数時間、俺は部屋に閉じこもったまま同じことばかり考え続けていた。
床へ胡坐をかき、スマホでゴーレムの伝承を検索しては「うーん」と唸り、ゲームで見た敵の攻略法を思い返しては「いや、あれはファンタジーだし」と自分で突っ込み、漫画や映画の設定を頭の中から引っ張り出しては組み合わせる。それらしい答えが浮かぶたびに「いや、違うか」と首を振り、また最初から考え直す。
まるで出口のない迷路をぐるぐる歩き回っているような、そんな不毛な時間だった。
だが、結局最後まで、勝てる未来だけは一度も思い浮かばなかった。
俺の知っているゴーレムとは、命を吹き込まれた土や粘土の人造人間だ。
神話によって作られ方も倒し方も様々だが、共通しているイメージといえば、身体のどこかに核となるコアが存在し、それを破壊すれば倒せるというものくらいだろう。地面から生まれ、命令を与えられ、命令を果たすためだけに動く。
そんな存在に、感情や痛みなんてものが備わっているとは思えなかった。だからこそ余計に厄介だ。痛みで怯むことも、恐怖で逃げることもしないだろうから。ゲームだってそうだった。
例えば『ゼルダの伝説』に登場するブロックゴーレム。あいつも身体の中心に埋め込まれた緑色のコアブロックが弱点だった。だったら、あのゴーレムにも似たような弱点があるのではないか――そんな、あまりにも根拠の薄い希望に縋るしか、今の俺にはできなかった。正直、自分でも笑えるくらい頼りない作戦だ。
「……数時間考えた結果がこれとは」
思わず苦笑が漏れる。
俺の頭は、小学生の自由研究以下かもしれない。「ゴーレムの弱点」なんて、夏休みの宿題にすら採用されなさそうなテーマだ。それでも他に縋れるものがなかった。専門家に聞くことも、経験者に話を聞くこともできない。
俺の手元にあるのは、スマホと、この十数日間で見聞きしたわずかな知識と、根拠のない希望的観測だけだ。それでも考えることをやめられなかったのは、たぶん、何もせずにただ向こうへ戻るのが一番怖かったからだと思う。せめて頭の中だけでも「対策した」という言い訳が欲しかった。
そもそも、ゴーレムなんて架空の泥人形を本気で研究した人間が、この世界にいるはずもない。見たことがある人間だっていない。ネットで調べたところで、出てくるのは神話やゲームや漫画ばかりだ。どれだけ机の前で頭を抱えていても、あの世界のゴーレムが俺の予想通りに動いてくれる保証なんてどこにもない。分かっている。
分かっているのに、俺はスマホの画面をスクロールする指を止められなかった。考えることをやめてしまえば、そこで初めて「対策がないまま戻る」という現実を認めることになる。
そういう訳にはいかない。死にたくないからだ。
たったそれだけの理由で、俺は何時間も同じ場所をぐるぐると回り続けていた。情けないと分かっていても、恐怖はいつも理屈より先に足を止めさせる。頭では「考えても仕方ない」と分かっているのに、身体は椅子から立ち上がろうとしない。
そういう自分の弱さを、俺はもう嫌というほど知っている。今日一日だけで何度、鏡の中の自分に「情けない」と言い聞かせただろう。
それでも、こうして一つの結論に辿り着けたことだけは、少しだけ自分を褒めてやりたかった。
だが、それもここまでだ。いつまでも現実逃避に時間を費やしているわけにはいかない。
精霊人も、ゴーレムも、魔法も――あれは映画の撮影でもなければ、テーマパークのアトラクションでもない。
あの世界では、それらが当たり前に呼吸をしている。異常なのは彼らではなく、この世界の常識を後生大事に引きずったまま向こうへ飛び込んだ俺の方だった。頭の片隅ではとうに分かっていたことを、今さらのように噛みしめる。
あの世界で過ごした十数日間。最初は現実感のない書き割りのような景色だった。それが今では、目を閉じるだけで匂いも音も蘇るくらい馴染んでしまっている。精霊人が当たり前のように石畳を歩き、魔法が日常の延長線上で飛び交い、ハンターたちが命を懸けて宝物殿へ潜っていく世界。
そんな世界で、俺は俺なりに必死に生きてきた。だからもう、現実だとか異世界だとか、そんな安っぽい線引きをするつもりはない。俺にとって、あそこも間違いなく現実だった。
「……行くか」
小さく呟き、ゆっくりと立ち上がる。
膝が一瞬だけ震えた気がしたが、気のせいだと思うことにした。考えることは全部考えた。
結局、答えらしい答えは出なかったが、これ以上部屋に籠っていたところで状況が変わるわけでもない。今の俺にできることといえば、行動して、その場その場で判断していくことくらいだ。
情けないくらい行き当たりばったりだが、それが今の俺の全力だった。せめて、逃げずに戻る。それだけは決めていた。
俺は帰り際に拾ってきた木の枝を右手へ持ち、その感触を確かめるように軽く握り直した。ざらついた樹皮の感触が、やけに現実味を持って手のひらに残る。
もちろん、こんな棒切れを持ったところで、あの巨体相手に意味なんてないことは分かっている。それでも、向こうへ戻った時に武器が手元にないよりは、多少なりとも気休めになる。そう自分に言い聞かせなければ、足が竦んで動けなかった。
「とりあえず、戻った瞬間しゃがめばレーザーは避けれる……か?」
自分に問いかけるように呟く。
答えてくれる人間は、当然ここにはいない。深く息を吸う。ゆっくりと瞼を閉じた。心臓が、いつもより少しだけ速く、それでいて妙に静かに鼓動を刻んでいる。胸の奥で、不安と期待がぐるぐると混ざり合っていくのが分かった。
俺は小さく息を吐くと、一つのことだけを強く思い浮かべた。
――あの世界に戻りたい。
それだけを願うように、意識をゆっくりと沈めていった。
◇ ◇ ◇
――戻ってきた。
意識が浮かび上がるのと同時に、耳をつんざくような轟音が鼓膜を震わせる。肌を焼くほどの熱気が目の前から押し寄せ、眩い閃光が視界を真っ白に染め上げた。
「ッ!」
反射的に身体を動かそうとした瞬間、足がもつれた。
あの瞬間の記憶が、身体に深く刻み込まれている。脳は動けと命令しているのに、身体だけが恐怖で強張り、一瞬だけ反応が遅れた。腰が抜けるようにその場へ崩れ落ちる。
だが、その情けない体勢が結果的に命を救った。灼熱の光線が頭上を掠め、髪の毛を焦がすような熱風だけを残して後方の岩壁へ突き刺さる。轟音とともに岩が砕け散り、爆風が遅れて身体を叩いた。
「はっ……はっ……」
生きている。本当に紙一重だった。あと数十センチ身体が高ければ、今頃また全身を焼き尽くされていただろう。心臓が痛いくらい早鐘を打っている。頭の芯がじんと痺れ、視界の端がチカチカと点滅する。それでも身体は不思議と動く。恐怖を感じている暇すら、今の俺には残されていなかった。
だが――今回は、ここで終わらない。俺はすぐさま立ち上がると、右手に握っていた木の枝を思い切り振りかぶった。
「せいやッ!」
狙うのは顔面。正確には目だ。木の枝は風を切りながら一直線に飛び、砂色の巨体の顔へ突き刺さるようにぶつかった。乾いた、拍子抜けするほど間の抜けた音だけが響く。当然、ダメージらしいダメージはない。それでも十分だった。
ゴーレムの注意がほんの一瞬だけ枝へ向いた、その隙を逃さず俺は一気に間合いを詰める。
「うおおらッ!」
全身の力を拳へ乗せ、そのまま顔面へ叩き込む。
ガンッ、と鈍い衝撃が拳を通じて肩まで突き抜けた。骨が軋むような痛みが遅れてやってくる。
……硬い。まるで巨大な岩を殴ったようだった。いや、実際に岩を殴っているのとほとんど変わらないのかもしれない。
「っづ……!」
痛い。殴った俺の拳の方が痛い。それでもゴーレムは微動だにしない。
表面の砂がぱらぱらと零れ落ちただけで、表情一つ変わらなかった――もっとも、あの無機質な顔に表情なんてものがあったかどうかも怪しいが。やはり、拳程度ではどうにもならない。
その瞬間、ゴーレムの両目が再び赤く輝く。
「またっすかッ!」
だが、今回は慌てない。身体を素早く沈める。
次の瞬間、極太の光線が頭上を一直線に走り抜けた。熱を帯びた空気が髪をなぶり、汗ばんだ首筋をひやりとした感覚が這う。避けられた。完全に。俺はそのまま前へ踏み込み、もう一発拳を叩き込む。ドゴッ、と鈍い音。効いている様子は相変わらずない。しかし、そこで俺は小さな違和感を覚えた。ゴーレムは近距離にいる俺を殴ろうとしない。この体格差なら一撃で潰せるはずだ。なのに攻撃は最初から最後までレーザーだけ。偶然かもしれないが、確かめる価値はある。
まあ、今までの俺なら、この時点でとっくに背中を向けて全力で逃げていただろう。生き延びる方法だけを探して、戦うことなんて選択肢にすら入らなかったはずだ。でも、今は違う。どうせ逃げられないなら前へ出る。拳を握り直すと、流れるような動作で今度は腰の入ったパンチを再び顔面へ叩きつけた。全然効かない。骨が軋むように手がジンジンする。
その直後、ゴーレムの目が赤く光る。レーザー。予想通りこいつはレーザーしか打たない。俺は慌てることなく、その場へしゃがみ込む。光線はまた頭上を一直線に通過していく。
「……やっぱりね」
思わず口元が緩む。
こいつ、首を上下へ動かせない。レーザーは一直線にしか撃てない。だから俺が懐へ潜り込み、しゃがんでしまえば当てることができないのだ。近付いても殴ってこない。殴れないのかもしれない。そう考えると、この巨体にも妙な不自由さが見えてくる。案外、間抜けな作りなのかもしれない。
「だったらぁ!」
拳を叩き込む。レーザーが来る。しゃがむ。また殴る。レーザー。しゃがむ。何度も、何度も同じ動きを繰り返す。単調な作業のようで、その一往復ごとに心臓が跳ねる。少なくとも死ぬことはない。さっきまで一方的に殺されるだけだった相手と、ようやく戦いになっている。
その事実だけで、少しだけ息がしやすくなった気がした。
だが――現実は甘くなかった。
何発殴っても手応えがない。砂が少し崩れるだけ。ひび一つ入らない。俺の拳が、情けないくらい弱すぎる。このままでは時間だけが過ぎ、決着は永遠につかない。
勝ち筋は見えたのに、倒す方法だけがまだ見つからなかった。焦りが胃の奥でじわりと広がっていく。
その時だった。今まで一歩も動こうとしなかったゴーレムの右腕が、不意に持ち上がる。頭の奥で、警報のようなものが鳴った気がした。
「ッ!」
反射的に両腕を交差させる。防御なんて甘い、そう気付いた時にはもう遅かった。次の瞬間、鈍い衝撃が左腕へ叩きつけられた。
「ぐあっ!」
身体が軽々と宙へ浮き、そのまま地面を何度も転がる。
背中を岩へ打ち付け、ようやく勢いが止まった。視界がぐらぐらと揺れて、一瞬だけ空が二重に見えた。土と埃の匂いが鼻の奥に張り付く。
「いってぇ……!」
思わず左腕を押さえる。骨は折れていない。痺れるような痛みはあるものの、動かせないほどではなかった。それだけが不幸中の幸いだった。
「……攻撃できたんかい」
思わずそんなツッコミが漏れる。
勝手に「近距離ではレーザーしか撃てない」と決めつけていた自分が少し恥ずかしくなった。
まずい、距離を取ればレーザーが飛んでくる。近付きすぎれば殴られる。さっき見つけた攻略法が、一瞬で半分崩れてしまった。
俺はゆっくりと立ち上がり、自分の身体を確かめる。左腕は痛む。服も土だらけだ。それでも、思っていたほどのダメージは受けていない。
「……いや、なんで?」
違和感を覚える。あれだけの巨体だ。本気で殴られれば、腕どころか身体ごと吹き飛んでいてもおかしくない。なのに、こうして普通に立っている。
もしかして――物理攻撃は、そこまで強くないのか。
レーザーと違って、一撃必殺というほどの威力ではない。もちろん何発も食らえば終わるだろう。だが、耐えられない攻撃ではない。そう考えた瞬間、不思議と恐怖が少しだけ薄れた。まだ戦える。
小さく息を吐く。
だとしたら、大事なのは――気合いだ。一番分かりやすい理屈だった。
どっちみち俺は細かい作戦を立てるのは苦手だ。ゲームでも、結局最後はレベルを上げて正面突破するタイプだった。難しいことを考えるより、目の前へ突っ込んだ方が性に合っている。
「はあ、はあ……脳筋……上等、だね」
拳を握り締め、一気に駆け出す。ゴーレムとの距離が縮まる。しかし、今度はレーザーが飛んでこなかった。
「……?」
撃たない? 撃っても避けられるだけと判断したのか。次の瞬間、その答えが分かった。ゴーレムの両腕が霞むほどの速さで動く。
「はっ!?」
速い。巨体からは想像もできないほどの連続攻撃。右、左、右、左。咄嗟に腕で防ぐが、防ぎ切れるはずもない。拳が肩へ、腹へ、胸へ次々と叩き込まれ、最後の一撃で俺の身体は再び宙を舞った。
「ごはっ!」
地面を何度も転がり、砂埃が舞い上がる。息が苦しい。全身が悲鳴を上げている。それでも、不思議と意識ははっきりしていた。
「……これだけ殴られて……まだ耐えられるのか」
……このゴーレム、案外見かけ倒しなんじゃないか?
そんな失礼な感想が頭をよぎる。その直後だった。ゴーレムが突然こちらへ走り出した。
「え?」
ドスン、ドスン、と地面を揺らしながら突進してくる砂色の巨体。その光景は恐ろしいはずなのに、どこかシュールだった。全速力で走る岩の塊、という絵面がどうしても頭の中でコントみたいに変換されてしまう。
「そうか、走るのか……」
いや、感心している場合じゃない。あんな鉄の塊みたいな身体にタックルでもされたら、車へ跳ねられるのと大差ない。今度こそ洒落にならない。ゴーレムは勢いそのままに右腕を大きく振り抜く。巨大なラリアット。だが、さっきと同じように身体を沈めると、腕は俺の頭上を豪快に空振りしていった。首を上下へ動かせない。腕も高い位置を薙ぐだけ。しゃがめば当たらない。
……ボットか? じゃなかったらアホすぎだろ。
だがさっきの俊足を見た感じ、俺より足が速い。逃げ切れる気はしない。もっとも、逃げる気も最初からないのだが。
そんなことを考えていた時だった。視界の端、遺跡の奥の方で、何かが淡く輝いているのが見えた。
幸い、ゴーレムは勢い余って体勢を崩し、起き上がるのにもたついている。手足をばたつかせるその様は、まるで壊れたおもちゃのようで、とてもさっきまで俺を殺しにきていた化け物とは思えなかった。
「……何やってんの?」
思わず首を傾げる。想像よりもマヌケなゴーレムで助かった。今のうちだ。そんなことを考えながらも、俺は迷わず光の方へ駆け出した。
「これでただのゴミだったってオチなら……異世界生活は諦めて、日本で生きるか」
それすなわちクリュスを諦めるしかないということ。きちぃ。
走りながらそんなことを考えている自分に、我ながら大概だなと思う。近付くにつれて、その光の中心に黒い物体が見えてくる。そして、光がふっと消えた。
「……意味わからん」
地面へ落ちていたそれを拾い上げる。冷たい金属の感触。黒く細長い銃身。大きなスコープ。どう見ても狙撃銃。見覚えがある。テレビでも映画でも何度も見た。
「赤井秀一が使ってたやつじゃん」
厳密には同じ物かどうかなんて知らない。でも、俺の知識ではそれくらいしか例えようがなかった。
「……なんでこんなのがあるんだよ」
意味が分からない。異世界だぞ、ここ。剣と魔法の世界じゃなかったのか。ツッコミどころが多すぎる。だが、考える時間はなかった。
ゴーレムが再びこちらへ突進してくる。あと数メートル。
「頼む! クリュスがかかってるんだぁ!!」
使い方なんて知らない。狙撃銃なんて触ったこともない。安全装置がどこにあるのかも、弾が本当に入っているのかすら分からない。それでも、この重みだけが今の俺にとって唯一の希望だった。
両手で銃身を握りしめる。手汗で滑りそうになる感触を、無理やり指先へ力を込めて押さえつける。
「引き金引けばいいのか!? 弾入ってるのか!? セーフティとかあるんじゃないの!?」
焦る。距離はどんどん縮まる。
地響きが足の裏から伝わってくるたび、心臓が縮み上がるような感覚がした。銃を構える手が震える。
狙いなんてまともにつけられていない。ただ砂色の巨体へ銃口を向けているだけ、それだけで精一杯だった。
「ええい、ままよ!」
半ば自棄になって叫びながら、俺はゴーレムへ銃口を向け、そのまま勢いよく引き金を引いた。
轟音。鼓膜が破れそうな爆発音とともに、とてつもない反動が肩へ突き刺さる。まるで見えない何かに殴られたような衝撃だった。
「どわあっ!」
身体ごと後ろへ弾き飛ばされ、そのまま尻もちをついた。痛みで涙が滲む。肩の骨がどうにかなったんじゃないかと思うほどの痛みだったが、それでも意識は途切れなかった。
「いってぇ……」
肩を押さえながら、恐る恐る前を見る。
轟音の余韻でまだ耳がキンと鳴っている。視界の砂埃が晴れていくのを、息を止めて見守った。
「……え?」
思わず間の抜けた声が漏れた。目の前の光景が、一瞬理解できなかった。
「……ミラクル起きた」
ゴーレムの胸部に、人が一人通れそうなほどの大穴が開いていた。
砂色の身体は音もなく崩れ始める。さらさらと砂となり、風に溶けるように消えていく。
数秒後、そこには何も残っていなかった。静まり返った遺跡に立ち尽くしたまま、俺は呆然と呟く。
「……勝った?」
◇ ◇ ◇
見慣れた荒野を再び目にした瞬間、俺は奇妙な安堵と脱力感を同時に覚えていた。
乾いた風が頬を撫でる。ほんの数分前まで死ぬかもしれないと本気で思っていた場所とは思えないほど、この景色は静かだった。
「無事、死なずに済んで安心してございます、ってか」
誰に向けるでもない独り言を漏らしながら、俺は尻もちをついたまま右手に握った狙撃銃の銃口で地面をなぞる。意味もなく線を引き、丸を描き、文字になりかけた落書きを最後は靴底でぐしゃりと踏み潰した。
「あのタイミングで狙撃銃が落ちてるって……どんな確率なんすかね」
改めて黒い銃身へ視線を落とす。
重量感のあるそれは、俺が知る地球製の狙撃銃と見た目こそ変わらない。だが、原作を知っている俺だからこそ分かる。この武器はただの銃ではない。
おそらく――宝具。
マナ・マテリアルによって形作られた幻影は、通常の武器では倒せない。《嘆きの亡霊》の剣士、ルーク・サイコルの木刀はまた例外だ。あれはただルークが化け物なだけだ。俺のような素人が、あんな威力の一撃を偶然の産物として片付けていいはずがない。
「アレはどういう仕組みなんかね……また読み返すか」
呟く。まあ、当然ハンターなりたての地球出身の平凡な大学生だった裏野空にできることじゃないけど。
いくら【アレイン円柱遺跡群】が俺の知ってるただのレベル1宝物殿じゃないからってあのタイミングで宝具の出現は激アツすぎる。
「俺に限ってそんなことあるかねぇ」
俺は昔から運が悪い方だからな。運の悪さや間の悪さじゃ1、2を争う可哀想な人間だった男の目の前に都合よく宝具が転がっているなんて、普通に考えればあり得ない話だ。それでも今、この手には確かに狙撃銃がある。苦笑が漏れる。
だからこそ、これは運なんかじゃないと分かる。
「まあ……原因はもう分かってはいるんだが」
静かな荒野へ向かってそう呟く。あのゴーレムに連続パンチを受けた後くらいだったかな。頭の奥、意識の隅の方で、ずっと誰かに見られているような気配があった。息遣いまでは聞こえないのに、確かにそこにいる。
うまく言葉にできないけど、なんとなく気づいていた。
寂しん坊女神が見ていることに。
「助けてくれてありがとう……ソーラさん」
『………』
返事はない。けれど、少し間を置いてから頭の中へ小さな声が響いた。その沈黙だけで十分だった。
……やっぱりソーラさんの仕業か。いや、仕業って言い方は良くないか。
考えてみれば当然だ。スナイパーライフルなんて素人があんな一発で当てられるはずがない。狙いすらろくにつけていなかったし、そもそも反動でこっちが吹っ飛んだくらいなのに、弾は真っ直ぐゴーレムの急所らしき場所へ吸い込まれていった。
あんな都合のいい偶然、そう何度も起きてたまるか。知らんけど。
そんな事を考えながら、俺はソーラさんに聞いた。
「宝具とか生み出せるんすね」
『………いえ』
「え? じゃあアレはマジでたまたま?」
『……ち、違うんです……その……アレは……』
声が震えている。いつもの飄々とした口調が嘘みたいに、言葉を一つずつ手探りで探しているのが伝わってきた。何かを言おうとして、その度に飲み込んでいる。そんな沈黙が続く。
「……ゆっくりでいいっすよ」
急かす理由なんてない。俺は急かされるのが苦手だから、人を急かすのも好きじゃない。しばらくの沈黙のあと、ソーラさんはようやく口を開いた。
『……ごめんなさい……アレは元々、あなたがこの世界に転移する前に差し上げる宝具でした……それと……多少の身体強化も……』
「あーね」
思わず納得してしまった。パズルの最後のピースがかちりとはまるような感覚だった。転移前に渡すはずだった宝具。少ししか補正されなかった身体強化。全部、辻褄が合う。
「ゴーレムのバレットパンチに耐えられたのもソーラさんのおかげだったのか……」
あの時は「意外と弱いのか?」なんて都合よく考えていたが、そんな訳がない。あんな巨体の拳をまともに食らって、腕の一本も折れなかったこと自体がそもそもおかしかったのだ。ただ俺が助けられていただけだ。
それだけの話だった。分かってしまえば、なんてことはない。
『……本当にごめんなさい……わ、私が……あなたに……何もしなかった……せいで、あなたは死にかけて』
「いや別に死にかけてはないですよ」
反射的にそう返す。想像よりも割と呆気なかった。正確にはソーラさんがいなければ死にかけていた。ていうか死んでいた。俺が気付いていなかっただけで、あと一歩間違えば終わっていた。
それでも、ここでソーラさんに「そうですね」とは言えなかった。
「謝るなら俺の方でしょ。勝手に日本へ戻ったのは俺なんですから。ソーラさんが謝ることなんか――」
『違うんです!!』
珍しく、ソーラの声が大きく響いた。その必死さに、俺は言葉を飲み込む。
『……私は……わざと……全部は渡さなかったんです……宝具も……補正だって……ほんの少ししか……』
「いいよ」
『……え?』
「分かってるから」
たぶん、理由は聞かなくても分かる。俺は少し笑って空を見上げた。
「だって……ソーラさんは俺にそっくりだからね」
ソーラさんは女神だが、中身は驚くほど人間臭い。寂しがりで、自信がなくて、人との距離感が下手で、それでも誰かと一緒にいたいと思っている。そんなところまで、俺によく似ている。
俺の経験則で言わせてもらうと、変人は避けられる宿命にある。自分の元に残ってくれる人間はいない。嫌われているのだと自覚し、仕方がないと諦める。
別に転移者に非がある訳じゃない。そもそもいきなり異世界とか言われるのは誰だってキツいし、ソーラさんタイプの人には割と強気にも出れる。転生させているのがソーラさん本人なら恨みもあるかもしれない。
……でも、ソーラさんはずっと好かれたがっていた。
そんなの一緒にいたら分かるだろうに。ソーラさんは一見、自分のことばかり考えているように見えて、実際は相手のことを考えている時間の方がずっと多い、ただの不器用な優しい女神だ。
それなのに、自分と普通に接してくれる人間がいなかった。
……俺以外はね。
つまり、何が言いたいのかというと――、
「俺に宝具も力も渡さなかったのは、きっと――日本に帰れると知ったら、もう戻ってこないと思ったからでしょ?」
『……うぅ……ごめんなさい』
……今日は良く泣く日だね、ソーラさん。
あの時は気づかなかったが、ソーラさんは俺と離れる気満々だったのかもしれない。俺が「異世界召喚ものって、思ったよりキツイんだなぁ」って分かった辺りに、急に振ってきた話題だったし。
きっと今までもずっとそうだったんだろう。俺が日本に帰れると知れば帰りたがると、最初から決めてかかっていたのかもしれない。
デリカシーのないことをズケズケ言ってくるソーラさんの普段の態度も、もしかしたら――情が湧きすぎないように、わざとそう振る舞っていただけなのかもね。
……そう考えると、ソーラさんは何も悪くないと思うんだけど、違うかな。
これは俺の勝手な解釈だ。都合よく分かった気になってるだけかもしれない。
まあ正直言うと、理由なんてどうでもいいんだよね。
俺はソーラさんに感謝している。ここに連れて来てくれたことに、俺を見捨てないでいてくれたことに。
「……でもさ……俺もソーラさんも、もう少しだけ成長しないとね」
似ているからこそ、このままじゃ駄目だと思う。お互い、大事なことをちゃんと言葉にしないまま、勝手に一人で抱え込んで、勝手に一人で諦める。そういうところが、嫌になるくらいそっくりだ。
だからこそ変わりたい――俺一人じゃなく、二人で。
「まあ……俺はもう、このままソーラさんが隣にいてくれるなら、それでもいいかなって思ってるけど」
言ってしまってから、少し照れくさくなった。柄でもないことを口にしている自覚はある。それでも、今はこの気持ちを誤魔化したくなかった。
その言葉に、ソーラは息を呑んだ。頭の中に、小さく詰まった空気の音が伝わってくる。
『………いてくれるんですか?……こんな、自分勝手な私と』
「いるよ……約束する」
迷う理由が、そもそもどこにもなかった。頭で考えるより先に、口が勝手に動いていたような気さえする。
ソーラさんと出会う前の俺なら、こんな返事は絶対にできなかっただろう。誰かに必要とされることも、誰かを必要とすることも、怖くて仕方がなかったから。
でも今は違う。この即答こそが、俺なりの答えだった。
「ソーラさんは俺を救ってくれた。だから今度は俺が何か返したい。ただ一緒に話して、遊んで、笑って、そうやって生きていく……そんな事で良いならお安いご用だよ」
返事はなかった。代わりに、小さく鼻をすする音だけが聞こえる。
「……ソーラさん、泣きすぎ」
『……そう、ですね』
声は笑っていた。姿は見えない。それでも今の彼女は、きっと穏やかな顔をしているのだろう。
荒野に一人でいるはずなのに、隣に誰かがいるような、そんな不思議な安心感があった。
『……あの、ウラノ』
「なんですか?」
急に名前で呼ばれて、少しだけ心臓が跳ねる。いつも呼ばれてるはずなんだけどな。
改めて呼ばれると、こそばゆいような、落ち着かないような、変な感覚だ。
『もし……よければなんですが……その……ソーラさんじゃなくて、呼び捨てで……あと、敬語も……』
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭に一つの可能性が浮かんだ。距離を縮めたい、もっと踏み込んだ関係でいたい。そう言われているような気がして、思考が一瞬止まる。
……いや、さすがに違うか? でも、この流れは。
深読みしすぎだと分かっていても、一度浮かんだ疑念は簡単には消えてくれない。
「………ソーラさんってさ」
『…はい?』
妙に緊張した声だった。心なしか、頭の中に響く声のトーンまで一段高くなっている気がする。こっちまで釣られて、喉の奥が渇いた。
「……俺に気、あったりします?」
『……え?』
一瞬、完全な無音が流れた。頭の中の声が止まる、というのも初めての体験だった。沈黙の重さが、いつも饒舌なソーラさんらしくなくて、逆に何かを確信させる。
「俺に! 恋愛感情持ってますね!?」
『な、なっ……!?』
言い切った瞬間、心臓が跳ねた。答えを聞くのが少し怖くなって、それでも今さら引っ込めるわけにもいかない。自分で聞いておきながら、こっちまで恥ずかしくなってきた。ダメージがそのまま返ってくるようだ。でも、ここは曖昧にしたくない。
……俺はクリュスが好きだ。そこだけは、絶対に曲げたくない。
『そ、そ、そ、そういうのとは違いますっ! な、何言ってるんですか! これだから陰キャはすぐ勘違いして! もう、本当に……!』
早口でまくし立てられて、思わず口元が緩む。動揺すればするほど早口になるのは、俺と同じ悪い癖だ。図星を突かれた人間特有の慌てぶりに、こっちの緊張までいつの間にか解けていた。
……からかい甲斐がありすぎる。
「俺はソーラさん好きですけどね。可愛いし」
『ッ!?』
頭の中で息を呑む音がはっきりと聞こえた気がした。
普段はあれだけ好き放題に俺を振り回しておいて、いざ自分が言われる側になると途端に弱いらしい。分かっていて言った意地悪だが、ここまで効くとは思わなかった。
「こんなに相性いいと思った人、他にいませんし」
『ッ!? うぅ……ふー、ふーっ!』
完全にオーバーヒートしている。
俺=ソーラさんという認識だったが、恋愛においては違うのかもしれない。俺は気になってる相手にはとりあえず話しかけて覚えてもらうタイプだ。話しかけたりご飯に誘ったりして脈アリそうならいく。待っていても確実に来ないからな。自分から行って振られて落ち込んで帰ってくる方が、まだ性に合っている。
俺は「いやでも、やっぱり違うのかな」と首を傾げながらも、その反応を見て少しだけ笑ってしまった。
普段は俺を振り回してくるソーラさんだが、どうやら自分が振り回される側になると、とことん弱いらしい。
……この反応は、正直かわいい。
自己評価の低い俺は、人をからかうことなんて滅多にない。けれど、ソーラさんだけは別だった。なぜだろう。似た者同士だからか、それとも気を遣わなくていい相手だからか。
少なくとも、今この瞬間だけは、心の底から楽しかった。
その後、調子に乗ってからかい続けた結果、俺は人生で一番長い説教を受けることになるのだが、それはまた別の話である。