帝都ゼブルディアへ戻ってから探協へ向かう道すがら、俺は何度かソーラに話しかけてみた。
別に「しばらく話しかけないでください」という言葉を無視したわけではない。俺だってそれくらいの空気は読める。ただ、あれからずっと黙ったままというのも落ち着かなかったのだ。さっきまであれだけ頭の中で騒いでいた声が聞こえない。それだけで妙に静かに感じる。
帝都に戻れば人通りも増え、露店からは客を呼び込む声が飛び交い、荷馬車が石畳を鳴らしながら行き交っているというのに、俺の頭の中だけが不自然なくらい静かだった。
だからまあ、なんというか——普通に、寂しい。
結局、耐えられなくなった俺から話しかけることになった。
(……ソーラ)
『…………』
(まだ怒ってる?)
『…………』
返事はない。ただ、完全に接続を切られたわけではないような気がする。根拠はないが、なんとなく聞かれている感じがするのだ。
さっきも「三日くらい経てば」なんて考えた瞬間に反応していたし、たぶん今も聞こえている。だったら、ちゃんと原因を突き止めた方がいい。
俺は歩きながら、先ほどのやり取りを頭の中でもう一度整理してみる。
俺は『創星界』のあまりの戦力差に絶望して、「もう一生ここで暮らさない?」とソーラに提案した。それからイザベラたちとすれ違い、少し時間が経ってからソーラがその話を蒸し返してきた。そこで俺は、自分の発言がソーラとの約束を投げ出すようなものだったと気づき、謝って撤回した。すると、何故かさらに怒られた。
……うん。やっぱり意味が分からない。
でも、今になって一つだけ思い当たることがあった。
(……つまり、こういうこと?)
返事はない。それでも構わず続ける。
(俺が完結を諦めるようなこと言ったから怒ったんじゃなくて……ソーラと一生ここにいるって言ったのを取り消したから怒ってるんだね?)
『…………そうです』
返事きた。思ったよりあっさり白状したな。しかも声が露骨に不機嫌だった。
いつもの澄ました口調はどこへやら、拗ねて頬でも膨らませていそうな声音である。なるほど。ようやく話が見えてきた。
つまりソーラは、俺がこの世界で一生暮らすと言ったこと自体は嬉しかったらしい。それを俺が勝手に勘違いして、「やっぱりやめる」と撤回したものだから怒ったわけだ。
……いや、待てよ。
(なるほど……でも、完結させてって頼んだのはソーラだよね?)
『ぐっ……』
頭の中から、明らかに図星を突かれた人間の声が聞こえてきて思わず口元が緩む。
そうだよね? 俺が『創星界』との戦いを全部放り投げて、帝都で適当に依頼をこなしながらのんびり余生を送るなんて、ソーラが望んでいた物語とは正反対のはずだ。
それなのに、俺が「一生ここで暮らそう」と言えば嬉しい。でも、それを撤回すると怒る。
……面倒くさいな、この女神。
『それとこれとは話が違いますぅ』
明らかに苦し紛れだった。さっきまでの怒った声とは違い、語尾まで子供っぽくなっている。理屈では自分でもおかしいと分かっているけれど、それでも納得できない。そんな感情が声だけで嫌というほど伝わってきた。
そして、それを聞いた瞬間。
(リアクションがいちいち可愛い)
『…………』
しまった。思った直後に気づいた。
(あ、全部聞こえてんだっけ……)
『…………』
再び沈黙。だが、さっきまでの刺々しい沈黙とは少し違う気がした。怒っているというより、今度は何を返せばいいのか分からなくなって黙っているような——そんな気配がする。
姿が見えないから確かめようもないけれど、なんとなく顔を赤くしているような気がして、余計におかしくなった。
(……ソーラ?)
『知りません』
(まだ怒ってる?)
『知りません』
(じゃあ、今日もちゃんと話しかけるから許してよ)
『…………毎日です』
(はいはい、毎日ね)
『二回。毎日二回は必ずです』
(増えた!?)
いつの間にか罰まで追加されていた。理不尽だと思う。
思うけれど、ようやくいつもの調子が戻ってきたことに少しだけ安心している自分もいた。
結局、俺はソーラの機嫌を取るためにくだらない話を続けながら、大通りを歩いていった。
しばらくすると、見覚えのある大きな建物が人混みの向こうから姿を現す。
探索者協会——通称、探協。
初めてここへ来た時は、右も左も分からない一文無しだった。
受付で何を聞かれるのかすら分からず、周囲のハンターを見ては勝手にビビっていた記憶がある。あれからまだ大して時間は経っていない。
それなのに、随分と久しぶりに戻ってきたような気がした。
俺は肩に担いだ黒い長銃を軽く持ち直す。金もない。知識もない。ハンターとしての経験もほとんどない。でも、来た時とは違って、一応武器はある。ほんの少しだけ強くもなった。そして何より——やるべきことがある。
(……じゃ、行きますか)
『はい!』
ようやく機嫌を直したらしいソーラの声を聞きながら、俺は探協の扉へ手をかけた。
◇ ◇ ◇
探協の扉を開けると、いつもと変わらない喧騒が俺を出迎えた。
依頼を探すハンターたちの話し声に、受付嬢を呼ぶ声。掲示板の前には相変わらず人だかりができていて、装備を身につけた連中が我先にと依頼書を物色している。ここへ来るのは数日ぶりのはずなのに、随分と懐かしく感じた。とりあえずクロエさんを探そう。
そう思って受付の方へ視線を向け——すぐに見つけた。ただし、少々面倒そうな状況で。
「……何あれ」
見覚えのある受付嬢——クロエさんを取り囲むようにして、数人の男たちが立っている。どいつもこいつも堅気には見えない。
ハンターなんだから当たり前かもしれないが、揃いも揃って人相が悪く、傍から見れば完全にチンピラの集団だった。
中でも目を引くのは、その中心にいる大男だ。金髪に鍛え上げられた巨体。立っているだけなのに周囲を威圧するような雰囲気があり、素人の俺でも一目で分かる。絶対強い。できることなら関わりたくないタイプの人間だ。目が合っただけで反射的に謝ってしまいそうな迫力がある。
……でも、なんだろう。どこかで見たことが——。
「嬢ちゃん。馬鹿にするのもその辺にしといた方がいいぜ。アーノルドさんは寛容だが、それにも限度がある。分かるだろ?」
大男の隣に立っていた男が、受付台へ片手をついてクロエさんを睨みつける。
「そんな……馬鹿にしているわけではありません。そう感じたのならばごめんなさい」
クロエさんは困ったように眉を下げている。それを見て、ようやく記憶が繋がった。
……あれ? この人たち、知ってるぞ。いや、知っているどころじゃない。
金髪の大男へ改めて視線を向ける。アーノルド・ヘイル。そして今クロエさんを恫喝しているのは、その右腕のエイ。となれば、この光景にも覚えがある。
(……ソーラ。あれって)
『そうですね! 多分、酒場でリィズに昏倒させられた後のシーンです! やはり今は第三章! オークション! オークション編です!』
頭の中に響いた声は、さっきまで拗ねていた女神と同一人物とは思えないほど弾んでいた。このテンションにも随分慣れてきたな。それどころか、ソーラが楽しそうにしていると、こっちまで楽しくなってくる。
生きててよかった。ソーラと一緒に原作の展開を見て、知っているキャラクターを見つけて、くだらないことを言い合う。それだけのことなのに、昨日、自分の人生を終わらせようとしていたことが、まるで遠い昔の出来事のように思えた。
(……あの日、諦めなくてよかった)
『……へ?』
しまった。考えた瞬間にはもう遅かった。ソーラには俺の心の声が全部聞こえるんだった。
(いや……ラノベで読んだあのシーンが生で見られるなんてなぁって)
我ながら苦しい誤魔化し方だった。けれど、ソーラはそれ以上追及してこなかった。
『ふふっ、そんなの当たり前です! だってここは『嘆き』の世界なんですから!』
どこか誇らしげな声。その言葉を聞いた瞬間だった。頭の中で、何かが繋がった。
(……そうだ)
『?』
ここは『嘆きの亡霊は引退したい』の世界だ。正確に言えば、ソーラが作った二次創作の世界らしいけど。
そして俺は、この物語を面白くしてほしいと頼まれている。今までの俺は、ずっと原作の外側にいた。知っているキャラクターを見つければ喜び、原作の展開が起これば遠くから眺める。イザベラとユウを見つけた時だって、結局日和って話しかけられなかった。
だけど、それじゃあ、何も変わらない。
そこまで考えて、ふと気づく。今、アーノルドが求めているのはたった一つ——自分を叩きのめした相手の名前だ。
それを俺は知っている。原作を読んだから、という理由だけで。ただの読者に過ぎなかった俺が、初めてこの物語に対して持っている、唯一で最大の武器。
だったら、使わない手はない。
(ソーラ)
『はい?』
(これはチャンスだ)
『……何がです?』
俺は肩に担いでいた狙撃銃を下ろし、両手で握り直した。冷たい金属の感触が掌へ伝わってくる。
(俺とソーラの物語を面白くする……絶好の機会だってことさ!)
『…………はい?』
我ながら何を格好つけているんだろうと思う。でも、不思議と悪い気はしなかった。
昨日までなら、絶対にこんなことは考えなかっただろう。目立つことは避けたい。面倒事には関わりたくない。怖い人間がいたら視線を合わせない。それが俺だった。
今だって、その本質が変わったわけじゃない。怖いものは怖い。
それでも——少しくらいなら、自分から物語へ踏み込んでみてもいい気がした。
それに、こっちの方が面白そうで、ちょっとワクワクする。
「実はアーノルドさん達が衝突したのは、この帝都でもよく知られたハンターなんですが……苦情の常習犯なんです」
クロエさんが困ったように説明する。その言葉を聞いたアーノルドは、しばらく無言で彼女を見下ろしていた。
「…………名を聞きに来た」
低く、腹の底まで響くような声だった。その声を聞いた瞬間、さっきまでの勢いが少しだけ萎んだ。
……やっぱ怖いな、この人。会うのはいつぶりだろう。
異世界へ来てまだ何も分からなかった頃、俺が手当たり次第に強そうな人間へ声をかけていた時に一度だけ会った。
この世界で過ごした時間を考えれば、別に大して久しぶりでもない。それなのに、あの頃よりもずっと大きく見える。
たぶん、俺がこの世界を少しだけ知ったからだ。レベル7。その数字がどれほど遠いものなのか、今なら以前より分かる。
足が止まりそうになる。怖い。昨日、ゴーレムに立ち向かった。ソーラに助けられながら、それでも最後まで逃げずに戦って、どうにか勝った。あれで少しくらい変われたと思っていた。
でも、そんな都合よく人間が生まれ変われるわけじゃない。少し皮が剥けた程度でやっていけるほど、この世界は甘くない。根っこの部分は何も変わっていない。
これから先だって、変われないかもしれない。分かってる。
それでも——まあ、いいか。
俺一人だったら、きっとまた逃げていた。
でも今は、一人じゃない。ソーラがいる。俺が馬鹿なことをすれば呆れて、情けないことをすれば笑って、死にそうになれば心配してくれる。
だったら、もうそれでいい。格好悪くても、怖くても。
今はただ——ソーラのはしゃいでいる声が聞きたい。
俺は息を一度だけ深く吸うと、アーノルドたちへ向かって歩き出した。一歩。また一歩。近づくたびに威圧感が増していく。
今すぐ踵を返したくなる自分を無視して、俺はとうとうアーノルドの背後まで辿り着いた。
心臓がうるさい。手も少し震えている。それでも、声だけは震わせないようにした。
そして、まるで最初から何も恐れていなかったかのように、できる限り自信満々な声で告げる。
「影すら残さぬ神速。《絶影》——リィズ・スマートだ」
空気が止まった。アーノルドが振り返る。エイも。その後ろにいた仲間たちも。受付のクロエさんまで、揃ってこちらを見た。
『ええええええええええええええええええっ!?』
(テンション高いよ。てか、うるさい)
『だ、だってぇ……あの陰キャのウラノが……!』
(……こっちだって死ぬほど緊張してるよ)
でも、ここまで来てしまえば後には引けない。
俺は狙撃銃を肩へ預け直すと、真正面からアーノルドを見上げた。
逃げたい。めちゃくちゃ逃げたい。それでも、その気持ちを全部腹の奥へ押し込めて、少しだけ口元を上げる。
「それが、あの跳ねっ返り娘の名前だよ。アーノルドさん」
来月までには何話か投稿できればと思います。