「ウ、ウラノさん!?」
真っ先に声を上げたのはクロエさんだった。
普段はどんなハンターにも穏やかな笑顔で応対する受付嬢が、今は目を丸くしてこちらを見ている。そりゃそうだろう。ついこの間まで薬草を摘んでは小銭を数えていたレベル1ハンターが、帝都のど真ん中でレベル7の大物に向かって、妙に偉そうな口を利いたのだ。
俺だって逆の立場なら驚く。いや、そんな新人を見つけたら、まず距離を取ると思う。絶対に面倒事を起こすタイプだからだ。
……待てよ。
その面倒事を起こしている新人、俺じゃないか。
あれだけ勇気を振り絞っておいて、三秒後にこの後悔。人生最速の黒歴史が誕生した瞬間である。
「……貴様、何者だ?」
アーノルドさんが、ゆっくりとこちらへ身体を向けた。
たったそれだけの動作なのに、周囲の空気が一段重くなった気がした。大柄な身体に、歴戦のハンター特有の迫力。見下ろしてくる眼光など、もはや視線というより鈍器である。殴られてもいないのに心臓が痛い。
(ひっ……! え、待って。さっきまで遠目で見てたときより三割増しくらい怖くない!? 距離で威力が変わるタイプ!?)
『ウ、ウラノ! 落ち着いてください!』
(ソーラ、今なら謝罪会見と土下座、どっちが効果的かな!?)
『選択肢が両方とも敗北してません!?』
(勝てる選択肢があるなら教えてよ!)
『そもそも、どうして話しかけたんですか!』
(それは俺が一番聞きたい! 三秒前の俺を呼んでこい!)
『三秒前のウラノも同じこと言いそうですけど!』
ひどい言われようだったが、否定できなかった。
つい数秒前の俺は、どうやら物語の主人公になったつもりだったらしい。「あの跳ねっ返り娘の名前だよ」なんて、言ってみれば格好いい台詞じゃないか。少なくとも脳内ではそうだった。脳内では。
現実は違う。目の前にいるのは、原作の登場人物である以前に、俺を片手で放り投げられそうな大男だ。しかも、つい最近リィズ・スマートに叩きのめされ、相当ご機嫌斜めときている。
今から「先ほどの発言は取り消します」と言えば許してもらえるだろうか。取り消したところで、アーノルドさんの耳から言葉が消えるわけではないけれど。
……いや、いっそ記憶喪失を装う?
駄目だ。怪我ひとつしていないのに記憶だけ失ったら、ますます怪しい。そもそも十秒前の発言を忘れる成人男性なんて、それはそれで病院へ連れていかれる。
「……ん? お前、どっかで見たことあるな」
俺が心の中で謝罪の文章を組み立てていると、アーノルドさんの隣に立っていた男が顔を覗き込んできた。
エイさんだ。《
「……ああ! 思い出した! お前、この前アーノルドさんに声かけてきた奴だろ!」
「えっ、覚えてたんですか!?」
思わず素で返してしまった。
いや、確かに一度だけ会っている。異世界へ来てまだ原作の知識もなかった頃、強くなる方法を教えてもらおうと、道行くハンターに片っ端から目を向けていた。そのとき、いかにも強そうなアーノルドさんを見つけて声をかけたのである。
結果は「忙しい」の一言。あっさり断られた。
あちらにしてみれば、旅先で声をかけてきた見知らぬ若者の一人だろう。覚えていてくれたのは素直に嬉しい。小さな感動である。
……待てよ。俺、もしかして「変な新人」として記憶されてない?
嬉しさが早くも半減した。
「確か、ハンターになったばかりだとか言ってたよな?」
「は、はい! あのときはお忙しいところ、どうも……」
「ははっ。妙なところで再会したもんだな。で、その新人さんが《絶影》の名前を知ってるってわけか」
エイさんは少し意外そうだったが、それ以上は気にしていない様子だった。
……あれ? 案外普通の反応だな。
まあ、よく考えれば当たり前か。《絶影》リィズ・スマートは、帝都でも名の知れたレベル6ハンターである。ハンターになったばかりの俺だって、噂くらい耳にしていて不思議ではない。
よかった。世の中、意外と何とかなるものだ。
……こういうことを考えた直後に限って、大抵ろくな目に遭わないのだが。
「……貴様」
「はいっ!?」
アーノルドさんの低い声に、思わず背筋が伸びた。
「なぜ、あの女だと分かった?」
……あ。
そっちか。
名前を知っていることと、アーノルドさんたちを叩きのめした犯人がリィズだと知っていることは、まったく別の話である。しかも、俺は妙に自信満々な態度で言い切ってしまった。
なるほど。聞かれているのは知識の出どころじゃなく、推理の根拠か。
……推理なんてしてないんですけど!?
(ソーラ、助けて!)
『任せてください! まずは堂々と胸を張って――』
(おっ、何かある!?)
『「私の勘です」と!』
(それ、今一番言っちゃ駄目なやつ!)
『でも、主人公っぽくないですか?』
(確かにね! でも、ここで最終回を迎えることになるよ!? いいの!?)
女神様は俺の人生を何だと思っているのだろう。いや、物語だと思っているのは知っている。でも登場人物にも安全管理というものが必要なんですよ。ソーラさん。
アーノルドさんは黙ったまま俺を見下ろしている。急かしてこないのが逆に怖い。何か答えなければと思えば思うほど、頭の中が真っ白になっていく。
このままではまずい。
原作を読んだから知ってます、なんて言えるはずがない。そんな説明をした日には、頭のおかしい新人ハンターとして探協の要注意人物一覧に載せられそうだ。もう載っている可能性はあるが、まだ希望は捨てたくない。
(もう主人公っぽさはいいから! 普通に納得してもらえる理由ない!?)
『あっ! クロエさんです! さっきの説明を使うんですよ!』
(……ああ!)
そうだ。それならいけるかもしれない。ようやくまともな助言が出てきた。さっきの「勘です」は忘れよう。女神だって失言くらいする。俺はこの数分で、既に一生分くらい失言しているし。
「い、いや、その……さっきクロエさんが言ってたじゃないですか。帝都でも有名で、苦情の常習犯だって」
「…………」
「それを聞いて、《絶影》のことかなって思ったんです。ほら、あの人、色々と有名ですし……」
我ながら悪くない言い訳だと思う。
事実、リィズは有名だし、問題を起こしそうな人物でもある。そこから彼女を連想したという説明なら、一応筋は通る。何より、俺は今のところ嘘らしい嘘をついていない。
……推測だったくせに断言したことを除けば。
「……勘で言ったのか」
うっ。
「ま、まあ……そういうことになりますね」
「随分と自信ありげだったな」
「そ、それは……ちょっと格好つけたかったというか……」
言ってから気づいた。
あ、これ言わなくていいやつだ。
相手はレベル7のハンターである。その人を前にして「格好つけたかった」と正直に告白してどうする。別に恋愛相談をしているわけじゃないんだぞ。
『…………ぷっ』
(笑ったな!?)
『い、いえ。私は今、ウラノの勇気に感動して……ふふっ』
(どの部分に感動したんだよ!)
『わざわざ自分で格好悪くなる勇気って、なかなか出ませんから!』
(出したくて出した勇気じゃない!)
こっちは命懸けである。なのに女神様の方は、すっかり観客席の気分らしい。せめて笑うなら、俺が無事に帰ってからにしてほしい。いや、無事に帰ったあとでも嫌だけど。
アーノルドさんはしばらく無言で俺を見つめ、やがて短く鼻を鳴らした。
「……ふん」
……えっ。
終わり? これで終わり?
……許された? 今ので?
何だろう。答案用紙を白紙で出したのに、先生が黙って見逃してくれたような気分だ。点数はもちろんゼロだろう。でも退学にはならなかった。今はそれで十分である。
生存。それは何物にも代え難い勝利だ。
「で、嬢ちゃん。肝心のその女は今どこにいるんだ?」
エイさんが受付へ向き直った。
あ、話が進んだ。よかった。ようやく俺の出番が終わったらしい。
「それが……リィズさんは、既に帝都を離れたと聞いています。ただ、行き先までは分からなくて……」
クロエさんが申し訳なさそうに眉を下げる。これ以上詳しいことは分からないのだろう。
「……何?」
アーノルドさんの眉間に、深い皺が刻まれた。
……うわ、怖っ。
俺に向けられたわけでもないのに、なぜか肩がすくむ。何なんだろう、この巻き添えを食っている感じ。レベル7の威圧感って、対象を指定できない範囲攻撃なのかもしれない。そうだとしたら、隣に立って平然としているエイさんは大したものだ。職業柄、耐性でも身についたのだろうか。
しかし、帝都を出たのか、リィズ。
原作では確か、【
けれど、この世界では肝心のクライが行方不明になっている。
それはクロエさんから聞いた話だ。ソーラによれば、原作に出てこない《
……原作を十四巻も読んだのに、一番知りたいところが試験範囲外である。
いや、どんな試験だよ。そもそも命懸けの実技試験なんて聞いてないぞ。
(……ソーラ)
『はい?』
(リィズって、今どこにいると思う?)
『うーん……【万魔の城】でしょうか?』
(やっぱり、そこかぁ。でも原作だと途中で帰ってきてたじゃん。また戻ったってこと?)
『可能性はあります。ただ……今の展開は、私が読んだ話とも違いますから』
(……ああ、ソーラが読んだ二次創作の方ね)
『はい。だから、クライさんがいなくなった後のことまでは分かりません』
(そこだけは女神でもお手上げか……)
『女神にも不得意分野くらいあります!』
(得意分野が物語の感想なのは知ってる)
『もっと他にもありますぅ!』
反論する声が妙に子供っぽかった。こんな状況で少し笑いそうになってしまったが、今は笑っている場合ではない。
あの人はクライのこととなると、とことん常識が通じなくなる。クライが行方不明の今、どこで何をしていてもおかしくない気がする。いや、だからこそ余計に分からないんだけど。
(……これ、黙って見送った方がよくない?)
『ええっ!? せっかく自分から物語に関わったのに、ここで撤退ですか!?』
(情報提供ってさ、外したときの補償までセットなの? あの人に後から詰められたら俺、たぶん泣くよ)
『大丈夫ですよ! 私がついています!』
(じゃあ、何かあったら代わりに謝ってくれる?)
『……心の中から、誠心誠意応援します!』
(出てこいよ!!)
見えないところから声援を送るだけなら、俺の大学時代の友人でもできそうである。いや、こんな場面に友人を連れてきたら絶対に怒られるけど。何せ相手は《豪雷破閃》だ。心の中の謝罪会見では済まないかもしれない。
とはいえ、ソーラの言うことも分からなくはない。アーノルドさんたちは《絶影》を探している。そして俺には、その行き先について一応心当たりがある。間違っているかもしれないが、黙って見送るのも何となく後味が悪い。
ただ、相手は自分を叩きのめした女を追いかけようとしているのだ。良かれと思って話した情報のせいで、取り返しのつかないことになったら笑えない。
……うん。せめて、推測だということだけは強調しておこう。
「あ、あの……」
恐る恐る口を開く。
すると、アーノルドさん、エイさん、クロエさん、そして後ろに控えていた男たちまで、揃ってこちらを向いた。
だから! 全員で見ないでほしい!
大学の講義で教授に指名されたときですら、もう少し気楽だったぞ。あのときは「分かりません」で済んだ。今は「分かりません」と答えたあとに、なぜ分からないのかを尋問されそうである。勘弁してください。俺、まだ初級講座の受講生なんです。
「……何だ」
「あ、いえ……居場所について、心当たりがなくもないというか……」
「……言え」
短い。
アーノルドさんの発言、いつも短い。もっとこう、会話の前に世間話とかないんですかね。「今日はいい天気だな」とか。まあ、この顔で天気の話をされたところで、俺は「はい、申し訳ありません」と返してしまいそうだけど。
「もちろん、確かな情報じゃないですよ? 違ってても怒らないでくださいね?」
「……早くしろ」
「はいっ!」
反射的に返事をした。悲しいほど身体に染みついた下っ端根性である。
「……【万魔の城】です」
その名を聞いたエイさんが、わずかに目を細めた。
「【万魔の城】? 確か、レベル8の宝物殿だったか」
「は、はい。以前、《絶影》がそこの攻略に関わっていたと……聞いたことがありまして」
聞いたことがある。
厳密には、日本で原作小説を読んだことがある。
情報源を聞かれたら終わりだ。「本屋で買ったラノベです」と言って通じる世界ではない。まして「異世界に転生する前に十四巻読みました」なんて説明した日には、アーノルドさんより先にクロエさんが医者を呼んでくれそうだ。
頼む。俺の情報網については、そっとしておいてほしい。大した網でもない。穴だらけである。
「でも、今もそこにいるかどうかは分かりません。あくまで候補の一つです」
最後に付け足す。
よし。これなら大丈夫だろう。大丈夫であってくれ。
エイさんは少し考えるように顎へ手をやった。
「なるほどな。あの女の腕なら、そんな場所に出入りしてても不思議じゃねえ。……とはいえ、いきなりレベル8に突っ込むわけにもいかねえか」
そうですよね!
レベル8である。数字だけ見れば、レベル7とはたった一つ違う。だが、俺とレベル2の差と同じ感覚で考えてはいけない。あそこにいるのは、数字の後ろに山ほど死線を積み上げたような人たちだ。
……いや、怖いな。もし本当に向かったら、俺がきっかけを作ったことになるんだよな。今さらながら胃が痛くなってきた。
「裏を取るぞ、エイ」
「了解です、アーノルドさん。ま、あてが一つできただけでも上等でしょう」
アーノルドさんは俺を一度だけ見た。
視線が合う。
それだけで背筋に冷たいものが走った。何か言われるのかと身構えたが、結局、彼は何も言わずに踵を返す。
「行くぞ」
「はいよ。……じゃあな、兄ちゃん。情報、ありがとな」
「あ、はい! お気をつけて!」
俺の声が少々裏返っていたのは、きっと気のせいだ。
エイさんは軽く手を上げ、アーノルドさんの後を追う。残りの男たちもぞろぞろと続き、やがて大きな扉の向こうへ姿を消した。
……終わった。
今度こそ、本当に終わった。
俺は長く息を吐いた。いつの間にか肩に力が入っていたらしく、狙撃銃の重みが急にずしりと感じられる。近くにいたハンターたちも、ようやくいつもの調子で話し始めた。どうやら緊張していたのは俺だけではなかったらしい。
(……生還した)
『お疲れ様でした、ウラノ!』
(ちょっと待って。今、人生で一番長い五分間だったかもしれない)
『五分も経ってないと思いますけど』
(体感では三年だよ。俺の精神年齢、今ので二十三歳になった)
『二十歳から三つしか増えてないじゃないですか!』
(成長が遅いんだよ!)
アーノルド・ヘイル。あの《豪雷破閃》のアーノルドさんと、俺は今、会話をしたのだ。単に声をかけただけじゃない。情報を渡して、少しだけ感謝もされた。
……少しだけ、ね。
そもそもアーノルドさん本人からは、感謝の言葉どころか笑顔すらもらっていない。覚えてもらえたかどうかも怪しい。そこはエイさんに期待するしかないだろう。
『でも、最初に声をかけたときのウラノ、ちょっと格好よかったですよ!』
(……本当?)
『はい! 台詞だけ聞けば、堂々たる強キャラの登場シーンでした!』
(台詞だけって何!?)
『心の声を聞いたら、ずっと帰りたがってましたけど!』
(そこまで聞いてて褒められるの、逆にすごいな!?)
『私は全部聞こえますからね。ウラノの勇気も、情けなさも、格好つけたかった気持ちも!』
(最後のだけ記憶から消してくれない?)
『できません! お気に入りなので!』
(何のお気に入りだよ!)
頭の中で楽しそうな笑い声が弾ける。
……まあ、いいか。
ソーラがこんなに喜んでくれたのだから、恥をかいた甲斐もあったというものだ。さっき格好つけた俺にも、少しは報われる権利があるだろう。
なんて思っていた、そのときだった。
「……あの、ウラノさん?」
「……はい?」
受付の向こうでは、クロエさんがこちらを見つめていた。
そうだった。
アーノルドさんたちが怖すぎて忘れていたが、俺はそもそもクロエさんに用があって探協へ来たのだ。そして、そのクロエさんには今の一部始終を見られている。
……これ、まだ終わってないやつだ。
「ウラノさん、びっくりしましたよ。突然あんなふうに話しかけるんですから」
「あ、あはは……すみません」
「前にもアーノルドさんに声をかけたって、お話ししてくださいましたよね? あのときは断られてしまったって」
「ああ……はい。覚えてたんですね」
「もちろんです。あれだけ有名な方に、まだ登録したばかりのウラノさんが声をかけたんですから」
言われてみればそうか。
ほんの数日前のことだ。あのときもクロエさんに驚かれたっけ。まだアーノルドさんが誰なのかも知らず、ただ強そうだからという理由で話しかけたのだった。
我ながら、恐ろしいほど無計画である。
……今もあまり変わっていない気がするけど。
強いて言えば、前は相手が誰かも分からず話しかけた。今回は相手の恐ろしさを知ったうえで話しかけた。
……あれ? 悪化してない?
「ウラノさんって、普段はとても慎重なのに、時々びっくりするくらい大胆ですよね」
「…………」
ほら、また言われた。
以前も似たようなことを言われた気がする。褒められているはずなのに、素直に喜んでいいのかよく分からない。大胆というより、たまに安全装置が壊れるだけなんじゃないだろうか。
俺という人間、慎重さを売りにしているくせに、肝心なときだけブレーキが抜けるらしい。欠陥車なら即リコールである。
『でも、前よりは進歩してますよ!』
(……そうかな)
『はい! 前回は断られて終わりでしたけど、今回はちゃんと話せました!』
(確かに。次はお茶にでも誘えるかな)
『いきなり距離を詰めすぎです!』
(冗談だよ! あの人と二人でお茶なんか飲んだら、緊張で一滴も喉を通らないわ!)
『エイさんも一緒なら?』
(……それなら何とか)
『そこはちょっと前向きなんですね!?』
確かに、前は声をかけただけで断られた。それを思えば、今回は会話が成立しただけでも進歩だろう。ものすごく低いハードルに見えるかもしれないが、俺にとっては大きな違いだ。
……いや、さすがにもうちょっと自分に自信を持ってもいいかもしれないな。
「でも、ありがとうございました。おかげで助かりました」
「あ、いえいえ! お役に立てたなら何よりです!」
クロエさんがいつもの柔らかな笑顔を浮かべる。
よかった。怒られるわけではないらしい。むしろ感謝されている。美人の受付嬢に笑顔でお礼を言われるというのは、なかなか気分がいいものだ。
……異世界へ来てよかった、なんて単純なことは言わないけど。
それでも、こういう些細な出来事が嬉しいと思えるようになったのは、悪い変化ではないと思う。
「ところで、ウラノさん」
「はい?」
「その長銃……もしかして、宝具ですか?」
クロエさんの視線が、俺の肩へ移った。
そこには、黒く長い銃身に大きな照準器のついた、一丁の狙撃銃。
……あ。
そういえば、この人にはまだ見せていなかったな。
最後に会ったときの俺は、ろくな装備もない薬草採取専門のレベル1ハンターだった。それが今や、いかにも物騒な長銃を担いでいるのである。事情を知らない人からすれば、唐突な方向転換だろう。
薬草採りから狙撃手へ。転職にしたって飛躍しすぎである。履歴書の職歴欄に並べたら、採用担当者が二度見するだろう。しかも前職の勤続日数が短すぎる。
「ええ。まあ、一応……」
「やっぱり。初めて見る形の宝具ですね」
「そ、そうでしょうね……」
何しろ、見た目は完全に地球の狙撃銃である。
銃のような武器がこの世界にまったく存在しないわけではないらしいが、少なくとも俺はこんな代物を担いで歩くハンターを見たことがない。自分で持っていて言うのも何だが、場違いにも程がある。
しかも、これは単なる武器ではない。ソーラが本来、俺をこの世界へ送り込む前に渡すつもりだったという宝具だ。
それをあのゴーレムとの戦闘中、絶妙すぎるタイミングで手に入れることになった。あのときは本当に死ぬかと思った。というか、下手をすれば死んでいた。思い出すだけで胃のあたりがきゅっとなる。
『……その節は、本当にごめんなさい』
(いや、もういいって。ちゃんと助かったし、今こうして持ってるんだから)
『……はい』
(ただ、次に何か渡す予定があるなら、できれば命の危機が来る前にお願いね)
『うっ……それは、本当にそうですね……』
(そこは否定しないんだ)
しおらしい返事が返ってきて、俺は思わず小さく笑った。冗談のつもりだったのに、本気で反省されると少し困る。
いつもの騒がしい女神様もいいけれど、こういうところは妙に放っておけない。いや、あれだけ騒いでいた相手に、こんなことを思うのも変な話だけど。
「……ウラノさん?」
「あっ、すみません。ちょっと考え事をしてました」
「ふふっ、そうですか」
危ない危ない。
ソーラとの会話は頭の中だけで完結しているが、こちらの表情まで隠してくれるわけではない。急に黙り込んだかと思えば、勝手に笑ったり真顔になったりする。傍から見れば、なかなか近寄りがたい青年だろう。
……こういうの、そろそろ直した方がいいのかな。
『ウラノの場合、元から少し変ですけどね』
(辛辣! もうちょっとオブラートに包んでよ!)
『では、個性的です!』
(そのオブラート、透けてるから!)
「それで、その宝具はどちらで手に入れたんですか?」
「ああ、それは……」
さて、どう答えよう。
まさか「頭の中にいる女神様からいただきました」とは言えない。そんなことを言えば、親切なクロエさんのことだ。心配して医者でも呼んでくれるかもしれない。すごくありがたいが、できれば遠慮したい。
とはいえ、あまり嘘をつくのも気が引ける。
……そうだ。
「実は、宝物殿へ行ってきたんですよ」
「宝物殿、ですか?」
「はい。そこで色々ありまして……そのときに、これも手に入ったというか」
厳密に言えば、ソーラが用意してくれたものを宝物殿の中で受け取った、というのが正しい。でも、入手した場所が宝物殿だったことに違いはない。少しくらい説明を省略しても許されるだろう。
そもそも、あの巨大ゴーレムとの戦いを最初から最後まで話せと言われたら、俺の方が先に倒れてしまう。精神的に。
「そうだったんですね。ちなみに、どちらの宝物殿へ?」
「【アレイン円柱遺跡群】です」
「…………え?」
クロエさんの笑顔が、ぴたりと止まった。
先ほどまでの柔らかな雰囲気が消え、何かを確かめるように俺の顔を見る。あまりにも露骨な変化だったので、思わず自分の発言を振り返ってしまった。
……ええと、俺、何か変なこと言ったっけ?
「……ウラノさん。今、何と仰いました?」
「え? 【アレイン円柱遺跡群】ですけど……」
「…………」
……何、その沈黙。
確かに、あそこではひどい目に遭った。レベル1の宝物殿で砂兎でも眺めながらマナ・マテリアルを吸収するつもりだったのに、出てきたのは巨大なゴーレムだ。話が違うにも程がある。
でも、そういう異常なことが起きているのは、俺よりも探協の方が詳しいはずだよな。
……まさか。
(ソーラ)
『はい?』
(俺、また何かやらかした?)
『……どうでしょう。クロエさん、急に真顔になりましたね』
(それは俺も見てる! 女神なんだから、理由くらい分からないの?)
『分かりませんよ! 私はウラノの心の声が聞こえるだけで、誰の考えでも読めるわけじゃありません!』
(……待って。じゃあ、俺の考えてることだけ一方的に筒抜けなの?)
『はい! ちなみに今、「面倒なことになる前に帰りたい」って思いましたよね?』
(思ったけど! っていうか、そこは読まなくても分かるだろ!)
『ええ。顔に出ていますから』
(じゃあ俺、心も顔も丸見えじゃん!!)
『ほら、クロエさんが困ってますよ。そろそろお話に戻りましょう?』
(……誰のせいで話が長くなったんだよ)
……それもそうか。
ソーラは女神だが、何でも知っているわけではない。何より、クロエさんの考えまで分からないのなら、ここでいくら女神と相談しても答えは出ない。
……いや、だったら最初からクロエさんに聞けばいいのでは? なんで俺、頭の中でこんなに遠回りしてるんだろう。
俺は改めてクロエさんへ向き直る。彼女は少し迷うように唇を結んでいたが、やがて真剣な表情で口を開いた。
「……ウラノさん。少々、詳しいお話を伺ってもよろしいでしょうか?」