朝六時。結局、野宿である。
街が見えた時は「助かった!」と思ったものの、冷静に考えれば僕は一文無しだった。宿になど泊まれるわけがない。
「……お金って大事だなぁ」
異世界へ来て二日目にして、早くも現実を突きつけられていた。それでも街の中へ入れれば何か仕事くらい見つかるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に、僕は巨大な門へ向かって歩き続けた。あと十分ほどで着くだろうか、そう考えていた時だった。
『ところで、ウラノ・スカイ』
突然、頭の中に聞き慣れた声が響く。
また来たか。気が向いたら返事するとか言っていたくせに、この女神、自分から話しかけてくる頻度の方が多い気がする。暇なのだろうか。まあ、話し相手がいるだけマシではあるけれど。
「何です?」
『あなたって、標準語で話したり関西弁で話したり、ころころ変わりますよね?』
「……そうですかね?」
言われて初めて考える。あまり自覚はなかったが、周りから見ればそうなのかもしれない。理由なら一つだけ思い当たる。
僕は生まれてから十八歳まで大阪で育ち、大学進学を機に北海道へ来て一人暮らしを始めた。周りは標準語ばかりで、気付けば自分も少しずつ影響を受けていたらしい。そういえば「関西人と話してる感じしやん」と母さんに言われたこともあったな。自分では全然分からなかったけど。
『私は今の話し方、結構好きですよ』
「え、そうなんですか?」
『はい。ツッコミが聞き取りやすいので』
「そこなん?」
『そこです』
「関西人として複雑なんですけど」
そんな他愛もない話をしながら歩いているうちに、気付けば巨大な城門が目の前まで迫っていた。
すると突然、ソーラが欠伸混じりに言う。
『もう朝の六時ですね。私は寝ます』
「寝る?」
『女神も忙しいんです』
「絶対嘘ですよね?」
『では、おやすみなさい』
「ちょっ──」
そこで、ぷつりと気配が消えた。
「ソーラ? ソーラ・システリアさん?」
……繋がらない。寝やがった。
薄情な女神である。気を取り直して門を見ると、二人の衛兵が槍を持って立っていた。
(やば)
身分証とかあるのかな。入国審査とか、職務質問とか、不法入国とか。異世界にもそういうのあるよな、普通。詰んだかもしれない。そんなことを思いながらも、覚悟を決めて近付く。
衛兵が僕を見る。僕も衛兵を見る。数秒の沈黙のあと、あっけないほど軽い調子で声が飛んできた。
「入っていいぞ」
「え」
「次」
「終わり?」
拍子抜けするほどあっさりと、僕は街へ入ることができた。
———
……お気付きだろうか。僕は、メンタルがすごく弱い。何せ、友人とのあの程度の口論で死を選んでしまった人間だ。自慢できることじゃない。
そして当然、人見知りでもある。ソーラは別だ。あれは例外である。
人が親や兄弟に気を遣わない理由は、無意識に甘えているからだろう。長い時間を一緒に過ごし、「見捨てられる心配がない」という安心感が根本にあるからだと思う。
僕の場合はもう一つある。それは、「死ぬ」という選択肢があったことだ。裏野空、二十歳。はっきり言う。僕は親に見捨てられたら終わる人間だった。だがその時はきっと、少し躊躇った末に、死を選んでいただろう。そして今の僕にとって、ソーラは唯一の保護者みたいなものだ。この激ヤバ世界で見捨てられたらシャレにならない。死んだ方がマシなのである。
……心の中では色々言っているが、割と話し方は丁寧な方だと思う。
もう一つ言いたい。僕はコミュ障だ。現世でやっていたバイトも、ホームセンターの品出しだった。選んだ理由も、接客がないからというだけのことだ。ちなみに、死ぬ時に使ったロープもその店で買った。
……この話はやめよう。
とにかく、僕は人と深く関わるのが苦手だった。だから揉めそうになれば黙るし、相手が正しいことにしてしまう。自分の意見を押し通すより、その場が収まる方を選んできた。
そうやって何となく生きてきた。それで何とかなってしまったから。だからこそ、彼のあの言葉は妙に刺さったのかもしれない。
『聞いたら何でも返ってくると思ってるなら、それは傲慢』
「……」
やめやめ、終わった話だ。今さら考えたところで、どうにもならない。
……まあ、そう言って結局また思い出すんだろうけど。こういうところが、僕の悪い癖なんだろう。人はそんな簡単には切り替えられない。たぶん、友達が少なかった理由もそこにある。
「でも」
僕は誰にも聞こえないくらいの声で小さく呟いた。
「この世界では、ちゃんと生きるって決めたんだよな」
せっかく二度目の人生をもらったんだ。だったら、今度くらいは頑張ってみよう。
……全然切り替えられてる気はしないけど。口では格好いいことを言っても、中身は相変わらずだった。
それでも、僕はちゃんと行動していた。
「まずは、生きるためのお金だ」
夢だの目標だのは、その後でいい。今日の寝床と、今日食べる物を確保しないといけない。そうなると真っ先に思い浮かぶのが、冒険者ギルドだった。異世界転生ものの基本である。まずギルドへ行って登録をする。依頼を受ける。やがてレベルが上がる。
……たぶん、そんな感じだ。
「商人は無理っすね」
もう分かってる。絶対向いてない。気付いたら壺とか買わされてそうだ。身体も弱いし、メンタルも弱い。おまけに頭もそこまで良くない。我ながら救いようがなかった。
人通りの多い大通りを歩くだけで、緊張してくる。人。人。人。
「はぁ……もう帰りたい……帰る場所ないんだった」
その時だった。少し離れた場所に、大きな看板が目に入る。なんかの紋章。人の出入りも激しい。
「……多分、あれだよな」
冒険者ギルド。きっとそうだ。たぶんそう。大きく深呼吸をする。
(……頼むから、受付のお姉さん以外、誰も話しかけてこないでくれ)
せめて、ムキムキのおっさんだけは勘弁してほしい。そんな情けない願いを胸に、僕はギルドの扉へと手を掛けた。
———
僕は恐る恐る受付へ近付く。
「いらっしゃいませ。探索者協会へようこそ」
受付嬢が柔らかく微笑む。名札には『クロエ』と書かれていた。
……若いな。たぶん僕より年下だ。なのに、この落ち着きよう。笑顔も自然だし、言葉遣いも丁寧だし、仕事もできそうだ。
(すご……)
僕がしっかりしてなさすぎるのもあるけれど、それを差し引いても凄い。可愛いし、愛想もいいし、絶対いい子だ、この子。僕の妹も可愛い方だとは思うが、この人は接客補正込みで別格だった。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「えっと……」
さて、何て言おう。異世界人です、は流石にまずい。
「あの……実は田舎から出てきまして」
……嘘は言ってない。
「お金もほとんどなくて、このままだとそろそろ野垂れ死にしそうなんです」
……これも嘘じゃない。
「ここって、お仕事とか受けられるんですか?」
クロエは驚いた様子もなく事務的な口調で頷いた。
「もちろんです。当協会は『探索者協会』――通称《探協》です。トレジャーハンターの登録や依頼の斡旋、認定レベルの管理などを行っています」
「認定レベル?」
「はい」
クロエは一枚の紙を取り出した。
「ハンターにはレベル1から10までの認定制度があります。新人の方は全員レベル1からのスタートになりますが、依頼をこなし、実績を積み重ねることでレベルが上がっていきます」
「つまり経験値みたいなものですか?」
「近いですね。ただし、単純な強さだけではありません」
クロエは微笑む。
「え?」
「人格、実績、信頼性なども含めた総合評価になります」
あ、終わった。人格って何だ。僕、自信ないぞ。
「一般的には、レベル2までは一、二か月ほど活動すれば昇格する方が多いですね」
「おお」
長いのか短いのか分からない。車の免許以上、TOEIC L&Rテスト七百点以下といったところか。
……三年頑張ればワンチャン。
「レベル3になると一人前。レベル4でベテラン。レベル5から先は才能が必要と言われています」
「……」
僕には関係なさそうだ。
「レベル6ともなると、この都市でもそう多くはいません」
「そんなに」
ざっと見るだけでも、この建物内にはゴリラよりもゴリラな人間が二十人近くはいる。この人たちってレベルいくつなんだろう。
クロエは少しだけ表情を引き締めた。
「それ以上は特別な認定試験が必要になります。レベル7以降は、試験を受けること自体が困難です。レベル8以降になりますと、試験条件も一般には公開されておりません」
なるほど。つまり、化け物の世界ってことだ。僕には縁がない。
「ありがとうございます」
思ったより長話になってしまった。でも、何となく分かった。当面の目標は、生き残ること。レベル2は一、二か月頑張れば届くらしいし、僕でも二、三年あればいけるかもしれない。うん、そのくらいなら僕にも——
「おい! いつまで喋ってるんだ!です!」
突然、探協中に響くくらい大きな声が飛んだ。受付の列の後ろからだった。
「クリュス、そんな大声を出さなくてもよい」
もう一人の落ち着いた女性が隣でため息を吐く。振り返ると、そこにいたのは二人のエルフだった。一人は長い金髪を揺らす美しい女性。もう一人は銀髪の、小柄な少女。
(またエルフだ。しかも今度は女性。めちゃくちゃ可愛い)
特に銀髪の子。いかにも気が強そうなのに、小柄だから威圧感より可愛さが勝っている。やばい、目が離せない。
そんなことを考えていると、金髪の女性エルフが僕を見て言う。
「……新人みたいだな。あと少しくらい待ってやってもいいだろう」
「ラピスがそう言うなら仕方ない。です!」
銀髪の少女エルフは腕を組んだまま鼻を鳴らした。
可愛い。何この生き物。ツンツンしてる。可愛い。
「おい、人間! この私が待ってやるんだから感謝するんだぞ!です!」
「……」
……ラブストーリーって、本当に突然始まるんだな。
初めて一目惚れした。そんな確信だけが、僕の中で静かに芽生えていた。
見惚れてしまう。いや、違う。これはきっと見惚れているんじゃない。観察だ。そう、観察。エルフを見たのは二度目だ。一度目はあまり見られなかったから、今度こそその生態を――無理あるな。可愛い、めちゃくちゃ可愛い。小柄で、金色の髪は肩の辺りで揺れ、長い耳がぴくりと動く。そして何より、表情がころころ変わる。怒っているのに、全然怖くない。むしろ可愛い。
「……何を見ている。です」
しまった。目が合った。
「え、いや」
何て答えればいいのか分からない。可愛いですね、なんて初対面で口にできるわけがないし、エルフですね、なんて言ったところで見れば分かることだ。
頭の中で候補を並べては消し、並べては消ししているうちに、沈黙だけがどんどん重くなっていく。
「珍しいなって」
「何がだ。です」
「エルフ」
「…………エルフ……なんだそれ?です」
クリュスは一瞬だけ目を丸くした。
「エルフ……我々
「そんな感じっす」
「そうだったのか。です」
「……ところでさ。名前、聞いてもいい?」
「はぁ?」
露骨に嫌そうな顔をされた。
……ですよね。分かってはいたけど、いざ面と向かってその顔をされると、思っていた以上に胸へ来るものがある。名前を聞くだけでこれなら、次に何か話しかける時はもっと勇気がいるかもしれない。傷つくよ、僕。
「いきなりすぎだろ!です」
「教えてやれ、クリュス」
ラピスがクリュスを見下ろして言う。
「何で私なんだ。です! このニンゲンはラピスに聞いてるんだ。です!」
「お前に聞いてるぞ」
「私じゃない!です!」
二人でひとしきり押し付け合いを続けている。傍から見ているだけの僕には、その光景がなんだか微笑ましく映った。口では素っ気ないことを言い合っているのに、間の取り方や距離の近さに、長く一緒にいる者同士の気安さが滲んでいる。仲いいな、この人たち。
「いや、君に聞いてる」
僕はクリュスを見た。
「…………」
クリュスの動きが、ぴたりと止まった。数秒、時間だけが流れる。さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、視線をどこに置けばいいのか分からないというように、僅かに目を泳がせている。
それにつられてか、周りの喧騒までもがふっと遠のいたように感じられ、探協の中が妙に静かになった気がした。
「……クリュス。クリュス・アルゲンだ。です」
小さな声だった。
「クリュス・アルゲン……」
思わず復唱する。忘れないように脳内メモリーを厳重にロックしないと。
「言っておくが! 私はニンゲンと馴れ合う気はないぞ!です!」
クリュスが顔を真っ赤にして指を突きつける。
「うん」
「返事軽っ!です!」
「いや、分かったから」
「本当に分かってるのか!?です!」
何か怒られた。でも可愛い。怒っているだけなのに、なぜか可愛く見えてしまう。困った顔も、真剣な顔も、怒った顔さえも、この子がやると全部可愛いに変換されてしまう気がする。
何なんだこの子。自分でもよく分からない感情に、ただ振り回されていた。
「……お前、新人か?」
隣のラピスが静かに口を開く。
「あ、はい。仕事探しに来ました。いや、アルバイトの方がいいのかな?」
「そうか」
ラピスは短く頷く。
「ラピス・フルゴルだ」
「ラピスさん。よろしくお願いします」
「……礼儀はあるようだな」
第一印象は、思っていたより悪くなかったらしい。
それだけのことなのに、強張っていた肩から少しだけ力が抜けていく。この世界に来てから、誰かに認められるような感覚を覚えたのは、これが初めてだったかもしれない。よし、それじゃ。
「クロエさん」
「はい?」
「僕、ハンターになります。そして」
一度深呼吸する。
「レベル2ハンターに、俺はなる!」
探協の中が静まり返る。数人のハンターがこちらを見て、クスクス笑いながら「だっさ」「目標低っ!」と小声で話してるのが聞こえてくる。
「レベル2って新人卒業ラインだぞ。です」
クリュスが呆れたように肩をすくめる。
「いやいや! まずは現実的な目標からでしょうよ!?」
「もっと夢見ろよ。です!」
「無理っすね!」
「即答か。です!」
「僕、自分のことはよく分かってるから!」
「情けないな。です」
ぐうの音も出ない。引かれてしまっただろうか。いや、いくら一目惚れ相手でもできないカッコつけはしない。今の僕にはそれくらいの目標がちょうどよかった。強くなりたいとは思う。でも、最強なんて夢は見ない。まずは生き残ること。レベル2になること。それが今の僕の、精一杯の夢だった。最強なんて目指せないけど――この世界では、少しくらい頑張ってみたい。
———
どうやら、人間嫌いらしいラピスさんに、少しだけ気に入ってもらえたらしい。
「路銀だ」
そう言って渡されたお金を見つめる。おかげで、今日の宿とご飯くらいは何とかなりそうだ。
「……ラピスさん。ありがとうございます」
「ふん」
異世界生活二日目。
僕は、二回もエルフに救われた。
【これまでの登場人物一覧】
①主人公 裏野 空(異世界名:ウラノ・スカイ)
20歳。大学三年生。母子家庭。元北海道の大学生。
友人との口論をきっかけに命を絶つ。
女神によって『嘆きの亡霊は創星と出会う』の世界へ転生。
性格:コミュ障、ネガティブ、メンタルが弱い、自己評価が低い、人に甘えがち、努力は嫌いではない、でも無理はしない
口調:基本は標準語。焦ると関西弁が混ざる。
②ソーラ・システリア
女神。裏野を転生させた張本人。『嘆きの亡霊』の大ファン。
性格:超マイペース、自由人、面白ければ何でもいい、裏野をからかうのが好き、意外と面倒見はいい、でも絶対に甘やかさない
③ ラピス・フルゴル
精霊人。クリュスの保護者的存在。人間嫌い。寡黙。意外と優しい。主人公へ路銀を渡した。
④ クリュス・アルゲン
精霊人。小柄。ツンデレ。語尾は「〜です!」。主人公の初恋相手。
⑤ クロエ・ヴェルター
探索者協会受付嬢。丁寧。優しい。説明役。