霧雨魔理沙は外の世界に来て、まず自動ドアに勝負を挑んだ。
「なるほど。理解した。完璧にな。近づくと開いて、離れると閉じる仕掛けだな。もうこれで私の勝ちだ」
「魔理沙……。あんた、ちょっとチルノに似てきたわね」
勝ち負けで判断する魔理沙。
霊夢は短く答えて対応しながら、背後を振り返った。
駅直結の大型商業施設は、休日ということもあって人が多い。買い物客、駅利用者、家族連れ、学生らしい一団が絶え間なく行き交い、その頭上や建物の角には監視カメラがある。
目撃者は多いが、魔法使いが透明な板を相手に反復横跳びをしていても、今のところ足を止める者はいない。
見慣れぬ衣装については、コスプレだと思われているのだろう。
時代は変わった。
便利な時代である。
「ほら見ろ、霊夢、霊夢! 私が素早く動くと、こいつも忙しそうに開いたり閉じたりするぞ。困ってる困ってる!」
「大声ださない! 遊ばないの!」
周囲の目を気にする霊夢は魔理沙の手首をつかみ、開いた扉の中へ引きずり込んだ。
今日は巫女業務もお休みである。
正確には、外の世界へ通い三日分の雑事を二日で片づけ、今日一日は何が起きても仕事をしないと霊夢自身が休みと決めた日だった。
そこへ魔理沙が現れ、外の世界へ行くなら自分も連れていけと言い出した。
休暇へ自分から面倒を追加する必要はなかった…………が、断らなかった。
霊夢が手を放すと、魔理沙は逆にその手を握った。
「…………? なんで握るの」
「そりゃ案内人とはぐれたら困るから、だろ?」
「魔理沙は、はぐれるようなお子様なの? 自分でふらっとどこかに行くならわかるけど」
駅に直結した商業施設は、中央が吹き抜けになっている。案内板には各階の店が色分けされ、現在地も大きく表示されていた。
やや古い構造であるため、周回するように動線を誘導する商業的思惑は少ない。
少なくとも、森の中で目印もなしに茸を探すよりは迷いにくいはずだ。
「ここは文字と絵が多すぎる。知ってるか、霊夢。親切が集団になると不親切になるんだ」
まったく理解できない意見ではなかった。
案内板は親切である。ただし、個人ではなく訪れた全ての人に用意された親切だ。
集団に向けて、大量の親切がひしめきあっている。
「わからなくもない。……じゃあ、真っ直ぐ向かいましょう。ランチは七階。上に行くわよ」
「ななかい……。なあ、それ、飛んだ方が早くないか?」
「わからなくもない。けど、外では飛ばないの」
吹き抜けの頭上を指差して、もっともなことをいう魔理沙に対し、奇しくも二度目も同じ言葉が最初に出た。
霊夢は周囲へ視線を走らせた。
今の発言を気にした者はいない。近くで聞いていた人がいたが、飛ぶという表現を冗談か一種の言葉のあやと受け取ったのだろう。反応はない。
二人はエスカレーターへ向かい、その手前で魔理沙の足が止まる。
「おい。霊夢、階段が動いてる。なぜだ?」
「上るのを楽にするためよ。いいじゃない。歩かなくても、飛ばなくても済むのよ」
「足を動かした方が簡単じゃないか?」
「わからなくもない。いいから乗るわよ。足元を見て」
「心配するな。この程……度――」
魔理沙が動く段へ逸る右足を乗せ、戸惑った左足を置き去りにした。
「ちょっ、待っ、霊夢! 裂けるぅ〜〜〜!」
「だから足元を見ろって言ったでしょ」
霊夢は握られたままの手を引いた。
傾いた魔理沙の後ろ足がどうにか段へ乗り、その身体が霊夢の肩へ優しくぶつかる。
大事には至らなかったが、魔理沙はそのまま離れようとしなかった。
「ふう。飛ぶより危険な階段だな。これこそ親切に足元注意って書いておくべきだぜ」
「足元に書いてあったわ」
「足元注意という注意書きが足元にあるのは設計に問題あるだろ〜」
「わからなくもない」
半分同意しながら霊夢は前方を見る。
上階から下りてくる人々、吹き抜けを囲む透明な柵、その向こうに並ぶ店舗。視線を感じれば、誰がどこを見ているのかをさりげなく確かめる。
魔理沙が騒いでいるせいで何人かに見られていたが、不審というより微笑ましいものを見る目だった。
霊夢はそれが少し気に入らない。
自分たちは、動く階段に驚く子供とその保護者ではないのだから。
「なあ、霊夢。このまま手を離さない方が安全だと思わないか?」
危険がないか注意している霊夢に気がついたのだろう。
魔理沙は指を絡めるように握り直した。
事故防止を名目にするには、ずいぶんと念入りな握り方だった。
七階へ着くまでにエスカレーターを六本乗り継ぐ。
その間、魔理沙は一度も霊夢の手を離さなかった。
もともと彼女は器用な子だ。二階からは普通に乗り降りしていたので、もはや安全上の理由はない。
「やっとついたな。ここが食堂か? おお……ずいぶんあるな。どこにする?」
「もう決めてあるわ。あそこ」
霊夢が指差したところは、洋食を中心に扱う店だった。
入口近くには、料理の見本が透明なケースに並んでいる。オムライス、ハンバーグ、海老フライ、パスタ。彩りがよく、湯気が出ていないことを除けば本物に見える食品サンプルである。
「それは見本。食べられないわよ」
透明なケースへ顔を近づける魔理沙から、投げられる疑問を先回りして指摘した。ついでに店内を見渡し、奥の壁際に空席があることを確認した。
「これを作ったやつは料理人より腕がいいんじゃないか?」
「わからなくもない」
腕の良さの定義が違うので一概に比べられないが、属人性の高さは食品サンプルを作る方になるだろう。
魔理沙の指摘は、角度というか発想というか、なにかが違ってて霊夢も「わからなくもない」という同意をしてしまう。
店内へ入り、霊夢は壁際の席を選んだ。
背後が壁で、入口と店内を見渡せる。非常口にも近く、通路を歩く客からは少し離れている。魔理沙が何か妙なことを始めても、すぐ手が届く位置に置いておける。
霊夢が奥へ座ると、魔理沙は向かいの席へ行こうとした。
「こっちに魔理沙は座りなさい」
霊夢は隣の座面を軽くぽんぽんと叩いた。
「向かいじゃないのか?」
「あんたを見張りながら、周囲まで見るのは疲れるのよ」
「そんなに近くで私を見ていたいとは、霊夢も正直になったな」
「そう。あんたは向かいに座りなさい」
「冗談だ。ここでいい」
魔理沙は帽子を取る動作で顔を隠しながら、霊夢の隣へ滑り込んだ。
勢い余って肩と肩が触れる。
四人用の席なので、もっと離れることはできる。それでも魔理沙は詰めたままで、霊夢も押し返さなかった。
テーブルには注文用のタブレット端末が置かれており、魔理沙の目が輝き、霊夢は嫌な予感がした。
「これはなんだ?」
「これで料理を注文するの」
「ほう。これも親切が多すぎるやつか」
魔理沙は端末へ触れた。
雑に持った指先がページめくりをタップして、料理の写真が横へ流れる。
「おお、動いた」
「写真を見て選ぶの。値段も書いてあるから――」
「これにする」
「早いわね」
「これも美味そうだ。小サイズって書いてあるから追加しても平気だろ」
魔理沙の指が画面を縦横に走った。
ハンバーグ、オムライス、フライドポテト、コーンスープ、パン、ライス、サラダ、子供向けの小さな料理セットが、次々と注文予定の欄へ入っていく。
霊夢は魔理沙の手を押さえた。
「ちょっと。あんた八品も食べようとしてるの?」
「押したら入ったんだ。いやぁ、親切な仕組みだなぁ。太っちゃうな〜」
「親切でお腹が弾けるわよ。今は取り消すからね」
霊夢は余計な料理を削除した。
魔理沙の注文は、ハンバーグとオムライスが一皿になったものへ落ち着いた。小さなコーンスープもセットについている。
よくばりワンプレートセットという名称になっているが、最初のよくばりに比べれれば聖者のような理性的ワンプレートだった。
霊夢はエビフライのセットにした。幻想郷に海はないので、外では魚介を選ぶことが多い。
……幻想郷のイカ?
あれは謎である。触れてはいけない。
「霊夢。飲み物が自由に飲めるらしいぞ」
「セットの
霊夢は危険を察知し、連れ立ってドリンクバーへ向かった。
飲料機には、珈琲、紅茶、炭酸飲料、果汁飲料などの選択肢が並んでいる。魔理沙は説明を読み、グラスを一つ手に取った。
「ひらめいた。なあ霊夢。一つの器に、いろいろ入れてもいいのか?」
「ひらめかないで。まあ禁止はされてないけど」
「つまり、調合し放題だな」
「今、調合って言った? あ、待ちなさい」
遅かった。
魔理沙はコーラを三分の一ほど注ぎ、そこへメロンソーダを加えた。さらに橙色の果汁飲料を足し、最後に炭酸水で薄める。
色の違う液体は、混ぜれば虹色になるわけではない。
濁った茶色になった。
「完成だ。外の世界の魔法薬」
「あんたの錬金術は、
「こっちは親切だからな。いい加減でも、きっとうまいさ」
魔理沙は一口飲んだ。
その顔から笑顔だけが残り、勝利の色が消え、企みの色が浮かぶ。
「うまいな。一口やるぜ」
「いらない」
霊夢は受け取らなかった。
錬金術と騙し討ち作戦に失敗した魔理沙は、自分で処理することになった。禁止されてはいないが、自由には責任が伴う。
などといたずらに時間を消費して席へ戻りドリンクを飲んでいると、間もなく料理が運ばれてきた。
湯気の立つ鉄板を見て、魔理沙が歓声を上げる。霊夢は周囲を確かめながら、魔理沙の袖が鉄板へ触れないよう引いた。
「熱いから気をつけなさい」
「分かってる。私はチルノじゃないぜ」
魔理沙はナイフでハンバーグを割った。
肉汁が流れ出し、鉄板の上で音を立てる。その隣には黄色いオムライスがあり、上から申し訳程度の赤いケチャップがかかっていた。少ないケチャップは、見た目のバランスのためだろう。
「これだけじゃ寂しいな」
「中はチキンライスで味がついてるから十分でしょ」
「そうなのか? でもせっかくだから、何か描くか」
魔理沙はテーブルに置かれたケチャップを手に取った。
霊夢はその魔理沙の手首を素早く掴んだ。
「魔理沙。今、魔法陣を描こうとしたでしょ」
「なぜ分かった?」
「あんたが花や猫なんて、可愛いもので済ませるわけがないもの」
その通りです、という顔で魔理沙は嬉しそうにケチャップを戻した。
「でもさ。外の世界では、こういう卵料理に文字を書くんじゃないのか? 店員さんが」
「な、なんでそんな特殊なサービスを……。そういう店もあるけど、ここは違う」
「霊夢が書いてくれてもいいぜ。たとえば」
「符呪、とか?」
「好き、とか」
「隙あり!」
霊夢は無常にも隙だらけの魔理沙のプレートから、切り分けられたハンバーグのひとかけらを奪いさった。
魔理沙はエビフライを一本、奪い去った。
素早くオムライスの端側を掬い奪う霊夢。負けじとポテトサラダを半分しゃくる魔理沙。
速さは霊夢が勝ち。手練は魔理沙が勝っている。
奪い合いの応酬が数度続き、これでは実質ただの仲良し交換っこである。
食後、魔理沙は小さな苺パフェを追加した。
端末の扱いを覚えたことを証明するように、静かに素早く無駄のないタップだった。
「どうだ。操作を覚えたぜ!」
「ええ。早かったわね。止める暇もなかったわ」
しばらくしパフェが運ばれてきた。小さいはずだったが、意外にもボリュームがある。
容器が小さいだけで、上側の盛りが多いようだ。
「霊夢〜。半分ずつな」
「お腹と相談してる」
「そっか。嫌なら私が全部食べるけど」
そう言いつつ、魔理沙は運ばれてきたパフェを二人の間へ置いた。
霊夢は少し考え、魔理沙が使っていた匙をそのまま取り上げた。苺の下から一口すくい、口へ運ぶ。
魔理沙が黙った。
「なによ」
「いやぁ。霊夢も外の世界へ来ると大胆になるんだなと思って」
「半分ずつなんでしょ」
「もちろんだぜ」
魔理沙は嬉しそうに匙を受け取った。
霊夢は店内へ目を向ける。
こちらを気にしている者はいない。監視カメラは天井の角にあるが、匙を共有する二人を問題にするほど暇ではないだろう。
苺は魔理沙が食べた。
代わりに霊夢は、上に載っていた小さなチョコレートをもらった。どちらが得かについて少し揉めたが、最後には魔理沙が底に残ったアイスを霊夢へ差し出したので、引き分けということになった。
会計は自動精算機だった。
霊夢が伝票のバーコードを読み取らせると、金額が画面に表示される。
「ここも人がいないんだな。人がいないのも親切なのかな?」
「黙って静かに会計したい人には、これも親切でしょうね」
霊夢はカードで支払いを済ませ、排出されたレシートを受け取った。魔理沙はその一連の流れを、珍しく黙って見ていた。
「ごちそうさん。でもお金のやり取りを見てないと奢ってもらった気もしないし、これじゃあ霊夢も金を払った感じがしないだろ?」
「そうね。だから使いすぎる人もいるのよ」
「なるほど。そいつは恐ろしい呪いの道具だな」
「おっと急に理解が深いわね」
店を出ると、魔理沙は満足そうに腹をさすった。
事件は起きなかった。事故もない。自動ドア、エスカレーター、注文端末、ドリンクバー、精算機という現代文明の精鋭たちが一人の魔法使いに振り回されたが、すべて通常の利用範囲に収まっている。
かなり広めに解釈すれば、通常の範囲だった──
「外の世界は危険だってわかったよ。ぞっとした」
だというのに、魔理沙は世界を怖がるようなことを言い出した。
「なにが? 平和だったじゃない」
「機械にカードが触れただけでお金が消えた」
「わからなくもない」
魔理沙がこの世界の危険を暴き出し、ぞっとした霊夢は消極的ながら同意した。