あの街で咲く幻想の百合   作:大体三恵

4 / 10
グループチャット「消費者行動論・商業施設観察A班」2

――七月十二日 午後十時十六分――

 

佐伯:

全員、今日の観察記録は共有フォルダへ入れた?

 

木下:

入れた。

観察対象C―09の記録も追加してある。

 

西野:

お嬢様とメイドさん。

 

木下:

C―09AとC―09Bだ。

 

梶:

赤い方がお嬢様で、青白い方がメイドさん。

 

木下:

C―09AとC―09Bだ。C―09AとC―09Bだ。

 

吉岡:

二回訂正した。

 

宮本:

諦めた方がいいと思う。

木下の記録にも、途中から「主」「従者」と書いてある。

 

佐伯:

主従関係だと認定したわけではないよね?

 

木下:

認定はしていない。

ただし、C―09BがC―09Aに対して、継続的かつ一方的な奉仕行動を取っていたことは確認できる。

 

西野:

一方的ではなかったよ。

 

木下:

C―09Aは何をしていた?

 

梶:

主人が満足している姿を見せることで、従者へ精神的報酬を与えていたと考えられる。

 

吉岡:

まーーーた学問を便利に使っている。

 

宮本:

実際、最後にお嬢様が何か言ったあと、メイドさんの表情が大きく変化した。

 

西野:

あれ絶対、褒められてた。

 

西野:

そういう顔をした!

 

佐伯:

顔から発言内容を確定しないように。

 

梶:

では、肯定的評価を受けた可能性が高い顔だった。

 

佐伯:

言い換えても推測は推測だからね。

 

――午後十時二十一分――

 

吉岡:

ところで、結局あの二人はコスプレだったのかな。

 

木下:

衣服の形状から見て、その可能性が高い。

赤い衣装もメイド服も、一般的な外出着ではない。

 

西野:

私は違うと思う。

 

梶:

同じく。あれはコスプレじゃない。

 

佐伯:

何が違うの?

 

西野:

あれはコスプレした人じゃない。

本物のお嬢様と、本物のメイドさん。

 

吉岡:

本物のお嬢様はともかく、本物のメイドさんが日本に?

 

木下:

職業としての家事使用人やハウスキーパーは存在する。

しかし、あの服装で商業施設へ同行するとは考えにくい。

 

梶:

だからこそ本物なんだ。

人目を気にして仕事着を変える程度の主従関係ではなかった。

 

佐伯:

主従関係の本物と偽物を、服装への覚悟で決められるようなものなの。

どんなエビデンス?

 

西野:

でも、ずっとずっとだったんだよ。

動く歩道で手を取るところから、店で髪飾りを直すところも、喫茶店で口元を拭くところも、全部自然の主従だった。

 

吉岡:

自然というより、あれだ。完成度が高かった。

 

木下:

私は、コスプレをしたうえで役柄を一貫させていたと考える。

C―09Bは、我々が観察していることにも気づいていた可能性が高い。

 

西野:

それは私も思った。

メイドさん、何回かこっちを見たよね。

 

梶:

見ていた。

しかも気づいてから、世話が一段階すごくなった。

 

吉岡:

それなら、なおさらコスプレでは?

見られていると分かって、演技を徹底した。

 

西野:

逆。

本物のメイドさんだから、主人を見られていると分かって張り切った。

 

佐伯:

同じ事実から、正反対の結論へ進まないで。こんなことで蹄鉄理論を見せなくていいから!

 

木下:

私は吉岡に賛成する。

観察者の存在によって役割演技が強化されたと考えれば、行動の変化を説明できる。

 

梶:

私は西野に賛成する。

観察者の存在によって従者としての奉仕意識が強化されたと考えれば、行動の変化を説明できる。

 

宮本:

前者は演技、後者は職務という違いだね。

 

吉岡:

宮本はどっちだと思う?

 

宮本:

まだ決められないな。

 

西野:

中立?

 

宮本:

そうではなくて、二つとも一部の行動を説明できていない。

 

――午後十時二十九分――

 

佐伯:

説明できていない行動?

 

宮本:

まず、C―09Aは日光を避けていた。

 

木下:

訪れた時刻は夕方だ。

日差しを避ける人は珍しくない。

 

宮本:

単に日陰を選んでいたわけではない。

空中回廊では、西日が床へ差し込んでいる場所だけを避けて歩いていた。

進行方向に対して不自然な迂回が三回ある。

 

吉岡:

そんなん日焼けを気にしていたんじゃない?

 

宮本:

むろんその可能性はある。

 

西野:

お嬢様だから、日に焼けたくないんだよ。

 

佐伯:

お嬢様は日焼け止めを使わないの?

 

梶:

従者に塗ってもらうのでは?

 

佐伯:

話を広げないで、話を続けて

 

宮本:

夕日が建物の陰へ完全に入ったあと、C―09Aの歩行速度と立ち止まる回数が変化している。

日没前の平均歩行速度は分速四十二メートル。

日没後は五十八メートル。

店舗へ自発的に近づいた回数も、二回から七回へ増えた。

 

木下:

施設内の混雑状況が変わった影響では?

 

宮本:

それも考えたけど、当該時間帯の通行量は日没後の方が多い。

 

吉岡:

数字にすると、ちょっと変だね。

 

西野:

夜になって元気になったんだよ。

 

佐伯:

そういう人もいる。

 

宮本:

それから、笑ったときに犬歯が見えた。

 

――午後十時三十三分――

 

木下:

じゃあコスプレだ

付け牙なんだよ

 

吉岡:

自然な八重歯かもしれない。

 

宮本:

どちらもあり得る。

だから、犬歯だけなら問題はない。

 

佐伯:

だけなら?

 

宮本:

C―09Bの移動に、何度か連続性がなかった。

 

木下:

わからん。具体的には?

 

宮本:

十九時十四分ごろ、喫茶店の前でC―09Aがスプーンを落としかけた。

その時点でC―09Bは、C―09Aの右後方、およそ三メートルの位置にいた。

 

吉岡:

買い物袋を持っていた時だね。

 

宮本:

そう。

通行人が一人、私の視界を横切った。

一秒も隠れていない。

その直後、C―09BはC―09Aの左側にいて、落ちかけたスプーンを持っていた。

 

佐伯:

走ったんじゃない?

 

宮本:

走ったなら、右側から回り込むことになる。

でも買い物袋は揺れていなかったし、C―09Aも驚いていなかった。

 

木下:

我々から見えない位置を最短距離で移動した可能性は?

 

宮本:

最短距離はC―09Aの正面を横切る経路になる。

それならC―09Aか、向かい側を歩いていた客が反応するはず。

 

西野:

完璧なメイドさんだから、すごく速かった。Q.E.D.

 

佐伯:

速さで説明できる範囲かぁ?

 

宮本:

もう一度ある。

八階の手すり付近で、C―09Aの帽子が落ちかけた。

気づいた時には直っていて、C―09Bの手の位置だけが変わっていた。

 

吉岡:

キモいくらいよく見てるな。直すところを見落としたんじゃない?

キモいなぁ

 

宮本:

たぶん、そうだと思う。

キモくない。

 

西野:

たぶん?

 

宮本:

一つずつなら見落としで説明できる。

でもC―09Bを観察している間、動作の途中を一工程だけ抜かれたようなことが、四回あった。

 

――午後十時四十一分――

 

吉岡:

宮本、それレポートに書いた?

 

宮本:

移動時間の記録だけ書いた。

犬歯や帽子は購買行動と関係がないから除外した。

 

佐伯:

正しい判断だ。

 

――七月十五日 午後四時三十八分――

 

木下:

教授からレポートが返却された。

 

梶:

お、早いね。何か書かれてた?

 

木下:

C―09について記述した箇所に三点。

 

木下:

「対象者が観察者を認知した可能性を考慮すること」

「主従関係の完成度は行動指標ではない」

「本課題は親密な二者関係の鑑賞ではなく、消費行動の観察である」

 

佐伯:

キョウジュ 二 バレテーラ

 

吉岡:

最後の一文、誰の記述に対する指摘?

ぼくはちがいます

 

木下:

班全体への講評だ。

 

梶:

教授にも伝わったんだな。

あの主従関係が。良かった。

 

佐伯:

伝わったのは、私たちの脱線だと思う。

 

木下:

ただ、もう一つ追記がある。

 

木下:

「対象C―09Bは、観察者の位置を把握したうえで行動を変化させた可能性が高い」

 

西野:

やっぱり見せつけられてた。

完璧な主従関係を。

 

吉岡:

教授わかってるぅ。

コスプレをしたうえで、あそこまでやってくれたなら、それはそれでありがたい。

 

西野:

本物だから、やってくれたんじゃない。

あれが普通なんだよ。

 

梶:

待て。

我々に気づいたメイドさんが、主人の素晴らしさを見せるため、奉仕行動を強化したとすれば――

 

佐伯:

すれば?

 

梶:

我々は観察者ではない。

観客として選ばれたんだ。

 

西野:

光栄です。

 

吉岡:

私はコスプレ派だけど、その解釈には少し乗りたい。

 

木下:

観察者効果の一種としては否定できない。

 

佐伯:

言い方を変えながら、全員で同じ方向へ脱線しないでよ。

 

宮本:

でも、メイドさんがこちらに気づいていたのは、ほぼ間違いないと思う。

 

佐伯:

宮本まで?

 

宮本:

一度だけ、私のストップウォッチを見て笑ったから。

 

――午後四時四十七分――

 

西野:

怖い。

 

佐伯:

次回からは、相手に気づかれないよう凝視するのをやめよう。

 

西野:

観察そのものをやめるんじゃなくて?

 

佐伯:

課題だから観察はする。

ただし、特定の二人組へ執着しない。

 

梶:

了解した。

 

西野:

分かりました。

 

佐伯:

返事だけが素直すぎて不安。

 

梶:

次に本物のお嬢様とメイドさんが来ても、偶然視界へ入る範囲に留める。

 

吉岡:

コスプレのお嬢様とメイドさんね。

 

西野:

本物です。

 

木下:

高度な役割演技です。

 

宮本:

原因不明の観察上の不連続を伴う二人組。

 

佐伯:

それ怖いやめて

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。