――七月二十九日 午後六時十二分――
佐伯:
昨日の観察記録、全員提出した?
宮本:
提出済み。
吉岡:
出しました。
西野:
出した。
梶:
同じく。
木下:
先ほど教授へ直接提出した。
佐伯:
なんで?どうして木下だけ直接?
この暑いのに研究室まで行ったの?
木下:
教授から、以前確認した対象者が再度現れた場合、異常行動の有無にかかわらず口頭でもするよう求められていた。
吉岡:
教授、本格的に調べ始めてるね。
西野:
教授も目覚めてしまったから。
佐伯:
その言い方はやめて。
梶:
だが、今回の百合濃度は低かった。
佐伯:
観察の評価基準へ百合濃度を追加しないでね。
梶:
赤白――レイムさんと、金髪の人形遣い――アリスさんのあいだに、直接的な接触はなかった。
肩に手を置いたのも、そういうのじゃないし。
宮本:
名前は、迷子へ自己紹介した際に確認できた。
赤白がレイム。
金髪の人形遣いがアリス。
西野:
でも、アリスさんとレイムさんが二人で買い物してた。
梶:
それだけなら友人同士の買い物だ。
西野:
二人で、マリサさんへの差し入れを選んでた。
梶:
そこだ。
本人不在にもかかわらず、会話のほぼすべてが霧雨マリサへ収束していた。
吉岡:
水着の話も、途中からマリサさんの話になってたよ。
西野:
アリスさん、黒い水着を見て「これ、マリサに似合うかしら」って言った。
梶:
本人不在で水着を選定か。
これは黒だな。白黒だけに
西野:
しかもレイムさんが「泳ぎに誘えば」って背中を押してた。
梶:
レイム×マリサ派とアリス×マリサ派の和平交渉が成立した。
吉岡:
アリスさん、水着は買わなかったけどね。
西野:
勝手に買わず、本人に選ばせる。
泳ぎには誘いたい。
でも誘ってもマリサさんが予定を守るか分からない。
完璧だ。
西野:
感情が全部マリサさんへ向いている。
木下:
対象者不在時の消費意思決定へ、対象者との関係性が与える影響としては有効な事例だ。
佐伯:
木下まで百合側へ行かないで。
木下:
安心して欲しい。
消費者行動の話をしている。
宮本:
二人に対立行動は確認できなかった。
役割分担は明確だった。
宮本:
アリスさんの人形が迷子を発見。
レイムさんが子供へ話しかけ、氏名と状況を確認。
アリスさんが複数の人形を展開し、保護者を捜索。
売場の店員と連携し、案内所へ移動。
別働の人形が母親を発見して誘導した。
木下:
二者間の協働としては、非常に円滑だった。
西野:
三角関係でギスギスしてなくてよかった派の気持ちも分かる。
梶:
しかし、対立しないからといって、感情が薄いとは限らない。
佐伯:
どうして対立させたがるの。
梶:
対立させたいわけではない。
今回は、二人とも相手よりマリサさんへ意識が向いていた。
西野:
そう。
二人で話してるのに、矢印が全部その場にいないマリサさんへ飛んでた。
吉岡:
三角形というより、二本の矢印?
宮本:
観察できた会話だけでは、マリサさん側からの方向は不明。
西野:
マリサさんが何を考えてるのか、全然分からない。
佐伯:
私たちが本人のいないところで勝手に推測しているからでは?
所詮私たち他人よ。
あらためて考えると、なにやってんだろ私たち。
――午後六時二十七分――
吉岡:
差し入れの選び方もすごかったね。
宮本:
アリスさんは、図書館へ持ち込むことを前提として食品を選んでいた。
木下:
選定条件は、片手で食べられる、屑が出にくい、匂いが強くない、再封可能であること。
梶:
マリサさんの食事特性を把握したうえでの購買行動。
西野:
甘い珈琲を選ぶ理由まで知ってた。
佐伯:
そこは素直に、親しい人の好みを覚えていたという話でいいと思う。
梶:
今の発言は、かなりアリス×マリサ派寄りだ。
佐伯:
違う。
西野:
前回、アリスさんで脳を焼かれたから。
佐伯:
焼かれていないから。
木下:
一人の対象者が、関係する相手によって異なる消費行動や生活行動を示す可能性はある。
宮本:
現時点では、マリサさん本人の購買行動を十分に観察できていない。
梶:
次はマリサさんを中心に観察する必要がある。
西野:
今回、レイムさんとアリスさんに百合はほとんどなかったのに、満足度は高い。
梶:
関係性は、当事者二名が同じ画面内に存在しなくても成立する。
吉岡:
マリサさん、一度も商業施設に来てないのに、ずっと話題の中心だったね。
宮本:
観察対象者の物理的不在と、会話上の中心性が一致しない事例。
佐伯:
学術用語にすると、私たちがまともな話をしているように見えるね。
――午後六時三十四分――
宮本:
百合の話とは別に、人形の件を確認したい。
佐伯:
ようやく戻ってきた。
宮本:
赤い服の人形が、迷子の指を両腕で抱えていた。
人形は迷子の歩行速度に合わせ、自律的に先導していたように見えた。
吉岡:
アリスさんが操作していたんじゃないの?
宮本:
本人もそう説明していた。
ただし、同時に少なくとも九体を別方向へ展開している。
木下:
高度な遠隔操作技術の可能性はある。
宮本:
急にSFがきた?
操作用の端末、送信機、映像確認装置は見つからなかった。
人形のうち数体は、アリスさんから別の階へ移動している。
梶:
前回の勝手に逃げる本に続いて、今回は勝手に働く人形。
佐伯:
勝手ではない。
アリスさんが動かしていると言ってたでしょう。
宮本:
マリサさんも、モップを使って落下速度を調整したと説明した。
木下:
教授には、人形の服の色、移動経路、迷子へ接触した方法まで報告した。
宮本:
教授の反応は?
木下:
実はだな
その話をしようと思っていた。
西野:
何かあった?
話、聞こうか。
――午後六時三十六分――
木下:
報告書を渡して口頭で補足したあと、教授から研究室へ残るよう言われた。
そして最初は、人形について細かく質問された。
木下:
赤い服だったのか。
人形が子供の手を引いたのか。
人形遣いは金髪だったのか。
その女性は、アリスと呼ばれていたのか。
宮本:
あれ?なんで名前まで?
佐伯:
教授は、アリスさんを知っていたの?
木下:
本人にも分からないそうだ。
西野:
どういうこと?
木下:
教授はしばらく黙ったあと、昔の話を始めてさ。
子供の頃、一度だけ見知らぬ森で迷子になったことがあると。
――午後六時三十八分――
木下:
教授が小学校へ入る前の、夏のことだったらしい。
当時、現在の商業施設がある場所には、古い貨物線と空き地があった。
木下:
遊んでいるうちに、見たことのない道へ入った。
ほんの少し歩いただけのつもりだったが、振り返ると貨物線も町も見えなくなっていた。
宮本:
どんな場所?
木下:
森と、獣道。
遠くに山があった。
空気や空の色まで違って見えたと言っていた。
木下:
戻ろうとしても、同じ場所へ戻ってしまう。
泣きながら歩いていたところへ、赤い服の小さな人形が現れた。
西野:
赤い人形か。まさか
木下:
人形は教授の指を抱え、道を先導した。
木下:
その先に、金髪の少女がいた。
周囲には何体もの人形が浮いていた。
吉岡:
アリスさん?
木下:
教授は、名前もそうだった気がすると言っていた。
ただし、六十年以上前の記憶なので、後から作られた記憶かもしれないとも言っていたな。
これは自己防衛行動から発言とも思えるけど。
宮本:
その少女は、教授をどうしたの?
木下:
近くの神社まで連れていった。
梶:
神社。おいまさか。
木下:
そこには、赤と白の服を着た女性がいた。
教授はその女性から水をもらい、外の子供だと言われた。
佐伯:
レイムさん?
木下:
違うそうだ。
教授の記憶では、現在のレイムさんより年上だったそうだ。
宮本:
当時の別の巫女。ってことだな?
木下:
おそらく。
その巫女と金髪の少女が、教授を元の場所へ帰した。
帰る直前、二人の会話の中で「幻想郷」という言葉を聞いたってさ。
――午後六時四十二分――
西野:
幻想郷。
名前が出たな。
吉岡:
教授、本当にそう言ったの?
帰還後は?
木下:
教授は、貨物線脇の空き地で発見されたそうだ。
家族の話では、いなくなっていたのは三時間ほど。
教授自身は一時間も経っていないと思っていた。
佐伯:
それが、今の商業施設がある場所?
木下:
帰ってから住所を確認した。
一致する。
宮本:
教授は、それを今までどう考えていた?
木下:
子供の頃の夢か、迷子になった恐怖から作った記憶だと思っていたそうだ。
大人になってからは、誰にも話していないって。
ああ、今日話したか。
木下:
だが、我々の報告に、赤い人形、金髪のアリス、赤白の女性が繰り返し現れた。
古書展では、本が自分で動き、マリサが魔法を当然のように説明した。
偶然だと思うには、共通点が多すぎると。
吉岡:
それ、教授の独り言というより、ほとんど告白では。
木下:
話している途中までは、私へ説明しているというより、自分の記憶を確認しているように見えた。
冗談ではない。そんなふうにみえた。
――午後六時四十五分――
佐伯:
それを、今ここへ書いて大丈夫なの?
木下:
教授も、話し終えたあとに我へ返った。
西野:
何て言ったの?
木下:
「今の話は忘れてくれ」と。
西野:
おい待てや。
忘れてくれと言われた話を、今、全員へ?
木下:
忘れてくれとは言われたが、みんなに話すなとは言われていない。
佐伯:
普通、それは同じ意味なの。
宮本:
意味論上は異なる。
木下:
そう異なる。境界が違う。
この情報は、我々が収集した観察記録の解釈に重大な影響を与える。
班員間で共有する必要があると判断した。
私がそう判断した。
吉岡:
教授の個人的な記憶でもあるのよ、これ。
木下:
だから、このグループの外へは出さない。
SNSにも書かない。
ほかの学生にも話さない。
西野:
分かった。
外には言わない。
梶:
わかった。
同意する。
約束する。
宮本:
記録としても、公開資料とは分離する。
佐伯:
あと、木下。今後教授から個人的な話をされたら、もう少し言葉の意図を考えて。
木下:
努力する。だが判断は私がする。
――午後六時四十九分――
西野:
まずさぁ。
幻想郷って、本当にあるの?
駅周辺からいきなり森に出るとか?
宮本:
教授の証言だけでは断定できない。
西野:
マリサさんは魔法を使う。
アリスさんは人形を飛ばす。
パチュリーさんらしき人は魔導書を買った。
レイムさんは巫女。
教授は幻想郷という場所で、人形遣いと巫女に助けられた。
梶:
すべてがつながった。
佐伯:
繋がってない繋がってない。
不思議が並んでるだけ。
一度、慎重に考えよう。
梶:
幻想郷は百合の楽園だ。
佐伯:
どうしてそこへ着地したの。
私、慎重に考えようって言ったよね?
梶:
六十年以上前から、女性二人が協力し、人間を守っている。
現在はレイム×マリサとアリス×マリサが並立し、対立せず、生活圏を共有している。
梶:
幻想郷は、関係性が自然発生する閉鎖生態系だ。
佐伯:
生態系と呼ばないで。
西野:
百合の楽園、幻想郷。
吉岡:
ひまわりでは?
――午後六時五十一分――
西野:
ひまわり?
梶:
なぜ、ひまわり。
吉岡:
楽園で、夏だから。
ひまわりがたくさん咲いていそうだなと思って。
宮本:
根拠は?
吉岡:
夏。
木下:
今じゃん。
季節的連想以外の根拠がない。
西野:
でも、幻想郷ってところに、ひまわり畑があったら似合うだろうね。
梶:
百合とひまわりの楽園。
吉岡:
夏だから言っただけです。
ひまわり、好きなんすよ。
――午後六時五十四分――
宮本:
今更だけど確認したい。
教授が迷子になった場所は、現在の商業施設の敷地と完全に一致する?
木下:
古い地番まで調べる必要はあるが、教授の説明した貨物線跡は現在の建物南側に重なる。
宮本:
では、我々が同じ施設で繰り返し遭遇していること自体、偶然ではない可能性がある。
佐伯:
どういう意味?
宮本:
彼女たちが、なぜこの商業施設へ来るのか。
あるいは。
なぜ、この場所から、この場所に、来られるのか。
――午後六時五十六分――
西野:
出口がある?
梶:
入り口かも
楽園への。
佐伯:
百合を一回外して。
出入り口でしょ?
木下:
教授も、場所そのものを調べる必要があると言っていた。
ただし、学生を危険へ近づけるつもりはないとも。
宮本:
古い地図と再開発前の資料なら、大学図書館で確認できる。
吉岡:
貨物線があった頃の航空写真も残ってるかも。
佐伯:
調べるのは公開資料だけ。
立入禁止区域へ入ったり、変な通路を探したりしないこと。
わかった?
西野:
分かってる。
梶:
まずは古地図だな。
ところで教授へ報告する?
宮本:
まだしない。確定。
木下:
なぜ?
宮本:
忘れてくれと言われたのは、木下だけだから。