『逆襲のシャア』の総帥に憑依した元商社マン、アクシズを落とさず地球圏を支配する 〜静かに暮らしたいだけなのに、アナハイムと狂信者に神輿を担がれて逃げられない件〜 作:なやむ
「百式」が大破し、クワトロ・バジーナが宇宙の塵となったはずの、あの最終決戦から一年。第一次ネオ・ジオン抗争と呼ばれるハマーン・カーンと連邦との抗争がハマーン側の敗北という形で決着したころ。
宇宙世紀0089年、彼は一年の昏睡を経て、ようやく目を覚ました。
「……っ、が……あ……」
うっすらと開けた視界に飛び込んできたのは、見覚えのない天井だった。
だが次の瞬間、全身を焼き尽くすような激痛と、ピクリとも動かない四肢の絶望感が私を襲った。
(動かない……。なんだこれ、高熱でうなされてるどころの騒ぎじゃないぞ。体中の骨がバキバキに折れてる感覚だ。それに、随分と長く寝ていたような……)
後に知ったことだが、この肉体はコックピットから奇跡的に生還したものの、文字通り満身創痍。
激痛によるショック死を防ぐため、この一年間、厳重な管理下で鎮静と覚醒を繰り返され、ほとんどの時間を昏睡の底で過ごしていたのだという。
ほどなくして、慌ただしい足音とともに、白衣を纏った医療スタッフたちがベッドの周りに殺到した。
「意識が……! 反応があります、瞳孔も正常です!」
「バイタル、安定しています……! 助かった、本当に……!」
計器を確認する医師や看護師たちの声は、感激のあまり震えていた。目に涙を浮かべる者までいる。
(あ、あれ……? なんかみんな、めちゃくちゃ喜んでる……? というか、ここどこだ? 私、何をしてたんだっけ……? そんな大層な患者だったのか、私?)
あまりの歓喜の熱量に戸惑いながら、私は霞がかった意識の中で、必死に自分自身の記憶を手繰り寄せようとした。
(俺は……確か、深夜まで残業して、タイ支社との価格交渉のメールを打ってて……そのまま寝落ちして……。あれ、次に目を覚ましたらこれか。労災どころの話じゃないぞ)
そうだ、私は商社の海外営業一筋で生きてきた人間だ。中国語やタイ語など、アジア諸語をどうにか実務レベルで叩き込んできた、ただの会社員のはずだった。
そんな自分の人生を振り返った、まさにその時。
突如としてノイズ混じりの異物が、津波のように私の脳裏へ滑り込んできた。
それは、この肉体の持ち主である「キャスバル・レム・ダイクン」という男が歩んできた、あまりにも重すぎる過去の記憶だった。
(なんだこの記憶は? え、な……ジオン・ズム・ダイクンの遺児? 宇宙移民の指導者の息子? 赤い彗星、シャア・アズナブル? 人類の革新、ニュータイプ……? いやいや、ちょっと待て。誰だこの男)
あまりの動揺に、私の心臓が激しく脈打つ。
(って、そもそもこの体、私のじゃない !? 顔も、声も、名前も、何もかも別人だ! 私はいつの間にかキャスバルという男の身体に憑依しているのか!?)
置かれた状況の異常さに、二重、三重の衝撃が押し寄せる。冷や汗が止まらなかった。
シャア・アズナブルもクワトロ・バジーナも宇宙世紀と呼ばれるこの世の中も全く知らない私にとって、脳内に流れ込む「戦争、暗殺、裏切り」に満ちた血生臭い経歴は、恐怖以外の何物でもなかった。
(……いや、落ち着け。これだけの大物の肉体なら、どこかに莫大な遺産くらいあるはずだ。なんとかどこか田舎の静かな土地にでも隠居し、一生のんびり余生を過ごそう)
そんな現実逃避が頭をよぎる中、主治医と思しき初老の男が、震える声で私に説明を始めた。
「よくぞご無事で……。総帥、まだお体は万全とは言い難い状態です。詳しいご報告や、今後の身の振り方につきましては、いま少し体力が戻られてから、責任者を交えて改めて――そうですね、数日中には、きちんとした場を設けさせていただきます」
医師の言葉に、私は内心で胸を撫で下ろした。
(数日後、か。それまでは大人しくしていろってことだな。好都合だ。その間にできるだけ体力を回復して、何とか逃げ出す算段を立てておこう)
しかし、数日の猶予に縋った私の浅はかな打算は、地獄の宇宙世紀の現実によって、即座に、木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
(え、ちょっと待て。なにか大勢の気配が近づいてないか? まさか今入ってくる気か? 冗談だろ、本当に今起きたばかりなんだぞ!? せめて数日後にしてくれ! こっちは指一本動かせないんだ、逃げ場なんてどこにもないのに……!)
治療室の重厚なスライドドアが、乱暴にロックを解除する不快な電子音とともに勢いよく滑り開いた。
部屋へ雪崩れ込んできたのは、とてもカタギとは思えない鋭い眼光と、ただならぬ殺気をまとった軍人たちだった。
付き添っていたはずの医療スタッフが、なす術もなく壁際まで押しやられている。
彼らは一斉に私のベッドの前に跪き、床に頭を擦りつけた。あまりの勢いに、床板が鈍い音を立てる。
「キャスバル総帥! ご無事で何よりです! 我らダイクン派一同、あなたのお目覚めを心よりお待ちしておりました!」
リーダー格の巨漢が顔を上げ、興奮を隠しきれない早口でまくし立てる。
「あのグリプス戦役の混戦の最中、エゥーゴの目を盗んで我々が総帥のコックピットを回収し、この極秘医療施設へ運び込んでから一年……!
本来であれば、総帥の御身がある程度回復されるまで、我々のような者が軽々しく御前に出ることは許されませんでした。
側近の方々は総帥の容体を最高機密として扱い、我々には一切知らせぬつもりだったようです。
しかし、我々は独自に情報を得て、遂に本日、意識を取り戻されたと聞き、いても立ってもいられず……このような無礼、平にご容赦を」
巨漢は血走った目を輝かせ、私の顔を見つめてくる。
(つまり……本来はもっとまともな連中が、数日後にちゃんと段取りを踏んで説明してくれるはずだったのにお前らが待ちきれずに一番乗りしてきたと?
一番厄介な奴らが一番最初に来るとか、運が悪すぎるだろ。見つけて回収してくれたのは嬉しいけど、平にご容赦を、じゃねぇよ!)
内心で激しく頭を抱える私を置き去りに、巨漢はさらに信じられない言葉を続けた。
「ハマーンめは、かつてコロニーを地球へ落とすという大胆な賭けに打って出ながらも、いざとなれば矛を収めるという弱腰を晒し、挙句、我々のように真に大義へ殉じる覚悟を持つ者たちを見限って組織を割った、所詮それだけの指導者に過ぎません」
巨漢の男はここで一区切りした。尚もその目だけが爛々と輝いている。
「今こそ、あのような日和見の徒に代わり、キャスバル様の下で我らが集結し、地球連邦の寄生虫どもに鉄槌を下す時です! すでに我が隊は、独自のルートで『小惑星』を確保しております。これを地球へ叩きつけ、あの忌まわしき重力に魂を引かれた者どもを根滅やしにしてやりましょう!」
(……はい?小惑星を落とすって言わなかったか今?)
男たちの話を要約すると、彼らは「ネオ・ジオン」という組織の主流派から「過激すぎる」として排除された、手に負えないはぐれテロリスト残党らしい。
そして、自分たちの神輿として私を祭り上げ、今すぐ地球に小惑星を落とす大虐殺を敢行しようと、ダイクン派の内部で論争の最中――という、文字通り最悪の状況だった。
その話を聞き、私は心底、唖然とした。そして、こんな熱狂的な信奉者たちに命を握られているという現状に気が付き、背筋が凍りついた。
(正気か、この狂信者たちは!? 連中が確保したという小惑星の規模を、脳内のキャスバルの知識で試算してみると……これは洒落にならない。下手をすれば、白亜紀末の大量絶滅を引き起こしたとされる隕石衝突に匹敵する、正真正銘、今住む地球人類を滅ぼしかねない規模の代物だ。そんな恐ろしいこと、絶対に許可できるわけがない!)
押し寄せるあまりの事態に、必死に「やめろ」と言おうと喉を震わせた。だが、その瞬間――。
「……諸君は、真に隕石を落とした後の、次なる世界が描けているのかね?」
私の喉から出たのは、現代人の情けない悲鳴ではなかった。キャスバル・レム・ダイクンが、自動的に翻訳・出力した美声だった。
「……総帥?」
過激派のリーダーが、怪訝そうに顔を上げる。
その場の男たちも一瞬で静まり返り、息を呑んでベッドの上の私を見つめた。
しかし、私の問いを「勝算について尋ねられた」と勘違いした巨漢の男が、さらに言葉を重ねてくる。
「キャスバル様、今や先の戦役によって連邦軍は疲弊しきっています。今こそ武力で連邦を打倒すれば、宇宙の民は必ずや我々に従うはず。我々には十分な勝算がございます!」
(隕石落とした時点で勝ち負けの話じゃないんだよ!この脳筋テロリストめ。虐殺者に喜んで従うわけないだろ。これだから困るんだよ!)
心の中で盛大に悪態をつきながらも、私の脳細胞は、脳内にインストールされた宇宙世紀の知識をフル回転させていた。何とかこいつらを言いくるめねば、企みが成功して地球が滅ぶか、失敗して私が連邦に消し飛ばされるかのどちらかである。
現状は首を動かすことすらままならない満身創痍の状態だ。しかし眼光だけは男たちを射すくめ、静かに言葉を継いだ。
「仮に隕石の投下が成功し、連邦に一時の痛撃を与えたとしよう。しかし、その後に残されるのは何だ」
(相手の利益を第一に相手目線で考えるんだ。あくまでスペースノイド自身の目線で諭す。現状、スペースノイドだけで経済が成り立つわけではないだろう)
「宇宙の物流も食糧も、いまだ地球と密接に結びついている。地球を物理的に破壊すれば、連邦が倒れるより先に、我々宇宙市民が飢え、窒息して全滅するだけだ。
それに諸君、地上で今も這いつくばって生きている民の中には、経済的な事情で宇宙に上がれず、我々を支え続けているスペースノイドの同胞や、君たちの血縁も大勢残されているのだぞ。
腐敗した連邦打倒の為に同胞を虐殺し、勝った瞬間から己の首を絞める道行き――それが、父ジオンの望んだ『スペースノイドの解放』かね?
ただの自暴自棄な心中を大義と勘違いしてはいけない。私はそのような愚を選ぶつもりはない」
それは、自分が巻き込まれて死にたくないという一心から出た意見だった。だが、男たちはまるで神託を聞いたかのように、ただ息を呑んで静まり返るしかなかった。
キャスバルに憑依した一般人の命がけのハッタリが、宇宙世紀の歴史を歪め始めた瞬間だった。