『逆襲のシャア』の総帥に憑依した元商社マン、アクシズを落とさず地球圏を支配する 〜静かに暮らしたいだけなのに、アナハイムと狂信者に神輿を担がれて逃げられない件〜 作:なやむ
あの秘匿医療施設での一件から、1年が経っていた。
強制的に「選挙互助会」へと鞍替えさせた狂信的な部下たちの手厚い、ある種の過剰な看護のおかげで、私の体は杖歩行ができる程度にまで回復していた。
(あの号泣事件以来、こいつら妙に世話焼きになったんだよな……。おかげで命拾いはしたが、今度は「総帥に万一のことがあれば我々は全員後を追う所存です」とか真顔で言われて、それはそれで胃が痛い)
まだ本調子とは言い難い身体を部下たちに支えられるようにして、私は月面のフォン・ブラウン市へと降り立っていた。表向きは療養中のご静養という名目だが、実態は選挙資金集めのための、待ったなしの資金調達ツアーである。
(本当は、もう少しリハビリが進んでから、目立たない範囲でこっそり動きたかったんだがな。スケジュールの都合上仕方ない。アナハイムの会長はあの分厚い政策資料読んでくれたかな……)
キャスバルを迎えたのは、地球圏最大の巨大複合企業アナハイム・エレクトロニクスの最高権力者、メラニー・ヒュー・カーバイン会長である。
「キャスバル・レム・ダイクン殿。ご帰還を歓迎し、ご無事をお慶び申し上げます」
言葉は最上級の敬意を含んでいるものの、本心は別にある。まさに慇懃無礼といったところだ。
「お気遣い痛み入る、メラニー会長」
メラニーはフッと満足そうに目を細めると、社交辞令の仮面を外し、冷徹な最高権力者の顔へと切り替えた。
「さて、そろそろ本題に入るとしましょう」
死の商人としての顔も持つメラニーは、机の上に機密書類と、結晶構造を持つ不思議な素材サンプルを差し出してきた。
「こちらは我が社が誇るサイコミュ基礎研究の賜物です。あなたが再び『大いなる目的』のために動かれるのであれば、これ以上の投資先はないと考えておりますが」
(この兵器密売の誘いに乗ったら、それこそテロの片棒担ぎだ。穏便に、穏便に……。
というか、こっちは事前に平和に経済的にやっていくって明示した資料を送って『私はビジネスをしに来た』と明確に示してあるんだよ。
それを承知でわざわざこんな物騒なオモチャを見せてくるってことは、私がまだ戦争を諦めていない『赤い彗星』のままなのか、それとも本物の実務家なのかをテストしてるんだな)
「メラニー会長。兵器の受注というハイリスクな話は、今日で終わりにしないか。私が事前に送付した『サイド8計画』。これこそが私の本命だよ」
「ほう?」
私が兵器ビジネスの誘いを一蹴した瞬間、メラニーの値踏みするような視線の温度が変わった。
「私は近く、連邦議会選挙に出馬する。全人類の宇宙移民を、法と制度の力で推し進めるためにね。しかし連邦の財布はとっくに空っぽで新造サイドレベルの建設までは手が回らない。
そこで、アナハイムが『無料で』サイド8のコロニー群を建築する。その代わり、小惑星の自由採掘権とサイド8のインフラ関連の利益をすべて御社で独占する……この『サイド8計画』の法案を私が通す。これが今日貴社へ提案したいことだ」
「あのサイド8計画ですね。事前に送っていただいた資料は読ませていただきました。机上の計算としては、確かに完璧でしたな」
メラニーは組んだ指に顎を乗せ、話を続ける。
「だが、数億人が暮らす巨大コロニーの建設費を我が社が丸抱えするとなれば、多大な利となる小惑星の自由採掘権を得たとしても、初期投資だけで財務が傾きかねん。見かけ倒しの赤字案件では?」
「まさか。会長は建設フェーズの損得だけで計算している。私が提示しているのは、その後に続く数十年規模の永続的な収益構造だ。所有権はアナハイムが握り続け、気密保持や空気・水の循環使用料を、独占ライセンスで徴収し続ける。初期費用など、数年分のインフラ維持費とマージンで回収できる」
コロニー本体を提供し、その後の使用料で永続的に利益を得る。前世のハードウェア・ビジネスの基本だ。ダイクン派の部下たちが作成した資料の数字が、私の営業トークに絶対の裏付けを与えていた。
それから小一時間、メラニーは切り口を変えて何度も牙を剥いた。「集金構造が過酷すぎればスラム化と暴動を招くのでは」「連邦の地球至上主義派が、この超巨大利権を黙って見ているとは思えない」「テロリストの卵であるジオン残党兵をどう扱うつもりだ」――こちらが真に平和的手段を取るつもりなのか確かめるようだった。
そのたびに、私は事前資料のページ番号をそらんじながら切り返した。特にジオン残党兵の処遇については、法的地位の保障と引き換えに、最低三十年の就労と賠償税の徴収を条件とする和解協定の草案まで、すでに用意してあった。
(……まぁ、傍から見れば連邦の基幹インフラをアナハイムに丸ごと売り飛ばした、最悪の利権誘導に見えるだろうな。売国奴って叩かれても文句は言えん。
だがな! この『サイド8計画』こそが、難民問題と治安問題を同時に処理できる唯一の一石二鳥のパッケージプランなんだよ!
この計画なら、難民をサイド8へ移住させ、同時に行き場を失ったジオン残党を建築労働者としてまとめて回収できる。難民には生活基盤を、過激派には合法的な働き口を同時に与えられるんだ)
一息つくため、私は手元の冷めたコーヒーに口を付けた。
最高層にある会長室の巨大なガラス窓の向こうには、太陽光を浴びて白銀に輝くフォン・ブラウンのクレーター都市と、漆黒の宇宙空間が広がっている。その静寂とは対照的に、室内には冷徹な利害の計算だけが満ちていた。
(サイド8計画レベルの事業を今しなければ、そもそも連邦政府っていう国家自体が衰退、破綻して消滅するんだよ。連邦の財布はとっくに空っぽで、難民の維持コストだけで財政は破綻寸前。しかもここにジオン残党への治安維持費まで乗っかっている。
ここでアナハイムを引っ張り出して身代わりの財布になってもらわなきゃ、食い詰めた連中がそれこそまた戦争を始めるんだ。綺麗事じゃ腹は膨れないし、国家の延命措置としてはこれしかないんだから、仕方ない……!)
「……いかがですか、メラニー会長。
この計画は、天文学的な開発規模によるスケールメリット、そして御社の最新鋭の自動建築重機を大量投入することにより、過去最小の住民負担金で宇宙世紀史上最高峰の居住性能を両立した、奇跡のコロニー群となります。
さらに、元ジオン兵という最大の不安定要素が、ここで合法的な働き口を得る。これによって連邦政府の治安維持費は劇的に削減され、彼らはテロリストから健全な消費者へと生まれ変わるのです
もちろん、初期投資がかさむ立ち上げの数年間は、貴社にとって最も神経を使う時期になるでしょう。だが、そこを支えるのが私の役目だ。私が政治の場に立ち続ける限り、この計画の後ろ盾が揺らぐことはない」
メラニーは手元の資料をパタンと閉じた。老獪なベテラン経営者の顔で、最後の一撃を放ってくる。
「……なるほど、あなたの政治力でその規制の壁を突破し、サイド8という器を用意できる公算は認めましょう。だがダイクン殿、そこに入る人間の冷酷な現実を、あなたはどれほどご存知か?」
突き放すような口調が続く。
「地球に取り残されているアースノイドの大半はね、電子端末の操作すら満足にできない、無学な貧困層だ。高度な宇宙環境にいきなり放り込めば、適応できずに死ぬか、良くてスラムを形成するのがオチだ。精神論でニュータイプにでも覚醒させるおつもりか?」
(あ……それ、よく分かるわ)
メラニーのシビアな言葉に、私の心は強烈な既視感で満たされた。前世の海外営業時代、文字の読めない現地作業員が数億円のプラントを爆破させかけたあの悪夢が、瞼の裏をよぎる。
「精神論など必要ないよ、メラニー会長」
私は微笑んで答えた。
「必要なのは、彼らをいきなり高度な宇宙市民に仕立て上げることではない。まず地球の難民居住区の至近に技能訓練校を立ち上げ、文字が読めなくても扱える直感的なOSと、動画化されたマニュアルを用意する。
これは連邦政府に対する『不法居住者を速やかに地球から退去させるための、合法的な引き揚げ準備施設である』という大義名分にもなる。
彼らを地球で教育し、月を中継地として段階的に環境へ適応させ、現場には仮設コロニーと街を先行提供する。数年働いた者には、完工後の永住権を約束する」
「……仮設コロニーと永住権、ですか」
「ジオンの退役兵や武装難民も同様だ。彼らが銃を取るのは、飢え死にするからに過ぎない。ならば銃を握るより効率よく、家族を養える給与と市民権を終身雇用の形で与えればいい。失うものができた人間から、テロには手を染めなくなる」
私はメラニー会長のような現実主義の政商が嫌う『ニュータイプ』などの抽象的な精神論には一切触れなかった。
「新築されるインフラ市場そのものを、教育と雇用のサイクルにするのだ。彼らの子供たちの世代で、最高の高等教育を施せばいい。……三十年はかかる、大事業だがね」
(うん、完全に前世の治安が悪い地域での共同企業体のやり方のパクリなんだけどな……! でも、これで連邦は難民を地球から追い出せて、難民には明日の仕事が、ジオン残党には三十年分の飯のタネが、アナハイムには安価な労働力が手に入る。全員の利害が一致すれば、誰も戦争を起こさなくなるはずだ)
メラニーは、今度こそ言葉を失っていた。
「……なるほど」
唇の端が、この日初めて、感嘆を帯びて歪んだ。
「兵器産業の枠を超えた、半永久的なインフラの構築と独占。結構。あなたの思い描く未来に、我がアナハイムも一枚噛ませていただきましょう。この試作金属チップも、我が社からの誠意の頭金としてお渡しいたします」
「話が早くて助かる。賢明な判断を感謝する、会長」
商談が完璧に成立し、私は心底ホッとしていた。
―――――
滞在先のホテルに戻ると、私はメラニーから贈呈された「素材サンプル」を机に置いた。緑色の妙に質感の良い、綺麗な長方形のチップだ。
(これ、兵器そのものじゃなくてただの試作部材だよな? ならまあ、記念品程度に持っておいても実害はないだろう)
結局、私はそれをアクセサリー代わりに普段から身に付けることにした。懐にあるとなぜか精神的に落ち着くからだ。
しかし、彼が「御守り代わりのちょうどいいアクセサリー」として身に付けたそのチップが、後に実用化される極秘素材「サイコフレーム」の雛形であること。そしてそれが本人の意思とは裏腹に、世界を揺るがす事態を引き起こす引き金になることを、彼はまだ知らなかった。
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のちに、メラニー・ヒュー・カーバインはあの日の会談について身内にこう語っている。
「事前に送られてきた計画書があまりにも精緻で、机上の空論か本物の野心かを見極める必要があった。もし彼がそこで武力闘争の支援を求めてきたなら、私は彼を『ただの危険なテロリスト』として切り捨てるつもりだった」
「ところが、彼の口から出てきたのは、驚くほど泥臭い、市場と財政の話だけだった。あれは計算高い策士というより、単に妙なところで潔癖な変わり者だ。あの日サインした契約書は、私の生涯における最良の投資だったと、今では思っているよ」
何かと二次創作の分野では「死の商人」や「諸悪の根源」として悪者にされがちなアナハイム社ですが、難民問題と武装反乱によって財政破綻寸前、絶賛衰退中の地球連邦政府を、その圧倒的な資本力で救えるのもまた、現時点ではアナハイムしか存在しません。
本文にもある通り、キャスバルによる『サイド8構想』は、連邦を今の形のままなんとか延命させるための、苦渋の決断です。
なぜならいくらキャスバルが政治の世界に出たとしても、このレベルの超巨大事業を回して社会構造そのものを変えない限り、ただ放っておくだけでは、いずれ歴史通り『Vガンダム』の時代のように連邦が名実ともに形骸化・衰退していく未来しか残されていないからです。