起床を伝える角笛が鳴るころにラテンは自分の天幕に戻った。
魔獣には先ほどの場所に待機してもらい、二回目の角笛が鳴ったときに自分のところに来るように伝えた。魔獣自身はそのままラテンについていきたかったらしく、途中まで一緒に来ていたのだが、起床してからこの世界最強の生物である魔獣に出会ったら衛士たちがパニックに陥るのは目に見えているためあの場にとどまってもらった。開戦に便乗して魔獣が味方になることを伝えれば衛士たちの士気が一層上がると考えたからだ。
「お前ら、絶対睡眠足りてないだろ」
天幕を開いて目に映ったのは、寝ているのか食べているのか見分けがつかない五人の女性たちだ。堅焼きパン二枚の間にチーズと干し肉、干し果物を挟んだシンプルなサンドイッチをゆっくり口に運んでいる。その傍らではロニエが少しずつそれを千切ってキリトに食べさせていた。
変わってやるからお前も食べろ、と喉に出かかった寸前、それよりも早く自分の腹部が空腹を主張した。よくよく思い出してみれば、ラテンは朝食を取っていない。その場にいた全員がラテンのほうへ顔を向け、数秒遅れてぷっ、と噴き出した。
「あなたは食事が足りてないようですね」
リリアの返しに苦笑いをすると、傍にいたシャロンからサンドイッチを渡された。一言お礼を言うと、口に運ぶ。お腹が減っているからであろうか、あるいは単純に組み合わせがいいからなのであろうか、非常においしく感じられた。
不意にユウキから声をかけられる。
「ラテンはどこに行ってたの?」
「え? ああ…………森の中?」
「なにそれ」
この場で魔獣のことを説明するのもいいのだが、長くなりそうな気がするため後にしたほうがいいだろう。
ラテンのサンドイッチがすべてなくなるころに、敵襲を告げる角笛が野営地に響き渡った。
ジャビを刀の姿に戻し、帯刀しながら黒い森を走る。後ろには武装を終えたユウキとリリアがついてきている。
黒い森が切れるあたりに到着すると、そこにはすでにベルクーリの姿があった。
少し遅れてアスナ、アリス、レンリ、シェータが到着すると、厳しい表情でうなり始めた。
「なるほど、敵側のリアルワールド人の遣り口は相当なモンだな。皇帝ベクタが、思い切った手に出たようだ」
続いた言葉にラテンは渋面を作る。
侵攻軍はアスナが作った巨大な峡谷を十本の荒縄を橋代わりにして横断を強行しているらしい。いくら強靭な肉体を持っているとはいえ、幅は約百メル。渡り切るには、膨大な体力及び精神力を消費するだろう。それが足りない者は落下し、命を落とす。
どう考えても命を重んじている作戦とは言えない。ベクタにとってこの世界の住人は、《光の巫女》を手に入れるための捨て石でしかないのだ。
やり場のない怒りが溜まるのを感じると、後ろから巨大なしっぽがラテンを包み込んだ。その場にいた全員がラテンの後方へと顔を向ける。
「ま、魔獣!? 何でこんなところに!?」
第一声を上げたのは少年騎士レンリだった。急いで神器を抜き、構える。さすがは整合騎士だ。対応力が高い。
他の整合騎士も神器に手を付け始めるとラテンはしっぽを無理やりどかしながら声を上げた。
「ま、待ってくれ。こいつは敵じゃない」
警戒心を緩めない騎士たちに続ける。
「この魔獣は東の森で出会って、リリアと俺を連れてきてくれたんだよ。それで、興味本位でここまでついて来てくれたんだ。な?」
「え、ええ」
とっさにリリアは答える。
それを見たベルクーリは《時穿剣》から手を放す。
「じゃあそいつは敵じゃねぇってことでいいんだな?」
「ああ」
「そうか。それはありがてぇな」
「騎士長!?」
レンリが驚きの声を上げる。確かにレンリの気持ちはわかる。この魔獣は、飛竜のように整合騎士に従っているわけではない。ただ興味本位でここまでついてきただけなのだ。今は味方でも興味を失えば敵になる可能性がある。
ベルクーリはレンリが懸念していることが分かっているらしく、顎をさすりながら口を開いた。
「あの魔獣が味方に付いてくれるほど心強いものはねぇだろ。敵になったときは俺が斬るから安心しろ」
「……わかりました」
しぶしぶ了承したレンリは神器をしまう。
一方魔獣は、ベルクーリの言葉が癪に障ったのか「ぐるる」と小さく唸った。それを慌ててラテンがなだめる。
「そんで、話を戻すが……」
再び真剣な表情に戻ったベルクーリがさらに続けた。
「こいつは戦争だ」
その両目には苛烈な光が浮かんでいる。ベルクーリ自身もベクタのやり方に怒りを感じているのだろう。そのまま、この世界最年長の男は続けた。
「異界人のアスナさんたちはともかく、オレたちが暗黒界軍に情けをかけてる場合じゃねぇ。この機は……活かさねばならん」
「機……と?」
鸚鵡返しにアリスが問う。
「そうだとも。……騎士レンリよ」
突然名前を呼ばれた若い騎士はさっと背筋を伸ばした。
「は……はいっ!」
「お前さんの神器、《
「はい、通常時で三十メル、武装完全支配術を使えば七十……いや百メルは」
「よし。では……これから我ら五騎士で、敵を攻撃する。オレとアリス、リリア、シェータはレンリの護衛に専念。レンリは、神器で敵軍の張った綱を片っ端から切れ」
容赦の欠片もない作戦。
敵は横断用の綱を必死に防衛するだろうが、その頭上を飛び越えて直接攻撃をするレンリの雙翼刃の前では意味がない。
こいつは戦争だ、というベルクーリの言葉が頭の中に強く浮かび上がる。敵がラテンの大切な人を傷つけてくるのならラテンも容赦はしない。容赦はできない。
「ラテン?」
厳しい表情をしていたラテンの左手から体温が伝わってくる。
その手を強く握り返した。
「絶対……守るから」
「うん」
ユウキが小さく笑いながら頷いた。それを見ていたベルクーリはラテンに声をかける。
「お前さんたちはどうする」
ラテンとユウキは顔を見合わせると、同時に頷いた。
「もちろん俺たちも行くよ」
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
銀色の光を反射させながら暁の空に弧を描く《雙翼刃》が、太いロープを真ん中から切断すると、長大な蛇のように宙をうねりながら、しがみついていた数十人の敵兵たちを弾き飛ばしていく。掴むものがなくなった彼らは底無しの峡谷へと落ちていく以外に選択肢はなく、怒りや虚しさに似た悲鳴が数十メル離れているラテンの耳に届く。その声を振り払うようにラテンは刀を抜いた。
正面から三人。左から二人。
ラテンは正面方向に地を蹴った。
最初の一人の大振りを体をひねって避けると、がら空きになった腹部に刀をたたきつける。分厚い鎧をものともせず貫通させると、右腕を引き戻し、二人目の上段斬りを両手持ちで受ける。だがそれも一瞬で、手に重みを感じるのと同時に左手首をひねり受け流すと、首に向かって刀を振り切った。そのまま左足を踏みだし、三人目が剣を振るよりも早くラテンが左腕を伸ばす。首に刀が突き刺さった暗黒騎士はうめき声をあげながらその場に崩れた。
刀を素早く引くと、振り向く。左から迫っていた二人の暗黒騎士がラテンに剣を振ってくる頃合いだからだ。だが、振り向いたラテンの目の前にいたのは、漆黒の鎧を包んだ二人の騎士ではなく、一人の少女だった。
「ユウキ……」
すぐさまその少女に駆け寄る。
ユウキの手は心なしか小さく震えていた。ラテンも初めはそうだった。マリンを助けるためにゴブリンを斬ったあの感触。あれは偽物なんかじゃない。きっとユウキは今、あの恐怖と罪悪感を味わっているのだろう。
ラテンができることは何か。彼女の手を包んで、一人じゃないことを伝えるだけだ。
だが、ラテンがユウキの手を握るよりも早く彼女がラテンの手を握ってきた。
「大丈夫だよ。ボクは大丈夫」
彼女はなんて強いのだろう。戦意喪失してもおかしくはないというのに、強いまなざしを保ったままでいる。
「ユウキは、強いな……とても、強い」
「ううん、違うよ。ボクが立っていられるのは、ラテンが……いるから」
小さく呟きながらユウキの手がラテンの手に絡む。彼女もラテンと同じなのだ。大切な人がいるから、立っていられる。前を向き続けられる。
ラテンがユウキの手を強く握り返そうとしたのと同時に、凛とした声が二人に降りかかる。
「ちょっと、そこの二人! ここは戦場ですよ!」
ビクッと肩を震わせて慌てて手を放す。振り向けば、鬼の形相をしたリリアが立っていた。
「わ、悪い。ついな」
「……別にああいうのは構いませんが、場所を選んでください。場所を」
最後に一つ大きなため息をつくと、《雙翼刃》を操っているレンリの元へ戻っていく。ラテンとユウキも一度顔を見合わせて、その後をついていく。
ラテンたちが到着するころにはすでに数百人の敵兵が峡谷を渡り終えていて、ロープを守るために果敢に攻撃をしてきた。ほとんどの敵兵は、ベルクーリ、シェータ、アリスの三人で斬り伏せていたのだが、先ほどの敵のように数名は側面を回ってくるため、ラテン、ユウキ、リリア、アスナの四人はレンリの近くにいる。
「――よし、六本目いくぞ!!」
ベルクーリの力強い声が後方に降りかかる。それと同時に、さらに後方から角笛の音が高らかに響き渡った。
振り向けば、約一キロ離れた丘を、整然と隊列を組んだ人界守備軍囮部隊の衛士たちが駆け下りてくる光景が見えた。騎士たちに遅れること僅か十五分で武装と編成を整え、出撃してきたのだ。
「ったく……大人しくしてない奴らだ」
ベルクーリは渋い顔で衛士たちを見たが、峡谷を渡り終えた敵兵の数は五百ほどに達しているため、ラテンたちにとってこのタイミングの援軍はありがたい。この調子なら残り五本のロープもすぐに切ることができるだろう。
「問題はベクタだな。こんな状況ならいつ単身で乗り込んできてもおk……!?」
ラテンはそこまで言って言葉を切る。理由はその視線の先に広がる空だ。
血の色のような朝焼けのそこから、不思議なものが降りてくる。
空よりも真っ赤に輝く線。一本だけではない。数百……いや、数千。
無数の線によく目を凝らしてみると、微細なドットの連なりであることが解る。
大量のドットの連なりが、峡谷のこちら側、戦場から東に一、二キロほど離れた場所に音もなく降り注ぐ。そしてそれらが乾いた地面に突き刺さると、スライムのような形から人の形をとる。
「なんだよ……あれ」
ラテンの問いに答えるものはこの場にはいない。
皇帝ベクタが呼び出した軍勢であることは明らかだろう。しかし、一体どこから三万にも上る兵士たちを引っ張り出してきたのだろうか。
――兵士生成がベクタの能力。
一瞬その考えが頭をよぎったが、その可能性は低いだろう。そんな能力なら、人界軍はとっくに数に飲み込まれていただろう。
正体不明の大軍が数百メートル先まで迫った途端、ラテンの疑問が解決する。
「
「
間違いなくそれは、現実世界の言語である英語だ。英語圏の中にはたくさんの国があるが、どの国からやってきたのかはこの際どうでもいいだろう。どう見ても彼らはこちらを敵と認識して突っ込んできている。三万もの軍勢を相手にできるほどこちらには数がいない。
《真思》を発動するべきか。
いやそれでは全員を対処しきれない。この場にラテンだけしかいないなら今すぐにでも使うのだが、同時に相手にできるのはせいぜい両幅三メル前後。それ以上はとりこぼしてしまう。
それに加えおそらくベクタはこの混乱に乗じて乗り込んでくるはずだ。アリスから目を離すことはできない。
頭をフル回転させるラテンに叫び声が耳に入り込む。
「な、何を……!?」
「お前たち、味方じゃないのか……!?」
見れば暗黒騎士や拳闘士たちが、赤い兵士たちに襲われていた。彼らは驚愕の声を漏らしながら攻撃を防ごうとするが、数が違い過ぎることに加え、赤い兵士たちの武器や鎧のスペックは侵攻軍よりも上らしく、次々と剣や盾がへし折られ、砕かれていく。
侵攻軍を皆殺しにしたら、すぐにでもこちらに襲い掛かってくるだろう。迷う余地はない。ベルクーリの武装完全支配術で横を埋めてくれれば多少は時間を稼ぐことができるはずだ。その間に人界軍を退避させればいい。
「リリア、アリスから目を離さないでくれ。ユウキはアスナの傍に――ってアスナ!?」
「システム・コール! クリエイト・フィールド・オブジェクト!!」
ラテンが指示し終えるよりも早く、アスナが細剣を振り下ろした。
ラ――――、という荘重なサウンドエフェクトが響き渡る。虹色の光が赤い軍団と暗黒界人たちの衝突点よりも少し先に突き刺さる。
突如、地面が震動し、五つの巨大な岩石が出現し、一気に三十メートルほどせり上がった。岩石の上にいた赤い兵士たちは、何も抵抗できず数百単位で宙を舞う。いくらスペックが高い防具とはいえ、高所から落下すればひとたまりもない。ほとんどの者が地面に激突し、大量の血肉をばら撒いた。
きっと彼らは今頃ログアウトし、痛みと死の恐怖に震えていることだろう。中にはこのことがトラウマでゲームができなくなる者もいるかもしれない。だが、この世界で死ぬということはそういうことなのだ。彼らには悪いが、こちらもいっぱいいっぱいなのだ。だから、手加減はしない。
「アスナ!」
ユウキが馬の背中に倒れこんだアスナを慌てて支える。地形操作をしたためおそらく強烈な痛みが頭に襲い掛かっているのだろう。
「おい、無理はするな」
ゆっくりと鞍上で体を起こしているアスナに声をかける。だが、ラテンの声が聞こえているのかいないのか、荒い呼吸を繰り返しながら彼女は再び剣を掲げようとする。
無理やりにでも止めるべきか。
ラテンが右手を上げるのと同時に、アスナの右腕を金色の籠手が押さえた。
「……アリス……!?」
「無理をしないで、アスナ。あとは私たち整合騎士に任せなさい」
「で、でも、あの赤い兵士たちは、リアルワールドの……私たちの世界からやってきた敵なの……!」
「……だとしても。ただ闇雲に血を求め、剣を振り回すような連中ならば、何万いようと恐れるに足りません」
「そうだとも。オレたちにも、少しは出番を分けてくれよ」
アリス言葉を引き取り、騎士長ベルクーリが太く笑った。
「こいつらは強いよ。俺が一番よく知ってる。だから……もう少し信じて任せてもいいと思うぜ」
「……うん」
アスナはゆっくりと、そして強くうなずいた。
それを見届けたベルクーリは磨き込まれた長剣を高々と掲げると、強靭な声を響かせた。
「よおォし!! 全軍密集陣形!! 一点突破でずらかるぞ!!」
ちょっと更新遅れました。すいません!!
それと今回は長くなりそうだったのでいったん切りました。申し訳ないですm(_ _)m