拳闘士団が決死の思いで開いてくれた突破口を抜けてから数分後。枯れ木が連なっていた森が途切れ、すり鉢状の巨大な窪地が前方に出現した。その中に細い道がまっすぐに伸びている。菊岡の話が正しければこの先に《果ての祭壇》ことワールド・エンド・オ―ルターがあり、どこかにアリスを連れ去った皇帝ベクタとそれを追ったラテンがいるはずだ。
きっと大丈夫。
そんなことを願いながら、すでに七百にまで減ってしまった人界軍の兵士たちと共に可能な限りのスピードで南進する。
巨大なクレータのふちを越え、下り坂を駆け下り、、すり鉢の底に部隊が差しかかった、その時。
何かが低く震えた。
虫の羽音のような震動音。
「……なんでしょう?」
隣にいたリリアも気づいたようで、辺りを見渡す。ユウキもそれに続いて四方八方を見渡すが、あるのは赤黒い地面だけだ。
(疲れてるのかな)
極限の集中状態で赤い兵士の軍団と戦っていたため、その疲れが今になってどっと出たのだろうか。しかしそれならば、リリアや同じように辺りを見渡しているアスナにも共通のものが聞こえているのはおかしい。
視線を再び正面に戻すと、ユウキは目を見開く。
目の前に広がる光景は先ほどまでとは少しだけ違った。
「…………え?」
か細い声がユウキの口からこぼれる。
赤く、細いライン。
ランダムに点滅する小さなフォントの羅列が、空から何百本も伸びてくる光景を見たのはこれで二度目だ。
この後に起こるであろう光景が頭の中で自然に浮かび上がる。
同時に、驟雨にも似た轟音が炸裂した。
赤いラインは左右へと広がりながら、無数に降り注ぐ。クレーターの縁に沿って高密度のスクリーンを作り、人界軍を完全に閉じ込めた。
「くそっ、囲まれやがったか……。全軍、密集陣形で一点突破だ! リリア、レンリ、武装完全支配術で道を開け!」
ベルクーリが指示を飛ばすと、二人の整合騎士が即座に返事をして詠唱し始める。それが終わると、二人を先頭に人界軍はクレーターの斜面をまっすぐ駆け上がり始めた。赤い兵士の軍団は、目の前にまで迫ってきている。
それらが衝突する寸前、クレーターの真上で突然、空の色が変わった。
血のように赤い空が十字に引き裂かれ、紺碧の青空がその奥に広がっている。
突進を始めていた人界軍もそれを待ち構えていた赤い軍団も、同時に天を振り仰いだ。
まるで宇宙まで続くかのような、無限の蒼穹。
その彼方から、白く輝く星が降ってくる。
よく目を凝らしてみれば、星ではなく人だとわかった。
空と同じ濃紺の鎧と、雲のように白いスカート。激しく揺れる短い髪は水色。手には巨大な長弓が握られており、それに白い光が反射して星のように見せていたのだ。
顔は逆光によって、よく見えない。
その謎の人物はこちらを一瞥すると、身の丈に迫るほどの長弓を天に向けて構える。
右手が朧に光る弦を引き絞った途端、一際強烈な閃光を放ちながら、純白に煌めく光の矢が出現した。
誰もが唖然とその人物を見つめていると、ユウキのすぐ後ろにいたソルティリーナが囁いた。
「………ソルスさま……?」
まるで、その呼びかけに応えるかのように眩い光の矢が、空に向けて垂直に発射された。
瞬時に分裂し、あらゆる方向に広がる。
鋭角な弧を描いてターンすると、白熱するレーザー光線と化して地上に降り注いだ。
光が止むと、人界軍の前にいた赤い兵士たちは黒焦げになった死体へと姿を変えていた。次々と光になって消滅していく。
人界軍の進行方向の敵をなぎ倒したということは、人界軍の味方であるに違いない。ゆっくりと浮遊しながら降りてくる人物を目で追う。
その人がユウキとアスナの前に降り立つと、二人は目を丸くした。
「お待たせ、アスナ、ユウキ」
「「シノン!?」」
絶望的な状況を助けてくれた謎の人物は、ALOで出会って、友達になったシノンだったのだ。
ユウキとアスナの二人は戦闘中にも関わらずシノンに抱き着く。
その二人の背中を優しく擦りながら、シノンはそっと囁いた。
「頑張ったね。もう大丈夫……あとは私に任せといて」
二人が離れるとシノンは、長弓を前方に向け、右手で軽く弦をはじく。
十センチほど引いたところでそれを止めると、先ほどよりもずっと細い矢が出現した。その先端を南で立ちふさがっている赤い兵士たちに照準した。
ビシュッ、とささやかな発射音と共に放たれた光線は、分裂しながら直径十メートルの範囲に着弾し、大きな爆発を引き起こす。赤い兵士たちはたちまち空中に吹き飛び、光となって消滅した。
「いやぁ、こいつは驚いた」
ぬっ、と顔を出したのは騎士長ベルクーリだ。
「アスナさんとユウキさんの知り合いかい?」
「はい、大切な……友達です」
アスナの言葉にベルクーリは顎をこする。
「つうことは、リアルワールドから来たってことか。……まあ、何にせよ助かった。ありがとう」
感謝の言葉にシノンは頷く。
すると、ようやく状況が把握できたのか、赤い兵士たちが口々にに罵り声を喚きながら、津波となって人界軍へと駆けだしてきた。
シノンが素早く口を開いた。
「ここから五キロくらい南に行ったところに、遺跡みたいな廃墟が見えたわ。道はその真ん中を貫いてて、左右にはでっかい石像がいくつも並んでる。あそこでなら、包囲されずに敵を迎え撃てると思うわ」
「そりゃあ、ありがてぇ情報だ」
ベルクーリは頷くと、即座に指示を飛ばす。
それを見たシノンは、小声でアスナに訪ねた。
「……その、キリトは、この部隊にいるの?」
「いまさらそんな、水臭い訊き方しなくてもいいわよ。キリトくんは、ココ」
「え、そうなの。じゃあ……ちょっと、挨拶してくるね」
ごほんと咳払いしてから、シノンはキリトがいる馬車の中へと歩いて行った。
一分ほどで戻ってくると、ユウキとアスナに声をかける。
「そういえば、ラテンはどこにいるの? 別の場所?」
ユウキとアスナは顔を見合わせると、シノンに状況を説明した。
すべての鍵となる整合騎士アリスが、アスナとシノンと同じくスーパーアカウントを使ってダイブした皇帝ベクタに拉致され、遥か南を竜に乗って飛行中であること。それを追っているのがラテン一人であること。
「となると……私はラテンの加勢に行った方がいいかもしれないわね」
シノンが小さく呟いた。
ラテンは昨夜、『皇帝ベクタを俺に任せてくれ』と言った。もちろんラテンの強さを誰よりも知り、誰よりも信じているユウキにとって、ラテンが負けるところなど想像できない。
だが、先ほどのシノンの攻撃といい、アスナの地形操作といい、ああもぶっ飛んだスーパーアカウントの能力を目の前で見せられれば、信じているとはいえ少しだけ不安になってしまう。
ここはシノンがいなくても突破できそうなため、シノンにはラテンの手助けをしてもらった方がいいのかもしれない。
「うん、ラテンを助けて……シノン」
「大丈夫よ。アイツのことだもの。きっと私が着く頃には終わっていると思うわ」
シノンがそう笑えば、ユウキも自然の笑顔になる。
――そうだよね。きっとシノンが着く頃にはベクタを倒しているよ。
そう思っていると隣にいたアスナが口をひらいた。
「詩乃のんはどうやってラテンくんのところへ行くの?」
「え? 普通に飛んでいくわよ?」
至極当然のように言ったシノンに、二人は驚愕の表情を浮かべた。
視界をとらえていた小さな黒い点が、今でははっきりとした黒き飛竜のシルエットへと変わっている。あと数分もすれば、並行することができる位置まで近づけるだろう。
――もう少しだ。あと、もう少し。
銀色の飛竜にまたがりながラテンは、一瞬たりともこちらを振り向かない背中に「待っていろ」と念じながら睨み続ける。
飛竜二頭による皇帝ベクタの追跡は、もう二時間近く続いている。
囮部隊が野営していた森、その南に広がっていた巨大なクレーターを越え、奇怪な虚像が林立する遺跡を通過し、数十分。やっとこの距離まで詰めることができた。二人を乗せて飛ぶ黒い飛竜と、ラテンだけを順番に騎乗させている雨緑と滝刳の疲労度の差が縮めることができた要因だ。
やがて黒い飛竜の隣で並行飛行をすることができたラテンは、滝刳の背中の上でゆっくりと立ち上がる。
高速で飛んでいることによって発生する突風の波が全身を襲うが、全身に心意を練り上げ全力で踏ん張る。そこでようやく、今まで動くことのなかったベクタがチラリとラテンを一瞥した。
その瞳は憎たらしいほど無関心で、あたかもラテンがそこにいなかったかのように視線を正面に戻した。
ラテンは滝刳の背中をポンポンと叩く。そしてすぐ後ろで飛行している雨緑に片手を上げ小さく下におろした。
二頭の飛竜はラテンの思いに応えるかのように、雨緑は下へ、滝刳は上へと移動していく。
「あそこがいいな……」
目を細めたラテンの視線の先には、テーブル上になった巨大な円形の岩山が天に向かって伸びている。
大きく深呼吸をしたラテンは、ゆっくりと抜刀した。
僅かにタイミングや狙いが外れれば、ラテンが――人界軍がここまで戦ってきた意味がなくなってしまう。
だから。
タイミング。狙い。両方とも絶対に外さない。
「―――ッラ!!」
瞼を開けたラテンは突然滝刳から飛び降りると、裂帛した気合と共に刀を振り下ろす。
白い一筋の閃光が刀から放たれ、騎乗しているベクタに襲い掛かるが、僅かに横にずれたため、彼には当たらなかった。否。わざと
白い閃光はベクタの右隣に直撃する。ラテンの狙いは最初から黒い飛竜の翼だったのだ。
黒い飛竜はラテンの斬撃が当たると、少しずつその強靭な体が小さくさせていく。
次第に翼の動きがおぼつかなくなり、やがて小型化が止まる。
その姿は数分前の僅か半分になってしまっていた。
もちろんそんな体で二人も支えきることができるわけがなく、掴んでいたアリスが空中に放たれ、ベクタと共に先ほどまでラテンが見ていた岩山に落下していった。
「雨緑ッ!!」
空中でめいっぱいに叫ぶと、空中に投げ出されたアリスの体を雨緑が背中でキャッチをする。
それを見てラテンは心の中でガッツポーズをした。
別に翼でなくてもよかった。
頭部。腕。足。尻尾。
どの位置でもアリスに当たらずかつ黒い飛竜に掠りさえすれば、同じような現象が起こっていただろう。
あの黒い飛竜は数分前までベクタを乗せていた飛竜とは違う。小型化した飛竜はいわば、
ラテンは、順調に成長しようやく飛べるようになった瞬間まで、飛竜そのものをルアー・オリジンで戻したのだ。
大幅に天命を消費した刀に、心の中でねぎらいの言葉をかけながら納刀し体をひねって体勢をを整えると、空中を
一歩ずつ、まるで見えない階段を下りていくようにベクタが落ちていった岩山へと近づいていく。
もちろんチートを使っているわけではない。足の裏で《風素》を生成、炸裂させているのだ。神聖術が苦手なラテンでも時間はいやと言うほどあったため、このように足で風素を発生させることができるようになった。
残念ながら、風素を炸裂させて得られる勢いよりも重力のほうが強く、上昇することができないため、こうして落下速度を殺すことしかできない。もしかしたら、イマジネーションすなわち《心意》次第で、浮いたり飛んだりすることができるのかもしれないが、今は必要ないだろう。
とっ、と軽い足取りで岩山の頂上へ降りたつと、ゆっくりと歩を進める。
十五メルほど先では、先客が相変わらずの無表情で立っていた。
「よう、待たせたな」
今必要なのは、
「邪魔だ。消えろ」
――こいつに対する殺意だけだ。
流星のごとき発行の軌跡を残して飛び去ったシノンの後を追うように、人界軍七百人は必死の南進を続けてから二十分後。
地平線に巨大な神殿めいた遺跡の影が浮かび上がった。シノンが言っていた場所だろう。
風化したばかりの石が並んでいるその場所は、まっすぐ伸びる道を挟んで、二棟の平べったい神殿が横たわっていた。高さは二十メートルほど、幅は一棟が三百メートル以上はあるだろうか。少なくとも、敵軍の包囲を防ぐ障壁としては十分な規模であると言える。
「なんだろうね、これ」
「さあ。きっとラースの誰かが趣味で作ったのよ」
「そうなのかなぁ。でも、こんなもの隣にいたら気分が悪くなっちゃうよ……」
ユウキが見ていたのは東洋の仏像でも、西洋の神像でもない不気味な石像だ。全体的に四角いシルエットの石像の顔には、真ん丸い目と巨大な口が彫り込まれ、胸の手前では短い手を合わせている。
うへー、と苦い顔をしたユウキにアスナは小さく笑った。
「よし、前衛部隊は左右に分かれて停止だ! 馬車と後衛部隊を通せ!」
途端、先頭を走っていたベルクーリが声を上げた。
突然の命令に、ラグを生じさせることなくさっと割れた前衛の間を八代の馬車が進み、修道士を主にした後衛もそれに続くと、参道の一番奥で停止する。
「そこで待機だ。いつでも戦えるように準備しておけ!!」
ベルクーリはそう言い放つと、長剣を抜きながら数メートル先へと歩いて行った。そのままゆったりとした動作で剣を掲げると、剣筋が見えないほどの速さで振り下ろした。それを二十メートルある横幅の端から端までまで繰り返す。
はたから見れば空振りしているように見えるが、よく目を凝らしてみると、先ほどまでベルクーリが振っていたところが少しだけ歪んでいるのがわかる。
いったい何だろう、と疑問に思っているユウキに答えるかのようにリリアが口を開いた。
「あれは小父様の武装完全支配術《
「へぇ~、すごいなー! ボクもやってみたいよ!」
「私も一度くらいは使ってみたいですね」
二人の会話が聞こえていたのか、苦笑いを浮かべながらベルクーリが戻ってくると、巨大な地響きが人界軍たちのもとへ届いた。
笑っていたユウキとリリアの顔が一瞬で引きしまる。
「いくぞ、てめぇら! ここが正念場だ!」
ベルクーリの鼓舞に、衛士たちが剣を掲げて返事をした。
赤い兵士たちはもう目の前にまで迫っていた。
今回は短いです。申し訳ない!
皆さんお気づきになったでしょうか?
実はこの《神速の剣帝》。
なんと、一話から大幅修正されています!
とは言っても、SAO編までしか終わっていませんが……(笑)
前よりか読めるくらいには修正してあると思います。(修正と言うよりは、9割以上書き直しているので、書き直しているといったほうが正しいかもしれません)
その過程で、話の内容も少しだけ変わっています。また違った《神速の剣帝》を楽しめるかもしれませんよ!(笑)
まあでも、『少し』ましになった(ような気がする)だけですので、ご期待はしないほうがいいかもしれません……(笑)
これからもこの作品をよろしくお願いします!