愛の天使~アブラエル~ 作:匿名
こうして、私の何の変哲もない日常生活は色を変えてしまった。
油売る──―じゃなくてアブラエルという、ハイテンションクソうるさ天使は私の隣に立っている。背中にあった、白い羽根も見えない。
「ねえ、アブラエル。普通の顔してここにいるけど、学校の生徒じゃないよね」
「はい、そうですが」
「そんな平然として言われても……」
「まあまあ、安心してや、ワイに任せときって」
アブラエルは、私の背中を押す。平然の顔をして、教室の扉をくぐる。
普通は、こんな事をしたら不審者が来た! と大騒ぎになるところなのに、そんなイベントは起きなかった。
「おい! アブラエルと薫! 二人揃って堂々と遅刻とは! 何を考えてるんだ!」
先生は遅刻してきた私だけではなく、横に立つアブラエルにも怒りを飛ばして、青筋を浮かべている。
不思議に思った私は先生に聞こえないように、こっそりとアブラエルに耳打ちをする。
「ねえ、なんで先生はアブラエルにも怒っているの?」
「天使にかかれば、認知や世界の常識を歪めるなんて、おちゃのこさいさいだよ」
私たちが耳打ちしながら話しているのは、バレていたらしく、先生の怒りに油を注いでしまう。よりいっそう怒り始めて、二人仲良く廊下に立つことになってしまう。
「アブラエルのせいで、遅刻プラス廊下立ちになったんだけど。いい恥晒しだよ」
「風情があっていいね」
「どこに風情を感じてるの?」
「え、こんな風情を感じるのに感じないの!? 感受性が死んでるのね……」
オロオロと泣くふりをするアブラエルは、妙にイラついて、誰かを殴ったことなんて今まで一度もなかったのに、気付けば後頭部を思い切り叩いていた。
アブラエルも私も目を丸くして驚く。
「痛い! え! なんで! 痛い!」
「……なんかイラつき度が限界を超えたみたい」
「酷い! 俺は風情を感じるって言っただけなのに!」
アブラエルは頭を叩かれて、ギャーギャーと騒ぎ立てる。
すると、教室の扉が開いて、鬼の形相をした先生が怒号を飛ばす。
「おい、うるせえぞ! 二人とも! 反省してんのか!」
「私はしてます! でも、こっちの馬鹿はしてないみたいで!」
「んだと!? おい、アブラエルちょっと来い!」
先生に来いと言われたアブラエルは、思い切り頭を殴られて「痛え!」と頭頂部を抑えながら蹲る。
この時代に体罰というものを初めて見たが、アブラエルなら体罰をされても仕方ないよな、という気持ちの方が強く、同情する余地すらなかった。
「はぁ……もういい。二人とも中に入って授業を受けろ」
「はい」
「いてて……俺、天使なのに。なんでこんな目に遭わなきゃならねえんだ」
「ハイテンションクソうるさ天使だからじゃない?」
「何を!?」
「うるさいぞ! アブラエル! 反省してんのか!」
「イエッサー! 当たり前です!」
授業が終わったあとは、遅刻のことで持ち切りになったけど、私の周りに人が集まることはなかった。
アブラエルの周りは本人が見えなくなるぐらいに、人集りが出来ていて対照的だ。そっと窓の外の景色に視線を移す。
すっかりと夏になった世界。青も白も緑も水平線の彼方まで澄み渡っている。
ほんの少しだけ開けられた窓の隙間から、生ぬるい風が頬を撫で、カーテンの裾がパタパタとはためく。
チャイムがなれば、アブラエルの周りに集まっていた人集りも散り散りになって、静寂を取り戻す。
そう、これが私の日常。
誰かと話すことなく、景色と友達になって、自分の空気に黄昏て酔う。そうやって、毎日を生きてきた。
寂しくなんかはなかった。当たり前だったから。当たり前を寂しく思う人なんていない。慣れてしまえば、傷だと思うこともない。枯れてしまった木を見ても、なんとも思わないのと同じだ。
真冬のような冷たさが心に内包されて、夏の到来はそれをちっとも溶かさない。
時間の針が刻々と刻まれて、昼休みの時間になっても一人──のはずだった。
「うわ、これ美味しい!」
「……あの、当たり前のように横でお昼食べてないで貰えますか?」
人通りが少ない中庭。ここは私が見つけた聖域。
木のベンチに腰をかけ、一人でゆっくりと昼ごはんを食べられる。
喧騒から逃れることができる場所だった。
なのに、私の横には、アブラエルというクソうるさい天使がいる。そのせいで、聖域は一瞬にして崩れて、ギャーギャーと騒がしくなる。
私のお弁当も勝手に食べているし、もはや図々しいというよりか神経が通っていない無神経。
「お腹空いたから仕方ないね」
「仕方ないねって。私のお弁当なんですけど!?」
「知ってるよ」
「知ってるよ、じゃないよ。知ってるなら、食べないでもらえますか?」
「まあまあ……。まあ、それよりさ、薫は友達と食べないの?」
アブラエルは食べていた手を止めて、私の顔をじっと見つめて聞いてくる。
「……友達いないから」
「作らないの」
「私の勝手でしょ」
「そりゃそうだけど」
「アブラエルには分からないよ。それ、あげる」
私はアブラエルにお弁当を押し付ける。後ろから何か言ってるようだったけど、無視をして、中庭を後にする。
また、同じところに来るかもしれないからアブラエルが入って来れない女子トイレに身を隠す。
分からないよ、私の気持ちなんて。分かる気も、知る気もないくせに。無責任に踏み込んできて。
友達なんて、友達なんて。
「……いらない」
ではまた。