愛の天使~アブラエル~ 作:匿名
あれから、アブラエルは私に話しかけてくることはなかった。授業の合間は、クラスメイトと談笑して楽しくしていたし、有難いことだった。
私の気持ちを汲んで、話しかけないという選択肢を取れたのなら、最初からそうして欲しかった。
アブラエルは腐っても天使なのだから、人の気持ちを慮るということをしてほしいものだ。
それが出来ないから神様と対立して、地球に落とされたりするんだ。人の気持ちも知らないで「友達を作れ」だなんて言うのは無神経で、厚顔無恥で、どうしようもない。
でも、なんでアブラエルは神様と喧嘩したんだろう。よっぽどの事がない限り、天使が神様に歯向かおうなんてしないだろうし。
いや、私には関係の無いことか。
今は、アブラエルが話しかけてこない安寧を大切にしよう。
「じゃあ、気をつけて帰れよ。気をつけ、礼」
先生がそう言うと、解き放たれたように、生徒達は散り散りに部活動へ行ったり、街へ繰り出したりする。
誰かに話すことも、待つこともなく、鞄を肩にかけて教室を後にしようと、私は扉に向かう。
「薫ー! 待ってやー!」
後ろから、けたたましいほどの叫びで私を呼び止める。振り返ると、案の定アブラエルだった。
私の安寧は束の間で、口からは溜息が漏れる。
「なに……」
「おお。露骨に嫌そう」
「当たり前でしょ。アブラエルと居ると疲れるし、ろくな事もないし、無神経だし」
「会って間もないのにカスみたいな印象だ」
「そうしたのは誰よ」
「紛うことなき俺」
胸を張って、クソみたいな陳列を誇るアブラエルは心底訳が分からない。何が基準でそんなに誇らしいのか、何が基準でそんなに楽しいのか、私には何一つとして理解が出来なかった。
「で、要件は何?」
「え、一緒に帰ろうかなって」
「帰るって……アブラエル、家とかあるの?」
「ないよ」
「じゃあ、どこに帰るのさ」
「薫の家」
「は?」
「ひ?」
「いやいや、私の家に帰るって。無理に決まってるでしょ、お母さんやお父さんになんて説明……ってもしかして」
「その、もしかしてさ! 大正解!」
拍手をするアブラエルを見て、私の中にあった怒りメーターは限界突破する。ほぼ無意識で、パーではなく、握り固めたグーで頭を殴っていた。
鈍い音が響く。
アブラエルは頭を抑えて、私をキリッと睨みつける。
「いってえ! おい、バカスカ叩いたり殴ったりするなよ! 俺は天使だぞ!」
「うるさいわね! 何が天使よ! 人の家に勝手に来ようとする不審者でしょ!」
「勝手にじゃないよ! 許可取ろうとしてるよ!」
「じゃあ、お断りよ! 誰がアブラエルなんかを家に入れるもんですか!」
「で、でも! 家に入れてくれないと、俺は野宿で!」
「あんたなんか野宿の方がお似合いよ!」
「お願いだよ! 野宿は嫌なんだ! 暑いし! 頼むよ! お願い! 薫ー!」
アブラエルは天使とは思えない情けない姿で、目に涙を浮かべて、私に縋りついて家に住まわせてくれと懇願する。
流石の私もここまで情けないのを見てしまうと、心が揺らいでしまって、つい許可を出してしまった。
「……分かった! 分かったから!」
「本当!?」
「そのかわり、私の部屋には絶対に入らないでよ。それが条件」
「そんな簡単な条件でいいなら、喜んで呑み込むよ!」
「はぁ……じゃあ。帰りましょ」
「合点承知之助」
私はアブラエルと家路を歩く。
空は青空から夕空になろうと、山向こうがピンク色になっていた。鴉が「カァカァ」と鳴き、電線に止まっている。
梅雨が去ったばかりだから夜になるのは早いが、夏が来るに連れて、夜になるのはどんどん遅くなっていく。
夜の七時でも、昼のような明るさで、それを見るといつも夏が来たな、と実感する。
この夏が来る瞬間というのは、エモーショナルが町に溢れて、私は大好きだった。
浸れる空気、自分を考え直せる時間、一人ならそうだけど、今は横にアブラエルという不純物がいる。だから、浸れることはない。
視線を横に向ける。
「……ん? ん? なんで俺、汚いものを見るみたいな目で見られてるの?」
「さあ?」
「さあって、見てるのあなたですよ?」
「私にも分かりませんね」
「あなたが分からないなら、誰がわかるって言うんですか」
「知らない」
「ええ……」
アブラエルと馬鹿な口喧嘩をしながら、歩いていたら家はもうすぐそこに迫っていた。
誰かと帰ることなんてないから、家に帰るのが早いと感じたのは初めてで、少しだけアブラエルの存在に感謝をしてしまう。
鞄から鍵を取り出して、玄関の鍵を開ける。
「ただいまぁー」
「おかえりなさい〜」
リビングから間延びしたお母さんの声がして、鼻をくすぐる味噌汁の匂い。
「よぉし! 二階に行くぞ!」
「え? は?」
私に続いて、家の中に入っていたアブラエルが突然そう言い出す。乱雑に靴を脱いで、階段を駆け上がる。止める間もなく、二階に駆け上がった、アブラエルは私の部屋の扉を躊躇なく開けた。
「何してんじゃ、ワレェ!!」
私はアブラエルの背中を思い切り蹴りつける。
「……ふっ、ミッションコンプリート」
蹴られたことによってズレたグラサンを直しながら、アブラエルはやりきったように言う。
「何がミッションコンプリートだよ、この変態。野宿させてもいいんだぞ」
「それは困るんだよなあ! 。だから、その、許せ……」
「困るなら最初からするな!」
「それな?」
「それなじゃねえよ!」
私はもう一発、いや、何発かアブラエルを蹴って、一緒に暮らすことに不安を覚える。
ではまた。