ジーベックが奪った軍艦で出航して2日、私のこの船での初仕事は死体の処理だった。
「ん……しょっ」
軍艦を奪う際にジーベックが皆殺しにした、甲板に転がる屈強な海兵の死体を引きずり、冷たい海へと蹴り落とす。その後はデッキブラシで甲板の血糊をゴシゴシと擦る。普通の少女なら発狂しそうな光景だが、マリージョアの牢獄で隣で死んでる奴隷が腐ってハエが集っていくのを眺めていた日々に比べれば、私にとって潮風が吹く甲板での掃除なんてピクニックだ。
航海術も戦闘力もない私の役割は、雑用全般。食事の用意洗濯とか、あとはこういう戦闘後の死体処理を含めた掃除とか。
「……ふぅ」
私は一通り甲板に転がっている死体の処理を終えて、マストにもたれかかって休憩する。ここまで片付けるのに二日かかってるし、まだ船内に死体はゴロゴロ転がってるけど、今は考えたくない。
ふと頭上を見上げると、酷く疲れた表情の面がそこに浮かんでいた。顔には出ていないだろうが、知らず知らずのうちに疲労が溜まっていたのだろう。ヒトヒトの実幻獣種モデル“面霊気”、勝手に名付けたその実は私に“秦こころ”としての見た目と能力を授けた。
しかし、今の私は彼女の能力を100%引き出せる訳じゃない。他人の感情を操ることはできるが、面を操ったり弾幕を放ったり、薙刀や扇子を生み出すようなことはできない。まぁ要するに、能力の練度? が低いってことだ。
「おう、終わったかこころ! 中々手際がいいじゃねェか!」
「別に……慣れてるから」
「ヴォハハハハ!! イカレてんな、ハエが集る死体なんざおれでも触りたくねェ! お前を連れてきて正解だったぜ!」
「自分で殺したくせに……」
この惨状を作った元凶、ジーベックが豪快に笑いながら船内から出てきた。そう言うなら最初から殺さず奪えばいいのに、とは口に出さなかった。だけど私の面は呆れの感情を的確に表現してくれている。
「んなことよりこころ、ちょっと一杯付き合えよ」
「……なにそれ、お酒?」
ジーベックは懐から酒瓶を取り出して私に見せてくる。昼間からお酒なんて……と思ったけど、いつの間にか太陽が水平線の向こうに沈みかけている。夢中で作業している内に、夕方になっていたようだ。
(私未成年なんだけどな……)
そう思ったけど口に出す前に飲み込んだ。この世界に未成年はお酒を飲んじゃいけないなんて法律があるかどうかわからないし、仮にあったとしてもジーベックは海賊。私も……一応そうなるのかな? とにかく、私達を縛るものは何もないってことだ。
「私お酒飲んだことないんだけど」
「ヴォハハ! そりゃあいい、ならまずは一口飲んでみろ!」
ジーベックが無理やり酒瓶を押し付けてくる。抵抗はあったが、観念して口をつけてみると、喉が焼けるような強い刺激の後に、何とも言えない芳醇な甘みと温かさが身体の芯から広がっていった。
「……美味しい」
「そうだろ!? ガキにしちゃ見どころのあるヤツだ!」
「ガキじゃないし……」
初めてのお酒を飲んだ私は、体がポカポカして思いのほか幸せな気持ちになった。大人がどうしても飲みたがる気持ちが少しだけ理解できる。目の手のジーベックを見ると、いつの間にか持ってきていた酒樽の中身をそのままゴクゴクと浴びるように飲んでいた。凶暴そうな見かけ通り、お酒も強いのかもしれない。
「しかしツマミがねェと流石に味気ねェな」
「……そもそも、この軍艦パンと水しか積んでなかったんだけど」
「ああ、どうやら食料を積み込む前だったらしい。全くツイてねェぜ」
実際、私達はこれまでパンと水で食事を済ませてた。別に空腹になることはないし、虫やネズミの死骸を食べなくていいので私にとってはご馳走だった。でも、ジーベックにとってはそうじゃないらしい。
「……というか、このお酒はどこから持ってきたの?」
「ンン? そりゃァ聖地で天竜人共から奪ってきたのよ! 奴ら上等な酒をしこたま溜め込んでやがったからな!」
「だったら食べ物奪ってくればよかったのに……」
海賊という連中は、どうにも酒好きが多いらしい。何かの小説のキャラがそう言っていたことを思い出した。実際、それは正しいのかもしれない。現に食料よりも酒を優先する男が目の前にいるのだから。
「よし……こころ、ちょっとこれ持ってな」
「……? 何する気?」
「ヴォハハ……決まってんだろ、ツマミを取ってくるんだよ」
「……は?」
ジーベックは脱いだコートを私に投げ渡すと、そのまま海に飛び込んでしまった。まさか身投げする訳ないし、魚でも取りに行ったのだろうか? でもそれなら軍艦に釣竿と網は置いてあった。わざわざ飛び込まなくてもいいのに。そんなことを考えていると、水面からぶくぶくと泡が吹き出てきた。
「え……?」
泡は大きな水飛沫へと姿を変えて、その中から巨大な影が飛び出してくる。象とかキリンとか、そんなレベルじゃない。25mプールにも入りきらないようなとんでもなく大きな魚だった。
「ヴォハハハハハ!! やっぱり
水濡れになりながら船に飛び込んできたジーベック。なんと海中で怪獣みたいなサイズの魚を仕留め、船に投げ入れてきたのだ。あまりに現実離れした出来事に私が呆然としていると、ジーベックは甲板の床の木材を適当に切り抜き、それを私に投げ渡してきた。
「焼き魚にしよう! おれが食べやすい大きさにぶった斬ってやる、お前は火起こしと調理担当だ」
ジーベックが強いのはわかってた。だけどここまで私の中の常識と異なることをやられると、頭の中がバグってしまう。私は頭の混乱を必死に抑えながら、火を起こしてジーベックが斬った魚を塩焼きにする。そして出来上がったソレを酒の肴にして再び晩酌を楽しむ。
「中々いけるぜこの焼き魚! やるじゃねェかこころ!」
「……どうも。塩で焼いただけだけど」
こうやって焼き魚を貪り酒を腹に流し込む姿を見ていると、とても凶悪な海賊には見えなくなってくる。親戚のちょっと怖いおじさんって感じだ。どんなに世間で恐れられても、ジーベックも所詮はただの人間ってことなのかもしれない。
「ヴォハハハ……拍子抜けしたってツラだな」
「……!」
考えていることを当てられて私は思わず飲んでいた酒瓶から口を離した。表情には一切出てないはずなのに、何故わかったのか。空中に浮かんでいる面を見ても、酒で得られた幸せの方が強いのか『喜』の表情しか見て取れない。
「……なんで」
「なんでわかったかって? 馬鹿野郎、表情に出なくても空気で何となく察せるさ。おれァ人を見る目には自信があるんだ」
言い当てられた気まずさを誤魔化すために、私は瓶の中身を飲み干した。別に何を考えていたか当てられてもいいんだけど、今のジーベックにはさっきまでなかった緊張感が漂っている。
「まァそうだな……期待に答えるためにも教えておくか、おれの計画をな」
「計画……?」
「ああそうだ、おれは何も闇雲に船を進めてる訳じゃねェ。今も確実に目的に近づいてる」
そうなんだ、航海はジーベックに任せきりだったから知らなかった。航海術なんて持ち合わせてるわけないし、そもそも私に決定権なんてないし。
「いいか……おれ達はこれから政府の軍艦を襲撃し、天上金を全ていただく!!」
「……天上金?」
「簡単に言やァ政府が加盟国から徴収するみかじめ料だ。金を払う代わりに政府の保護の下に置いてやるってこった」
なるほど、要するに税金みたいなものね。まぁジーベックが狙ってるってことは並大抵の額じゃないんだろうけど。平気でぼったくってきそうだし、世界政府って。
「……ふぅん……でも、襲撃するって……軍艦をたった一人で相手するってこと? ……正気?」
「ヴォハハハハハ! ああ、問題ねェさ! たとえ海軍大将が乗ってたとしても、全員ぶちのめしてやるだけだ!」
まぁ実際今乗ってる軍艦はジーベックが一人で乗組員を全滅させて奪ったものだから、できないとは思わない。でもそれだけ大事な大金を積んでるってことは、警備だって相応に厳しいはず。少なくとも、マリージョアにただ停泊してただけの軍艦とは比べ物にならないのは私でも想像できる。
「問題はそこじゃねェ……厄介なのは連中が天上金を運ぶ時に使う“タライ海流”だ」
「タライ海流……?」
「“エニエスロビー”、“インペルダウン”、“海軍本部”。世界政府の三大機関を結ぶ巨大海流だ。外から入ろうにも逆流で弾き返されちまうし、一度入っちまったが最後、バカデケェ正義の門を通る以外脱出の道はねェ」
要するに巨大な渦潮みたいな感じ? で、渦潮の端に3つの門があってそれを開閉すると中に入れる……この認識であってるのかな?
「……つまり天上金を運んでる軍艦にその海流の中に入られると手出しできなくなるから、その前に襲うってこと?」
「ああそうだ、察しがよくて助かるぜ!」
なるほど、理解はできたけど頭がおかしいとしか思えない。警察署の前でパトカーを襲撃して強盗しようとしてるようなものだ。普通の人、というか並大抵の悪党でもそんなことは絶対しない。少なくとも、お金が欲しいなら他にも方法はいくらでもあるはずだ。
「……それなら加盟国襲って直接天上金を奪う方がいいんじゃない? わざわざ敵の門前で喧嘩を売るみたいなマネしなくても」
「……! ヴォハハハ! 思ったよりも頭が回るな! 確かにお前の言う通りだ……だが、それじゃあおれの野望は果たせねェ!」
「……野望?」
私が首を傾げると、ジーベックは狂ったような……だけど世界中の誰よりも純粋な笑顔を浮かべて両腕を広げた。
「海軍共を滅ぼし、世界政府の豚共を引きずり下ろして……おれが世界の王になるんだよ!!」
「……!!」
この男は本当に狂ってる。一人の人間が世界を統べるなんて、今どき小学生でも妄想しない。だけど、その言葉には確かな説得力があった。正気の沙汰じゃないことなんてわかりきってるのに、この男なら本当に成し遂げてしまうかもしれない……そう思ってしまう。
「そのために必要なのは……戦力と資金力! まずはおれの悪名を世界に轟かせ、屈強な無法者共を従わせてやるのさ!」
だからわざと政府の近くで、世界政府の大切な金を奪い挑発する。世界政府に牙を剥けば剥くほど、ジーベックは悪人達の間でカリスマ的存在になる。言ってることはわかるけど、野望のスケールが大きすぎて正直言葉が出ない。
──それに……
「……もしあなたの野望が実現したら」
「ん?」
「あの天竜人達は……地獄を見ることになるよね」
もうどうでもいいと思ってた。天竜人も、聖地も、そして自分の命さえ。二度と私の前に現れなければそれで……だって私を飼ってたあの男は私が殺した、もうどうだっていい。だけど……天竜人達が苦しみながら死んでいく様を想像すると、ちょっとだけ気分がよかった。
「怖気付いたか?」
「……ううん、そうじゃない。正直バカみたいだと思う……だけど、あなたが野望を達成するところを見てみたくなった」
「ヴォハハハハハ!! そうか!! なら死ぬ気でついてこい!! 言っとくがおれはお前の命を保証しねェぞ!!」
ジーベックは今日一番の、地鳴りのような大爆笑を夜空へと打ち上げた。そして、樽の中身を飲み干して私に言い放った。
「だが……もしもお前が生き残れたら世界の頂点を見せてやる!!」
その言葉に答える代わりに、私は酒瓶の中身をグイッとお腹の中に流し込んだ。彼の言ってることは滅茶苦茶だ。だけどこの男についてきたのは間違いじゃない、私は月明かりの下でそう思うのだった。
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──数日後、正義の門付近の海。
複数の世界政府加盟国から徴収した天上金を乗せた軍艦が、司法の島エニエスロビーの前に設置された正義の門を目前に待機していた。正義の門は見上げるほど大きく、人間の力でどうこうできるものではない。
「中将殿! 本部と連絡が取れました! まもなく正義の門が開きます!」
「うむ……ここまで来れば安全とはいえ、何があるかわからん。最近ロックスという男が聖地を襲撃し、逃亡したという話もある。総員、警戒態勢を緩めるな!」
『は!!』
天上金に手をつける海賊などいない。しかし、この金に万が一のことがあれば世界政府の信用に関わる重要案件だ。故に軍艦には海軍中将二名と何百人もの海兵が乗っている。万が一、億が一のことが起こらないように。
──少し離れた位置からその禁忌に触れようとする者達がいた。
「……ジーベック、10時の方向に軍艦。あとおっきい門」
「ヴォハハハハハ!! ギリギリ間に合ったな!! おれの野望への第1歩だ!! 覚悟しろ世界政府!!」
こころの報告を聞き、甲板に上がってきたロックスの顔に凶悪な笑みが張り付いた。そして次の瞬間、こころはロックスの脇腹に胴体ごと持ち上げられていた。
「は?」
「行くぜェ!! しっかり捕まってなァ!!」
空気が爆発し、ロックスの体は担いだこころこど砲弾のように空中へと射出された。そして真っ直ぐに、天上金を乗せた軍艦へと飛び込んで行くのだった。