世界最悪の海賊、ロックス・D・ジーベックが世界政府から奪い取った巨大な軍艦は、波を切り裂きながら気まぐれな航路を進んでいた。
「うぐッ……!」
そんな軍艦の甲板の上で、秦こころは盛大に尻もちをついた。表情は全く変わらないが、彼女の心情の変化を示すお面は苦しそうな顔でこころの今の精神状態を表していた。
「どうした、もうバテたのか?」
「……もうって、かれこれ3時間はぶっ続けでしょ」
目の前に立つ大男にこころは一ミリも怯むことなく言い返した。このエドワード・ニューゲートとの特訓は、こころの新しい日課になっていた。自分の身くらいは自分で守れるようになりたいこころと、芯はあるが吹けば紙切れのように飛んでいきそうな少女が気がかりなニューゲート。利害の一致に近い形で、彼らの特訓は始まったのだ。
「無駄な動きが多いからすぐに息が切れる……相手の動きを見るんじゃねェ、気配を感じ取るんだ」
「……言うのは簡単だけど」
さも当然のように言い放つニューゲート。こころは悪態をつきながら立ち上がると、能力で具現化した薙刀を構える。最近、感情を操る以外に使えるようになった能力だ。
「おめェの能力は他人の感情を読み取るのに長けている、それを戦いに応用しろ」
「……ニューゲート相手にできたら苦労しない」
こころは
「さァ立て……鍛えてくれと言い出したのはお前だ」
「……鬼ハード。……でも、それくらいがちょうどいいかも」
「グララララ! その意気だ、ここからは更に厳しく行くぞ」
ニューゲートの特訓は並大抵ではない過酷な物。しかし、こころは不思議と嫌ではなかった。勿論自分から言い出した話だが、それでもキツイものはキツイ。だがもうやりたくない、とは思えなかった。それは目の前に立つこの男から、一片足りとも悪意を感じないからだろうか。そこにあるのは、不器用だが確かにこころを想い育てようとする熱のみだった。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
──数週間後、
「……ジーベック、12時の方向から軍艦が2隻向かってきてる」
「ん? ヴォハハハハ! そうか、今度はもう少し手応えがあるといいんだがな!」
「適当にやり過ごせばいいものを……向かってくる奴ら全員真正面から迎え撃ちやがって」
望遠鏡を片手に報告するこころ。その言葉に反応し剣を抜き、嬉々として戦闘態勢に入るロックス。そんな彼の様子に呆れ、ため息を吐くニューゲート。三者がそれぞれの反応を見せる中、軍艦から海軍の上官らしき声が響いてきた。
『ロックス・D・ジーベック!! 貴様の悪行もここまでだ!! 絶対的正義の名の元、我々がここで駆逐してくれる!!』
「ヴォハハハハ!! ほら見ろ、おれをご指名だ。手ェ出すんじゃねェぞニューゲート!!」
「言われずとも邪魔する気はねェよ、後から恨み節吐かれても面倒だからな」
呆れるニューゲートの横で、一切怯むことなくロックスは剣を構えた。二隻の軍艦の内、より大きい主力艦であろう船に狙いを定めると、覇王色の覇気を纏わせた斬撃を振りかざす。
「……!!」
「何が……!?」
「ぐァァァァ……!!」
海兵達が現実を直視する間もなく、斬撃はまるで巨大な打撃のような破壊をもたらし軍艦を木っ端微塵に粉砕してしまった。海兵達は原形を留めないほどの肉塊となるか、ギリギリ形を保ったものの吹き飛ばされ絶命してしまう。
「なんだァ……? このおれに挑んでくるからにはそれなりに楽しめると思ったのによ! 世界政府め、つまらねェ連中を寄越しやがって!!」
「……ジーベックを楽しませた人、ニューゲート以外見た事ない」
「ヴォハハ!! そりゃァそうだ!! そんな奴がいたらどんな手を使ってでも部下にしてるからな!!」
「滅茶苦茶な野郎め……」
そう。海賊、海兵、CP、各国の兵士達、これまで数多くの腕自慢がロックスに挑んだが、少なくともこころが知る限り彼を本気にさせる者は現れなかった。だからこそ、ロックスはニューゲートを仲間に引き入れたのだ。彼は唯一、ロックスに実力を出させた者だから。
「なんという力だ……! 軍艦を一撃で……!?」
「怯むな!! 奴を放置すれば、世界への被害は計り知れん!!」
「砲撃用意!!」
「……騒がしいからもう一方も早く沈めて」
軍艦からは悲鳴やロックスの実力に驚く声、そして砲撃命令などが聞こえてくる。それがこころには煩わしく、早く終わらせるようにロックスに言う。しかし、彼は剣を納めると甲板にドカッと座り込んでしまった。
「いや……おれァもう飽きた。こころ、お前が沈めてこい」
「……え?」
「おいロックス! おめェ何を……!?」
その発言にこころはキョトンと顔をひねり、ニューゲートは僅かに冷や汗を流した。冗談や無茶振りなどではなく、さも当然のようにロックスが言い放ったからだ。
「お前がニューゲートに鍛えられてんのをおれが気づいてないとでも思ったか? 特訓の成果ってやつを見せてみろ」
「でも私は……」
「いいかこころ……おれァお前の能力と物怖じしねェ度胸は認めてんだ。確かに見所はある……だがな、おれの船にただの雑用はいらねェぜ?」
「……」
そう、ロックスがただの子供を連れていくはずがない。人手が欲しかったにせよ、ニューゲート程の男でなければ満足しないのがロックスだ。彼はこころの地獄を生き延びた故の度胸、希少な能力、そして何より将来性を期待していた。だがその期待も長くは続かない、このままただの雑用に甘んじるなら船に置いておく理由はないと。
「……わかった、やる」
「……! おい、こころ!」
「ヴォハハハハ!! そうこなくちゃなァ!!」
こころは能力で薙刀を出現させると、それを携え宙を浮いた。ニューゲートとの特訓のおかげで、秦こころ本来の能力を完全では無いにしろ引き出せるようになっていたのだ。
「……ッ! いいか、能力にばかり頼るんじゃねェぞ。見聞色を怠るな、あの程度の連中に負ける程やわな鍛え方はしてねェ」
「うん……わかった」
止めても無駄だ、そう察したニューゲートはこころに言葉短くアドバイスをした。そうだ、確かにこころの成長速度は目覚しい。あの程度の海軍相手なら、もしかしたら倒せるかもしれない。そう彼に思わせる程、こころは急速に強くなっていた。こころは薙刀を構え、ニューゲートとロックスを一瞥すると軍艦の方向へと飛んでいく。
「ん……? なんだあれは?」
「女の子……?」
ロックスの動きに警戒しつつ迎撃準備をしていた海兵達がそれに気づいたのは、こころが軍艦に降り立つ直前だった。こころは大胆にも甲板のど真ん中に着地し、周囲を囲む海兵達を見回す。
「……!」
「油断するな、ただの少女じゃないのは明白だ!」
空を飛び、薙刀を携え、そして宙に浮く仮面に囲まれた少女。
「……」
「なんだ……?」
「“杞人地を憂う”……!」
海兵達の周囲をこころが出現させた大量のお面が漂う。それらに気を取られていると、足元から今度は青白い光を纏ったお面が上空目掛けて大量に溢れ出していく。それはまるで巨大な激流のような霊気の波を生み出し、海兵達を吹き飛ばしていく。
「ぐァァァァ……!!」
「な……なんだこれは!?」
紙切れのごとく吹き飛び、甲板に叩きつけられたり海に落ちていく海兵達。被害を免れた者達が動揺する中、こころは薙刀を構え海兵の群れに突っ込んでいく。
「……ギャァ!!」
「……」
「ッッ……! 撃て!! 撃てェ!!」
数人の海兵が切付けられ、ようやく周囲の海兵達もこころの危険性を完全に理解した。確かに普通の少女ではないと思っていたし、警戒もしていた、しかしこれほどまでとは夢にも思っていなかったのだ。
「このガキ……!」
「…………!!」
背後から剣を振りかざしてくる海兵の気配を見聞色の覇気で感じ取り回避する。そのまま振り返りざまに薙刀で心臓を一突きにした。
「……さすがニューゲート、見聞色って大事」
海兵の身体から薙刀を強引に抜き取り、こころは呟く。思えばニューゲートの指導は的確で、こころの能力と覇気を彼女以上に理解して最適な戦い方を教えてくれた。実際こうして海兵相手に立ち回れていることから、彼の教えの素晴らしさがよくわかる。
「そんな……こんな子供が!?」
「これがロックスの一味……子供でもこれほどの強さなのか!?」
「……子供子供うるさい」
「ひィ……!!」
海兵達が子供と連呼するのでこころは彼らを睨みつける。いや、厳密には表情が変わらないので睨みつけられているかは微妙だが。だが周囲のお面は般若の面に変わっているので、それらに海兵達は怯え後ずさる。
「“怒れる忌狼の面”……!」
「飛んだ!?」
こころは霊気を狼のように変え、それを纏い飛び上がる。そして急降下すると海兵達に突っ込み彼らを攻撃する。ある程度の実力者は反応し回避しようとしてくるが、見聞色で先読みをすることで的確に彼らをも吹き飛ばしていく。
「ッッ……!!?」
「避けられない……!?」
「……子供扱いしないで……ムカつく」
無表情で海兵達を蹂躙していくその様をロックスは酒瓶を豪快に飲み干しながら見ていた。大口を開けて笑い、こころの戦いぶりに感心している。
「ヴォハハハハ!! やるじゃねェかアイツ!!」
「あれくらい当然だ」
「師匠様は厳しいなァ! だが見聞色は上等だぜ? 上手いこと育てたなニューゲート!」
「……アイツは元々無意識に見聞色を使ってやがった、後は基礎を教えてやるだけだ」
ニューゲートからしてもこころの成長は目を見張るものがあった。元々見聞色の素質はあったようだが、それを差し引いても能力も強力で本人の才も申し分ない。ロックスが連れているのも納得だ。
「しかし薙刀か、お揃いとは師匠思いのいい弟子じゃねェか」
「別にそんなつもりはねェだろうよ、アイツの能力の一部だあれは」
こころの得物はニューゲートと同じ薙刀。未だにどんな能力かはニューゲートはもちろん本人すら完全にはわかっていないが、少なくとも意識して具現化したものではなく、モデルとなった面霊気とやらが使用している武器らしい。
しかし今、ニューゲートが気になるのはそんなことではなかった。
「ロックスおめェ……アイツの成長を見越して船に乗せてたのか?」
「ん? ……まァそれもあるが所詮結果論。別にそこらで潰れたとしても雑用として使ってやって、いらなくなれば捨てるだけだ」
「……」
その言葉にニューゲートは納得と違和感が半々のような感情を抱いた。確かにロックスがこころの成長や才能を認め、期待して連れていたのは事実だろう。しかし今までもそんな人物はいたはずだ。だがロックスは船に乗せることはせず、雑用として使うこともなく、切り捨ててきた。何故こころだけ……と。
「あとは強いて言えばアイツの目だな。アレは真っ暗な闇の中を見てやがる、だから自分の命すらなんとも思っていやがらねェ。ああいう奴の辿る末路は二つだ……生き残り歴史に名を残すか、それともどこかで野垂れ死ぬか……まァ大抵の奴は死に腐るだろうがな」
「……そうだろうな」
ロックスの言葉はニューゲートにも心当たりがあった。思えばあの少女を放っておけないのも、こころが自分の命にすら価値を感じられていないのを察知したからかもしれない。当人に自覚がないにしろ、そのような意識ではいつか身を滅ぼす。命を賭けることと、命を雑に捨てることは似ているようで全く違う。
「そこまでだ! 私の部下にこれ以上の手出しは許さん!」
「少将殿……!!」
「……!」
こころは背後から迫り来る片手の斧の気配を察知して咄嗟に回避した。少将と呼ばれたこの大男はこの軍艦の司令官。今回派遣された二隻の軍艦の総指揮官は先程ロックスに潰された方の軍艦に乗っていた中将だったが、彼もロックスの攻撃に巻き込まれ死亡してしまったがために、今はこの男が総指揮官という訳だ。
「下がっていろお前達! この少女はもはや子供などではない、放置すれば必ず将来我々に牙を剥く怪物だ! 悪の芽は根絶やしにしなければならん!」
「……!」
再び振りかざされた斧をこころはすんでのところで回避した。そのパワーとスピードはこころ以上であり、まともにやり合えば勝ち目はないだろう。見聞色と能力、これらを駆使して勝負するしかない。
「悪……か」
「ぬゥゥ……!!」
「ッ……!」
回避に撤するこころだが少将の攻撃がかすり腕に切り傷を負ってしまった。こころの動きが一瞬緩くなった隙に、少将は彼女の胸を片手斧で切り裂いた。
「ぐふッッ……!!」
「致命傷は避けたか……大したものだな」
血を吐き膝をつくこころ。その様子を見て勝ちを確信した少将は斧を握る手の力を緩めた。少女とはいえ確実に摘まなければならない悪だが、今この場で殺すよりも拘束しロックスの情報を聞き出すのが先決だ。上も同じような判断を下すだろう。
「うぐッ……」
「無駄な抵抗はするな、そうすればこの場で殺すことはしない」
「……優しいんだね…………天竜人は守るクセに」
「何……?」
こころの言葉に少将は露骨に眉をひそめた。まさか今この場で天竜人という単語が出てくるとは思わなかったのだろう。彼から少しの戸惑いを感じ取ったこころは、しかしそんなことを気にせず吐息のように言葉を吐き出していく。
「……あんなのを容認しておいて、正義ヅラしてるのとかホント反吐が出る」
「黙れッ……!! 天竜人はこの世界を作った創造主!! それを我々が守るのは当然の勤めだ!!」
そう口にはしつつも、拳は血が滲むほど握りしめている。恐らくこの海兵は本当に正しい正義感、それが故に天竜人の所業を見て見ぬ振りしかできない自分に怒っているのだ。この言葉も罪悪感を押し潰すため、自分に言い聞かせているだけの虚言に過ぎない。
「少なくとも……悪人の貴様に言われる筋合いはないッッ……!!」
「……そうだね、それはそう。私はただ確かめたかっただけ……あなた達がアイツらをどう思ってるか」
「……!!?」
「これで……遠慮なく殺せる」
瞬間、こころが動いた。重傷を負い動けるはずがないと油断していた少将は反応が遅れ、攻撃をモロに受けてしまった。彼の左腕が胴体から離れ、宙へと舞っていく。激痛に顔を歪めながらこころを見ると、いつの間にか彼女の両手には二本の青白い扇子が握られていた。
「がァァァ……!!?」
「少将殿……!!」
「その傷で……なぜ動ける!?」
「……別に、これくらいかすり傷だから。今更こんなので痛がらない」
服に水溜まりのように染み渡る血を拭いながら、こころは淡々と答える。これだけの傷を負いながら全く表情を変えず、こちらを追い詰めてくる様は化け物や妖怪の類としか思えなかった。
「“仮面喪心舞 暗黒能楽”……!」
「……!!」
大量の面が周囲の海兵達、そして少将を飲み込んでいく。雑兵が吹き飛ばされる中、少将をこころは扇子を薙刀に持ち替え、何度も舞をまうような動きで切りつけていく。そして最後、最大の力を込めた一撃で少将を甲板に叩きつけた。彼は白目を剥き大量の血を吐いて倒れている。
「そ……そんな!? 少将殿が……!?」
「ひ……怯むな……! 来るぞ……!」
「……まだやる? もう面倒くさいから、後は勝手に自滅してて」
こころは薙刀を消し、軍艦の船内へと消えていく。それを追う海兵達だが般若の面に囲まれた瞬間彼らの瞳から正気が消えた。海軍が他の海賊から押収したであろう金銀財宝。それを抱えたこころが甲板に戻ってきた頃には、海兵達は怒りの感情に当てられ同士討ちし、全滅した後だった。それをこころは冷たい目で見つめた後、踵を返しロックス達の元へと帰っていく。
「……終わったよ」
「ヴォハハハハ!! よくやった、凄ェじゃねェか!」
「別に……これくらい当然」
降り立ったこころを賞賛するロックス。その手には新たな酒瓶が握られており、こころの戦いを酒の肴に楽しんでいたのは明白だった。その様子にこころはため息を漏らす。
「……なに、ニューゲート?」
「いや…………なんでもねェ」
ニューゲートから不自然な視線を感じ彼を見るこころ。その表情は彼の複雑な気持ちを表している。
「ねェ……ジーベック」
「あ?」
「……壊すんだよね……世界」
「……!」
こころの表情は相変わらず無表情、しかしその目からは深い闇のような絶望を感じ取れた。ロックスは口元を僅かに緩ませると、静かに強く肯定した。
「おう……! おめェを苦しめた連中も場所も、全部地面に這いつくばることになるぜ……!」
「そっか……じゃあやっぱり私はあなたについて行く……いいのね? 少しはマシになったでしょ?」
「ヴォハハハハ!! まァギリギリ及第点ってとこだな!! 死ぬ気で喰らいついてきやがれ!! そんときゃ世界の頂点を見せてやる!!」
もう私は奪われるだけの弱者ではない。このイカれた男の元で世界を牛耳る豚共を引きずり下ろしてやる。第二の人生を得たこころの真の物語は、ここから始まるのだった。