そこは、あらゆる並行世界の交差点であり、同時にどこでもない「狭間」の領域だった。
万華鏡の如き結晶体が、数千、数万、数億という単位で浮遊し、それぞれが異なる可能性の宇宙を映し出している。ある結晶には平和な黄金の黄昏が、別の結晶には星そのものが燃え尽きる終末が描かれていた。
その中心に、一人の老人が座していた。
キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。魔術協会において「魔道翁」「宝石のゼルレッチ」と畏怖される、第二魔法『並行世界運営』の体現者。
「さて――」
老人は、手元の一つの結晶体を気怠げに弄んでいた。その結晶が放つ光は、他の一切の並行世界とは一線を画す、どす黒い「絶望」の色に染まっている。
「あまりにも救いがない。人類という種がこれほど徹底的に、かつ無残に貪り食われる剪定事象(あるいはそれに準ずる袋小路)というのも、いささか悪趣味が過ぎるな」
彼が見つめる結晶の向こう側――そこでは、地球外起源種『BETA』と呼ばれる異形によって、人類の総人口が10分の1以下にまで削り落とされ、ユーラシア大陸の大半が「死の大地」と化していた。本来なら、既存のいかなる魔術基盤も届かない、完全なる異界の理で動く宇宙。
「だが、理が異なるからこそ、触媒としては最高だ。あの跳ねっ返りと、死なない聖堂騎士。あの二人の『異物』を放り込めば、この澱んだ泥水のような世界も、少しはマシな色に変わるかねえ?」
老人の唇が、意地の悪い、しかしどこか期待に満ちた弧を描く。
「ま、精々足掻くがいい、お嬢さん方。その世界をどうにかせんと、元の世界への扉は開かん仕様にしておいたからな。……何、死にゃあせんよ。片方は文字通り不死身で、もう片方は『時間』そのものを買い叩く怪物なのだから」
パチン、と老人が指を鳴らす。
その瞬間、万華鏡の結晶の一つが激しく明滅し、二つの魂の残滓を吸い込んで、漆黒の宇宙へと消えていった。
異界の空、血の匂い
「――ッ!?」
意識の覚醒は、あまりにも唐突だった。
蒼崎青子は、肺腑に流れ込んできた空気の冷たさと「異様さ」に、反射的に激しく咳き込んだ。
「ごほっ、げほっ! ……な、何よこれ。空気が……腐ってる?」
立ち上がり、周囲を見回す。
そこは、彼女が見知った三咲町の夜景でもなければ、時計塔のあるロンドンの街並みでもなかった。
赤茶けた、植物の一切を生やさない荒涼とした大地。空は厚い鉛色の雲に覆われ、太陽の光は不気味な薄明かりとなって地上を照らしている。そして何より、風に乗って運ばれてくるのは、強烈な化学薬品の臭いと、鉄錆のような――血の匂いだ。
「気が付きましたか、青子」
すぐ傍らから、鈴の音のように澄んだ、しかし酷く冷徹な声がした。
シエルだ。彼女はいつもの白いコートと青い法衣の身を包んだまま、すでに臨戦態勢で周囲を警戒していた。その手には、どこから取り出したのか数条の「黒鍵」が握られている。
「シエル……。ここ、どこ? 私たち、さっきまで三咲町の私邸で、あの糞ジジイの相手をしてたはずよね?」
「はい。ゼルレッチ翁が『面白いものを見せてやろう』と万華鏡の魔術礼装を起動した直後、私たちは空間ごと反転させられました。……魔術的な空間転移ではありません。これは、世界そのものの連続性が途切れています。私たちの知る『地球のテクスチャ』ではありませんね」
シエルの言葉に、青子は自身の内側に視線を向けた。
魔術回路を駆動させ、周囲の大気(マナ)を吸い上げようとした、その瞬間――青子は強烈な違和感に眉をひそめた。
「……チッ、何これ。大気中の魔力が、信じられないくらい希薄。っていうか、システムが違う? 魔術基盤が根底から機能してないわ。自分の体内の魔力(オド)だけで回す分には問題ないけど、大魔術の行使は燃費が最悪になるわね」
「同感です。聖堂教会の『神の教え(人理)』による配分も、ここでは驚くほど微弱です。概念武装の効力が数割は低下しているのを感じます。……ですが」
シエルが眼鏡の奥の目を細め、遥か地平線を見つめた。
「それ以上に――『敵』の接近が早すぎます。挨拶代わりの歓迎会としては、少々趣味が悪いですね」
――ズゥゥゥゥン……。
――ズゥゥゥゥン……。
地響き。それも、単なる地震ではない。何千、何万という「巨大な生物の足音」が、大地を震わせているのだ。
クレーターの縁、土煙の向こうから、それは姿を現した。
体長3メートルから5メートル。人間の上半身を無理やり引き伸ばし、巨大な一本の「目」を植え付けたような、悪夢に出てくるような異形の群れ。兵士級と呼ばれるBETAだ。
さらにその背後からは、巨大なハサミのような顎を持つ、10メートルを超える突撃級、要撃級が、津波のように押し寄せてくる。
「なっ……何よ、あの悪趣味なデザインの生き物は!? 幻想種? いえ、魔獣の類でもないわね、あれ!」
「魂が……ありません」
シエルが黒鍵を構え、冷酷に言い放つ。
「あれには知性も、感情も、霊的な核すら存在しない。ただ『動く肉の塊』であり、人間を捕食するためだけに最適化された機械です。――青子、問答無用で来ます!」
キィィィィィン! という金属質な咆哮とともに、先頭の兵士級が、その異常な跳躍力で二人に襲いかかった。数条の触手が、青子の顔面に迫る。
「私を誰だと思ってんのよ、この化け物がぁっ!」
青子は怯むことなく、むしろ怒りを爆発させて右拳を突き出した。
魔術回路の起動。体内の小宇宙(オド)を、ただの「純粋な破壊のエネルギー」へと瞬時に変換する。魔術の洗練など必要ない。ただただ、目の前の存在を消し飛ばすための『魔弾』。
――ドッバァァァァン!!!
青子の拳から放たれた青い衝撃波が、兵士級の頭部を文字通り粉砕した。緑色の不気味な体液と肉片が四散する。
「うわ、汚いっ! ちょっと、こいつら返り血まで最悪なんだけど!」
「文句は後です! 次が来ます!」
シエルの身体がブレた。
常人の反射速度を遥かに超えた『埋葬機関』の体術。彼女は突進してきた戦車級の背後に一瞬で回り込むと、その強靭な顎の隙間に、黒鍵を深々と突き立てた。
「ハァッ!」
魔力を流し込まれた黒鍵が、戦車級の体内から炸裂する。しかし、シエルは不満げに舌を打ち、バックステップで距離を取った。
「硬い……! 皮膚の強度はそこまでではありませんが、筋肉の密度と質量が異常です。通常の魔術師なら、一撃で圧殺されていますよ」
「そんなこと言ったって、数が多すぎるわよ! 100や200じゃないわ、あれ、万単位でしょ!?」
青子が叫んだ通り、地平線を埋め尽くすBETAの群れは、先頭の数十体を失っても全く速度を落とさない。それどころか、同胞の死体を踏みつぶし、ただただ二人の「肉」を求めて殺到してくる。
その時だった。
二人の頭上の空間が、突如として激しく歪んだ。
『――やあやあ、無事に着いたようで何よりだ、お嬢さん方』
頭の中に直接響く、憎たらしい老人の声。
「ゼルレッチ……!!」
青子が青筋を立てて虚空を睨みつける。
『まあ怒るな。お前たちには、少々壮大なボランティアを頼みたくてな。その世界の地球は、放っておけば数十年以内に完全に滅びる。人類は家畜以下になり、星の地殻すら食い荒らされるだろう』
「知るか! そんなのその世界の人間にやらせなさいよ! なんで私たちが!」
『お前たちしかおらんのだよ。その世界の人間は、科学の力で必死に抗ってはいるが、如何せん決定打が足りん。……そこでだ、青子。そしてシエル。条件は一つ。「その世界のBETAと呼ばれる脅威を根絶、あるいは人類の勝利を確定させること」。それが成された時、自動的に元の世界へ戻るゲートが開くように設定してある』
「はあ!? 根絶って、この数を全部殺せって言うの!?」
『クク、まあ、知恵を絞ることだな。香月夕呼という、実に面白い女がその世界にいる。彼女に会うといい。……ではな、健闘を祈る。現代の魔法使いと、教会の最高戦力よ』
「あ、待ちーー」
声は途絶えた。完全に接続が切れたのだ。
「……あの、糞ジジイぃぃぃぃ!! 帰ったら絶対に、あの城ごと黄金のジャムにしてやるんだからぁぁぁ!」
青子の絶叫が荒野に響き渡る。
しかし、現実の脅威は待ってくれない。彼方の丘から、巨大な「突撃級」の群れが、時速100キロメートルを超える速度で、文字通りこちらを圧殺せんと突進してきていた。
「青子、怒りは戦力に転換してください」
シエルが静かに、しかし凄まじいプレッシャーを放ちながら言った。彼女の背後に、魔術的な術式が展開され始める。
「言われなくても分かってるわよ! ……シエル、前衛は任せていい!?」
「ええ。一体たりとも、あなたには近づけさせません」
「よし――なら、まずは小手調べと生きますか!」
青子が両腕を広げ、体内のすべての回路をフル稼働させる。
魔力の光が、荒涼とした世界に「青い星」のように輝き始めた。
追加で宝石翁の気まぐれの追加被害者を出すとしたら誰がよろしいでしょうか?
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蒼崎橙子
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久遠寺有珠
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静希草十郎
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浅上藤乃
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両儀式
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遠野秋葉
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遠野志貴
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その他