冬木市新卒ガス社員 作:菌糸類に脳を焼かれた海洋生物
まだヤンデレはお預け
コツコツと靴音が響く。静かな夜の街中では特にだ。作業着を着た男が通報のあった場所へと歩みを進め、道具を出す。多種多様な道具がしまい込まれたカバンから、点検に使うものを抜き出し、管を見る。夕食を食べる時間はとうに過ぎて、まだ点検をするというのはおかしな話でもあるが、あいにくここは日本である。作業が終わらず、どうして帰れようか、いや帰れん。帰宅の事は一旦頭の片隅に置きつつ、箇所を見る。構成、材質、強度異常なし。劣化が多少確認できるが、予想の範囲内だ。勢いよく破裂したと思われる個所を確認してみるが、どうにも違和感が残る。入ってペーペーの素人の判断なぞ、あてにならないかと思いつつ、確認作業を進める。
頭の中ではこんな時刻まで長引く仕事への怨嗟でいっぱいだ。最近、頻発するガス爆発に辟易し、少し増えた給料で何を食べようか考える。肉、魚、麺、今夜の夕食について思いを巡らせていたとき、彼の背後で影が揺らめく。闇夜に紛れ、獲物の姿を見たそれに理性は存在しなかった。血肉を求め、彼に飛び掛かった。しかし、怪物が喉を潤すことは無かった。体は剣で縫い付けられ、身動き一つ出来ない。そのまま、頸を刎ねられ、塵となって消えてしまった。 彼が振り向いたその時、声が響く。
「……おーい、後輩。 確認終わった?」
そういって一人の女性が彼に近付く。絹のような銀髪を夜闇に靡かせ、小鳥のような美しい声で話しかける。彼は焦ったように荷物を纏め、顔を向ける。首が千切れんばかりに頷き、肯定の意を示す。何を隠そうこの男は超が付くほどのコミュ障なのだ。異性と話すのは彼のキャパを越えてしまう。……これが彼の限界だった。
「そう。……教えたことはしっかり出来てるみたいね。」
そう言って、彼女は短く彼に言葉を紡ぐ。これでも大分マシになった方で、最初の頃は何度か泣きそうになるぐらい冷たい時期もあったのだ。新人教育として組まされた時はその美貌に浮足立ったが、蓋を開けてみれば、棘のある言葉でのスパルタ指導が待ち受けていた。そういうのが好きな人であれば良かったが、生憎彼はノーマルである。
「……『誰か居ましたか?』って?」
怪訝な彼の様子を感じ取ってか、下から見つめるように彼女はいう。この男、身長だけはあるのだ。猫背ぎみになっているとはいえ、百八十センチは優に超える体格である。先程の考えを感じ取ったかのごとく、彼女は面倒くさそうに答える。
「……ああ、いつものクレーマーよ。今回は大したこと無かったけど、最近はいつにも増して多いわね。……貴方も早く対応できるようになってほしいのだけれど。」
彼にプレッシャーを掛けながら、彼女は答える。ガス爆発が頻発するせいか、度々現場に作業員を襲うクレーマーと呼ばれる者達がいるのだ。先輩曰く、『クレーマーの対処まで出来て、一流のガス職員なのよ。』とのことらしいが新卒の自分には些か厳しい所がある。その対処法はシンプルで、少々手荒に帰ってもらうしかない。もやしの体ではまだそこまでのことはできない。
「……はぁ、もういいわ。確認も終わったようだし、引き上げるわよ。貸しということでご飯でも連れてってもらおうかしら。」
何とも高圧的な雰囲気で彼に呼びかける。付き合いもそれなりの期間となり、彼女の好みは何となく分かっているのだ。困った先輩とはいえ、助けられているのもまた事実。重い体を動かし、車に乗り込む。
「フフッ、よろしい。……それじゃ、いつもの所へ宜しくね。」
鍵を差し込み、エンジンをかける。アクセルを踏んで、店を目指す。冬木市のガスシーズンが来ようとしていた。
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車を走らせること数十分。ついに目的地が見えてきたようだ。中華料理屋のような外観をした建物には、看板が付いており、その名は『紅洲宴歳館・泰山』とある。念のため彼女に確認すると……。
「合ってるわ。何回も来るから流石に道も覚えてきたかしら。その点は好評価ね。」
入り口の扉を開けたその先には、熱気が広がっていた。鼻をくすぐる香辛料の香りが店を包み、その香りは空腹の彼には大層効いた。しかし、その独特の辛みから発されるものには中々慣れない。勿論、新鮮なスパイスのせいもあるだろうが、涙は流石に出ないだろう。恐る恐る瞼を濡らしながら見てみると……。
「……おや、君かね。……そちらの彼は見ない顔だが、新人の子かな?」
「……ハァ。……どうも、言峰神父。彼が新人の子ですがそれが何か?」
赤い何かを卓に置きながら、目の前の男は彼女に話しかける。初対面の人に挨拶するのは至難の業だが、何とか言葉を絞り出した。目の痛みがさらに強くなりながらも、何とか顔を見る。
「……成程、良い眼だ。……折角の機会だ、一緒に食べないかね?」
その問いかけにノーを言えるはずも無く、彼は頷いてしまう。隣の彼女は嫌な顔をしつつも、渋々席に座る。
「……貴方、正気なの?……まぁ、聞きたいこともあったし、今回は勘弁してあげる。」
「ああ、挨拶が遅れてしまったな。 私の名前は言峰綺礼。この冬木市の教会で神父をやらせてもらっている。どうぞ宜しく。」
彼は礼をし、卓の赤い何かについて尋ねる。
「ああ、これかね。これは紅洲宴歳館・泰山の名物『激辛麻婆豆腐』だ。耐え難き辛さの中に眠る旨味のバランスは、この店にしか出せない味だ。神に誓って私が断言する。……食うか?」
間違いではなかった。まさか先輩以外にもこの劇物を食べる人がいるなんて……。先輩は食事の時の反応が薄いのだが、このような劇物を食べる時は珍しく感情を見せる。世界は案外広いようだ。……こんなものを食べれるだろうか。だが、人生で一度は冒険する時があってもいいだろう。銃を突き付けられたかのような緊張の中、ゆっくりと頷く。
「……ああ、やはり君は筋がいい。……店主、オーダーを。彼に麻婆を一つ、私と同じものだ。」
「ハイヨー、デモホント二ダイジョブ?、チョー辛いアルヨ。」
「男に二言はない。……そうだろう?、良し、では頼む。」
その瞬間、彼は自分のやってしまったことへの後悔を抱いたが、もう遅い。……食らって見せよう、漢なら!!!
「……ふむ、今日は仕事帰りかな? 君がそこまで掛かる
「実はガス爆発についての調査と点検をしてましてね。……最近、やったらめったらに
そう言って、彼女は神父にジト目を送る。神父は口角を上げながら答える。
「それは重要な仕事だ。冬木の市民の安全を保障するべく、働く君らは大変立派だとも。」
「……お褒めに預かりどーも。……フフ、ようやくね。」
「……来たようだ。」
「オマチドウサマアル!!!紅洲宴名物『激辛麻婆豆腐』ニャ!!!!」
「相変わらず、凄い熱気ね……。」
彼は手を合わせ、蓮華で掬う。ゴポゴポと溶岩のように泡立つそれは尋常ならざるものであった。恐らく本場に行っても、これ程のものにはそうそう出会えまい。 口に運ぶのも怖いが、意を決して食べる。瞬間、針で口内を刺すような痛みが彼を襲った後、凄まじい味が脳内を巡る。豚肉や豆腐の旨味が辛さと芸術的な対比を繰り広げ、その印象を強烈にしている。すっかり麻婆の魅力に取り付かれた彼は、無我夢中で頬張り続ける。何時の間にか、顔は汗で一杯になっており、その辛さが伺える。だが、彼の奮闘も空しく、机に倒れる。数々の件数をこなした先に待ち受けていたのは、劇烈な辛さによる失神だった。フォーエバー後輩。
「……割と頑張るのね。」
「フフッ、実にいい食べっぷりだ。私も負けてられないな、どれ。……ッツツ、やはりこの辛さこそ至高……。」
「……ホント、何でこんなロクデナシと席を囲まなきゃいけないだか。」
そういって彼の麻婆をぱくりと口に入れる彼女。普段は浮かぶことのない、微かな笑顔が見られたが相手にいるのがクソ神父なこともあって、直ぐに真顔になった。
「急な自己紹介は止めてもらいたいな。見知った仲なのだから君のことは随分と知っている。」
「………………」
失神した彼を横目にピリピリとした空気が流れる。よせば良いものを似たもの同士であるがゆえに、嫌味を言うことが止まらないようだ。
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「……先程から視線を感じるな。何か言いたいことでも?」
「……いえ、ただどの口がと思いましてね。」
「フフ、手厳しいな。」
思ってないくせに。自分で言っといて、よくそんな顔ができるなと感心すら覚える。この腹黒が何を考えているかは分からないが、……ついに来たのだろう。
「……もう始まっているんですか?」
「六騎は召喚済みだとも。……君たちが調査に行ったのは、その前哨戦で起こったものだ。」
「何度も自重してと連絡したはずですが。……あなたの
「その割には、随分と楽しそうに見えたがね。……驚いたものだ、狂犬と呼ばれた君がまさかあんな顔をするとはな。」
……………………。 今日の運のツキのなさったら、感動を覚えるほどだ。寄りにもよって、コイツと一緒になるなんて。人の不幸は蜜の味を字で行く奴は世界広しといえど彼だけだろう。ため息を吐きながら、何とか言葉を紡ぐ。
「からかうのはやめてください。……本当に冬木でやるんですね?」
「ああ、近々本格的に始まるだろう。君達も忙しくなるが、かえって稼ぎ時でいいのではないか?」
「作業量に見合ってれば、文句なしなんですけどね。……しっかりと監督役の仕事はしてくださいよ。」
「フフッ、善処する。」
隣の彼がもぞもぞと動き出した。全く隠し通すのも一苦労だというのに、呑気に食べて……。アレがクレーマーな訳ないじゃない。天然って度合を越えてるわよ。自分を殺しにくる
……冬木で行われる聖杯戦争。 十年前は目も当てられないぐらいの悲惨な光景が広がっていたらしい。もう一度この町で聖杯戦争を起こすなんて、監督役の正気を疑うが、この男はもとからそういう人間だ。まともに取り合うのは、無駄と分かっているので適当にあしらうぐらいが丁度いい。……欲しい情報は手に入ったし、貧乏籤を引かないように立ち回るのが無難だろう。粗方食べ終わった後、彼に呼びかける。
「……さて、時間もアレなので、私達はこれで。」
「ふむ、確かによい頃合いだな。……久々に顔が見れて、安心した。」
「(……本当かよ、この野郎。)ほら、後輩、行くよ。明日も朝から早いからね。……それでは。」
「ああ。……最後に、君の名前は何というのかね?聞きそびれてしまったもので。」
心を許したのか、後輩は少し朗らかになって言う。
「……守。……
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車に乗り込む彼らを見ながら、先程の事を考える。
「……衛宮、衛宮か。」
噛み締めるようにその名を呟いた後、溢れ出る感情に身を震わせる。それは予感であり、確信であった。
「……どうやら此度の聖杯戦争は愉悦に富んだものとなりそうだ。……因果とは実に面白きものだ。……だろう?、衛宮守よ。」
血と怨嗟が渦巻く冬木に一人の青年は誘われる。それぞれが特大の煌きを誇る聖杯戦争にて、最後の役者は揃われた。今此処に、第五次聖杯戦争が始まろうとしていた。
衛宮守
クソボケ馬鹿男。本来は存在しえない役割ゆえに、明確な役割が与えられている。麻婆が気に入った模様。変わった仕事だなとしか思ってない様子。
カレン
言峰との貴重なパイプ役。あらゆる業務をそつなくこなすが、言峰からの無茶ぶりに頭を抱えている模様。自省しろと何度か連絡しているが、効果は今一つのようだ。なお紅洲宴は行きつけの店となっているが、神父にバレるのが癪なので初めて訪れた感じを装ってる様子。
クレーマー
ガス職員の頭を悩ます